そうして食事を終え、腹が膨れるとまたも眠気がやって来た。
少しばかり他愛も無い会話をしたが、彼も眠いのか返答は段々と簡素な相槌に変わっていく。
──いつも通り洗濯や孤児院内の清掃をしなくてはならない。
それから今日は、日記に綴った通り、花のレメディーを作らなくてはならない。
カモマイルの収穫を……やる事は沢山ある筈なのに、カーテンの隙間から差し込んだ初夏の陽光は暖かく、小鳥の
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時刻は夕刻。アルマは一人とぼとぼと礼拝堂に向かっていた。
────まさか、寝落ちするなんて思いもしなかった。
そう。夜更かしが災いして朝食後に直ぐに眠たくなり、テオファネスの部屋で寝落ちてしまったのだ。
目が覚めた時には午後一時。
とっくに昼食も終わった頃合いだった。
既にテオファネスが起きていたものの〝気持ちよさそうに眠っているのに起こすのも悪いと思った〟と気を遣って眠ったままにしてくれたそうだ。いやいや、そんな部分気を遣わないで貰いたい。寧ろ人前で寝顔を晒すなんて恥ずかしいので、即刻起こして欲しかったと思う。
そうして、和気藹々と洗濯物と取り込むカトリナ達三人娘の手伝いをして慌てて、孤児院裏手にある薬草畑のカモマイルの収穫をした。結局花のレメディーは作れていない。そもそも、花のレメディーは午前中の太陽光で無ければ意味が無いのだから。
───本当、一日を無駄にした感は否めない。だけど、テオと少しは心の距離が縮まったならば良いかも。
アルマはテオファネスの顔を頭に描く。他愛の無い会話くらいしかしていないが、それでも関係は良好と言えるだろう。やはり心の問題は心開いて貰わぬ事には改善されやしない。
恥ずかしいから弱い部分を晒したくない所為か「なるべく出さないように頑張る」と言ったが、こうして少しずつ彼を知り影と向き合えれば良いと思えた。
しかし思う。彼は本当に性格が穏やかで優しい。
見かけはああでも、中身はモジモジとして不器用……それでも素直だ。
そして極めて人間的。相手に気遣う思いやりがある。
そして何よりもアルマの心を射貫いたのは、初日の悶着後に言われた言葉だ。
「女だ男以前に人という括りじゃ変わらない」
「許すも許さないも判断すれば良い」
その言葉が今も尚強く残っている。
兵士で男という立場に傲らず、偉ぶったりもせず、対等に物を見ようとする価値観がアルマは何よりも気に入った。
────まだ会って間もないけれど、何だか居心地が良いかも。
そうでなければ、隣で寝落ちなんてしない。
そもそも夜中に外へと連れだそうだなんて考えやしない。エーデルヴァイスの中では特に仲の良いアデリナやゲルダのよう。きっと良い友人になれそうな気がする。
そんな事を考えている間に夕方礼拝の始まりを知らせる鐘が響き、アルマは急ぎ礼拝堂へ駆け出した。
一日の感謝の言葉に、それを唄う賛美歌。そして院長の言葉で締めくくられ、夕方礼拝はいつもと同じ十五分程度で締めくくられ解散となる。
その直後、アルマはテオファネスを外に出す件を院長に持ちかけた。
院長は案の定二つ返事で了承してくれたが……未だ残ってそれ聞いていた皆は複雑な表情を浮かべていた。
確かに子供たちに鉢合わせしないようにする為の調整は面倒に違いない。それに自分以外はテオファネスの事を
何せ人であって人でない。アルギュロスの生み出した最悪な兵器という認識しか無いからだ。
その場でどよめいたのは、かしましい三人娘たちだけ。
エーファに関しては相変わらず何を考えているかも分からぬ
「アルマが大丈夫というなら大丈夫でしょう。調整なんて、私達の協力でどうにでも出来るに違いない。上手い事調整しましょう」
やれやれといった調子でそう切り出したのはゲルダだった。
やはり六人を纏めるリーダーで最年長の威厳もあるからこそ、皆直ぐに頷きそれにて、この話は終了になったが……。
礼拝堂を出て直ぐ、アルマは直ぐにアデリナに呼び止められた。
そこには先程可決を促したゲルダも一緒におり、彼女らは先程より複雑な表情を浮かべていた。
「アルマ、あのさ……昨晩の件、分かってないとでも思ってる?」
ため息交じりに切り出したアデリナは、薄紅の瞳を尖らせてジッとアルマを射貫く。どう見たって怒っている事は一目瞭然だ。昨晩の件……間違いなく、消灯後の外出の事だろう。直ぐにそれが結び付き、アルマは一瞬にして肝が冷えた。
「何の話……?」
戸惑いつつ
「……だって隣部屋よ。ガサツなアルマにしては静かにできて上手くやったとは思う。でも、バレないとでも思ってるの? 院長にも他の四人にもバレちゃいないでしょうけど、私とゲルダは気付いてたわ」
どうして規則を破るような事をしたのか。件の
「午前中は
──私もアデリナも心配しているのよ。と、深刻に付け足すとゲルダは一つ息を抜き、続けて唇を開く。
「さっきの提案だって、脅されてると捉えられる。相手は成人男性。その上、
……実際はどうなのか。とゲルダに問われて、アルマは唖然とするが、途方もない罪悪感が渦巻いた。
まさか、そんな風に捉えていたなんて……。
同僚であり友人とはいえ、他人事に違いない。こんな心配をかけていただの思いもしなかったからだ。
「大丈夫だよ。ただ昨晩は……私」
そこまで言うが、言葉が喉を突っかかってしまう。
「アルマ、全部話してよ」
アデリナはまたも冷ややかに言うが、やけに声が震えていた。
その様から、彼女が本気で怒っており、本気で心配しているのだと痛い程に伝わってくる。なにせ、彼女の薄紅の瞳が溺れるように潤い揺れている様のだから。
アデリナとは長い付き合いになるが、こんな表情は未だかつて見た事が無い。
美人で真面目そうな見てくれな癖に割と適当。基本的に朗らかで、明るい笑顔を振りまきつつも、時折悪そうな顔をする。こういった負の感情など表に出しもしないので尚更、アルマは心が痛んだ。
こんな事で友を失いたくない。
もう、白状する以外に選択が無かった。
「しらばっくれてごめん……私規則を破って消灯時間に彼の所に行った。初日に自分の吐いた言葉で罪悪感を抱えてて、どうしても居ても立ってもいられなくなった」
だから謝りに行って、流れで外に連れ出した。と、事実を述べるとゲルダとアデリナが二人同時に頷き、すぐにどちらのものかも分からぬため息が聞こえた。
そうして
「……さて、もうすぐ修道女達の礼拝も始まるでしょうし、中庭に行きましょう。アルマ、詳しく全部話してくれるわよね?」
ゲルダはそう言って、アルマの背を軽く叩くと先に歩む。アルマとアデリナは少し遅れてその後を着いて行く。
「……アデリナごめんね」
まさかあんな泣きそうな顔をされると思わなかった。そこまで心配されるとは思わなかった。アルマが小さく詫びると彼女は無言で頷いた。