ホリデー休暇は二泊三日。早くも二日目の晩を迎えて、明日には修道院に帰る事になる。
────あっという間だったな。
朝にカサンドラが来た時を思い返し、アルマは寝返りを打った。
明かりを落としても外の雪明かりで室内は仄かに明るかった。アルマのベッドの隣からエーファの寝息がスヤスヤと聞こえてくる。
貴族の屋敷でもないので客間なんて当然無い。エーファとテオファネスのベッドは木箱の上によく乾いた干し草を敷き、その上にシーツを被せた簡易的なものだった。しかし存外二人はこれが気に入ったようで、エーファに関しては「良い匂い」と昨晩眠る前に喜んでいた。
片やテオファネスは、弟のデニスの部屋に泊まっている。
「いきなり初対面の相手を……まして
デニスは顔立ちこそアルマと似ており、勝ち気でやんちゃそうに見える。乗馬が得意で事実活発ではあるが……その中身は冷静かつ
要領が良く物覚えが良い、その上物事を見極める事が得意……と、自分とは全くもっての正反対。我が弟ながら中身は全く似ていないとはいつも思う。そんな事を思いつつぼんやりと天井を眺めていれば、隣の部屋の扉が開く音が聞こえた。
隣は弟、デニスの部屋だ。家族は、足音で誰か直ぐに分かる。出てきた足音がデニスのもので無いと分かり、アルマは静かに起き上がって
間違いなくテオファネスだ。こんな夜更けにどうしたのだろう……。
もう大丈夫と分かってはいるものの、寿命がやって来た先日の事が妙に頭にチラついてしまうもので、心配に思ったアルマが部屋を出ると、丁度階段の手前に彼の後ろ姿があった。
見たところ寝間着のままだが、外套を羽織っており首にはマフラーを巻いていた。外に行くのだろう。
「テオ、どうしたの?」
後ろ姿に声をかけると彼は振り返り、首を振る。
「ごめん起こした? なんか今日は流れ星が幾つも見えたから気になって」
「……え? そうなの?」
アルマは少し前のめりになった。
ヴィーゼンの冬の星空は格別に綺麗だが、流れ星などそう見た事が無い。
否、そんなまじまじと空を見ていないので気付かないだけかもしれないが……。
そんな様子に彼は柔らかい笑みを溢し、アルマの手を取った。
「気になるなら一緒に見に行こう。アルマの方が病み上がりなんだから、寒くないようにな」
そう言ってテオファネスは自分のマフラーをアルマの首に丁寧に巻いた。
そうして二人、深夜の寒空の下に出れば、圧巻の星空が待っていた。
しかし家の前は針葉樹の雑木林が広がっているので、やや視界が悪い。
「家の前は木があるから少し邪魔しちゃう。羊舎の方に行こう、牧草地は開けてるから四方八方見れると思うの」
そうして間もなく、林を抜けて二人は家の裏手の牧草地へと出る。
汚れない白銀の大地の所為か雪明かりでやや明るいが、それでも空の美しさは変わらない。
「テオ、どっちの方向……?」
「ああ、霊峰の方の……」
そう言われて、アルマが視線を向けたと同時、頭上をスッと星が流れた。
「え、ほんとだ。すごい……!」
思わず牧場の柵に乗って空を見ると、背後からクスクスと笑い声が響いた。
「アルマは流れ星初めて見たのか?」
「うん……! 星が綺麗なのは知ってたけど、こんな遅くに外なんて出ないもの」
「そりゃ修道院の規則正しい暮らしじゃそうだよな」
「テオは結構見た事あるの?」
「ああ、そりゃな……故郷でも見た事もあるし、戦場でもあったよ」
テオファネスは何か遠い記憶に思いを馳せるように、随分と遠くを見つめていた。
「戦場で星を見たときは、瓦礫と化した街で同じように星が見えるんだって驚いた。同じ世界なんだから、晴れていれば見えるのは当たり前だけどな。ただ、流れ星を見た時は今どこかで誰かの命を散った気がして、悲しい気持ちになった」
自分が見たって事は……顔見知りが死んだのだろうと考えた事もあった。
そう語る横顔はどこか切ないが、直ぐに彼ははっとアルマの方を向いて苦笑いを溢す。
しかし、その瞳は随分と潤っていた。まばたきをすれば涙がこぼれ落ちそうな程で……。
「……テオ、大丈夫?」
「大丈夫。っていうか急に陰気臭い事言って悪かった」
やけに声が震えている。発言した事で何か思い出してしまったのだろう。
しかし、彼は「俺、本当に幸せだな」と静かに呟く。
「今を生きている事に、感謝しかないなって思う。幸せだなって思う」
──そう言って彼は胸元に隠れた監査札の束を服の上から握りしめつつも眦を擦った。
アルマの脳裏にはカサンドラの言葉がよぎる。
……テオファネスの国では死者は星となり、生者を照らすと。
恐らく、それが心にあるのだと、アルマはすぐに分かった。
しかし、どうしてだろう。うじうじした男は嫌いなのに、愛おしくて堪らなく思うのは。アルマはふふ、と微笑んだ。
「……私さ、男の無き虫って嫌いだよ。でも、真っ直ぐで、底なしに優しくて、妙に涙もろいテオの事は好きだよ」
思ったままを言葉にすると、彼は泣き濡れた顔に笑みを乗せた。
「男の泣き虫が嫌いなのに、涙もろい俺が好きって無茶苦茶だろ」
可愛いなアルマは。そう付け添えて、軽い笑いを溢す彼は、涙を拭った後、少しばかり身を屈めてアルマを抱き寄せた。
「なぁアルマ。俺、欲張りかもしれないけど……自分の人生にアルマが欲しい。幸せにできるように何だって努力する。だからずっと傍にいて欲しい」
震えた声で語り始めた彼に、アルマは目を丸くした。
ずっと傍に……とは。それは、永遠を意味するに違いない。
アルマの頬は一瞬にして熱を帯びると同時、視界が霞んだ。
「……アルマが力を失うまでの間、俺はこれからどう生きるか、どうやって生計を立てるか沢山考える。永遠を約束する恋人になりたい。俺、アルマをお嫁さんにしたい」
はっきりとその言葉を聞いた途端、堪えていた涙は
好きだと、愛しているとはあの日言われたが……アルマには彼との永遠なんか見えなかった。
否、永遠があるのか分からず恐ろしく思えたのだ。そんな不安の反映か、彼が再び戦場に行く恐ろしい夢を見たのだろう。
「泣くほど嫌?」
テオファネスは少し腕の力を緩めてアルマの顔を覗き見た。
「泣いてる顔って不細工だから見られたくないだけ。いいに、いいに決まってるじゃない! 私、テオのお嫁さんになりたい」
「泣き顔も充分可愛いよ」
──嬉しい。ありがとう。と、付け添えて。テオファネスは未だ涙で濡れた
そうして
立場上、恋は禁忌だ。しかしもう、きっと引き返せやしない。それでもアルマの胸に後悔なんて微塵もなかった。
空の上で揺らめく光の元アルマは、どうか穏やかで幸せな日々が続く事を切々と祈った。