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雪に覆われた雑木林をおぼつかない足取りで歩むアルマの脳裏には、隻眼の軍人に言われた言葉がぐるぐると巡っていた。
その言葉から、カサンドラが生きている事が分かった。
だが、事実を全て吐かせる為、死に等しい苦しみの中に居るに違いない想像できる。
彼を引き渡せば、きっと皆助かる。
自分だって戦場に送られず済む。
しかし、テオファネスはアルマの赦しの力で寿命を越えたのだ。カサンドラの話によれば、侵食率も低下した。つまり、以前程の強靱さは無い。それを最前線へ送り出すなど、まさに死にに行くようなものだ。
────嫌だ、そんなの。嫌。
ふと過ぎるのは繰り返し見た、彼が戦場に行ってしまう夢だった。
自然と視界は潤み、アルマの頬に涙が止めどなく伝い落ちた。
本当は、礼拝堂で皆が捕縛された時点で泣きたかった。怖かった。それを必死に堪えて泣かぬようにしていたのだ。だが堪えていた分、
とうとう雑木林の中で立ち止まってしまったアルマは、その場で蹲り
それから間もなくだった。背後からざくざくと雪を踏みしめ歩んでくる足音が聞こえたのだ。
「アルマ? アルマ……大丈夫ですか」
そこに立っていたのは院長だった。後を必死に追ってきたのだろう。彼女は息を切らしており、アルマに近付くと隣に屈んでアルマの背を優しく撫でる。
「院長先生どうして……」
「年寄りだからでしょうね。私は人質に含まれていなかっただけです。ただ、あなたが心配で、追ってきただけです……」
ぜいぜいと、息も切れ切れに院長は言う。
「アルマ、貴女テオファネスさんを連れて亡命なさい……」
穏やかに言う院長の言葉に耳を疑った。そんな事をすれば六人皆死んでしまうではないか。アルマは首を大きく振り「嫌だ!」と泣き叫ぶ。
「いいですかアルマ。貴女が強い超常力を持つように彼女たちだって、貴女に及ばずとも各々が超常力を持つ事を忘れてますよね」
そう言われるが、相手は軍人だ。勝算があるか分からない。きっと相手は丸腰ならば勝てるかも知れないが……。
と、思った途端にアルマは何かを思いだし、目を
……礼拝堂に押し入った彼らは縄以外に何も持っていなかった。腰に剣や銃を携えた者は誰一人としていなかったのだ。それどころか、騎士道精神に基づき、きちんと帽子も取っていた。
「礼拝堂が血の海になる」などと酷い脅しをした時だって誰も銃など構えていなかった。そう……殺気立った物騒な言葉を吐くが、彼らは誰も武装しておらず丸腰だった。
それに気付いたアルマは泣き濡れた顔を院長に向ける。
「あの罵倒に
仮にも軍人ですから。と、諭すように言われて、アルマは頷いた。確かに言われていれば、そうだ。
考える程にそうとしか思えない。
「けれど、亡命なんて無理です。だって、国境が……」
現在国境は頑強な警備体制を取りぎっちりと塞がれているらしい。
戦に加担していないフェルゼン公国に渡る方法は無い。否……あるにはあるが不可能に等しい方法だ。
アルマは雑木林の隙間から見える高くそびえる霊峰に目をやると、院長はアルマの背を摩り「あの山を越える他ありませんが」と静かに告げた。
ザルツ・ザフィーアの標高は三千メートルほど。春が近付くこの季節は雪崩が起きやすい。それに雪も深いので、滑落の恐れがある。自殺行為も良い所、命が幾らあっても足りないだろう。
無理です。そう告げようと口を開くより、院長が言葉を出す方が早かった。
「テオファネスさんは寿命を越えて人に戻りつつあるとはいえ、今も
──雨や雪を降らせ雷を落とす超常力。そして赦しの力を持つ特別な存在。
その言葉に、アルマは深く頷いた。
「間違いなく山は、天使に選ばれた貴女の味方をする。二人力を合わせればきっと可能でしょう」
その言葉だけで僅かに光が見えた気がした。
誰も傷付かず死なずに済む。必ず、皆救われる。そんな終結がアルマには少しずつ見え始めた。
しかしあの山を越えるのは、やはり過酷に違いない。
けれど、掛け替えのない同僚たち……孤児院の孤児たち。みんなに別れの挨拶も一つもできない事だけは、アルマは悲しく思った。