さて、結論から言ってしまおう。
「ショオォォォォォォォォォォォォォォ利ッ!!」
などと叫びながら、高々と右拳を天に掲げているのが自称女神ことタレイアさん。そして、すぐそこで大の字に伸びているのがアダム何とかさん。
別にどこぞのカードバトルもびっくりな展開があったわけでも、手に汗握る頭脳戦があったわけでもない。どちらかと言えばもっとリアリティがあって生々しいもの。そう、肉弾戦である。
事の発端は数分前。タレイアがアダム何とかさんのイカサマに気が付いたことにある。先ほどから負け越してるなあとは思っていた。でも、こいつだからなあとのんきに考えていた時、タレイアが急に吠えたのだ。タイミング的には残金が残り十分の一くらいになったときだったはず。
「こいつイカサマしてやがる!」
と。
当然アダム何とかさんは否定するが、タレイアはもう聞く耳を持たない。文句なしの言いがかりである。
床にしっかりと固定されているはずの机をべきっと引きはがすと、思いっきり叩き割ったあげく、アダム何とかさんの僅か数センチ横をかすめてそれを投げやがったのだ。
恐怖で真っ青になったアダム何とかさんに詰め寄ると、あろうことかそのままアッパーカットをキメる始末。
そして今に至ると。理不尽ったらありゃしない。
うん、冷静に考えなくてもアダム何とかさんは悪くない。だってどんなイカサマか説明されてないし。それでも、タレイアは完全にやりきったという顔をしている。
ゆらりと一歩踏み出したかと思うと、タレイアは俺の前でがくりと膝をつく。
「タレイア?」
ゆっくりとこちらを向いたか彼女の顔は、いつにも増して青白かった。それに、金色の瞳も心なしかいつもより暗く見える。
「おい、クソ野郎……」
「は、はい?」
ドスの効いたその声に、背筋がぴんと伸びる。
「あたし、どうやらここまでみてえだわ……」
「はあ?」
おい待てこいつ何勝手なこと言ってやがる。ここまで? 何が?
「いいか、クソ野郎。耳かっぽじってよーく聞け。てめえ自身がいくら否定しようがてめえはあたしが選んだ主人公なんだ。そこは受け入れるしかねえから、ただ黙って受け入れろ」
「いや、受け入れたくねえってば」
「うるせえクソガキ。これからあたしが超絶良いこと言ってやるからよーく聞け。んで、口答えすんな。後首いてえから座れ。正座だ」
正座をするのはさすがに癪だからあぐらをかく。その様子にタレイアは小さく舌打ちをするも、ふっと表情を和らげる。
「ふてぶてしい面ぁするようになったじゃねえか。ちょっとは成長したってことか?」
そうなったのは誰のせいだとは言わない。だって絶対何倍にもなってかえってくるもん。そう瞬時に理解できるようになったのはある意味成長だと思う。
「まぁいい。てめえはな、誰がなんと言おうがこの世界の主人公で、氷川和泉はてめえのヒロインなんだ。それも囚われのな」
俺は確かにタレイアに選ばれた主人公で、こうしてさらわれたヒロインを救いに来たわけだ。俺はただ、力矢さんのような、主人公の友人ポジションに憧れて生活していたはずなのに。
「ヒロインっつー存在を救えるのはよ。いつだって主人公だけなんだよ。救うべきヒロインが苦しんでたり悲しんでたり。それは物語によって違うがな。それでもこの物語で、和泉ちゃんを救えるのは神田透流。てめえだけなんだよ」
「俺、だけ……」
「そうだ。それを誇りに思えとは言わねえ。巻き込んだのはあたしだからな。それに、あれだ。こんな事になっちまってこれでも責任は感じてるんだ」
「いや、それは嘘だろ」
「だからな、今回だけでいい。主人公たれ」
無視か。お前何良い感じにまとめようとしてんだよ。文句の一つでも言ってやろうとしたとき、タレイアが今まで見たこともないほど綺麗な笑顔を浮かべているのに気が付いた。
普段なら気味悪がるはずのそれが妙に痛々しくて、つらそうで。俺はかける言葉を失ってしまう。
「すまん、どうやらさっきのであたしの力、出し切ったみてーだわ」
「いやいやいやいやお前何言ってんの?」
「嘘だって言ってやりてえんだが、こればっかりは、な」
タレイアの身体が淡く光り始める。まさか、と思ってしまう。
「お、おい……待てって俺一人でどうしろってんだよ……」
「悪いな、そればっかりはなんとも言えねえわ」
きらきらとした光がタレイアの身体を包み込み、それが少しずつ天に上り始める。
「てめえには言ってなかったが、主人公には主人公だけの能力があるんだわ。いわゆる主人公補正っつーやつだな。でも、てめえはまだ半人前だから能力が覚醒してるどころか、まだ一つも覚醒してねえ状況だ。それは言い換えれば主人公としての覚悟が足りないってことでもある。だが、てめえが自分こそが主人公だって覚悟を決めたなら、目覚めた能力が和泉ちゃんを助けるヒントになるかもしれねえってことだ。まあ、目覚めるまではどんな能力か分かんねえんだけどな」
「和泉を……助けられる……」
「あぁ。それと、てめえは和泉ちゃんがあたしに洗脳されてるって言ってたな。それから、それは彼女の望む幸せじゃねえとも。でもな、それはお前の勘違いでしかねえんだよ。どっちもな」
「何で知ってんだよ」
「あたしを誰だと思ってやがる。文芸を司る女神の一柱、ムーサの一人タレイア様だぞ」
そんな、分かりきった質問に、分かりきった答えを返してくれる。
「これだけは言っておく。相手が幸せかどうかを決めるのはお前じゃねえ。相手である、和泉ちゃん自身だ」
その言葉が、はっきりとした質量を持って心に刺さる。そうだ。どうしてそんな当たり前のことを忘れていたのだろうか。俺は、何を勘違いしていたのだろうか。
俺の顔を見たタレイアが、にっと笑う。これが最後だと言わんばかりに。
「いいか、神田透流。偽物の主人公なんかに負けんじゃねえぞ。他の誰でもねえ」
――てめえが主人公になるんだよ。
ひときわ眩しく輝いた瞬間、その身体は……身体は……眩しいなおい! なんで消えないんだよ。すっげえ眩しい。目が開けてらんないんですけど!?
さすがに耐えきれなくなって、逃げるようにその場を後にする。部屋を出てふすまを閉めてもその隙間からは勢いよく光が漏れ続けている。
なんだかなあと、声にもならない何かがぽろりと口から転げ落ちる。
情けねえなあと思う。同時に流されやすいなあとも。
別にこんなことでやる気になったとかそう言う事じゃない。ただ、今まで以上に自覚が生まれたとかそんなの。
だって、俺は主人公になんてなりたくないんだから。
俺にはずっと憧れている人がいた。その人のようになりたかった。彼のように、誰かの、主人公の背中をポンと押せるような親友ポジションでありたかった。だって、そこには俺の憧れが詰まっているから。
「俺は……力矢さんみたいになりてえんだよ……。でも、俺じゃなれないんだよな……」
当たり前の話だ。だって、俺は神田透流という人間で、川岸力矢というキャラクターではないんだから。今までしてきたことはただの模倣でしかないから。そこに、俺はいるようでいない。
「俺は、結局俺でしかないんだよな」
そのことに気が付くのに、何年かかったのだろうか。どれだけ羨んでも、俺は俺以外の誰かにはなれないし、逆もまたしかり。それでいいんだ。俺は俺らしく生きれば良いんだから。今までの生き方に後悔はしてないし、きっとこれからもしないだろう。それは絶対だと言い切れる。
それに、俺は主人公に選ばれてしまったんだ。選ばれたんなら仕方がねえし、ここでやらなきゃ男が廃るってもんなのかもしれない。
それにしてもあいつらしい別れ方だったと思う。めちゃくちゃで最後の最後までしまらなくて。なんなら迷惑ばっか残しているぐらいで。
それなのに、どうして寂しいと思ってしまうのだろうか。
どうしてこんな、感傷的な気分になるのだろうか。
俺は主人公になんかなりたくない。
それは紛れもない俺の本心だ。
でもな、和泉を救えるのは、俺しかいないんだ。
ポンっと、誰かに優しく背中を押されたような気がした。
うん、そうだよな。
今日ばっかりは。今日だけは。
「俺が……俺が、主人公だ――ッ!」
そう決意にも似た何かを胸に抱いた瞬間、身体が内側から淡く光り出した。