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30 彼の新しい役割

 テオファネスの存在が明かされて一週間。これといって大きな騒動も無く、平穏な日々が続いていた。

 翌日、修道女を集めて全体招集があり、この件について院長が直々に話をした。


 ────以前この修道院に居た修道女の一人娘、カサンドラ・アンガミュラーからの依頼だった。

 シュタールで軍人になった彼女から定期的に義援金を送られていた事もあって断る事もできなかった。この件を素直に院長が語り謝罪すれば、年配の修道女達はどうやらカサンドラの母が分かるようで、彼女らは押し黙り沈痛な表情を浮かべていた。


 当然のように「危険性は無いのか」「隠蔽を手助けするのはおかしい」「話し合って軍に戻すべきだ」と初めのアルマたちと同意見を発言する修道女もいた。 


 当を得た正論だ。だが、かれこれ数ヶ月が経過してしまい、突き返すなど今更できやしない。

 アルマは挙手して、担当者となった自らの視点を切々と語った。


「押しに弱く、断らなかった院長先生もどうかと思いましたが……私はこの務めを課された時点で人の命を握りました。ですが彼は真っ当な人間です。私はこの人を生かしたいと思いました。シュタール軍に密告すれば彼は処分される。カサンドラさんもタダで済まされる訳がない。考えなくとも分かるじゃないですか」


 アルマの主張に誰もが押し黙った。


 軍令を背き、他者に助けを求めた事自体は悪いだろうが、兵器に情を持ったカサンドラが悪かったとは言えない。事前に言わず、唐突に押しつけた院長先生は悪いだろうが、彼の事情を知り断れなかった事は悪かったとは言えない。


 確かにカサンドラの詰め方はあまりに狡いと思ったが……。


 それでも請け負ってしまった以上は責任を持つべきだ。まず、生かすだ殺すだのは聖職者の語る事でもない。 


「お願いです、私に力添えください。彼を助けてください」


 アルマは頭を下げる。

 礼拝堂はシン……と静まった。


 すると一つ二つと近くから拍手が響く。その拍手を送るのはエーデルヴァイスの乙女たち。


「助けるわ」

「当たり前じゃない」

 そう言うのは、アデリナにゲルタ。

かしましい三人もそれぞれが賛同の言葉を述べ、エーファは何度も頷く。


 やがてその拍手の波は広がり、段々と大きなものとなる。たったそれだけはあるが、修道女たちもこの件を認めたようにうかがえた。



 ────色々あったけど。皆、納得したみたいだし、外に漏れる事は多分無さそう。


 アルマは一週間前の事を思い返し、ほぅと息をつくなり辺りを見渡した。

 孤児院の談話室で子どもたちは今、みんな一生懸命に机に向き合っていた。時折指で何かを数える子も居る。


「はい。三分間終了、問題は解けたか?」


 明るく言うテオファネスの声に子どもたちはぱっと顔を上げた。

 自信満々な表情を浮かべた子もいれば、どこか悶々とした色を浮かべている子もいる。

「できた」「できない」それぞれの声が響き、テオファネスはやんわりとした笑みを浮かべた。


 ……そう、あの騒動で彼の存在は孤児たちにも知れた。


 半身が金属に浸食され、片目の強膜が真っ黒に濁った明らかな異形。初めこそ、十歳にも満たない子どもたちは彼の見た目に怯えやした。


「あの時、自分から表に出て今更だ。だけど、存外子どもの方が慣れるのが早いかも」と彼は言い、彼は子どもたちが三階の彼の部屋を訪ねる事も許容した。


 これが存外正解だった。子どもたちは大人よりも順応性が高く、彼に打ち解けたのは三日もかからなかっただろう。

 初めこそおっかなびっくりとソワソワとしていたのに、気になるとでもいった調子か、子どもたちはテオファネスの部屋に足を踏み込むようになった迄である。


 そして幾日か「多分みんな俺に慣れてきただろ。何か孤児院の事で手伝える事あるか?」と彼は言い出したのである。 


 アルマはすぐに彼が〝家庭教師に勉強を教わっていた〟事を思い出した。

 三カ国語を話せる程だ。要領の良さがうかがえる。


 子どもたちに勉学を教えるには充分過ぎる逸材だろう。

 そう踏んで、ゲルダやアデリナ他、エーデルヴァイスの皆に話を持ちかけたところ、是非との意見で纏まった。


 テオファネス本人にも聞けば「多分平気」との事で……そうして、今現在、孤児院の談話室で初めての授業を行っているのである。


 現在教えているのは算数だ。いつもこういった問題は、最も学のあるアデリナが考えて作っており、誰かどの程度の事が把握しているとまで詳細なメモを取っている。それを彼に渡したところ、それを参照にテオファネスは個別に問題を作り始めた。


「じゃあ、一人ずつ回って行くから分からない事があったら聞いてくれ。それまでは静かに答案を読み返してゆっくり待っていてくれ」


 そう言って、彼は端から順に子供たちの席の前にしゃがんで答案の答え合わせを行っていた。


 …………まるで先生みたい。


 その様をアルマは部屋の隅で感心して見ていた。

 勉学は担当外。主に外遊びや歌を教える事の方が多いので、自分にできない事をそつなくこなす彼を尊敬してしまった。


 一応、この勉学の時間の風景は知ってはいるが、アデリナよりも教え方が丁寧だろう。彼は子どもにも分かりやすいたとえを使って丁寧に一つ一つ説明していく。


 それに驚いたのは静かさだ。

 一人一人教えるから待っているようにとアデリナが言っても、段々と騒がしくなるにも関わらず、彼の場合は誰もが静かに待っていた。


「へぇ……凄いわねテオファネスさん」


 様子を見に来たアデリナは談話室に入ってくるなり感嘆として言う。

 彼女はアルマの隣に腰掛けると、その光景に目を丸くして驚いていた。


「……きっと、慣れだと思う。そのうち騒がしくなる可能性もああるかも?」

「まあ、それはありえそうだけど。でも、なんだろう〝大人の男の人〟ってだけで圧が違うというのか。それにしても彼、教え方が丁寧ね」


 丁度、彼は五歳の女の子の前で市場で林檎とソーセージを買い物するというたとえを使って引き算を教えていた。

 それも、店主を演じた軽い茶番付きだ。

 いやはや、あの照れ性がこんなノリが良いとは思わなかったが……歳の離れた妹が居たというのは、こんな部分を見るとやはり納得できる。


「はぁ、参考になるわ……」


 またもアデリナが感嘆として言うので、アルマはクスクスと笑みを溢した。


「本当。ここまで教え上手だと思わなかった。さすがなの、お兄さん」


 少しばかりエーファの喋り口調の真似をすれば、ふとテオファネスと目が合った。

 聞こえていたのだろう。彼は耳まで真っ赤にして、慌てて子どもたちの答案に向き合った。


「……まぁ。それでいて、見た目も良し。エーファとアルマの間でモテモテだしね」


 ニマニマと笑みつつアデリナが小声で言う。

 なぜにそうなる。思わず「はぁ?!」と素っ頓興な声を出してしまうと、皆一斉にアルマの方を振り向いた。


「……アルマ。ちょっと静かにしててくれな。アデリナは変な事言わんでやってくれ」


 全て聞こえていたのだろう。彼は顔を真っ赤にしてアルマとアデリナを交互に見てムズ痒そうな顔でこめかみを揉んでいた。


「そうねぇ。こんな所で雑談してたら邪魔になっちゃうかも。じゃあアルマ。ここはに任せて、女同士仲良く外で落ち葉掃きでもしましょう」


 パチリと手を叩いてアデリナは朗らかに言うと、アルマの腕を掴んでぐいぐいと談話室の外へと連れ出した。

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