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第124魔:いっぱい

「……そろそろ顔を上げてよ堕理雄」

「……」


 俺はかれこれ一時間以上、沙魔美の前で土下座し続けていた。


 俺と真衣ちゃんが昨日握井に襲われ、九死に一生を得たこと。

 そのこともあって、どうしてもIGAに入りたいと、改めて決意したこと。

 そのためならできうる限りの沙魔美の要望を、何でも聞くということをこんこんと説明し(あといい機会だったので、今はIGAの一員であるボンバー爆間に昔酷い目に遭わされたことも白状した)、その後はひたすら土下座、土下座、土下座で、俺なりの誠意を示したつもりだ。

 もちろんこんなことで沙魔美が納得してくれるとは思っていないが、今の俺にできることと言えばこのぐらいしかないのも事実だった。


「お互いの顔が見えなきゃ、ちゃんと話もできないでしょう?」

「……」


 それはつまり、話をする気にはなってくれたということか。

 まったく聞き耳を持ってくれていなかった昨日までと比べれば、大きな一歩だ。

 俺はゆっくりと顔を上げ、目の前に正座している沙魔美の眼を真っ直ぐ見た。

 沙魔美の眼には、憤怒、悲哀、焦燥、諦観などの様々な感情が入り混じっており、結果としてとても俺では名状し難い色の瞳になっていた。


「前に私が、堕理雄にもしものことがあったら、この星に住む人みんなを道連れにして、堕理雄の跡を追うって言ったことは覚えてる?」

「……ああ、覚えてるよ」


 忘れられるわけがない。


「じゃあその上で聞くけど、堕理雄はさっき、一人でも多くの人の命を助けたいって言ってたけど、それって結果的に、全ての人の命を危険に晒すことになってはいない?」

「……」

「それとも、私の言ってることは単なる脅しで、実際の私はそんなことはしないと思われてるのかしら?」

「……いや、そんなことは微塵も思っていないよ」


 沙魔美という女は、自分自身でも自らの感情がコントロールできない、暴走機関車の様なものだと俺は思っている。

 仮に俺が仕事で命を落としてしまった場合、冗談抜きでこの世の全てを破壊し尽くすことだろう。


「だったら堕理雄がIGAに入らないことこそが、一番多くの人の命を救うことになるとは思わない?」


 沙魔美は俺の手を握り、半ば懇願する様な顔で訴えてきた。

 それを受け、俺は強く奥歯を噛みしめてから、口を開いた。


「……それは違うよ、沙魔美」

「え?」


 俺は優しく沙魔美の手を離した。


「一番多くの人の命を救えるのは、俺がIGAに入った上で、俺が死なないことだ」

「……!」


 それが屁理屈だということは俺だってわかっている。

 だが今の俺には屁理屈くらいしか、武器はないのだ。


「……絶対死なない保証なんて、誰にもできないでしょう?」

「……努力する」

「……毎日堕理雄のことを心配しながら待つことになる、私の気持ちはどうでもいいの?」

「よくはないよ。……でも、どうかこらえてほしい。――この通りだ」


 俺は再度床に頭を擦りつけた。


「…………フゥ」


 沙魔美は海のように深いため息を一つだけ吐いた。


「結局男っていつもそう。いつだって女が、辛い役目を負うことになるのよね」

「……」


 何か急に酸いも甘いも噛み分けた大人の女みたいなオーラを出してきたが、俺が知る限り沙魔美は俺以外に男を知らないはずだけど……。

 まあ、ここでそんな野暮なツッコミをしたら余計事態が拗れるのは火を見るよりも明らかなので、ここはスルーの一手だ。

 沈黙は金なり。


「……四つだけ条件があるわ」

「……」


 四つもあるのか……。

 いや、でもその四つの条件を俺が飲めば、沙魔美も納得してくれるというのならば、飲む他あるまい。

 ある意味これは千載一遇のチャンスだ。

 俺は顔を上げて、沙魔美に向き合った。


「わかった。言ってくれ、その条件を」

「……まず一つ目は、絶対に他の女に浮気はしないこと」

「……うむ」


 最初に出てくるのがそれなのが、何とも沙魔美らしい。

 まあ、それに関してはまったく問題はない。

 はなから浮気をするつもりなんて欠片もないのだから、既に条件はクリアしているようなものだ。


「了解。絶対に浮気はしないと誓うよ」

「結構。では二つ目、今後は最低でも月に一度は、堕理雄を監禁する権利を私にちょうだい」

「え!? そ、それは……」


 なかなかに無茶な要求をしてきたな……。


「ダメなの? たかだか月に一度なのに? 私は365日、休むことなく堕理雄の無事を思って心を砕くことになるのよ? それなのに堕理雄は――」

「わ、わかった! わかったよ! 監禁でも何でもさせてやるよ! 俺が悪かった」

「わかってくれればいいのよ。フフフ、さーて、これは忙しくなるわね」


 沙魔美は新しいオモチャを手にした少女みたいに、無邪気に微笑んだ。

 ……やれやれ、就職活動も楽じゃないな。


「……三つ目は?」

「フフフ、三つ目はね、私が望んだ時だけ、私もIGAの任務に参加させてほしいってこと」

「はあ!?」


 どういうことだ、それは!?


「え、何だ!? それってお前もくのいちになるってことか!?」

「そうは言ってないわよ。私の本職はB漫画家だもの。まあ、くのいちの衣装は漫画の参考のためにも、一回着てみたいとは思ってるけど」

「……じゃあ、どういうことなんだ」

「だからそのまんまの意味よ。『私が望んだ時だけ』、私も堕理雄の仕事に付いて行きたいの。だって私が側にいれば、危険な任務でも堕理雄の身を守れるかもしれないでしょ? 私がいないところで堕理雄にもしものことがあったら私、後悔してもしきれないもの」

「……」

「だから堕理雄はどんな任務を課されているのか、逐一私には漏らさず報告してちょうだい。私も漫画家本業があるから常にってわけにはいかないけど、あまりにも危険そうな任務だった場合は、私もスケジュールを調整して、なるべくそっちに参加するようにするから」

「……」


 ううむ。

 これはなかなかになかなかの難題だな。

 まずそんなことが許されるのかは、伊田目さんに訊いてみないと何とも言えないし、そもそもの話として、自分の職場に彼女がちょくちょく出入りしてくるのって、周りの人から見たらどうなんだ?

 何かそれって、同窓会に勝手に彼女連れてくる空気読めてないやつみたいじゃない?

 ……とはいえ、これを断ったら、俺のIGA入りも白紙になってしまうのだろうし、受け入れるしかないのか……。


「わかった。ただこればっかりは、俺の一存じゃ決められないから、伊田目さんがオーケーしてくれたらって条件付きで、どうだ?」

「それでいいわ。私の勘は、服部シェフは二つ返事でオーケーしてくれると言ってるけど」

「……」


 俺もそんな気がするから怖い。


「……最後の条件は?」

「うん、最後はね――もしも目の前で命の危機に晒されている人がいたとして、仮に堕理雄が犠牲になれば、その人の命を救えるような状況になったとしても、自分の命を優先してほしいってことよ」

「……っ!」


 それは……。

 随分と残酷な要求だな。

 ……いや、それともこれはある意味正論なのか?

 確かに災害時などに自分の身を犠牲にして人々を救った人の逸話を聞くたび、その自己犠牲精神にいたく感動する一方で、遺された家族や友人のことを思うと、全面的に肯定する気持ちにもなれないことは事実だ。

 ここまでくると倫理学的な話になりそうなので、一介の大学生の俺には正否の判断は下せないが(そもそも誰にも答えなど出せないだろうが)、問題はたとえ沙魔美の言ってることが正しかったとしても、いざそういう場面に遭遇した際に、果たして俺は沙魔美の言う通りにできるかということだ。

 もちろん俺だって自分の身がどうなってもいいわけじゃない(むしろ100歳まで生きて、ひ孫の結婚式に列席するのが夢だ)。

 しかし、ボンバー爆間事件がいい例だが、どうも俺はたまに後先考えず突っ走ってしまう傾向がある。

 後から思い返すと、自分の浅はかな行動に慚愧に堪えないことも多い。

 沙魔美はそれを心配しているのだろう。

 だが、かといって――。


「――それに関しては、悪いけど、最大限善処するとしかここでは言えないよ」


 無責任な約束はできないからな。

 結局俺も沙魔美のことは言えない。

 俺だって自分の感情がコントロールできない、暴走機関車野郎なことには変わりない。

 ……結局俺達は、似た者同士なのかもしれないな。

 向いている方向が、少し違うだけで。


「……フフ、堕理雄ならそう言うと思ったわよ」


 沙魔美は口元だけで微笑んだ。


「でもこれだけは心掛けていてね。堕理雄は75億の地球人の命を、常に背負って生きているのだということを。堕理雄が死ぬということは、地球が消滅することと同義なのだということを、ね。――そう思って生きていれば、もっと自分の命を大事にできるでしょ?」

「……肝に銘じておくよ」


 何より俺だって、沙魔美が悲しむ顔は見たくないしな。


「……うん。それならもう、私からは何も言うことはないわ」


 沙魔美は目を伏せて、少しだけ悲しそうな顔をした。


「……ありがとう。沙魔美の気持ちは、絶対に無駄にはしないよ」

「フフ――あ、そうだ」

「ん?」


 沙魔美が俺に擦り寄ってきて、俺の胸におでこをくっつけた。


「最後にもう一つだけ条件」

「……何だ?」

「今夜は私のことを、いっぱい愛してね」

「……了解」


 俺は沙魔美のことを、いっぱい愛した。

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