「えー、ではこれより、我が玉塚歌劇団の新作公演、『金髪豚野郎はハヤシヤガール先輩の夢を見ない』の全公演終了を祝して、乾杯をしたいと思う。では、卍解~」
「「「卍解~」」」
……終わった。
俺の玉塚歌劇団に入団してからの初舞台が。
公演期間中のこの1週間は毎日が怒涛の如く過ぎていき、気が付いたら全てが終わっていたというのが正直な感想だ。
今まで経験したことがない程の疲労が全身を包んでいるけど、不思議とあまり苦痛には感じない。
むしろ身体の内側から次々と溢れ出てくる達成感を抑えるのがやっとだ。
何とかやり切った。
もちろん俺の演技が拙かったのは重々自覚してる。
それでも偉大なる先輩達に喰らい付きながら公演を駆け抜け、ギリギリ最後まで振るい落とされずに完走できたことは、俺の中でこれ以上ない自信に繋がった。
今はもう、早く次の舞台に立ちたくて堪らない。
座長が初演の前日、俺にコッソリとこんなことを言ってきた。
「舞台というのはな琴子、ある種麻薬の様なものなんだ。一度そこに立つ快楽を得てしまった人間は、一生それなしでは生きられない身体になってしまうのさ」
その時の俺は本番を明日に控えた緊張で、座長の言っていることがまったく理解できなかったが、今ならよくわかる。
確かにこれは麻薬だ。
俺が台詞を放つ度、何百といる観客が一斉に注目してくるあの瞬間。
俺だけに浴びせられる、眩いばかりのスポットライト。
幕が下りると同時に降り注ぐ、万雷の拍手。
その一つ一つが、俺の魂を震わせ、『もっと! もっとこれを味合わせろ!』と、俺に渇望してくる。
これはもうやめられない。
俺もすっかり、舞台の魔力に取り憑かれてしまったようだ。
「ヤッホー。飲んでる琴子ちゃん、
「あ、どうも。オレンジジュースをいただいてます」
「先輩も、今日は本当にお疲れ様でした」
俺と咲羅ちゃんが稽古で一番お世話になった、美人で巨乳の先輩が、俺達の席に来てくれた。
ちなみに打ち上げ会場として使っているこの居酒屋は、玉塚歌劇団の行きつけらしい。
「……先輩、毎日個人稽古にも付き合っていただいて、本当にありがとうございました。先輩がいたから俺……じゃなかった、私は、今日まで何とかやってこれました」
「私もです。本当に先輩には、いくら感謝してもしきれません」
「いやいや、お礼なら座長に言ってよ」
「え? 座長?」
不意にそう言われて座長のほうを見ると、座長は周りの団員達の制止も聞かず、瓶ビールをラッパ飲みしているところだった(良い子は真似すんな!)。
「……あの人が何か?」
「あはは。実は私はね、最初あなた達を舞台に立たせるのには反対だったんだ」
「「え」」
……そうだったんだ。
でも、よく考えたらそりゃそうだよな。
入団して間もないド新人を、いきなり脇役とはいえ演者として起用するなんて。
長年死に物狂いで研鑽を積んできた先輩方からすれば、面白くないはずがない。
「言うまでもないことだけど、やっぱ舞台ってのは甘いものじゃないからさ。……私も初舞台の時は、緊張しすぎて台詞トんじゃってね。暫く舞台に立つのが怖くなっちゃったんだ」
「っ! ……そんなことがあったんですか」
「先輩……」
「だからあなた達にもね、私と同じ思いはさせたくなくてさ。座長に、『あの子達にはまだ早いです!』って、抗議したの」
「「……」」
そうだったのか。
先輩は、個人的な
あくまで俺達のことを想って……。
「でも座長ったらね、『ハッハー! たとえ苦い経験になったとしても、それすらも役者にとってはかけがえのない糧となる。それにキミに世話役を任せているのだから、ボクは露程も心配などしていないよ!』って、いつもの真っ直ぐな眼で言うの」
「「!」」
先輩は、そっくりなモノマネをしながら、座長の言葉を再現してくれた。
確かにあの人なら言いそうだ。
「そんなこと言われちゃったら、それ以上は私も反対できなくて。腹を括ってあなた達を指導しようって、その時決めたの」
「先輩……」
「でもあなた達は私の予想に反して、私の厳しい指導にも耐えた上、本番でも物怖じせずに最後まで演じきって見せてくれた。私本当に感動して、さっき舞台裏で思わず泣いちゃった。流石座長が見出した子達だわ」
先輩ははにかんだような笑顔を、俺達に向けてくれた。
……嗚呼。
「そんなことないです! 私達が最後まで演じられたのは、先輩が陰でずっと支えてくれてたからです! 私達だけじゃ、絶対に上手くはいきませんでした!」
「! ……琴子ちゃん」
「私も琴子ちゃんと同じ気持ちです! 私は一生、先輩に教えていただいたことを忘れません!」
「咲羅ちゃん……。あはは。もう、大人を何度も泣かせないでよ」
先輩は照れくさそうに、眼に浮かんだものを指で拭った。
「はっは~。な~にを、イイ話風な雰囲気を醸し出してるんだい、レディ達~? らしくない、らしくないゾ~。よ~し、今からみんなで、オッパイラジオ体操第2(?)を踊るぞなもし~。うえっぷ」
「座長!? って、クッサ!!」
酒クッサ!!
この人、もう出来上がってんのか!?
さてはこの人、典型的な酒弱いクセに無茶飲みするタイプだな!?
「うぶ……うぶ……うぶぶぶぶぶぶぶ」
「座長!?」
座長は唐突に、巨神兵ばりに口から
「マズいわ!! 誰か店員さんに言って、いつもの洗面器を持って来てもらってッ!!」
恒例行事なのか、先輩が手際よく団員達に指示を出した。
「うふ、まさか座長にあんな一面があるなんてね。いつも稽古場での厳しい姿しか見てなかったけど、ちょっと意外だったな」
「まあ……そうだね」
打ち上げでの帰り道、いつも通り俺は咲羅ちゃんと二人で、人通りのない暗い路地裏を歩いていた。
俺はスパシーバとかでもプライベートの座長とよく会ってるから、あれぐらいの醜態は然程意外じゃなかったけど、稽古場での鬼神の如き座長しか知らない咲羅ちゃんからしたら、ああいう姿は想像の埒外なんだろうな。
「それくらい公演が無事終わって、ホッとしたってことなんじゃないかな? やっぱ劇団を背負う座長って立場は、私達じゃ計り知れないくらいのプレッシャーが常に伸し掛かってるんだろうし」
「うん、そうだね。きっと私達の見ていないところでは、歯を食いしばって、そのプレッシャーと真っ向から戦ってるんだろうね」
「……うん」
「…………ねえ、琴子ちゃん」
「うん?」
咲羅ちゃんが立ち止まり、真剣な表情で俺の眼を見つめてきた。
な、何!?
急にそんな顔されたら、ドキッとするじゃん!?
「ど、どうしたの咲羅ちゃん? そんな改まった顔して?」
「……そろそろ、あの時の返事を聞かせてくれないかな?」
「え!? あ、あの時の、って?」
咄嗟にとぼけたものの、もちろん俺にも咲羅ちゃんの言わんとしていることはわかっていた。
あの時俺に告白してくれた、返事を聞かせてくれということなんだろう。
『返事はまた今度でいい』という言葉に甘えて、今日までズルズルと返事を先延ばしにしちゃってたけど、流石に我慢の限界だよな……。
さもありなん。
「公演の妨げになっちゃいけないと思ってたから、今日までは私も自分からは訊かずにいたけど、今日で公演も無事終わったし、もうそろそろいいでしょ? 最近私、琴子ちゃんのことを考えるだけで、胸が苦しくて張り裂けそうなの……。だから一生のお願い。私の彼女になってください! この通りです!」
咲羅ちゃんは俺に深く頭を下げて、右手を差し出してきた。
辺りに誰もいないからよかったようなものの、こんなところを誰かに見られたら、完全に百合修羅場だと誤解されてしまう。
実は中身は二人共男なんだけど……。
いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。
今日こそは咲羅ちゃんに伝えるんだ。
そうじゃないと、こんなに誠意を込めて俺に気持ちを伝えてくれた、咲羅ちゃんに失礼だ。
「……わかったよ、咲羅ちゃん。私の正直な気持ちを言うね」
「う、うん!」
咲羅ちゃんは期待と不安が入り混じった、子犬の様な眼で俺を見つめてきた。
くっ! そんな眼で見られたら、決心が揺らぐじゃないか。
でもダメだ!
今日こそは言う!
今日こそ俺は言うんだ!
「……実は、私はね」
「……うん」
――その時だった。
俺達二人のことを、眼も開けていられない程の眩い光が包んだ。
だが何のことはない。
それはただのハイビームにした、車のヘッドライトだった。
しかしその車は蛇行しながら一切スピードを落とさず、俺達に向かって突撃してきたのだった。
危ないッ!!
飲酒運転か!?
「咲羅ちゃん!!」
「え? キャッ!」
俺は反射的に、咲羅ちゃんを突き倒して道路脇に倒れ込んだ。
間一髪、車は俺達の足元擦れ擦れを通り過ぎて、あっという間に夜の闇に消えていった。
「痛ててて……。あっ! ゴメン咲羅ちゃん! 怪我はない!?」
「あ、うん、大丈夫だよ。……ありがとう琴子ちゃん、私のこと助けてくれて。――あれ?」
「え?」
ふにゅっ
……アッ!!!!
今回は前とは逆に、咲羅ちゃんの右手に、俺の股間が当たってしまったのだった――。
「こ、琴子ちゃん……」
「あああっ!! こ、これはその……ホントゴメンッ!!」
俺は飛び起きて、咲羅ちゃんに平身低頭した。
「琴子ちゃん……琴子ちゃんって、もしかして……」
「…………ああ、実はそうだったんだ。俺も咲羅ちゃんと同じ……『男』なんだよ。本名は、琴男っていうんだ」
「!!」
俺からの衝撃の告白を聞いた咲羅ちゃんは、地面に座り込んだまま、俯いてしまった。
俺の位置からでは咲羅ちゃんがどんな顔をしているのかは、見ることはできない。
でも予想はつく。
恐らく咲羅ちゃんは、今日の今日までこれ程重大なことを隠されていたことに対して、怒りのあまり般若の様な顔になっているか、そうでなければ深い絶望で死人の様な顔になっているかの、どちらかだろう。
「……
「!?」
だがそんな俺の推測に反して、咲羅ちゃんの口から出てきた言葉は、『嬉しい』という、にわかには信じ難いものだった。
嬉しい!?
嬉しいだって!?
どういう感情なのそれ!?
「琴子ちゃんも、
「……!」
顔を上げた咲羅ちゃんは、風雨で震える中、手を差し伸べられた捨て犬の様な、希望に満ち溢れた顔をしていた。
「……咲羅ちゃん」
「嬉しい……琴子ちゃんもそうだったなんて。私……今までずっと、同じ趣味趣向の人には、誰一人として出逢ったことがなかったから」
「……」
「だからまさか、私が好きになった琴子ちゃんが、私と同じだったなんて……。遂にかけがえのない、宝物を見付けた気分! これはもう、奇跡としか言いようがないよ!」
咲羅ちゃんは眼をキラキラと輝かせながら、そう語った。
ああそうか。
今わかった。
咲羅ちゃんが恋人以上に求めてやまなかったのは、自分と同じ境遇の、悩みを共有できる理解者だったんだ。
厳密に言うと、俺と咲羅ちゃんの境遇は、微妙に異なるんだけど……。
それに――。
「……咲羅ちゃん、でも俺は――」
「言わなくてもわかってる。
「っ! いや、それは……」
「うふ、やっぱり琴子ちゃんは優しいね。ううん、本当は琴男君か。私なら大丈夫。言ったでしょ? 私も恋愛対象は女の子だって」
「そ、そっか。そうだよね」
「だからもう、付き合ってなんて言わないから安心して。――でもその代わり、私と、『お友達』になってもらえないかな?」
「あ、うん! そういうことなら是非! ていうか、俺達とっくの昔に友達じゃん!」
「うふ、ありがと、琴男君」
俺は咲羅ちゃんに手を差し伸べて、地面に座ったままだった咲羅ちゃんを立たせた。
ああ、よかった。
俺が男だってバレた時はどうなっちまうかと死ぬ程焦ったけど、結果オーライで、俺にとって一番良い形に落ち着いたみたいだ。
この前みんなで海に行った時に、ミスコンで優勝して賞品を貰えたことといい、最近の俺は運が向いてきてるのかもしれない。
あっ、賞品といえば。
「ねえ咲羅ちゃん、実は俺、ネズミーランドのペアチケットを持ってるんだけど、よかったら今度、二人で行かない?」
「えっ、いいの!? 私なんかが一緒に行って!?」
「ああ、もちろんだよ」
どうせ他に、誘える人もいないし。
「嬉しいッ! 琴男君!!」
「えっ!?」
咲羅ちゃんは俺に、思い切り抱きついてきた。
ファッ!?
「私その日は目一杯お洒落して行くから、楽しみにしててね!」
「う、うん……」
咲羅ちゃんは鼻と鼻が付きそうなくらいの至近距離で、頬を赤らめながら、俺に微笑みかけてきた。
あれ!?
あれれれれれ!?!?
違うよね!?
俺達は友達になったんだよね!?
咲羅ちゃんが今そんな顔をしてるのは、
「お! これはいつものカワイ子ちゃんじゃありやせんか! ややっ! 今日はもう一人、同じくらいのカワイ子ちゃんも一緒じゃないでやすか!! よし! 今日という今日こそは、三人でお茶しやしょう!」
「……」
ま・た・お・ま・え・か・よ!!
「アァン!?」
「「!?」」
さ、咲羅……ちゃん?
「オイオイオイ、今メッチャクチャイイ雰囲気だったのが、見てわかんなかったのかよ、このドグサレ〇〇〇がぁ!!!」
「「!?!?!?!?」」
おやおやおや!?!?
咲羅ちゃん……、いや、咲羅君?
君って、そういうキャラだったの……?
「舐めた真似してっと、〇〇〇〇磨り潰すぞ、この〇〇ヤローがぁ!!!」
「ヒ、ヒィィイイイ!! すいやせんでしたー!!!」
いつものチャラ男は、号泣しながら内股で俺達のもとから去っていった。
……オォフ。
「じゃ、ネズミーランドに行くの、いつにしよっか? 琴男君」
「え!? そ、そうだね……」
咲羅君は何事もなかったかのように、また天使の様な笑顔を俺に向けてきた。
今の咲羅君の豹変ぶりは、海に行った時の菓乃子さんの酒乱モードを彷彿とさせた。
……。
人間は、誰でも欠点を持っているからこそ、手を取り合って生きてくことができるんだなあ(ことを)