新年を迎えて早二ヶ月。格段に降雪量が減り、春が刻一刻と近付いていた。それでも未だ週の大半は灰色の雲が空を覆っている。
そんな寒空の広がる二月下旬の日曜日──アルマは外で父母を待っていた。
礼拝帰りに父母はこうしてチーズやバターを手渡してくれるのである。ぼんやりと父母を待ちぼうけする事幾何か。礼拝終了の鐘が響き、ぞろぞろと参列者が礼拝堂から出てきた。
せっかちな父は大抵いの一番に礼拝堂を出てくる筈だ。
しかし、そこに父母の姿は無い。アルマは奇妙に思いながら、礼拝堂から出てくる街の人たちを目で追う。
────遅いなぁ。どうしたんだろう。
寒いから早めに出てきて欲しい。そんな風に心の中で文句を垂れていれば、母に呼ばれてアルマは「やっとか」と白く色付いたため息を吐き出した。
「どうしたの今日は遅かったね」
「少し折り入った話があってね。院長先生とお父さんからアルマに話があるの。礼拝堂の中で待ってるそうよ。行ってきなさい」
母にそう言われて、アルマは眉をひそめる。
二人から話とは何事か……。今のところ、大きな問題なんて起こした覚えもない。
テオファネスとの関係は確かに大問題に違いないが、アデリナとゲルダ以外に言っていないので父母はおろか院長だって知らぬ筈。恋人とはいえ、時折軽い口付けされるだけで、極めて今まで通り。真っ白で健全な関係だ。バレる筈が無いだろう。
「私、何か問題でも起こしてたの……」
不安になって尋ねれば「アルマの事では無いけど……」と、母は不安そうに言う。それを聞いてアルマは胸を撫で下ろした。
とりあえずテオファネスとの件は今のところバレてない。多分大した事で無いだろう。そう理解して、アルマは母に頷くと礼拝堂に入っていった。
壇上前、最前列で座するガッシリとした父の後ろ姿が見える。そんな父の前に立つ院長はアルマに気付くと、無言で手招きした。
院長は基本的に穏やかでにこやかな顔をしている筈。しかし、今日の
「お父さん、院長先生どうしたの……」
二人の前に歩み寄れば、父は直ぐにアルマに厳しい視線を向け「戦況が悪化している」と話を切り出した。
「……ポストマンの話によると、年明けのベルシュタイン南部の戦闘で同盟軍は窮地に追いやられたらしい。最大の火力を持っていた筈のアルギュロスにおいては一年も昔に壊滅したそうでな。既に、ほぼ機能していなそうだ。現在戦うのは二軍のみ。その状況下でシュタールの軍人が数名が街にやって来たそうだ」
国境間近だから、ヴィーゼンに軍人が来る事はあるが、あくまで通過点。しかし、何かを嗅ぎ回っている様子だと。
「この修道院には
続け様に告げた父の言葉にアルマは大きく目を瞠った。
──嗅ぎ回っている。テオファネスの事だろうか。
「そんな。でもテオは廃棄で処理されている筈で……ありえない」
「羊を卸している肉屋の親父の話によれば、軍人は〝霊峰の神話の息づくこの地が戦場にならんので安心しろ〟と言ったらしい。だがよ、こんな状況下で馬鹿みたいに平和な片田舎に軍人が歩き回っているのはどう考えてもおかしいだろう」
──間違いなく、あの若造の生存を嗅ぎつけて追って来たに違いない。そう言い切ると、父は
「修道院とて教会です。周辺の多くの国と信仰は同じ。誰もが信仰心がある。百年も昔の騎士の頃の精神に基づき、土足で聖域に踏み込む事はありえないでしょうが、これも絶対とは言い切れません。軍も、カサンドラがこの修道院に大きな関わりがある事は存知でしょう。それに、アルマはカサンドラと文通していましたよね。それを把握している事も充分に考えられます」
院長は静かに言うと、父と顔を見合わせた。
「そういう訳だ。こっちとしても色々知った以上は、あの若造を渡すなんて酷だと思う」
ならば徹底的にしらばっくれて隠し通した方が良い。だから……あの若造を別の場所に移した方が良いだろう。
父はそう語ると立ちあがって、アルマに示唆した。
「アルマ、今すぐにでもあの若造を連れて家に来い」
「でも……」
本当に大丈夫なのか。不安で仕方ない。
畏怖が火をつけるようにチリチリと広がり出す。不安に思い俯けば、立ち上がった父はアルマの肩をガシリと掴んだ。
「院長に許可は取った。子を守るのは親としては当たり前だが、子が全力を尽くして守って来たものを守るのも親としては当たり前だろ。絶対に暴かれもしない良い場所がある。アルマ、お前には分かるだろ?」
諭すように父に言われて、アルマは静かに頷いた。
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──アルマの家系は代々畜産業を営んでいる。祖父は馬や羊、曾祖父は山羊と牛。と、飼育していた家畜は代によって違う。
羊毛や羊肉に乳から作るチーズやバター……と、最も収益が出る事から父の代で完全に羊飼いとなった。馬もいるが、あれは荷物を運ぶ為だけに居るので、もはやペットに等しい。
しかし、祖父や曾祖父が大型の家畜飼育していた事からか無駄に敷地だけは広い。湖を間近に臨む丘陵丸々二つ父の土地だが、現在手つかずの場所が幾らかある。
父の言う場所は、すぐに分かった。丘陵の頂上にある雑木林の中──曾祖父が立てた古い納屋だ。
まるで納屋を覆い隠すように木々に囲まれているので、かろうじて雨は凌げるが、
──まさか、こんな場所にテオを閉じ込める事になるとは思わなかった。
アルマは古びた納屋を見上げて、ため息を溢す。
父曰く、軍人は未だ街の方をうろついているので、恐らく大丈夫だろうとの事。
だが、一般人の装いをして、湖畔近くに身を潜めて修道院の様子を探っている事も予測出来るので、礼拝堂裏手の墓地を経由して雑木林を伝って牧草地帯に出た。
そうして雪で白々と染まった丘陵を上り、この場所に辿り着いた訳だが……。
「あぁアルマとテオ君来たのね。ご苦労様。
父の話を聞いて急ぎ帰った母は居候先の納屋の整頓をしてくれた。弟のデニスもそれに付き合い、古びた鞍や農具を外に出している。
「シュメルツァー夫人本当にすみません……デニスもごめんな」
深々とテオファネスが頭を下げると「テオ君、止めて頂戴」とアルマの母は両手を振る。
「貴方は嫌な顔を一つもせずにお父さんの悪ふざけに答えて、家業の手伝いをしてくれた。それに、ホリデーの夜を祝い一緒にご飯を食べた。もうそれだけで貴方は私たち家族にとって親しき人に違いないわ」
「そうだよ。その場に居たエーファだって同じ。血も繋がらずとも国は違おうが、同じ時間を過ごして大切に思う変わらない。テオさん、あんま深く考えるなよ。俺たちはあんたが悪いと微塵も思ってない」
母とデニスの言葉に彼は再び深々と頭を下げる。
その傍らでアルマは納屋の中を覗き見た。確かに中はみすぼらしく綺麗とは言えないが、干し草のベッドに小さなテーブル。その上にはカンテラを置き、準備は整っている。一人隠すには充分な環境だろう。
一連のやりとりが終わったのか母と弟はテオファネスを中へと案内し始めた。
「食事はデニスがお弁当を運ぶわ。何か欲しいものとかあれば遠慮無く言って頂戴」
そんな母の言葉に謙遜しながらも「もし、あれば鉛筆と紙が欲しい」と、いつものよう穏やかに言った。