突然郭子儀は、黒い板の札を取り出して二人に見せた。李秀はぽかんとした顔をするが、閻謬は忌忌しい顔になる。
郭子儀がかすかに笑った。
「お前が毒死しようとしたとき、この札を見つけた。大事なものか?」
閻謬が答える。
「それは鉄車輪の割符だ。朱総輪に代わってからは掟も厳しくなり、割符が無いと鉄車輪を裏切ったと見なされる。返せ!」
李秀は思い出した顔で、
「ああ、あったねそんなの。そういえば呉文榮が言ってたけど、閻謬、あんたが総輪になるんじゃなかったの?」
すると閻謬は首を振り、
「あの時、お前たちに対する依頼は終了になり、戦う理由が消えた。だから私が総輪になる必要は無いと朱差偉が判断し、彼が総輪になった。それで良い。朱差偉はずっと以前から鉄車輪にいたし、経験は豊富だ」
「それで、今度は誰かが私の命を狙って、お前たちに依頼をかけたのだな」
郭子儀がそう言うと、閻謬は黙った。依頼の内容は漏らさない、ということが態度で分かる。
郭子儀は二人を見比べ、微笑んだ。
「お前たち二人、食事をしてきなさい。李秀、閻謬を連れて町の酒場へ行ってくるように」
「は? 師父、冗談でしょ? 敵と一緒に?」
「彼女はもう敵ではない。仲間なんだ」
閻謬も反発した。「私はただ、あの札を取り戻したいだけだ。余計な付き合いはごめん被る」
「命令だ」郭子儀の声が少し厳しくなった。「お前たちが互いを知ることは重要だ」
李秀と閻謬は互いに険しい視線を交わした。
◇
軍営から少し離れた町の酒場。店内は程よく混雑しており、二人は人目につかない隅の卓に座った。互いに警戒を解かない視線で向かい合う。
店主が料理を運んできた。炙った肉、蒸し野菜、米の粥、そして酒。
「食べる気がないなら、無理しなくていいよ」李秀は皮肉っぽく言った。
閻謬は無言で匙を取り、粥をすくう。その表情は冷たいままだ。
「ところで」李秀は肉を切りながら言った。「あんたの肩はまだ痛むの? 雷先にやられてから」
閻謬の目が一瞬だけ揺れた。「知っていたか。思い出させるな」
「雷先が言ってたよ。あんたの鎖骨を粉々にしたって」
「大げさだな」閻謬は皿に視線を落とした。食べやすそうな部分をくれている。「ただの骨折だ」
「そのせいで暗腿に変えたんでしょ?」李秀は意図的に刺すように言った。「大変でしょうね、腕が挙げられない生活。でも自業自得だもんね」
閻謬の手が一瞬止まった。「お前、挑発しているのか?」
「ただの事実確認よ」李秀は無邪気な顔を作った。「あんたの暗腿は見事だったから。どんな訓練をしたのか気になっただけ。いつかまた戦うかもしれないでしょ?」
閻謬は黙って酒を飲む。
「あんたは私たちのこと、すごく恨んでるわよね?」李秀が突然言った。
「恨み?」閻謬は無表情を保ったまま言った。「仕事の失敗と成功があるだけだ」
「ふうん」李秀は信じない目で見た。「雷先があんたの肩を折って、仲間も何人か倒されたのに?」
「感情で動く暗殺者は鉄車輪にはいない」閻謬は冷たく言い放った。「それだけだ」
互いに黙り込み、しばらく沈黙が流れた。酒場の喧騒が余計に二人の緊張を際立たせる。
「郭子儀はなぜ私をそばに置こうとしている?」閻謬が突然言った。「暗殺者を近くに置くなど、普通考えないぞ」
「さあ?」李秀は肩をすくめた。「たぶん、あんたが逃げ出さないようにね」
「お前は本当に師父と呼ぶほど信頼しているのか?」
「何が言いたいの?」李秀の目が鋭くなった。
「お前も私も道具にすぎない」閻謬は静かに言った。「郭子儀にとっては」
「あんたとは違うよ」李秀は怒りを抑えながら言った。「郭師父は私を一人の武将として見てくれる」
「そう思い込んでいるだけだ」閻謬は冷笑した。「戦略に使う駒であることは、武将も暗殺者も変わりは無いぞ」
「あんたと私を同列に語らないで!」
互いに敵意をあらわにした瞬間、酒場の主人が再び酒を持ってきた。
「お嬢さんたち、もっと飲みなよ。そんな険しい顔してると、せっかくの料理も不味くなるぜ」
だが主人が去った後も、二人の視線は緩まない。
「郭師父は、あんたが今後護衛として働くって言ってたけど」李秀が言葉を続けた。「あんたは本気でそんなことするつもり?」
「割符だ」閻謬はきっぱりと言った。「あれを取り戻すためだけに従う」
「命を賭けてまで?」
「当然だ。そして鉄車輪に戻る」
李秀は突然真剣な表情になった。
「閻謬、あんた本当に郭師父を殺すつもりだったの?」
閻謬は沈黙する。
「あんなに簡単に捕まるなんて、本気で暗殺する気あったの?」
閻謬は李秀をじっと見つめた。「郭子儀が強かった。私は及ばなかった。これ以上言わせるな」
「そう」李秀は冷たく言った。「本当みたいね。じゃあ、今後私は絶対に目を離さないよ」
二人は無言のまま食事を続けた。空気は凍りつくほど緊張している。
「結局、あんたは郭師父の護衛をしながら修行を積んで」李秀は最後の一杯を注ぎながら言った。「いつか復讐戦をして割符を取り戻す。そういうわけね」
閻謬は酒を飲み干し、頷いた。
「その通りだ」
李秀の目に敵意が浮かぶ。
「正直ね。あんたがどれだけ危険か、改めて認識した」
「まわりくどいな」閻謬は冷ややかに言った。
食事を終えた二人は、沈黙のまま酒場を出た。月が高く昇り、町は静まり返っていた。
「あんたの暗腿」李秀が歩きながら言った。「確かに強かった。次に戦うときはもっと用心するわ」
閻謬は無言のまま歩き続ける。
「もし郭師父に何かしたら」李秀は静かに続けた。「私が必ず倒すから」
「今ここでもいいんだぞ」
閻謬は挑発した。李秀は取り合わない。
軍営が見えてきた。閻謬は立ち止まり、静かに言った。
「李秀、奇妙な縁になったが、忘れるな。いつか必ず決着をつけるぞ」
李秀は挑戦的に応えた。「いつでも相手になるわ。それまで、郭師父の前では従順にふるまっておくことね」
星が瞬く夜空の下、二人は互いへの警戒を解かぬまま、距離を保って軍営へと戻っていった。
◇
李秀と閻謬が酒場で緊張した時間を過ごしている頃、軍営では別の場面が展開されていた。
郭子儀の帷幕には数本の蠟燭が灯され、薄暗い明かりが空間を柔らかく照らしていた。外では風が吹き、帷幕の端がときおり揺れる。その度に炎が揺らぎ、部屋の中に不安定な影を投げかけた。
帷幕の入口で、兵士の足音が聞こえる。
「入れ」郭子儀は目を開けることなく言った。
帷幕の隙間から一人の男が入ってきた。四十代半ばの精悍な顔つきをした兵士で、左頬には年季の入った長い刀傷が走っている。
「康新由、参りました」
郭子儀はゆっくりと目を開け、男を見据えた。「康新由。遅くまで呼び出して済まなかったな」
彼は茶碗を手に取り、小さなテーブルの上の茶器から香り高い茶を注いだ。湯気が立ち上る。郭子儀は茶碗をもう一つ取り、同じように茶を注ぐと、康新由の前に差し出した。
「お前は以前、鉄車輪にいたそうだな」
康新由の手がわずかに震えた。彼は恐る恐る茶碗を受け取った。その動きは、この話題を避けたいという意思を明確に表していた。
「はい……将軍」彼は目を伏せて答えた。「黒輪頭・閻謬の配下でした」
郭子儀は茶を一口すすった。その目は穏やかだが、決して逃げ場を与えない鋭さを帯びていた。
「詳しく話してほしい。閻謬とはどのような者だ?」
康新由は一息つくように茶を飲み、覚悟を決めたように顔を上げた。
「閻謬は……」彼は言葉を探すように一旦口を閉ざした。「鉄車輪に対する忠誠が並外れて厚い者です。幼い頃から唐流嶬総輪に拾われ、その恩を忘れることはありませんでした」
彼は茶碗を両手で握りしめ、続けた。
「一度任務と決めたら、どんな困難があっても遂行しようとする一徹さがあります。私が見た中で、唯一失敗した任務は……」
彼は言葉を切り、自分の左肩に触れた。
「賀雷先との戦いです。鎖骨を粉砕され、得意の短叉が使えなくなりました」
郭子儀は顎を撫でながら聞き入った。帷幕の外では、巡回の兵士の足音が規則正しく聞こえる。
「なるほど」郭子儀は茶をすすった。「他にあるかな?」
康新由は周囲を見回すように目を動かした。何かを打ち明けることへの躊躇いが見て取れる。
「ただ、人をだますような器用なことはまったくできません」彼の声は次第に強まった。「彼女は正面から戦うことしか知らない。駆け引きや策略には向いていない」
彼は茶碗を置き、両手を膝の上に置いた。
「私は閻謬が負傷した直後、鉄車輪の組織が壊滅するのではないかと危惧して逃亡しました。そして唐の軍に身を寄せたのです」
彼は息を飲み、声を潜めた。
「しかし彼女は復活した。ですから、必ず将軍を狙い続けるでしょう。彼女にとって、任務の完遂は命より大切なものです」
郭子儀の表情に変化はなかったが、その目にはわずかな光が宿った。
「お前は彼女に会いたくないと?」
康新由の顔が青ざめた。彼は深々と頭を下げ、額が床に触れそうになるほどだった。
「申し訳ありません」声が震えている。「別動隊に移していただけないでしょうか。閻謬に顔を見られれば、きっと……私は生きては帰れません」
郭子儀は立ち上がり、康新由に近づいた。夜風が再び帷幕を揺らし、蠟燭の影が二人の周りで踊る。郭子儀は康新由の肩に手を置いた。その手は重く、しかし安心を与えるものだった。
「わかった。明日から西方の哨戒隊に移れ。心配するな」
「恐れ入ります」康新由の声には明らかな安堵が混じっていた。彼は後ずさりながら帷幕を出て行った。
再び一人になった郭子儀は、思案顔で蠟燭の炎を見つめる。その目に、危険な計画の輪郭が浮かんでいた。
◇
夜も更けた頃、軍営の門前に二つの影が現れた。李秀と閻謬は互いに距離を置き、ほとんど言葉を交わさないまま歩いてきた。空には満月が輝き、二人の姿を銀色に照らしていた。門の警備兵たちは彼女たちの姿を認めると、小さく会釈した。
「李秀殿」若い兵士が一歩前に出た。「郭将軍がお呼びです」
李秀は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻した。彼女は閻謬に向き直った。その顔には明らかな疑念が浮かんでいた。
「あんたは宿舎に行ってなさい」李秀の声は命令口調だった。「明日の朝、また会うわ」
閻謬は李秀を冷ややかな視線で見つめたが、口を開くことはなかった。彼女は無言で頷くと、兵士に案内されて宿舎への道を歩く。その背中は堂々としていたが、わずかに緊張した様子も見て取れた。
李秀は閻謬の姿が闇に消えるのを確認してから、郭子儀の帷幕へと足を向けた。心の中には疑問が渦巻いていた。なぜ師父は彼女だけを呼んだのか。閻謬のことだろうか。
郭子儀の帷幕に近づくと、中から明かりが漏れていた。李秀は入口で立ち止まり、小さく咳払いをした。
「師父、李秀です」
「入れ」中から落ち着いた声が返ってきた。
李秀が帷幕をめくって中に入ると、郭子儀は大きな地図を広げ、何かを考えているところだった。彼の前には燭台が置かれ、明かりが地図の上で揺れている。部屋の隅には兵具や文書が整然と並べられていた。
「師父、お呼びでしょうか?」李秀は一歩前に出た。
郭子儀は静かに顔を上げた。その目は疲れを感じさせたが、鋭さは失われていなかった。
「ああ」彼は地図から目を離した。「閻謬とはどうだった?」
李秀は顔をしかめた。酒場での冷えた空気と、閻謬との緊張した対峙が思い出された。
「最悪です」彼女は率直に言った。「あの女、絶対に信用できません。目つきからして危険ですし、師父を恨んでいるのは明らかです」
郭子儀はその言葉を聞いても、意外にも穏やかな微笑みを浮かべた。彼は地図を脇に寄せ、李秀に座るよう手で示した。
「そうか」郭子儀の声には不思議な満足感が混じっていた。「さっき、閻謬のことをよく知る者に会った。以前、彼女の配下だった男だ」
李秀は身を乗り出すように前傾した。「それで?」
「彼女は鉄車輪に対する忠誠が厚く、一度決めたら必ず遂行する一徹さがあるそうだ」郭子儀は静かに言った。「そして、駆け引きは苦手とも」
李秀の眉が寄った。彼女は立ち上がり、落ち着きなく一歩前に出た。
「それならなおさら危険じゃないですか? また絶対に師父を狙いますよ。なぜ側近として置くんです?」
「使える要素があるからだ」
「どういうことですか?」李秀は混乱した様子で訊ねる。
郭子儀は答える代わりに、突然話題を変えた。彼は窓辺に立ち、夜空を見上げた。
「その前に、閻謬の様子を見てきてくれ。彼女の部屋は東の兵舎の端だ。今の彼女の本当の姿を見るといい」
李秀は首を傾げたが、師の意図を問い質すことはしなかった。彼女は黙って頷き、帷幕を後にした。
◇
東の兵舎は軍営の外れにあり、ほとんどの明かりは消されていた。ただ一つ、端の小さな部屋からわずかな光が漏れている。閻謬に割り当てられた部屋だ。
李秀は静かに近づいた。彼女の足音は夜の静けさの中でも聞こえないほど軽かった。部屋の扉には節穴があり、内部を覗き見ることができた。
李秀は慎重に近づき、内部を窺った。そこで彼女は、これまでの認識を覆すような光景を目にした。
部屋の中央で、昼間まで冷徹な表情しか見せなかった閻謬が、小さく体を震わせて泣いていたのだ。その姿はあまりにも孤独で、あまりにも人間らしかった。
「仇凱……」彼女の声は掠れていた。「総輪……」
涙が彼女の頬を伝い、布の上に落ちる。その表情には、昼間の冷酷さはなく、ただ深い悲しみと喪失感だけが刻まれていた。
「やはり天暗星がない私は……あの頃の強さに至れません……」閻謬の言葉は囁くように小さかった。「せめて、せめて任務だけは……」
彼女は小さく体を揺らした。その姿は、冷徹な暗殺者ではなく、ただの悲しみに打ちひしがれた一人の女性のものだった。
李秀は胸が痛んだ。閻謬もまた、誰かを失い、誰かを想う一人の人間なのだ。
だが、声をかける勇気は出なかった。李秀はそっと後ずさりし、来た道を静かに引き返した。彼女の足取りは重く、複雑な思いが心を占めていた。
◇
郭子儀の帷幕に戻ると、将軍は窓辺に立ったままでいる。李秀が入ってくる足音に、彼は振り向いた。
「師父」李秀は言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。「閻謬が……泣いていました」
李秀の声には、自分でも予想していなかった同情が混じっていた。
「恋人だった仇凱と、鉄車輪の頭領を想いながら……本当にに悲しそうでした」
郭子儀は黙って頷いた。その表情からは、すでにそのことを知っていたかのような穏やかさが感じられる。
「彼女は本当に鉄車輪に戻りたいと思っています」李秀は続ける。声には迷いが混じっていた。「でも……どうしてそんな危険な人物をそばに置くのですか? きっと本当に、師父を殺そうとしますよ」
郭子儀は蠟燭の側に戻り、ゆっくりと腰を下ろした。彼は李秀に向き直り、まっすぐに目を見る。
「李秀、明日から『鉄車輪の暗殺者が郭子儀を狙っている』という噂を広めよ」
突然の指示に、李秀は目を見開いた。彼女は混乱した様子で、一歩後ずさった。
「え? なぜそんなことを? それは本当のことですが、わざわざ広める必要が……」
「これは作戦だ」郭子儀の目が鋭くなった。蠟燭の光が彼の目に反射し、その眼差しに決意の色が浮かび上がる。「鉄車輪は、裏社会では今や有名な暗殺結社だ。この噂が広まれば、他の暗殺者たちも私を討って名を上げようとするだろう」
李秀の顔から血の気が引いた。その手は机を強く握りしめる。
「だったらますます危険じゃないですか! どうして標的になりたいのですか?」
郭子儀は立ち上がり、李秀の前に立った。彼の姿は威厳に満ちていたが、それと同時に、決死の覚悟も感じられた。
「ああ、なりたいのだ」郭子儀は穏やかに笑った。「現状を考えてみよ。燕の刺客たちは唐の将軍たちを次々と狙っている。李光弼も顔真卿も、すでに暗殺の危機に何度も晒されている」
彼は地図の上に手を置き、各地に配置された唐軍の陣地を示した。
「私が最も効果的な標的と知れ渡れば、彼らは私に集中する。つまり……」
李秀の目に理解の色が浮かんだ。彼女は息を呑み、震える声で言った。
「他の武将たちが狙われる確率が下がる……」
「その通りだ」
郭子儀は窓に向かって歩き、夜空を見上げた。月明かりが彼の横顔を照らし、その表情には決意と覚悟が刻まれていた。
「この戦乱を勝ち抜くには、味方の損傷をできる限り少なくしなければならない。唐の将軍たちが個別に狙われるのは避けたい。だから、刺客の矛先を私に集中させるのだ」
李秀は言葉を失った。彼女は震える唇を噛みしめ、郭子儀に近づいた。
「そんな……」彼女の声は震えていた。「あまりにも危険です! 師父一人が犠牲になるなんて、賛成できません! 他の方法があるはずです!」
郭子儀は振り返り、李秀の前に立った。月光と蠟燭の光が交差する中、彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。彼はゆっくりと李秀の肩に手を置いた。その手は重く、しかし確かな安心感を与えた。
「だからこそ、お前と閻謬が、必死に私を守るのだ」
「あっ……!」
李秀は驚愕の表情を見せた。
「閻謬を敵として近くに置き、私を狙う刺客を引き寄せる」郭子儀は静かに説明した。「その上で、お前たち二人の力で私を守る。閻謬は暗殺者としての腕前と経験がある。お前は双戟の技を持つ。二人が協力すれば、どんな刺客も寄せ付けない守りを固められる」
「でも師父」李秀は困惑した様子で尋ねた。「閻謬は刺客ですよ? いつ師父を襲うか分からない。そんな危険な人物と協力できるわけがありません」
郭子儀は蠟燭の側に戻り、静かに座った。彼の表情は思慮深く、遠い目をしていた。
「彼女は鉄車輪に忠誠を誓っている」郭子儀は静かに言った。「もし私が他の暗殺者に殺されたら、彼女は任務に失敗したことになる。だから閻謬は他の暗殺者を嫌でも迎え撃たなければならない」
「あっ、そういうこと!」
「それに、閻謬は駆け引きが苦手だと聞いた。私を騙すような芝居はできないだろう。彼女の本心は、常に表れる。もし彼女が私を狙うつもりなら、それはすぐに分かる」
李秀はあまりにも大胆な策に言葉を失った。彼女は帷幕の中を行ったり来たりしながら、考えを整理しようとした。蠟燭の炎が彼女の動きに合わせて揺れる。
やがて彼女は立ち止まり、師の前に跪いた。
「わかりました、師父」彼女の声には新たな決意が込められていた。「私は必ず師父をお守りします。それが唐軍のためになるなら。たとえ閻謬と協力しなければならないとしても……」
彼女は顔を上げる。その目には迷いはない。
「最初は仲が悪くとも、時間が解決することもある」郭子儀は微笑んだ。「さあ、休め。明日からは大変な日々が始まるぞ」
李秀は静かに頭を下げると、立ち上がって帷幕を出ていった。彼女の姿が闇に消えた後も、郭子儀は長い間窓辺に立ち、夜空を見上げる。彼の目には、これから始まる危険な賭けへの覚悟が映っていた。