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53 そしてまた初夏はやって来る

 それから数ヶ月。季節は移ろい初夏に差し掛かる。


 それでも朝の空気はまだひんやりと冷たく肌寒い。……未だ眠れそう。そう思ってアルマは、寝返りを打った直後、礼拝堂の鐘が響きアルマは薄く瞼を開く。


 ────今、何時。


 そうして壁掛け時計に目を向けてアルマの顔の血の気はさっと失せた。

 時刻は六時。礼拝開始の予鈴だ。跳ね起きたアルマは、もんけに吊されたエーデルヴァイスの正装に袖を通す。そうして腰につくほどに長いこういろの髪を緩く三つ編みするなり、慌てて部屋を飛び出した。


 親と院長を説得し、アルマがザフィーア修道院に戻ったのはつい先週の事だった。


 どうにもこの数ヶ月で、力が薄れてきた事をアルマは自覚していた。それに、人の心に潜む影はかろうじて見えるものの、以前より鮮明で無くなったのだ。


 これはアデリナも同様だった。


 話によると、ゲルダもこのようにして次第に力を失い、脱退に至っている。そう、もう〝花の終わり〟が近付いていた。


 ……力が残されている間は少しでも人の為になる務めをしたい。これは一生ではないのだから。掛け替えのない仲間と過ごせる時間だから。


 だからこそ、今の自分に出来る事をしたい。あの塞ぎ込んだ半年間を挽回したい。そう思ってアルマは修道院に舞い戻って来たのである。


 それからというものの、この時この瞬間を忘れぬ為に日々の日記を綴っている。

 自分だけの務めが無くなったとしても、存外書く事は沢山あった。それが毎晩の楽しみになり、明日をどう過ごすか想像するのが楽しくて仕方なかった。それでよく、夜更かししてしまうのである。


 しかし、流石に復帰早々に寝坊なんて飛んだお笑い種だ。新たな日曜の天使も居るのだし、先輩として示しが付きやしない。アルマは慌てて宿舎を飛び出し礼拝堂へと走り込む。


 そうして、礼拝堂に繋がる蔓薔薇の小道に差し掛かろうとした時だった。前も見ず必死に走り込んだ所為でアルマは誰かとぶつかってしまった。


「……ったぁ。ごめんなさい」


 ぶつけた額を摩りつつ、顔を上げたと同時だった。


「……アルマ?」


 その声は低く穏やかなもの。ずっと聞きたかった愛しい声。けれど、記憶の中より少し低くなっていた。

 まじまじと彼の姿を見てアルマは目を大きく瞠った。


 ──冬の星の光のような銀の髪。菫色の神秘的な双眸に、鼻梁の通った顔立ち。間違い無い。テオファネスだ。縦に長細くも無骨な体格は相変わらずだが、顔立ちが随分と大人っぽくなっただろう。


 その装いも濃紺のジレに清潔感あふれる白いシャツにグローブを合わせ、上品なもので身を包んでいる。


 だが、どうにもおかしい。彼の黒く濁っていた筈の強膜は澄み切っており、まるで人のように白くなっていたのだから。


「……テオ、なの?」


 放心しつつアルマはくと、彼は黙って頷いた。


 思わず左上腕に触れてみると、以前のような金属質な硬さは無い。そのまま下に伝い下腕を触れてみるがこちらは未だ不自然な硬さを持ち、グローブの上から手を触れても金属質な質感がうかがえた。


 そうして無言でぺたぺたと確認するように触れていたからだろうか。テオファネスは頬を真っ赤に染めて唇をわなわなと震わせる。


「……アルマって相変わらず大胆だな」


 そう言われて、目をしばたたくと首まで赤くした彼は、居心地悪そうに笑んだ。


 自分の行動に羞恥を覚えるのは直ぐだった。

 アルマが彼からぱっと手を離すが、直ぐにテオファネスはその手を掴み、腰をグイと抱き引き寄せる。


「ごめんな。アルマ……俺の事、別に待ってなかったかもしれないけど」


 ……少し、抱き締めるのをどうか許して欲しい。

 自信無さげに付け添えて、彼は胸の中にアルマを閉じ込めた。その途端に、悲しかった、寂しかった、でも嬉しい……と、何とも言えぬ感情が攻め寄せる。


 泣きたくない。泣き顔は不細工だ。

 そう思ったのに、アルマのまなじりにはツゥと熱い雫が滴り落ちた。


「……死んじゃったって思ってたんだもの」


 待っていた。会いたかった。彼の背に手を回し、そう言葉にすれば嗚咽が自然に絡み出す。

 そんなアルマの髪を優しく撫でつつもテオファネスは何度も頷いた。


「ごめんなあの日。ああやって守るしかできなかった。あの後、何度も死は見たよ。俺、意識を失う都度、心の中に現れた女の子に何度も助けられたんだよな」

「女の子……?」


 はなを啜りつつけば、テオファネスは曖昧に頷き言葉を続ける。


「年端は出会った頃のアルマくらいだったかな。眠りに落ちるとか、意識を失う都度に〝生きなさい、死なせてやるものか〟〝私のお花は今泣いている〟〝責任を果たせ〟って何度も怒られたんだ」


 多分それって……。と、呟いて。

 テオファネスに抱き締められたまま。アルマは霊峰を見た途端──酷く眩い光を見た。

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