「竜也! コラ! 起きろ竜也!」
「ん? んん~……あと四分と六十秒」
「五分じゃねーか!」
ドグシャッ
「ゴッパー!」
福与が俺のみぞおちに、フライングニープレスをキメてきた。
「ゴハッ! ゴホッ! いやいやいや! 今のはマジで死ぬって! 危うくお前、殺人犯になるとこだったぞ!」
「大丈夫だよ。ギリギリ死なない程度にやってるから」
「気の遣い方がズレてる!」
俺が冴子と別れてから、早いもので数ヶ月が過ぎた。
来週はもう卒業式だ。
俺達が別れたことは翌日には街中に知れ渡り(この辺が田舎の怖いところだ)、俺は冴子のファンクラブ員達から、一足早い卒業証書を笑顔で手渡された(嫌味なやつらだ)。
その反面、福与は大層怒り狂い、俺をボッコボコに殴った。
福与に暴力を振るわれたのは、実に久しぶりのことだった。
「あれだけ! 冴子を! 悲しませたら! アタシが! ぶっ殺すって! 言ったよな!」
福与は『!』の位置で俺を殴った。
つまり、上記のワンセンテンスだけで、俺は六回殴られたことになる。
だが俺はそれを、甘んじて受けた。
福与が思いの丈を出し切った頃には、俺の顔はパンパンに腫れ上がっていた。
でもこれはしょうがない。
確かに俺はそれだけのことをした。
俺がちゃんと自分の気持ちに向き合ってこなかったせいで、冴子の心を深く傷付けた。
冴子の心が負った痛みは、俺が福与に殴られた痛みとは、比にもならないだろう。
ただ、何故か福与は、俺達が別れた理由は聞いてこなかった。
まあ、「俺が冴子より、福与のほうが好きだから別れたんだ」なんて言えるわけがないから、その点は助かったが……。
しかし、俺もいい加減、この気持ちに決着をつけないとな。
冴子に、「女の子にここまで言わせたんだから、男を見せなかったら、怒るよ、私」とまで言われたんだ。
一日も早く福与に俺の気持ちを伝えなきゃと思いつつも、状況が状況なので、なかなかその一歩が踏み出せないまま、いたずらに時間だけが過ぎてしまった。
そもそも「冴子よりもお前のほうが好きだから、俺と付き合ってくれ」なんて言われたら、普通の人はどう思う?
とんだチャラい野郎だと思われて、秒でフラれるんじゃないか?
もちろん俺はそんな軽い気持ちで冴子と福与を好きになったわけじゃないが、傍から見たらそうとしか思えないと言われたら、ぐうの音も出ない。
ハァ、ホントどうしたらいいんだろう、俺……。
「何シケたツラしてんだよ。さっさと支度しな。アタシの朝練に遅れるだろ」
「……わーったよ」
俺と別れてからも、冴子が朝、俺を起こしに来ないままなのも、俺と福与、二人だけの時間を作ってくれるためだってことは、わかってはいるんだけどな……。
俺と福与は大分寒さも和らいできた通学路を、二人で歩いた。
「なあ福与、お前いつまで部活に出続けるつもりなんだ? もうとっくに引退してんだろ?」
「そんなの卒業するまでに決まってんだろ。大丈夫だよ、後輩達の邪魔はしてないから。今後のためにも身体は鍛えとかなきゃいけないからさ。何せ、植木屋は身体が資本だからね」
「……ふーん」
高校を卒業したら、福与は実家の植木屋を継ぐことになっている。
俺はもちろん三代目夜叉として、今後は代打ちに専念することになる。
冴子はというと、東京の大学へ進学するそうで、春から東京で一人暮らしだ。
物の見事に三人共、進路はバラバラに別れた。
今までは、何をするにも三人一緒だったのにな……。
これが大人になるってことなんだろうか。
俺の心の中は暖かくなる気候に反比例して、日に日に肌寒くなっていた。
「じゃ、アタシは部活行くから、後でね」
「おう」
軽快に走り去っていく福与の背中を見送りながら、俺は独り、溜め息を零した。
それは俺の下駄箱に入っていた。
可愛い封筒に入った手紙だった。
そこにはこう書かれていた。
『竜也君へ
今日の放課後、旧校舎裏の
桜の木の下に来てください。
冴子』
確かに冴子の字だ。
……どういうことだ、これは?
この学校には、『旧校舎裏に一本だけ生えている桜の木の下で告白して結ばれた男女は、永遠に幸せになる』という、どこかで聞いたことがある言い伝えが存在している。
あんな別れ方をした冴子が今更俺に告白してくるとは思えないが、だとしたら何の目的で、冴子はこの手紙を出してきたんだ?
頭の中は疑問符でパンパンだったが、とりあえず俺は、教室に向かった。
教室では既に登校していた冴子が、クラスメイトの女子と楽しそうにおしゃべりをしていた。
冴子は俺が教室に入ってきたのに気付くと、一瞬だけ意味ありげな目線を向けてきたが、すぐにおしゃべりに戻ってしまった。
放課後まで、何故呼び出したのかは秘密ってことか。
まあ、そういうことなら、無理に今問い詰める理由もない。
黙って放課後を待つとするか。
今日は一日卒業式の予行演習だったのだが、式の間中、俺は内ポケットに入れた冴子からの手紙を、制服の上から何度もさすり、その度に、何とも言えない複雑な気持ちになっていた。
「あれ? 竜也、なんでアンタがこんなとこにいんのさ?」
「え!? 福与!?」
放課後桜の木の下でドキドキしながら独り待っていると、そこに現れたのは、他ならぬ福与だった。
何故こんなところに福与が!?
この旧校舎は今では使われていない校舎ないので、普段は誰も寄り付かない。
ましてテニス部がいつも練習しているテニスコートは、こことは正反対の位置にある。
とても福与が、こんなところに用事があるとは思えないが……。
「……それは俺の台詞だよ。福与はここに、何の用なんだ?」
「いや、アタシは別に用はねーんだけどさ。何か今朝、アタシの下駄箱に、放課後ここに来てくれって冴子が書いた手紙が入っててさ。随分深刻そうだったから、スゲー緊張してここまで来たんだけど、まさか竜也がいるとはね。で? アンタはなんでここにいんの?」
「……俺も冴子に呼び出されたんだ」
「あ、そーなんだ。……ふーん。何の話なのかな? ま、冴子が来ればわかるか」
「……そうだな」
いや、きっと冴子は来ない。
これはつまり、そういうことなのだろう。
……ホント情けないな、俺。
別れた彼女に、次の恋のお膳立てまでしてもらうなんて。
ハッキリ言って、末代までの恥だ。
俺は今、世界で一番カッコ悪い男になっている気がする。
……でも。
だからこそ俺は、今度こそ男を見せなきゃならない。
それが、冴子の善意に対する、俺のできる唯一のことだろう。
「……なあ、福与」
「流石にまだ咲いてないね、桜」
「え? あ、ああ、そりゃあな」
桜の木は蕾を付けてはいるが、まだまだ開花には遠そうだ。
「……竜也、アンタも知ってるよね? この桜の木の言い伝え」
「! ……まあ、な」
何だ急に?
もしかして、福与も俺のこと……?
だが次の瞬間福与の口から出てきた言葉は、俺に衝撃を与えた。
「アンタさ、もう一度冴子と付き合いなよ」
「え」
俺は福与の言った言葉の意味が飲み込めず、その場で固まってしまった。
「二人がなんで別れちまったのかは、アタシにはわかんないけどさ。アンタも冴子のことが嫌いになったわけじゃないんだろ? だったらもう一度この桜の下で冴子に告白してさ、また一からやり直しなよ。きっと冴子は、今でもアンタのことが好きなんだと思うよ。アタシにはわかる」
「……それは違うよ、福与」
「!? なんで違うってわかんだよ!」
「確かに俺は、今でも冴子が好きだよ」
「!」
「そして多分、冴子が今でも俺のことを好きでいてくれてるのも、本当だと思う」
「……だったら」
「でも俺には、冴子よりも好きな人がいるんだ!」
「なっ」
福与は眼を大きく見開いて、顔に困惑の色を浮かべた。
「……ここまで言えば、わかるだろ?」
「そ、それは」
福与は耳まで真っ赤にして、その場に俯いてしまった。
福与とは長い付き合いだが、こんなしおらしい福与を見るのは初めてで、俺の心臓はドクンッと大きく跳ねた。
だが、空気に耐えきれなくなったのか、福与は踵を返して、足早にこの場から立ち去ろうとした。
「ま、待てよ! 福与!」
俺は咄嗟に福与の腕を掴んで福与を止めた。
そして福与の前に回り込み、福与の顔を見た。
福与は眼に薄っすらと、涙を浮かべていた。
「福与……」
その時、俺は全てを理解した。
きっと福与は、薄々俺の気持ちに気付いていたんだ。
それがいつからかは定かではないが、少なくとも俺と冴子が別れた時点では、気付いていたはずだ。
だからこそ、敢えて俺に、冴子と別れた理由は聞かなかったんだろう。
そりゃ聞けないよな。
別れた理由が、自分かもしれなかったんだから。
福与は福与で、この数ヶ月、ずっと独りで悩んでいたのかもしれない。
「……こんなこと言ったらまたブン殴られるかもしんねーけど、俺が一番好きなのは、冴子じゃなくて……福与、お前なんだよ」
「……!」
「自分でも最低なこと言ってるって自覚はある。同時に二人の女を好きになっちまうなんて、軽い男だと思われても仕方ねーとは思う。……でも信じてくれ! 俺がお前を一番好きだって気持ちには、絶対に嘘はねえ!」
「そ、そんな」
福与の瞳から一筋の涙が、綺麗な直線を描いて流れ落ちた。
「約束する。俺は一生お前を幸せにしてみせる。だから……、だから俺と、付き合ってくれ福与」
「…………ズルい」
「え?」
「ズルいよ、バカ……」
そう言うと福与は俺の胸に、おでこをくっつけてきた。
何がズルいのかはよくわからないが、まあ、今は置いておくとしよう。
俺は福与の背中に手を回し、福与をそっと抱きしめた。
そして福与の顔を上げさせ、俺のほうを向かせた。
「で? 返事は? 福与は俺のこと、どう思ってんだ?」
「……ホントバカだな、アンタは」
「え?」
満面の笑みで、福与は言った。
「大好きに決まってんだろ」
「……ハハッ、そうかよ」
俺達は涙の味がする、少しだけ甘酸っぱいキスをした。
その瞬間、俺達を祝福するように桜が満開に咲き誇ったように見えたのだが、それは俺の心が見せた、甘いまぼろしだったのかもしれない。
「……堕理雄」
「……沙魔美」
「今日はとっても穏やかな顔で寝てたわね」
「……そうか」
俺はそんな顔で寝ていたのか。
何て言えばいいんだろう……。
文字通り両親の馴れ初めを追体験したわけだが、全身がむず痒いと言うか、とにかく恥ずかしくてしょうがない。
こりゃ、しばらくお袋の顔は見れないな。
しかし、何だか身体に違和感があるな。
何だ?
「……って、アレ!? また俺、亀甲縛りされてる!?」
俺は何回、亀甲縛りされれば気が済むんだよ!(?)
「安心して堕理雄。今回は、ペアルックだから」
「は? お前何言って――」
横の沙魔美を見ると、沙魔美も亀甲縛りになっていた。
ペアルックってそういう意味かよ!?
「こういうのはペアルックとは言わねーよ!」
「フフフ、でも二人揃って縛られてるのって、なかなか新鮮ね。まるでお互いがお互いを縛り合っている、ウロボロスの輪みたい」
「まったく意味がわかならい! 早く解けよ!」
「……堕理雄」
「え?」
「愛してるわ」
そう言うと沙魔美は、亀甲縛りのままにじり寄ってきて、俺の唇にキスをした。
「……沙魔美……って、オイ!?」
沙魔美はそのまま、舌を俺の首筋に這わせてきた。
「沙魔美……ダメだってそれは……くっ」
その日の俺達は、それはそれは激しく燃え盛った。