シビルさんと話し込んだ後、私は部屋の中で奇妙な昂揚感に悶えていた。
「はぁ……」
ベッドに倒れ込み、さっきまで感じていた気持ちを心の中で反芻する。
「シビル・ルインハルド君、か。不思議な人だなぁ。貴族なのに、それっぽくなくて……」
これまで私が接してきた貴族といえば、傲慢で身勝手で、上から目線で平民の気持ちなどまるで無視した人達ばかりだった。
勇者として神託を受け、教会のエラい人からチヤホヤされるようにはなったけど、私は気が付いている。
貴族の人達が向けてくる蔑んだ視線の数々。
兵士の訓練場は平民出身の人も多いからまだマシだ。
町娘に過ぎなかった私にもそれなりに優しくしてくれて、戦いを義務づけられた私が死なないようにちゃんと鍛えてくれている。
でも、貴族出身の兵士の人達は冷たかった。
『平民の分際で』
そんな言葉を何度聞いたか分からない。
私の両親は、貴族同士の抗争に巻き込まれて命を落とした。
だから私は貴族が嫌いだ。初めは憎くて憎くて仕方なかった。
なんであんな人達が国のエラい人なんだろうって、ずっと思ってた。
私達平民の事なんて何にも考えてくれない。
見下して、
そんな人達ばかりだと思ってた。だけど、シビル君は違った。
自分は三流貴族の三男坊で、ほとんど平民と変わらないっていってたけど、優しくて温かい、いい人だった。
貴族があんな人ばっかりだったら、私達平民にとって凄く幸せなんだろうなって思う。
もちろん貴族だって沢山いるから、探せばいい人もいるかもしれないけど。
「シビル君がいい人でよかった……」
これから始まる魔王討伐の旅路。不安と恐怖で押し潰されそうになっている毎日。
勇者の加護によって体はある程度強くなった。
でも私はやっぱり戦いとは無縁な平民に過ぎないんだ。
死と隣り合わせの旅に出発する日が近づいてくるに連れて、私は不安で押し潰さそうだった。
「怖いなぁ……やっぱり怖いよ」
戦いは怖い。死ぬのも怖い。でも、魔王を倒さないと人々の生活が脅かされてしまう。
だから私が勇者に選ばれたのなら、私が戦わないといけない。
シビル君にはそう言ったものの、やっぱり命を奪う行為は怖くて堪らない。
それが魔物や魔族相手だったとしても……。
魔王軍の敵達は魔族と呼ばれる種族だという。どんな怪物みたいに怖い存在なのか。
――ドンッ!
「えっ⁉」
考え事をしながら眠りにつきそうになってきた頃、突如としてお腹に響くような轟音が鳴り響く。
「な、なにっ⁉」
外から聞こえてくる人々のざわめきが不安を掻き立てた。
枕元に置いた長剣を腰に差して部屋を飛び出し、廊下で慌てている兵士の人に話しかける。
「何があったんですか?」
「ゆ、勇者の子か。モンスターだっ。モンスターが襲撃をかけてきたッ!」
「も、モンスターッ! ここ、町の真ん中ですよねっ⁉」
「理由は分からない。だが実際に襲撃を受けている。君はまだ訓練中だっ。他の訓練生に合流して籠城しなさい。大広間にいる」
「わ、分かりましたっ」
今の私にできることなんて、きっとない。
訓練は行なっていても、実際に戦った事のない私は、きっと皆の足手まといにしかならないから。
◇◇◇
「きゃぁああああっ!」
「うわぁあああっ!」
あ、あれがモンスター。なんて禍々しい姿なんだろう。
籠城している大広間に向かう途中。
建物の窓から見下ろす訓練場の広場で兵士達とモンスターが戦っていた。
まだら模様の入った巨大な胴体から伸びる8本の脚がガチャガチャと動いて高速で移動している。
無数の蜘蛛たちは鋭い牙と刃物のように尖った脚の先端で兵士達を斬り付けていた。
私が働いていた貧民街の宿屋に出る蜘蛛とは違い、大きな口とギョロリとした目玉があり、一体一体の大きさが人間と同じくらいか、少し小さいくらいの大蜘蛛だった。
まるで巨大な蜘蛛に人間の顔が引っ付いているような不気味すぎる異形に、底冷えするような恐怖心が湧き上がってくる。
「あ、あんなのが何匹もいるの? どうやって戦えっていうのよ」
怖い。あんな奴らと戦わないといけないなんて……。
いくら勇者の力があるからって、どうすればいいのか分からない。
でも、今の私は何もできない。早く避難しないと。
足手まといになってしまってはよくない。そう思って怖いのを振り切って再び走り出す。
「みなさん、ご無事ですかっ!」
「ゆ、勇者様」
「早くこちらへっ、急いでくださいっ」
大広間には同世代の若い訓練生が集まっていた。扉の周りには防御魔法の結界が張られており、私が最後の一人だった事に安堵する。
扉を閉めて指導教官が防御結界を強化する。
これで安心かと思って床にへたり込んだ瞬間、
――ズガァアアンッ
「きゃああああっ!」
「うわぁああっ」
「ぼ、防御結界がっ」
扉の
「も、モンスター……。た、戦わないと……」
腰から引き抜いた剣を構え、モンスターに対峙するも、恐怖の感情が前に出て体が上手く動かない。
『ッカカカカカカカッカカカッ』
気味の悪い音を立てる蜘蛛のモンスター。
鳴き声なのか、それとも牙同士を擦り合わせる音なのか分からない。
でも、相手が私を獲物と判断したことは間違いなかった。
ご馳走を見つけて笑っているようにすら見える。
「戦わなきゃ……私は、勇者なんだっ」
「無茶です。まだ訓練中ですから下がってくださいっ」
「で、でもっ」
教官の命令には従わないと。震えて剣をまともに構えることすらできなかった私が、敵と戦うなんて無謀すぎた。
「クソッ、かかって来い化け物ッ!」
教官達が戦い始める。だけど次から次へと魔物達が広間の中に侵入し、徐々に隅っこの方へと追いやられていった。
「ぐわぁああっ!」
「きゃぁあああっ!」
「きょ、教官ッ!」
頼りの教官達が次々にやられていく。
「ゆ、勇者様、逃げてくださいっ」
「訓練生達を連れて、早くっ!」
「み、皆さんっ……」
しかし、すっかり取り囲まれてしまった私達に、もう逃げ道は残されていなかった。
「戦わなきゃ…みんなを守らなきゃ」
『クカカカカカッ!』
『ゲキャキャキャキャ! ゲキャ!』
『ギギギギギッ』
「な、なにこれ……笑ってる?」
私達が怯える中、嘲笑うかのように追い詰めてくるモンスター達。
だけどその声には明らかな
「ま、まさか……感情があるの?」
「怖いよぉ」
「助けて……神様」
「もうおしまいだよぉ」
怯える訓練生達。私と年はそう変わらない少年少女しか既に残されていない。
教官達もまだ死んではいないみたいだけど、このままじゃ確実に殺される。
こいつら、私達を食べるつもりじゃないの?
トドメを刺されてもおかしくないのに、何故かこいつらはもてあそぶように教官達の体を脚で小突いて転がしていた。
「戦うしかないっ! かかってこい化け物共ッ!!」
なけなしの勇気を振り絞ってモンスター相手に剣を構え、
まだ数日の訓練だけど、勇者のギフトスキルのおかげなのか人よりも魔力の扱いに長けることができた私は、剣に魔力を伝えるやり方はなんとかものにできた。
それが目の前のモンスターにどれだけ通用するか分からない。
でも、もう私しか戦える者は残っていないんだ。
「勇者様ッ……」
「皆さん。私が隙を作ります。その間になんとか逃げ出してください」
「で、でもっ」
「迷ってるヒマはありませんっ。どうか従ってください」
「わ、分かりました」
訓練生の中には私を馬鹿にしてきた貴族達も混じっている。
でも、今になってそれを気にしている場合じゃなかったし、等しく守りたいという気持ちの方が強かった。
私がこういう考えだから勇者として選定されたのか、勇者として選定されたからこういう風に考えるようになったのか。
まだ分からない。
でも、命を守るのが勇者の勤めなら、勇気ある者の称号の名に恥じぬように、勇気を持って人々を守らなきゃ。
「私は、勇者なんだっ!」
『グガッ!』
『カカカカカッ!』
嘲笑うかのような音を鳴らす蜘蛛の化け物達。
――【ギフトスキル『勇者の魂』進化します。全ステータスアップ。刀剣スキルレベル上昇。身体能力強化補正】
「こ、これはっ」
体が白い光に包まれる。 勇気を振り絞った瞬間、私の中で漲るような力が溢れ出して剣に力が籠もる。
知らない何かが私の中に溢れ出し、漲る充実感が身体中を駆け巡った。