「相棒固定&左右固定派の
「どちら様ですかあなた!? さっきから、誰に向かってしゃべってるんです!?」
「ハハハ、お気になさらずに。ところで、地球人で一番美しい人って誰だと思います?」
「え? …………さあ、ナットウゴハンさんじゃないですか」
「ああ、やっぱりね。では、私はこれで」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
……行ってしまった。
何だったのかしら、今の人。
腐宙人がどうのって言ってたけど。
まさか本物の宇宙人?
……そんなわけないか。
「どうしたんですか? 元帥殿」
「え? い、いえ、何でもないです」
「そうですか。じゃあ私達もそろそろ設営しなきゃいけないんで、後でゆっくり久闊を叙しましょう!」
「え!? そ、それはちょっと……」
「あと、できればまた元帥殿の本を一部取り置きしておいていただいてもよろしいですか? 後で買わせていただきたいので!」
「あ、それは別に……いいですけど」
「あざーっす! これは私の新刊です。よかったら受け取ってください」
ナットウゴハンはため息が出るくらい美しい表紙の新刊を、私に手渡してきた。
題名は『監禁センチメンタル』。
良くも悪くも、この辺はまったく変わっていない。
「あ、どうも」
「では、バイバイキーン!」
「……」
ナットウゴハンは一方的に言いたいことだけを捲し立てて、自分のスペースに帰って行った。
相変わらず悪い意味でマイペースな女だ……。
「じゃ、じゃあ私もこれで……」
「あ、うん……」
本谷もナットウゴハンの後を追って、私に背を向けた。
けれど私は見逃さなかった。
本谷が背を向ける直前、私のことを、大層憐れみを込めた眼で見ていたことを。
このクソアマが!
あんたなんかにそんな眼で見られる覚えはないわよ!!
……いや、待てよ。
本谷の立場からしたら、そう思うのも無理ないのか。
ナットウゴハンに同人界の師匠だと紹介された私は未だに島中作家で、ナットウゴハンは今や超大手の壁サーなんだもんね。
しかも本谷は高校時代、私から成績学年一位の座と、好きな人の彼女のポジション、その両方を掻っ攫ってみせたんだもの。
そりゃ今の私なんて、ドブ川に沈んでる鼠の死骸以下の存在にしか見えないわよね。
クソッ。
憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!
ナットウゴハンも本谷も、どっちもはらわたが煮えくり返る程憎い!!
しかもナットウゴハンは、私が5年以上片想いしてる、普津沢君とも付き合ってるっていうの!?
ああもうッ!!
嫉妬で頭がオカシくなりそうだわッ!!
普津沢君……普津沢君……普津沢君……。
普津沢君のことを好きになったのは、私が一番最初なのに……。
私が最初に普津沢君のことを意識したのは、高校の入学式の日だった。
入学式が終わって自分のクラスに入った私は、最初にクラスメイトの男子達のことをざっと物色した。
でも、ついこの間まで乳臭い中学生だった男子達は、どいつもこいつも冴えないガキにしか見えなかった。
あーあ、このクラスはハズレかな。
ため息をつきながら前を向くと、その時ちょうど、トイレでも行っていたのか、ある男子生徒が一人で教室に入って来るのが見えた。
――それが普津沢君だった。
もちろんその時はまだ普津沢君という名前は知らなかったけれど、その彼はとても高校一年生とは思えない程、大人の雰囲気を纏っていた。
まるで数々の修羅場をくぐり抜けてきた、歴戦の勝負師の様だった。
まさか高校生でギャンブルに手を染めているとは思えないけど、それに近いことはしているのかもしれない。
中学生の頃からずっと大人の男に憧れていた私は、一瞬で彼の虜になっていた。
今思えば、あの
それ以来私は、事あるごとに普津沢君にアプローチを仕掛けた。
私も容姿にはそこそこ自信があるほうだったし、中学時代は数え切れないくらい男子から告白されていた(どいつもこいつもガキ臭かったから、付き合いはしなかったけど)から、普津沢君のことも、絶対に堕とせると確信していた。
しかしそんな私の予想に反して、普津沢君は一向に私には見向きもしなかった。
それでも時間さえ掛ければきっと振り向いてくれると信じていたのに、本谷が転校してきたあの日から、状況は徐々に悪くなり始めた。
私の本谷の第一印象は、黒髪おかっぱのイモ臭い田舎娘って感じだったから私の恋のライバルにはなり得ないと思ったんで、取り巻きの一人として仲良くしてやっていた。
でも、中間テストで私を差し置いて一位を取りやがったことで、私は本谷を切り捨てることにした。
皮肉にもそれがキッカケで、普津沢君と本谷が急速に距離を縮めることになってしまうとは、この時の私は夢にも思わなかったけれど。
大人で優しい普津沢君は本谷のことが放っておけず、今まで通り、甲斐甲斐しく本谷に話し掛けてあげたのだ。
このままでは情が移って、普津沢君が本谷を女として意識してしまうかもしれない!
もちろん本谷のほうも、普津沢君みたいなイケメンに優しくされたら、100パー普津沢君を好きになってしまうだろう。
これはマズい。
早急になんとかしなきゃ……。
私は陳腐な手だと自覚しつつも、本谷のことをイジメて学校から追い出すことにした。
取り巻き達を上手く誘導し、集団対個で本谷を追い詰める。
私は本能的に、この方法が一番女を苦しめるのに向いていることを知っていた。
結果は上々。
イジメてから1ヶ月も経たない内に、本谷は不登校になった。
これで邪魔者は排除した。
後はじっくりと、普津沢君との仲を深めていけばいい。
――事件が起きたのは、本谷が不登校になってから、2週間程が経ったある日のことだった。
その日普津沢君は、朝のホームルームが始まる少し前、おもむろに教卓の前に立ってクラス全体を見渡した。
まだ担任の先生は来ていなかった。
普津沢君は背筋が寒くなるくらい、冷たい表情をしていた。
そして手には、大きめの手提げバッグを持っている。
どうしたの普津沢君?
この時私は何故か、途轍もなく嫌な予感がした。
そしてその予感は、直後に当たっていたことが証明されることになる。
普津沢君はバッグの中から、大振りのナイフを取り出したのだ。
「ふ、普津沢君ッ!?」
私は思わず、普津沢君の名前を叫んだ。
クラスメイト達も、あまりの異常事態に皆絶句している。
けれど普津沢君は私達のリアクションなどどこ吹く風で、ゆっくりと私のほうを向いてこう言った。
「梨孤田さん、梨孤田さんに折り入ってお願いがあるんだけど」
「な…………何、お願いって」
私は辛うじて、そう一言だけ返した。
「本谷のことをイジメるのを、やめてもらいたいんだ」
「!!」
普津沢君は、「ちょっと落ちた消しゴムを拾ってもらえるかな?」くらいの軽い口調でそう言った。
そ……そういうことか。
普津沢君は本谷のことを救うために、そのナイフで私を脅してまで、無理矢理イジメを止めようっていうのね!?
なんで普津沢君がそこまでするのよ!!
……いや、そんなの決まってる。
今までずっと眼を逸らしてきたけど、そんなの、普津沢君が本谷のことを好きだからに違いないじゃない!
本当は最初から気付いていた。
初めて本谷が転校して来た日、本谷が普津沢君の隣の席に座った途端、普津沢君がいつになくソワソワしていたのを。
気付いていたけど、私は見て見ぬフリをしてきた。
だってそれを認めちゃったら、私は私じゃいられなくなっちゃうから!
でももうダメだ。
私は普津沢君が本谷のことを好きだっていう現実と、向き合わなくちゃいけない日がきたんだ。
普津沢君が私のことは未だにさん付けで呼んでいるのに、本谷のことは呼び捨てにしているのもその証左だろう。
……それにしても、いくら普津沢君が本谷のことを好きだっていっても、ナイフでか弱い女の子を脅すまでする!?
普津沢君がそんな下劣なことをする人だとは、とても思わなかった。
でもその直後、私は自分の認識が甘かったことを痛感することになる。
普津沢君はナイフを私にではなく、自分自身の首筋に当てたのだ。
「普津沢君ッ!!? 何してるの!!?」
私はさっき以上の大声で叫んだ。
そして普津沢君は、信じられない一言を放った。
「もし梨孤田さんがイジメをやめてくれないなら、俺は今ここで首を掻き切って死ぬよ」
「!!!」
私はこの時受けた衝撃を、未だに忘れられない。
後頭部を鈍器で殴られた様な感覚に陥って、めまいがして倒れそうになった。
噓でしょ……?
今、死ぬって言った……?
なんで赤の他人のために、普津沢君が死ぬ必要があるっていうの……?
……フッ、ハッタリだ。
冷静に考えれば、ハッタリに決まってる。
きっとあのナイフも、本当はレプリカなんだ。
多分ほんの冗談のつもりで、普津沢君はこんな茶番を開いた違いない。
絶対そうだ絶対そうだ、それ以外考えられない。
私がそう思った矢先だった。
普津沢君がナイフの刃を当てた箇所から、ツーっと血が滴り落ちてきたのは――。
「ちょっ!? 普津沢君!! 血がッ!!」
「俺は本気だよ」
「っ!!」
普津沢君は表情一つ変えずに、そう言った。
私は今にも泣き出しそうだった。
確かに普津沢君は本気だ。
たった今、普津沢君の眼を見てそれを確信した。
そしてそれは同時に、私の初恋の終わりも意味していた。
どこで間違ったんだろう……。
私はどこで……。
「…………わかったよ。普津沢君の言う通りにするから、お願いだからもうそんな真似はやめて」
私は喉の奥からやっと言葉を振り絞って、そう呟いた。
「そう。わかってくれて嬉しいよ」
普津沢君は心底嬉しそうにニコッとだけ微笑むと、ナイフを首筋から離した。
「普津沢君!! 早く保健室行こう!!」
「ああ、大丈夫だよ。これ、ただの血糊だから」
「え」
普津沢君はポケットからハンカチを取り出して、滴り落ちる血をサッと拭いた。
すると、首筋にはかすり傷一つ付いていなかった。
「そ、そんなッ!?」
「このナイフも、よくできたただのオモチャだしね」
普津沢君はナイフの刃の部分を、指先でスリスリと撫でた。
もちろん指もまったく切れることはなかった。
「……酷い」
酷い。
酷いよ普津沢君!!
私は本気で……心配したのにッ!!
「君達が本谷にしたことに比べれば、かわいいものだろ?」
「!!」
普津沢君はクラスのみんなをグルっと一瞥した。
クラスメイトは化け物にでも睨まれたみたいに、凍り付いて微動だにできずにいる。
そんな様子を見て、普津沢君はフウッとため息を一つ零すと、オモチャのナイフをバッグに仕舞い、自分の席にスタスタと歩き始めた。
ただ、普津沢君は私の前を通り過ぎる際に、私にだけ聞こえる声で、ボソッと言った。
「言っとくけど、梨孤田さんが約束を破ったら、俺は本当に死ぬからね」
「っ!?」
普津沢君は軽く口角を上げると、今度こそ自分の席に戻って行った。
……やっぱり普津沢君は本気だ。
私がもしまた本谷のことをイジメたら、今度こそ本物のナイフで自分の首を掻き切るだろう。
……いや、ひょっとしたらあの大きなバッグの中には、本物のナイフも入っているのかもしれない。
私がオモチャのナイフでの脅しに屈しなかった時の保険として……。
よく考えれば、ナイフ一本だけを入れておく割には、あのバッグは大きすぎる気がする。
――怖い。
この時私は、普津沢君のことを心底怖いと思った。
ただ、それだけに、心臓を鷲掴みされたみたいに、私の中の普津沢君への想いが一層膨れ上がっていくのを感じていた――。
「ホームルーム始めるぞー」
その時、何も知らないクラス担任が、欠伸を噛み殺しながら教室に入って来た。
当事者の私が言うのも何だけど、今思い返してみても、普津沢君があの時取った行動は、イジメの解決方法としては最悪な部類だったと私は思う。
そもそもあんな脅迫まがいの要求の仕方では、却ってイジメる側が増長する可能性が高いし、仮にイジメがなくなったとしても、今の私みたいにまったく自分のしたことに対して反省はしないだろうから。
何分普津沢君もあの頃は高校一年生の子どもだったし、他に方法が思いつかなかったんだろうけど、かといってあんなガムでも吐き捨てるかのように、自分の命を簡単に投げ出してしまえる普津沢君は、やはり普通じゃないと当時の私も思った。
でも、だからこそ普津沢君の、「約束を破ったら死ぬ」という言葉は、呪いの様に私の中に深く刻み込まれた。
私は普津沢君と本谷が相思相愛になっていく様を、血の涙を流しながら、すぐ側で黙って見ていることしかできなかった。
あるいはその状況こそが、私が本谷のことをイジメたことに対する罰だったとでもいうのだろうか――。
そんなことがあっただけに、大学生になってから普津沢君と本谷の仲が自然消滅したという噂を聞いた時は、それ見たことかと思わず叫び出しそうになったものだ。
やっぱり本谷は、普津沢君の横に立てる程の資格は持ち合わせていなかったのよ。
そのことが証明されただけでも、ほんの少しだけ溜飲が下がる思いがした。
そして私は前を向くためにも、R18の同人誌の執筆に踏み出すことにしたのだった。
それなのに……今度はこんなわけのわからない、ナットウゴハンとかいう女に私の全てを奪われるなんて!
壁サーの席も、普津沢君の隣の席も、何もかも全てナットウゴハンが掻っ攫っていった!!
今やナットウゴハンは、本谷を抜いて、私が世界一嫌いな女にまでなった。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いナットウゴハンが憎い!!!
シャッターでもないのに行列が外待機にまでなっている、向かいの腐海の魔女のスペースを睨みつけながら、私は心の中で延々と、呪いの言葉を吐き続けた。
それにしても、まさか本谷まで腐っていたとはね……。
私と一緒で、高校時代から腐ってたのかな?
しかもナットウゴハンの漫画を手伝ってるってことは、カップリングの趣味まで私と似てるのか……?
ま、まあ、だからといって、本谷に対しての印象が良くなるなんてことは、微塵もないけどね!
それに昔は黒髪おかっぱのイモ女だったクセに、今は髪も染めて、化粧までしちゃってさ!
大学デビューってやつ?
ハッ、一番ダサいわよ、そーいうの。
……あー、もう!
頭の中がグチャグチャで、自分でもわけがわかんない!
既に開場から一時間以上経ってるっていうのに、私の本は2冊しか売れてないし!
もういっそ、泡になって消えてなくなってしまいたい!
……私が何をしたっていうの?
「元帥殿! よかったら今から、一緒にアフター行きませんか?」
「え!?」
ナットウゴハンがイベント終わりに、空気も読まずに私を誘ってきた。
私の本はこの日ナットウゴハンがお情けで買った分を合わせても、合計4冊しか売れなかった。
それは奇しくも、ナットウゴハンが同人デビューした日の売り上げと同じ冊数だった。
対するナットウゴハンは、壁サーの中では明らかに今日一番の売り上げを叩き出していた。
よくそんな立場で私をアフターに誘えたわね!?
もしあんたが逆の立場だったら、どんだけ惨めな思いをするか、推し量ることもできないの!?
……いえ、きっとナットウゴハンは、逆の立場でも喜んでアフターに参加するんでしょうね。
何せ初対面だった私に、いきなり自分の本のダメ出しを要求してくるような女なんだから。
私とは根本的な部分で、物事の価値観が違うんだ。
……そりゃあ、敵うわけないよね、そんな人に。
「……ごめんなさい。今日はちょっと、用事があって」
本当は何も、用事なんてないけど。
「そ、そうですか……。残念です……」
ナットウゴハンは、本心から残念だというようにシュンとした。
「きっと菓乃子氏も、久しぶりに元帥殿と恋バナとかしたかったと思うんですけど」
「ハハハハ……」
それだけは絶対にない。
むしろ仮にアフターに行ったら、あんたの普津沢君とのノロケ話を延々聞かされるのかと思うと、たとえ天地が引っ繰り返ったとしても、死んでもアフターなんか行くもんかという気にさえなる。
「じゃあ、また次のイベントでお会いしましょう! この場所で!」
「……そうですね。お疲れ様でした」
きっともうあんたとは、二度と会うことはないだろうけど。
私は今度こそ、同人活動はやめるんだ。
ふと向かいの腐海の魔女のスペースのほうに目を向けると、本谷が何か言いたそうな眼で私を見ていたけど、私は本谷を無視して、さっさと会場を後にした――。
私は会場から駅までの長い道を炎天下の中、大量の売れ残り同人誌が入った石の様に重いキャリーバッグを引きながら、独り歩いていた。
全身から汗が噴き出て、目の前が歪んで見える。
いや、ひょっとしたらそれは、涙で眼が潤んでいるだけなのかもしれない。
クソッ、何でこんなことになっちゃったんだろう。
私はどこで、選択を間違ったんだろう。
「あ、エゴサさん、久しぶりー。元気だった?」
「!」
急に声を掛けられたので声のしたほうを向くと、そこにはマルゲリータさんが両手いっぱいに大きな袋を下げて、汗だくで立っていた。
「……お久しぶりです。お陰様で、何とか元気です」
私は社交辞令でそう答えた。
「マルゲリータさんもいらしてたんですね。サークルカットに名前がなかったんで、参加されてないと思ってました」
「ああ、サークル参加はしてないよ。今日は本を買いに来ただけだよ」
マルゲリータさんは両手の袋を掲げて、ニッと笑った。
久しぶりの顔見知りとの再会でちょっといつもよりテンションが高くなっているように見えるけど、生憎今の私は誰とも話したい気分じゃない。
適当に切り上げて、さっさとこの場から立ち去ろう。
「あのー、マルゲリータさん、私――」
「大丈夫? エゴサさん」
「!」
大丈夫って?
何が??
「……実は私ね、遠くからエゴサさんのスペースを見てたんだ」
「なっ!?」
……見られてたのか。
あの醜態を。
あの本がほとんど売れずに、ずっと奥歯を噛みしめていただけの惨めな私の姿を。
あーもう!
ホントマジもういっそ死にたい!
ずっと下に見てた、冴えないオバサンにまであんなところを見られるなんて!
大方私のことをバカにするために、わざわざ話し掛けてきたんでしょ!?
「……大して人気のない作家の私が言うのも何だけどさ、何も、本を沢山売ることだけが、同人活動じゃないんじゃないかな?」
「っ!」
……何ですって。
「私が最初に同人活動を始めたのは大学生の時だったんだけどね。その当時流行ってた、『バンドでBANG! BANG!』っていうアニメの、ギター×ドラムが私の推しカプだったのに、世間的にはボーカル×ギターのほうがシェアが上でさ。ギター×ドラムの本は少なかったんだ。私ホントそれが悲しくて……。だったら自分で描けばいいんじゃん! って思ったのが、キッカケだったの」
「……」
「エゴサさんはどう? 初めて同人誌を描いた時は、どんな気持ちだった?」
「どうって……」
そりゃ、私だって最初は今みたいに売り上げは気にしてなかった。
ただ純粋にそのキャラ達が好きで、キャラ達の関係性を自分なりに表現してみたいと思ったから、筆を執ったんだ。
……ああ、そっか。
そういうことだったのか。
誰よりも同人活動に向き合っているようで、誰よりも同人活動から眼を逸らしていたのは、他でもない私だったんだ。
――本当は同人活動なんて、売り上げの多寡だけで価値が決まるものじゃないのに。
いつしか私は他人の目ばかりを気にするようになって、壁サーになることだけが、同人作家の本懐なんだと決めつけてしまっていたんだ。
「別に私だって、壁サーの人達を否定してるわけじゃないのよ? 実を言えば私にだって、未だに壁サーに対する憧れはある。きっと彼女達は、私達とは比べ物にならないくらい、心血を注いで作品を描いてるんですものね」
「……そうですね」
それはナットウゴハンを見ていれば、嫌でも実感することだった。
「でも、だからって売れない作家に価値がないわけじゃない。元々、同人活動に貴賎はないんだもの」
「!」
奇しくもそれは、私が初めてナットウゴハンに会った時に思ったのと同じことだった。
「だから、エゴサさんも今よりも、ちょっとだけ肩の力を抜いて、もう一度同人誌と向き合ってみたらどうかな? ……なんて、ただ同人歴が長いだけの、うるさいオバサンの戯言だけどね」
「……マルゲリータさん」
そうか。
そうだよね。
……うん、私、もう一度――。
「あ、お母さん、いたいたー」
「あら、未来延。なんであなたがここにいるの?」
「!?!?!?」
突然私と同い年くらいのとても可愛い女の子が、私達のところに駆け寄って来た。
お母さん!?!?
今、マルゲリータさんのこと、お母さんって呼んだ!?!?
あんた、結婚してたのかよーーー!?!?!?
「今日はランチのシフトに入ってたはずでしょ?」
「うん。でもまたお母さんは、大荷物でヒイヒイ言いながら帰って来るだろうからって、閉店作業はピッセちゃんに任せて、お父さんが荷物持ちとして私を派遣したんだ」
「あらあら、そうだったの。あの人も、たまには粋なことするじゃない」
「そんなことないよ。ああ見えて、お父さんはいつもお母さんのこと気にかけてるんだよ。スパシーバって店名も、お父さんとお母さんの新婚旅行先がロシアだったから、そこから取ったんでしょ?」
「うん……まあ、そうなんだけどね」
何その、よくわからないけどメッチャハートフルなエピソードは!?
自分のことを心から愛してくれる旦那さんがいて、こんな可愛い娘までいるなんて、マルゲリータさんて、実はスーパー勝ち組だったんじゃないの!?
「それよりも未来延。こちらは私のお知り合いのエゴサさんよ。ご挨拶なさい」
「これはこれは自己紹介が遅れました! 私はこの人の娘の、未来延と申します。以後、お見知りおきを!」
マルゲリータさんの娘さんは、かしこまっ! ポーズをキメながら、自己紹介をした。
「あ、はぁ。どうも」
あ、この人私の苦手なタイプだ。
何かちょっとだけ、ナットウゴハンと雰囲気が似てるし。
「私の実家はスパシーバっていうイタリアンレストランをやってるんで、よかったらいらしてください! エッチな服を着たメイドさんもいますよ」
「エッチな服を着たメイドさんもいるんですか!?」
それホントにイタリアンレストラン!?
いかがわしいお店とかじゃないでしょうね!?
「これ、よかったらどうぞ」
娘さんは小洒落たデザインのショップカードを手渡してきた。
「……どうも」
私は流れで、そのショップカードを受け取った。
多分行くことはないと思うけど。
「では、私達はそろそろ失礼いたします! お母さん、荷物半分持つよ」
「ありがと、重いから気を付けてね。じゃあエゴサさん、またそのうちね」
「あ、はい……お疲れ様でした」
マルゲリータさんと娘さんは仲睦まじく並んで歩きながら、駅のほうへと去って行った。
私はしばらく娘さんから貰ったショップカードをぼんやり眺めていたけど、やがてフウッと一つ息を吐いてから、ショップカードを財布に仕舞った。
ふと空を見上げると、燦燦と照りつける太陽がその灼熱の笑顔を、誰に対しても平等に振り撒いていた。