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第123魔:よかったら後で

「ではお兄さん、九九はまた今度にするとして、今日はこれから私とピクニックに行きませんか?」

「あ、この話前回から繋がってるんだね」


 そろそろ昼飯にしようかと思っていた矢先、真衣ちゃんが一人で俺の家に訪ねてきたと思ったら、前回の九九の小説を出会い頭に読まされたのだった。

 てか、何故ピクニック?


「ホラ、前の企画会議の時に、私はお兄さんと二人でピクニックに行きたいって企画を出したじゃないですか」

「あ、ああ……、そういえばそんなこともあったね(※102話参照)」

「だから今から行きましょう!」

「え、うん……」

「私お弁当も作ってきたんですよ!」


 真衣ちゃんは手に持っていた大きな蓋付きのバスケットを掲げた。

 真衣ちゃんがその蓋を開くと、中にはサンドイッチやおにぎりや唐揚げ等といった、定番のラインナップが所狭しと並んでいた。

 オオゥ、メッチャ本格的じゃない。


「今日は悪しき魔女は、漫画の締め切り当日だから一日自宅に籠ってるんですよね?」

「え!? なんで真衣ちゃんがそのこと知ってるの!?」


 昨日は記憶喪失に陥った沙魔美をみんなで何とか元に戻して、そのまま沙魔美と菓乃子は自宅に飛んでいったのだった。

 今頃は寝ずに原稿と死闘を繰り広げていることだろう。


「ふふん、こんなこともあろうかと、前に悪しき魔女に締め切り日を何気なく訊いておいたんですよ。どうせ今までの傾向からいって、悪しき魔女の原稿は締め切りギリギリまで終わらないと踏んでましたからね」

「そうなんだ……」

「だから今日なら悪しき魔女にも邪魔されずに、お兄さんと兄妹水入らずでピクニックに行けると思いまして!」

「そっか」


 前から思ってたけど、なんで真衣ちゃんはこんなに俺のことを兄として慕ってくれてるんだろう?

 俺、真衣ちゃんに何か特別なことをしてあげた覚えはないんだけどな。


「と、いうわけで、善は急げ。出発しましょう!」


 真衣ちゃんは颯爽と180度身体を反転させた。


「あ! ちょっと待ってよ真衣ちゃん!」

「え?」


 ……真衣ちゃんには申し訳ないけど、やっぱそれはマズいよ。

 沙魔美に黙って俺と真衣ちゃんが二人っきりで出掛けたら、例によって沙魔美は烈火の如く嫉妬するだろうし。

 そうなったら俺も真衣ちゃんも、無事で済む保証はない。

 それだけは避けなければ……。


「……ダメなんですか?」

「っ!」


 真衣ちゃんは眼に涙を浮かべながら、上目遣いで俺を見つめてきた。

 なっ!?


「……私ずっと、今日を楽しみにしてたんですよ?」

「いや、でも……」

「あくまでお兄さんと私は、兄と妹です。――兄妹がピクニックに行くのは、そんなに悪いことですか?」

「そ、それはそうだけど……」


 沙魔美はホラ、常識が通じないから……。


「……ハァ、お兄さんとピクニック……行きたかったなぁ」


 真衣ちゃんは捨てられた子犬の様な眼で俺をチラチラと見てくる。

 そ、そんな眼で見られたら……。


「……い」

「……い?」

「……行こうか」

「ヒャッホー!! お兄さん大好きでーす!!」

「ハハハ、ありがとう……」


 俺って何でこう流されやすいんだろう……。

 まあ、でも真衣ちゃんが言うように、俺達はあくまでただの兄妹だから、これは断じて浮気ではない。

 沙魔美も、後でちゃんと説明すればわかってくれるだろう。

 ……わかってくれるよね?


「それじゃ、ピクをニックしに参りましょう! ヒアウィゴー!!」

「……」


 大丈夫かな?

 何だか凄く嫌な予感がするんだけど。




「いやー、秋晴れですねお兄さん!」

「そうだね」


 すっかり残暑も落ち着き、世間は秋の色に染まっている。

 今が一年で一番過ごしやすい時期かもしれない。

 確かに今日はピクニック日和だ。

 きっと紅葉こうようも綺麗なことだろう。


「と、ところでお兄さん……今日の私の服装、どうですか?」

「ん?」


 真衣ちゃんが期待と不安が入り混じった顔で、俺に聞いてきた。

 真衣ちゃんの今日のファッションは、リブの入ったアイボリーのカットソーに、赤いチェック柄のミニスカート、そして丈の短いブーツ(ブーティーってやつか?)を履いており、頭にはキャスケットも被っている。

 いかにも秋っぽいコーディネートで、とても真衣ちゃんに似合っている。

 うんうん、俺の妹は、今日もカワイイ。


「うん、とっても似合ってて可愛いよ。真衣ちゃんは何を着ても似合うね」

「そ! そうですか! えへへ~。えへへへへへ~」


 真衣ちゃんは作画崩壊かってくらい顔をぐにゃぐにゃに溶けさせている。

 俺が素直な感想を言うだけでこんなに喜んでくれるなら、俺も嬉しいよ。


「ま、真衣」

「「え?」」


 ――その時だった。

 突然聞き覚えのない声で誰かが真衣ちゃんを呼んだ。

 思わず声のしたほうを向くと、そこには丸メガネをかけた痩身の中年男性が佇んでいた。

 ……誰だこの人?


「……お父さん」

「え」


 お父さん!?




「……大きくなったな、真衣」

「……最後にお父さんに会った時から、身長は1ミリも伸びてないよ」

「ハハ、そうか」


 昼間だというのに人気の少ない近所の公園のベンチに、俺達三人は腰掛けていた。

 真ん中に真衣ちゃん、その右隣に俺、反対側に真衣ちゃんのお父さんという配置だ。

 俺はチラと、真衣ちゃんのお父さんの横顔を覗いた。

 あまり真衣ちゃんとは似ていないが、よく見れば耳の形がそっくりだ。

 この人が真衣ちゃんの実のお父さん……。

 確か随分前に冴子さんとは離婚したんだよな?

 そういえば離婚した理由は、俺は知らないな(俺から真衣ちゃんに聞くわけにもいかなかったし)。


「……あのね、お父さん、お母さんね…………再婚したんだ」

「……そうか」


 お父さんは前を向いたままボソッとそう答えた。

 その表情は無色透明で、俺には心情を推し量ることはできない。


「それでね、この人はお母さんの再婚相手の息子さん。今の私のお兄さんだよ」


 真衣ちゃんが唐突に俺のことを紹介してくれた。

 俺は慌てて立ち上がった。


「は、はじめまして! ご挨拶が遅れてすいません! 普津沢堕理雄と申します。真衣ちゃん――真衣さんには、いつもお世話になってます」


 俺は深々と頭を下げた。

 何故だか冷や汗が止まらない。


「ううん! お世話になってるのは私のほうだよ! 今日だって、本当はかけ算九九を教わる予定だったの」

「ん? かけ算九九?」

「真衣ちゃんッ!!」


 ややこしくなるからそういうこと言わないで!


「……ふふ、そうか。楽しくやっているんだね」

「うん!」


 お父さんは内ポケットからスマホを取り出し、少しだけ弄るとすぐにまたそれを仕舞った。


「……堕理雄君といったかな?」


 お父さんは初めて俺のほうを見た。

 その拍子に、俺とお父さんの眼が合った。

 その瞳は澄んでいるような、それでいて濁ってもいるような、何とも言えない不思議なものだった。


「は、はい!」


 俺は背筋を伸ばした。


「僕は袋木ふくろぎといいます。生物学上は、真衣の父親です」

「はあ……」


 『生物学上は』という言い方に、多分に自虐が含まれているように感じた。


「これからも真衣のことをよろしくお願いします」


 袋木さんは親子程も歳の離れた俺に頭を下げた。


「そ、そんな! 頭を上げてください!」


 どうやら袋木さんは俺の親父とは真逆の性格みたいだ。

 どうしてこんな真面目そうな人と、冴子さんは別れてしまったのだろう?


「うん。……それにしても、堕理雄君はお父さんにそっくりだね」

「「えっ」」


 袋木さんは顔を上げて、俺をまじまじと見ながら言った。

 今、何と……。

 真衣ちゃんも袋木さんの言葉が意外だったのか、目を見開いている。


「……俺の親父をご存知なんですか」

「うん。少しだけ長い話になりますから、どうか座ってください」

「……はい」


 俺はベンチにそっと腰を下ろした。


「……僕と夜田さんは、昔はライバル同士だったんだよ」

「はっ!?」


 袋木さんはおもむろに口を開いてそう言った。

 ライバル!?

 ライバルって、いったい……。


「……お父さんも、昔は麻雀の代打ちだったんです」

「っ!」


 真衣ちゃんが伏し目がちに言った。

 そ、そんな!?

 こんな真面目そうな人が、代打ちだって!?


「といっても、実力は君のお父さんの方が一枚上手だったけどね」

「……」


 袋木さんは自嘲気味に微笑んだ。


「僕は桜紋会とは敵対関係にある組の代打ちをしていてね。夜田さんとは何度も鎬を削った間柄だったんだ。――だが、ある日巨額の利権を賭けた勝負で僕は夜田さんに敗けてしまったんだよ」

「っ!」


 ま、まさか……。

 それじゃ……。


「その時の負債は僕が背負うことになってね。……家族に迷惑をかけるわけにはいかなかったから、真衣達とは一緒には暮らせなくなったのさ」

「……そんな」


 つまり、袋木さんと冴子さんが離婚したのは、だってことか!!

 あの男は、どれだけの人を不幸にすれば気が済むんだッ!!


「お兄さん!」

「っ! ……真衣ちゃん」


 縋るように俺の袖を掴む真衣ちゃんに、俺の激昂した頭は少しだけ冷えた。


「……お兄さんのお父さんは悪くありませんよ」

「なっ」


 真衣ちゃんは口元を震わせながらも、ニッコリと微笑んだ。

 ……真衣ちゃん。


「真衣の言う通りだよ堕理雄君」

「……」


 袋木さんも俺を見て微笑んでいる。

 こんな時に何だが、この二人は笑い方もそっくりだ。


「僕が家族と別れることになってしまったのは、ひとえに僕が弱かったからさ。――夜田さんには欠片も責任はない」

「……でも」

「君もずっとお父さんの背中を見てきたならわかるんじゃないかい? 僕達代打ちは、喰うか喰われるかの弱肉強食の世界に生きてるんだ。敗ければ全てを失うのは承知の上さ」

「……」

「それは冴子だって……、もちろん真衣も覚悟してくれていた」

「……袋木さん」


 ふと目線を落とし真衣ちゃんを見ると、真衣ちゃんは強い眼差しを俺に向けながら、こくんと一つ頷いた。

 ――そうか。

 これで前から心に引っ掛かっていたつかえが取れた。

 初めてピッセが地球に来て俺を拉致したあの日、ピッセと菓乃子が麻雀で勝負することになった際に、菓乃子から麻雀のルールはわかるかと聞かれて、真衣ちゃんは確かこう言った。


『お父さんが麻雀打ちですから、普通に打つくらいなら……』


 この言葉に俺は違和感を覚えていたのだ。

 てっきり真衣ちゃんが言ったお父さんとは、俺の親父のことだと思っていたのだが、あの頃はまだ親父が冴子さんと再婚して間もない時期だったはずだ。

 麻雀のルールは非常に複雑だ。

 まったく知識がない人が一端いっぱしに打てるようになるには、最低でも半年は掛かるだろう。

 それなのに真衣ちゃんが普通に麻雀が打てていたことが内心不思議だった。

 ――だが、実の父親が代打ちで、その仕事に昔から理解を持っていたなら、自然と自分も麻雀が打てるようになっていてもおかしくはない。

 つまるところ、ずっと親父に対して反抗期だった俺なんかよりも、真衣ちゃんは遥かに大人だったということか。

 ……やれやれ、いつもながら真衣ちゃんといると、自分の矮小さに忸怩たる思いにかられるな。


「だから僕は夜田さんを、これっぽっちも恨んじゃいないよ。もちろん真衣や冴子もね。……でなければ、冴子が夜田さんを再婚相手に選ぶはずがないよ」

「……お父さんは、お母さんがかつてのライバルと再婚したことを知ってたの?」

「……」


 真衣ちゃんからの問いに袋木さんは肯定も否定もしなかったが、それはつまりそういうことなのだろう。

 でも、袋木さんはどうやって親父と冴子さんの再婚を知ったのかな?

 真衣ちゃんとは随分会ってなかったみたいだし(だからこそ、袋木さんが俺と親父が似ていると言った時に、真衣ちゃんも驚いていたのだろうし)。

 袋木さんは、また内ポケットからスマホを取り出して、少し弄るとすぐに仕舞った。

 さっきから、何故そんなにスマホを気にしているのだろう?


「……ねえお父さん」

「ん? 何だい」

「ちゃんとご飯食べられてる?」


 真衣ちゃんは袋木さんの膝の上に手を置きながら聞いた。


「……ああ、ちゃんと食べているよ」

「……そう」


 とてもそうは見えない。

 袋木さんの頬は痩せこけており、目もくぼんでいる。

 おそらくろくなものを食べていないのだろう。

 親父に敗けた際に負った借金がいくらだったのかはわからないが、生活は相当に逼迫していることが窺える。

 ――ふと、ここで俺の中に一つの疑問が浮かんだ。

 袋木さんが今日真衣ちゃんに会ったのは、果たして偶然だったのだろうか?

 ひょっとして袋木さんは、真衣ちゃんのことを探していたのでは……?

 でも、だとしたら何故……。


「オッ、いたいた~。ここだったのかよ袋木」

「「っ!」」


 その時、いかにも軽薄そうな声が前から降ってきた。

 そこには髪をオールバックにした、ガニ股でチンピラ風の男が立っていた。

 誰だこいつ!?

 袋木さんの知り合いか?

 だが、この顔、どこかで……。


「このお嬢ちゃんがお前の娘か。ロリ体型だが、なかなか可愛い顔してるじゃねえか。こりゃマニアに高く売れそうだ」

「ヒッ」


 チンピラからの舐める様な視線に、真衣ちゃんはたじろいで俺に縋り付いてきた。

 こいつ!

 俺の妹をッ!


「……どちら様でしょうか。いくら何でも突然失礼じゃありませんか」


 俺はチンピラを睨みつけた。


「ギャハハッ、失礼なのはどっちだよ。借りた金をいつまでも返さねえほうが、よっぽど失礼ってもんじゃねえか? なあ、袋木」

「「っ!」」


 俺と真衣ちゃんは、咄嗟に袋木さんに顔を向けた。

 だが、袋木さんは無言で地面を見つめている。

 ま、まさか……。


「察したようだな。そうさ、俺は所謂借金取りさ。こいつがいつまで経ってもうちの会社から借りた金を返さねえから、仕方なく俺がこうして取り立てにきてやったんだよ」


 ……そんな。


「……借金はおいくらなんですか」


 俺は依然チンピラを睨み続けながら聞いた。


「ギャハハッ、威勢がいいなあボク。なあに、たかだか8000万てとこだよ」

「8000万!?」


 そ、そんな大金を……。


「さっさと返せばこんなことにはならなかったのによお。利息が積もりに積もってこのザマってわけよ。ま、それも今日で終わりだ。このお嬢ちゃんが、パパの代わりに借金を返してくれるんだからな」

「はっ!?」

「えっ!?」


 俺と真衣ちゃんは、またしても袋木さんを無言で問い質した。

 が、相変わらず袋木さんはこちらを見向きもしない。

 俺の背筋を、ツウと冷たいものが走った。

 ……まさか。

 まさかこの人は――。


「ギャッハッハ! そういうことさ! お嬢ちゃんはこのオッサンに売られたんだよお。ギャーッハッハッハ!」


 チンピラは何がおかしいのか、腹を抱えて下品な笑い声を上げている。

 ……くっ!


「袋木さん! 嘘ですよね!? お願いですから嘘だって言ってくださいッ!!」

「……お父さん」


 俺は憤怒の、真衣ちゃんは悲痛の眼差しを袋木さんに向けた。


「……すまない」

「「……っ!」」


 袋木さんは項垂れながら、消え入るような声でそう零した。

 ……何てことだ。

 やっぱり今日袋木さんが真衣ちゃんと会ったのは、偶然じゃなかったんだ。

 さっきからスマホを弄っていたのは、この場所をこいつに教えるためだったのか!

 袋木さんは本当に…………実の娘である真衣ちゃんを売ったのかッ!!


「あなたは父親失格だッ!! 自分の保身のために、真衣ちゃんを…………娘を身代わりにするなんてッ!!」

「お兄さんッ!!」

「っ!」


 真衣ちゃんは大粒の涙を流しながら、俺の腕を強く掴んできた。


「お父さんを責めないであげてください! きっと……きっと何か事情があるはずなんです!」

「……真衣ちゃん」


 真衣ちゃんはこの状況になって尚、袋木さんを信じているというのか……。

 だが、当の袋木さんは魂の抜けた人形の様な顔で、何もない空間をただただ見つめている。

 まるで一人だけ違う世界にいるかのようだ。


「それが大した事情もないんだなあ、これが。ま、とにかくお嬢ちゃんは今から俺と一緒に来てもらうぜ。なあに、お嬢ちゃんなら変態の金持ち相手に、軽く8000万以上の値が付くって」


 チンピラは真衣ちゃんの腕を強引に掴んだ。


「キャッ!! 痛い! 放してッ!」

「テ、テメェ!! 俺の妹から手を放せッ!!」


 俺はカッとなって、チンピラに殴り掛かった。


「おっとお」


 だが、流石場慣れしているのか、チンピラは俺の拳をひらりと躱した。


「チッ!」

「動くなよボクちゃん」

「……なっ」


 チンピラは懐から拳銃を取り出し、それを周りに見えないように、上着の裾で隠しながら俺に向けてきた。


「俺だって手荒な真似はしたくねえんだよ。後々面倒くせえからよ」

「……」


 こんな時、伊田目さんだったらこんなやつ一蹴できるんだろうが……。


「ま、納得できねえってのはわからんでもねえぜ? 突然大事な妹を攫われそうになったんじゃあなあ。だろ? 

「「っ!!」」


 ……な。


「何故、俺の名前を……」

「ギャハハハ! これも因縁ってやつなのかねえ。――妹を守りたいなら、今から俺と麻雀で勝負しな」

「はっ!?」


 何言ってんだこいつ!?

 どうしたら俺がこいつと麻雀で勝負するって流れになるんだよ!?


「……どういうことだよ」

「フッ、それはな――」


 チンピラは急に真剣な表情になり、こう言った。


「お前の親父は俺の親父のだからだよ」

「……は?」

「……俺の名前は『握井あくい』。俺の親父は、お前の親父に殺されたんだよ」

「っ!!」


 ……そうだ。

 今わかった。

 こいつの顔は、親父の師匠を殺した握井にそっくりなんだ。




「そこの雀卓に適当に座れや」

「……」


 俺達四人は先程の公園から少し歩いたところの、森の奥にある廃墟の中にいた。

 依然として握井は、拳銃を俺達に向けたままでいる。

 俺は握井の命令を無視して立ったままでいたが、すると真衣ちゃんが、


「お、お兄さん……今はこの人の言う通りにしましょう」

「真衣ちゃん」


 小刻みに震えながら、俺の袖を優しく引っ張った。


「……うん、わかったよ」


 俺は廃墟の中央に置かれていた雀卓の椅子に腰を下ろした。

 いずれにせよ、俺もこいつに聞きたいことは山程ある。

 俺が座ったのを見て、真衣ちゃんも俺の隣の椅子に腰掛けた。

 袋木さんは、既に少し離れたところに無言で座っている。


「ここはうちの会社が所有してる物件の一つなんだがよお。見ての通り今は廃墟になってて、人通りもほとんどないから、秘密の仕事や遊びをするのにうってつけってわけさ」


 そんなことは何の自慢にもならないと俺は思うのだが、何故か握井はドヤ顔だ。

 握井は雀卓を挟んで俺の向かいの席に腰を下ろした。


「さてと、さっきはどこまで話したっけな? ああそうだ。俺の親父がお前の親父に殺されたってとこまでだ」

「……ふざけるなよ。あれはお前の親父の自業自得だろうが」

「あん? 何だお前? 見てきたようなこと言いやがって」


 見てきたんだよ実際。

 ……夢でだけど。


「ま、いいか、んな細かいことは」


 だが、握井は俺の発言を然程気にはしていない様子だ。

 どうやら父親と違って、こいつは大分いい加減な性格らしい。


「俺だってわかってんだよ、親父が悪人だったってことは」

「……!」

「だがな、家にいる時はどこにでもいる、優しい親父だったんだ!」

「……」

「俺はこう見えて子供の頃は病弱でよお。しょっちゅう熱出して寝込んでたんだが、その度に親父は、徹夜で看病してくれてたんだ」


 握井は目頭を押さえた。

 あいつにも、そんな一面があったのか。

 だが、だからといって親父の師匠を殺していい理由にはまったくならない。

 やはりああなったのは、あいつの自業自得だ。


「だから俺は親父の仇を取るために、んだ!」

「なっ!?」


 こ、こいつも代打ちだったのか!?


「俺の会社は小せえ組織だが、勢力拡大には人一倍力を入れててよお。俺みたいな代打ちの出番も、度々あったわけよ」


 ……つまりこいつは正確には借金取りではなく、こいつの会社(おそらく闇金系のヤクザ事務所)が雇ってる代打ちってことか。


「それで数年前のあの日、念願叶ってお前の親父と勝負する機会があったんだが…………悔しいがお前の親父は強かった。俺じゃ足元にも及ばなかったよ」

「……」


 そりゃそうだろう。

 ああ見えてあのオッサンは、伝説の夜叉の名を継いでいる男だ。

 その辺の三下じゃ、相手にもならないはずだ。


「けどそれで引き下がるわけにはいかねえからよお。何年もかけて、俺から逃げるあいつを探し出したのさ!」

「っ!!」


 な、何だと……。

 じゃあ、もしかして……。


「ホントはそこであいつの息の根を止めてやるつもりだったんだがよお。慈悲深い俺は、右腕一本で勘弁してやったってわけさ」

「テ、テメェ!!」

「おっとだから勝手に動くんじゃねえよ」


 咄嗟に立ち上がろうとした俺を、握井はまた銃口で制した。

 ……こいつだったのか。

 親父の腕を奪ったのは!

 こいつのせいで、親父とお袋は別れることになったのかッ!!

 …………いや、それは違うな。

 仮にこいつが親父の前に現れなかったとしても、遅かれ早かれ似たような結果にはなっていただろう。

 代打ちの仕事とはそういうものだ。

 まして親父くらいの男なら、他にも数え切れない程の恨みを買っていたはずだ。

 結局親父はあれ程の腕を持っていても、代打ちという因果の鎖からは逃げられなかったってだけの話だ。

 ――なるほど、今わかった。

 こいつの本当の狙いは、真衣ちゃんじゃなくて俺だったんだ。

 親父には麻雀じゃ敵わないから、その息子である俺を倒して、溜飲を下げるつもりなんだろう。

 どこかで袋木さんの元奥さんが俺の親父と再婚したって情報を仕入れたから、真衣ちゃんを出しにして、俺をこの場に引きずり出したってわけだ。

 そういうことなら、むしろ俺としても願ったり叶ったりだ。

 さっきは親父がああなったのは自業自得だと言ったが、それとこいつを許すこととは別問題だ!

 何があろうと、俺の家族を傷付けたこいつを、俺は絶対に許さないッ!!

 今度は俺が、親父の右腕の仇を取ってやる!


「……事情はわかったよ。お前の勝負、受けてやる」

「お、お兄さん!」

「大丈夫だよ真衣ちゃん。俺は絶対に勝つから」

「……お兄さん」

「ギャハハハ! いいねえ、意外と物分かりがいいじゃねえか。だが、ただ勝負するだけじゃ面白くねえ。――俺がこの勝負に勝ったら、お前の右腕ももらうことにするぜ」

「「っ!!」」


 ……何だと。


「ダ、ダメですそんなの!」

「……いや、俺は構わない」

「お兄さん!?」

「その代わり、俺が勝ったら二度と真衣ちゃんや俺の前に姿を見せるな。そして一発ブン殴らせろ。――それが条件だ」

「……お兄さん」

「ギャハハハ! 委細承知。ほんじゃま、早速始めようぜえ。ルールは半荘ハンチャン一回勝負。俺とお前で、点数が高かったほうが勝ち。もちろん、ルールはだ」

「!」


 期せずして、親父とこいつの父親が戦った時と同じ状況になったな。

 望むところだ。

 親父はこいつの父親相手に燕返しを決められなかったが、今の俺はあの時の親父よりも確実に強い。

 何せ、子供の頃から地獄の特訓を受け続けてきたんだ。

 今度こそ確実に、燕返しで勝負を決めてやる――。




「お嬢ちゃんの親からだな。さっさと始めな」

「は、はい……」


 真衣ちゃんはたどたどしくも、牌を取り始めた。

 席順は俺の上家カミチャ(※自分から見て左側)に袋木さん、対面トイメン(※正面)に握井、下家シモチャ(※右側)に真衣ちゃんという配置だ。

 燕返しによる天和テンホーは自分が親の時にしか使えないから、今はまだ我慢だ。

 イカサマ技は他にいくらでもある。

 それよりまずは、握井がどういうタイプの打ち手なのか見極めることが先決だ。


 ――するとわずが四巡目。


「お、聴牌テンパったぜ。リーーーチ」

「「っ!」」


 早々に握井からリーチがかかった

 ……クソッ、これだけ早いと、手が読めないな。

 まあ、幸い俺の手牌には、握井の捨て牌である『なん』がある。

 まずは安全牌あんぜんパイである南を切って、様子を見よう。

 だが俺が南を捨てた瞬間、俺の中にある場面がフラッシュバックした。


「ギャハハハ! それローーーン!」

「なっ」

「そ、そんな!?」


 そしてそれは現実になった。

 今さっきまで南が捨てられていた場所に、今は『とん』が置かれていたのだった。


「リーチ一発オモウラ、満貫マンガンで8000点だな」


 開かれた握井の手牌の中には、確かに南が入っていた。

 この場面はまさに、親父が握井の父親に『拾い』で引っ掛かったところとまったく一緒だ。

 クソッ! バカか俺は!?

 父親が拾いの達人だったんだから、その息子もその可能性が高いと、ちょっと考えればわかることじゃないか!


「さてと、じゃあ次は俺が親だなあ」


 いやらしい笑みを浮かべながら、握井は牌を混ぜ始めた。

 ……落ち着け。

 まだ勝負は始まったばかりだ。

 得意技が拾いだとわかれば、警戒のしようもある。

 それに、今度は俺の技を見せる番だ。


 次局、みんなが牌を揃えている隙に、俺はあらかじめ前の山に積み込んでおいた牌と、手牌を素早く入れ替えた。

 『ぶっこ抜き』と呼ばれる、シンプルながら強力な技だ。

 その甲斐あって、わずか三巡目に、


「ロン。平和ピンフ清一チンイツ跳満ハネマン。12000点だな」

「な、何い!?」

「凄い! 凄いですお兄さん!!」


 俺は握井から跳満をもぎ取ったのだった。


「……チッ、腐ってもあの夜叉の息子ってわけか。まあいい、次だ次!」


 握井は今の一発だけで相当イラついたようだ。

 よし、やはりこいつは代打ちとしての腕は大したことはなさそうだ。

 これなら確実に俺が勝つ!


 俺は次の局もぶっこ抜きを駆使してサクッと上がり、いよいよ分水嶺となる俺の親番を迎えた。

 俺は山にダブル役満ヤクマンを仕込んだ。

 これを上がれば、一撃で勝負が決まる。

 俺はみんなが牌を揃えている隙に、握井のことだけは最大限に警戒して、燕返しを仕掛けた。


 ――が。


「すまないね、堕理雄君」

「え」


 に腕を掴まれ、俺は牌山を崩してしまった。


「お、お父さん!?」

「……そんな」

「ギャハハハ! ギャーハッハッハッハ!! 残念だったな堕理雄君よお。敵は俺一人だなんて、言った覚えはねえぜえ」

「な……なんで? なんでそんなことするのお父さん!?」

「……すまない。……すまない」


 袋木さんは壊れた録音機のように、ただただすまないと繰り返していた。

 ……そういうことか。

 この人にとっては、俺が勝つほうが都合が悪いんだ。

 むしろ俺が敗けて、借金のカタに真衣ちゃんを連れていかれたほうが、自分は自由の身になれるからッ!


「あなたそれでも父親ですかッ!!」

「……すまない」

「……お父さん」


 真衣ちゃんは今にも泣き出しそうだ。


「――クソッ! もういい! 俺が勝てばいいだけの話だろ!」

「そいつぁどうかな。そのオッサンはそう見えて、昔は『ふくろう』と呼ばれた凄腕の代打ちだったんだそうだぜ?」

「何!?」

「梟みたいに闇夜でもその鋭い眼光と爪で獲物を捕らえる、『イカサマ封じの梟』ってな。そのオッサンの前じゃ、いかなるイカサマも防がれちまうんだとよ」

「そ、そんな……」


 袋木さんの色のない眼が、途端に獲物を狩る猛禽類のそれに見えた。


「お前、前局もその前もイカサマ使ってただろ?」

「っ!」

「だが、そん時はワザとそのオッサンに見逃されてたんだよ。燕返しを破られたほうが、ショックが大きいだろうからなあ。ギャハハハハ!!」


 握井は汚く唾を飛ばして笑い転げた。

 ……じゃあ、俺はもうイカサマは使えないってことか?

 その上敵は二人なんて……そんなの勝ち目はないじゃないか。


「お兄さん、大丈夫です」

「っ! ……真衣ちゃん」


 真衣ちゃんは俺の手を握って、優しく微笑んだ。


「お兄さんには私がついています。この二人が手を組んでいるなら、私達も手を組みましょう! 二人なら、きっと勝てるはずです!」

「真衣ちゃん」


 真衣ちゃんは実の父である袋木さんに、敵意の視線を送った。

 それは真衣ちゃんなりの、父との決別の証だったのかもしれない。


「――そうだね。二人で頑張ろう」

「はい!」

「ギャッハッハッハ! 美しい兄妹愛だねえ。だが、素人が一人増えたくらいで、俺達に勝てるかな?」

「……くっ」


 悔しいが、握井の言う通りだった。

 真衣ちゃんなりに奮闘してはくれたものの、やはりこの二人には及ばなかった。

 特に袋木さんが強すぎる。

 俺はあの後も何度か隙を突いてイカサマを仕掛けたが、そのことごとくを袋木さんに防がれてしまった。

 確かにこの人なら親父のライバルと呼ばれていても不思議じゃない。

 むしろイカサマが通じないこの人相手に、親父はどうやって勝ったっていうんだ……?




 気が付けば既に場は最終局。

 俺と握井の点差は、40000点以上も離れてしまっていた。

 親父の時は31000点差だったので、お袋が握井の父親から役満を上がることで逆転できたが、今回はそうもいかない。

 あくまで俺が自力で上がる以外に、勝つ方法はない。

 とはいえ、幸い最後の親は俺だ。

 親が上がり続ける限りゲームは終わらないので、一度も途切れることなく上がり続ければいつかは勝てる。

 ――だが、それは野球で例えるなら打者一巡が全員ヒットを打つくらい困難なもので、しかもこちらだけイカサマが使えない今の状況では、ほぼ詰みといっても差し支えない。


「……クソ」


 俺はあまりの不甲斐なさに、胸が押し潰されそうだった。

 鉛を飲み込んだみたいに、腹の底が重たい。

 全身から血の気が引いていくのも感じる。

 ……ごめん、真衣ちゃん。

 情けない兄で……。


「……お兄さん」

「ギャハハ! ギャーッハッハッハッハ!!」

「情けねえなあ、堕理雄」

「「「!!」」」


 ――この声は。


「お、お前は!? なんでお前がここに!?」

「よお、久しぶりだな握井ジュニア。俺のバカ息子と、可愛い娘が世話になってるみてえじゃねーか」

「……お父さん」

「……親父」


 ――そこには俺の親父が立っていた。




「なんでお前がここにいるんだって訊いてんだよ夜叉ぁ!!」


 握井は露骨に狼狽した素振りを見せている。

 さもありなん。

 俺だって訳がわからない。


「袋木も久しぶりだな。少し瘦せたか?」

「……あなたは変わりませんね、夜田さん」


 親父はそんな握井を無視して、袋木さんに気さくに話し掛けている。


「……チッ、まあいい。もう次の局でこの勝負も終わるんだ。お前は端で息子が無様に敗けるところを指をくわえて見てろ」

「そうはいかねーよ。俺は息子の『代打ち』としてここに来たんだからな」

「はあっ!?」


 何!?

 どういうことだ!?


「代打ちは誰かの『代わり』に『打つ』から代打ちだろ? だったら代打ちの俺が、代わりに打っても問題はねーじゃねえか」


 親父は飄々とした顔でほざいた。


「ふ、ふざけんなッ!! 認められるわけねえだろそんなもん!」

「……俺の『夜叉』の名を賭けると言ってもか?」

「――何だと!?」

「お、親父!?」


 正気か!?


「今から俺が堕理雄の代わりに打って、お前が勝ったら夜叉の名はお前にやるよ。しかも今の俺は利き腕がねえ。お前にとっても悪い話じゃねーだろ?」

「…………二言はねえだろうな?」

「当然だ」

「親父!!」


 いくら親父でもそれは無茶だ!

 何より袋木さんがいるのがマズい。

 イカサマが使えない上、利き腕もない状態じゃ、天地がひっくり返ったって勝てやしない!


「心配すんなよ堕理雄。お前のお父様がどんだけ凄いお人かってとこを、久しぶりに見せてやるからよ」

「……親父」

「真衣も、俺に任せてくれるよな?」

「う、うん……」


 真衣ちゃんは戸惑いつつも、こくんと頷いた。


「よし、じゃあちゃっちゃと終わらせるか。冴子から豆腐の買い出しも頼まれてんだよ、俺」


 親父は鼻歌を歌いながら俺をどかして席に座ると、左腕だけで牌を混ぜ始めた。


「ハッ、そうやってイキがってられるのも今のうちだぞ夜叉ぁ!」

「ハハハ、お前は人生楽しそうだなあ、握井ジュニア」


 親父もな。

 だが、案の定親父にはイカサマを使ってる素振りは見えない。

 そりゃそうだ。

 袋木さんの前じゃ、どんなイカサマも無効なんだから。

 マジで親父は、どうやって勝つつもりなんだ……?


「あれ?」

「「「え?」」」


 その時だった。

 牌を取り終わった親父が、マヌケな声を上げた。

 どうした?


「あれあれあれ。こんなこともあるもんなんだなあ。上がってるよ、これ。天和、四暗刻スーアンコウ。ダブル役満で32000オール。俺の勝ちだな」

「「「…………は?」」」、


 はあああああああああああ!?!?!?


「そ、そそそそそそそそんなバカなッ!?!? どうやってそれを!? 燕返しか!? ――いや、片腕じゃ燕返しはできねえ!! ……じゃあいったい」

「お前も意外と頭が固ぇなあ。燕返しみたいに一回で牌を交換しなくとも、片腕でも持てる範囲で何回かに分けて交換すれば、燕返しと同じく手牌を全て入れ替えたことになるじゃねーか」

「……はあ!?」


 そんなことが可能なのか!?

 言わばぶっこ抜きの上位互換みたいなものか……?

 俺には全然見えなかったが……。

 ……いや、仮に他の人の前ではそれが可能だったとしても、今この状況でだけは不可能だ。

 ここにはどんなイカサマも見逃さない――梟がいるのだから。

 それなのに何故……。

 …………!

 もしや――。


「――袋木、さてはテメェ、裏切りやがったなッ!?」

「……」


 袋木さんは無言で俯いている。

 ……やはりそうだったのか。

 だが、いったい袋木さんは、握井を裏切っていたんだ……?


「クッソがあああ!! 俺を舐めやがったことを、心底後悔させてやるぜえええ!!」

「「「!!」」」


 握井は銃口を、真衣ちゃんに向けた――。

 危ないッ!!


 パーン


「「「!?」」」

「ぐっ! があああ……」


 握井は拳銃を落とした。

 右の手のひらからは、血が滴り落ちている。


「ギリギリ間に合ったみたいだな、堕理兄だりにい

「た、太一たいち!?」


 従弟の太一が数人の部下と共に、俺達の後方に立っていた。

 太一の右手には、握井の腕を撃ったと思われる拳銃が握られていた。




「師匠、俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだよ」

「ハッハッハ、太一なら間に合うって信じてたぜ、俺は。実際間に合ったんだから細けえことはいいじゃねーか」

「……まったく」


 太一と親父の遣り取りを、俺はどこか他人事の様な気持ちで見ていた。

 正直目の前で何が起きたのか、まだ脳が処理しきれていないというのもある。


「無事だったかい、堕理兄?」

「あ、ああ……」

「……すまねえ。ホントは堕理兄に迷惑がかかる前に、こっちで内々にケリをつけるつもりだったんだけどよ。こんなことなら、この間堕理兄に会った時に、このことを伝えておくべきだったぜ」

「え」


 もしかして、あの時太一が何か言いかけたのは、握井のことだったのか!?(※120参照)

 あの時太一は、肘川に握井を探しに来ていたのか……。


「テ、テメェは桜紋会の若頭……。何でテメェがここに」


 握井は穴が空いた右手を左手で必死に押さえながら、脂汗を流している。

 残念だがあの腕では、二度と牌は握れないだろう。


「そんなことはお前に教える義理はない。師匠だけならまだしも、カタギにも手を出そうとした以上は、タダで済むと思うなよ」


 握井を睨む太一の眼は、完全に極道のそれだった。

 きっと俺の知らないこの数年で太一は、ヤクザとして数え切れない程の修羅場をくぐり抜けてきたのかもしれない。


「ヒッ」


 握井は怯える小鹿の様に、身を屈めてしまった。


「連れていけ」

「「「はい」」」

「ま、待ってくれ!?」


 懇願する握井を無視して、部下達は握井を無理矢理連れ出そうとした。

 ――その時。


「堕理雄君、いいのかい? 一発殴らなくて」

「え?」


 袋木さんが俺に訊いてきた。

 ああ、そういえば俺が勝ったら握井を一発殴る約束だったんだっけ。


「……いえ、いいです。勝ったのは親父で、俺は実質敗けてますから」

「そうかい」

「ん? 何だ、勝ったら殴ってよかったのか?」

「え」


 ドグシャアッ


「ぶべえええ」

「っ!」


 親父が左腕で、握井の顔面をフルスイングで殴りつけた。

 握井はそのまま吹っ飛んで、壁に激突した。

 なっ!?

 お、親父のやつ……こんなに強かったのか!?

 ……流石伝説の代打ち。

 喧嘩が強くなければ、代打ちも務まらないらしい。


「俺の命より大事な息子と娘を手に掛けようとした罪は重いぜ」

「……ぶ、ぶへ」


 握井は気を失ったようだ。

 そんな握井のことを、太一の部下達は無言で外に運んでいった。


「……太一」

「心配すんなよ堕理兄。殺しやしないよ。ただ二度とこんな舐めた真似はできねえように、キッチリ極道なりの制裁は加えるけどな」

「……そうか」


 これこそ正に自業自得だな。

 思えば今回は、握井親子、真衣ちゃんと袋木さんの親子、そして俺と親父の親子という、三組の親子の因果が交じり合って、複雑な人間模様を描いていたんだな。

 ……まったく、どこの世界でも、親子の因果ってのはどこまでも付き纏うものらしい。


「……親父、そろそろ説明してくれよ、今のこの状況を」

「……ああ、そうだな」

「それは僕から説明するよ、堕理雄君」

「っ! ……袋木さん」


 袋木さんは、憑き物が落ちたような顔をしていた。


「今回の件は、全部僕が仕組んだことだったんだ」

「……え」


 袋木さんは、ゆっくりと語り始めた。


「握井から今回の話を持ち掛けられた時、僕は心底焦った。――このままでは真衣の身が危ないと」

「……お父さん」

「だから僕はこの状況を、逆に利用することにしたんだ」


 っ!


「それで今日真衣と堕理雄君に会いに行く前に、夜田さんに連絡をして、僕のスマホをGPSで追跡してもらうように頼んでおいたんだよ」

「えっ!?」


 袋木さんと親父は、前から繋がってたのか!?

 ……そうか。

 袋木さんが公園でスマホを弄っていたのは、握井じゃなくて親父に連絡するためだったのか。


「ハッハッハ、今まで隠してて悪かったな真衣。実は俺と袋木は、メル友だったんだよ」

「……お父さん」


 親父はスマホを真衣ちゃんにひらひらとひけらかした。

 どうでもいいけど、メル友ってもう死語じゃない?


「桜紋会の宝である夜田さんの、大事な一人息子が握井に襲われたとなれば、桜紋会のみなさんも黙っていないと踏みましてね。……結果的には堕理雄君と桜紋会を利用する形になり、本当にご迷惑をおかけしてしまいました。この処分は、いかようにもお受けいたします」


 袋木さんは殊勝に、俺と太一に頭を下げた。


「い、いえ! 俺は別に……」

「桜紋会としても、堕理兄が許すってんなら、あんたを咎めるつもりはねえよ」

「……それこそ、俺のほうこそ父親失格だなんて言ってしまってすいませんでした」


 俺は袋木さん以上に、深く頭を下げた。

 バカなのは俺のほうだった。

 袋木さんは父親として、文字通り命を賭けて真衣ちゃんを守ろうとしていたのに……。


「いや、構わないよ。僕が父親失格なのは、まったくその通りだからね」

「お父さん……」

「そんなことはねーぜ、袋木」

「「っ!」」


 親父が割って入ってきた。


「見せてやれよ、お前の自慢のコレクションをよ」

「……」


 コレクション?

 何のことだ?

 すると袋木さんは照れくさそうにしながら、自分のスマホを操作して、真衣ちゃんに渡した。


「え、え?」


 真衣ちゃんは戸惑いながらも、それを受け取って画面を覗き見た。

 俺も真衣ちゃんの横に立って、一緒に見せてもらった。


「……!」


 そこには中学生と思われる真衣ちゃんを、遠目で撮った写真が表示されていた。

 どうやら卒業式の時の写真らしい。

 それだけではない。

 次の写真は高校の入学式。

 体育祭、文化祭――そして高校の卒業式。

 ちっこいズが肘川公民館でライブをやった時の写真まであった。

 いずれも大分遠くから撮影したと思われるものばかりだ。


「お……お父さん……」


 真衣ちゃんは眼から大粒の涙を流した。

 何が父親失格なものか。

 袋木さんはずっと父親として、影から真衣ちゃんを見守り続けていたんだ。

 法律上で親権があるかないかなんて関係ない。

 親が子を想う気持ちは、何があろうと簡単に消せるものじゃないんだ。


「ううう……お父さん……。お父さあああああん」


 真衣ちゃんは袋木さんの胸で、赤子のように泣きじゃくった。

 袋木さんは真衣ちゃんの頭を、いつまでもいつまでも優しく撫でていた。




「しっかし師匠、できればもう少しだけ早く知らせてほしかったぜ。俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだよ」


 太一が呆れ顔で親父に苦言を呈した。

 ……え?


「ハッハッハ、悪い悪い。だって俺がカッコよく勝負を決めるまでは、お前に邪魔されたくなかったからよ」

「師匠……」

「はあ!?」


 こ、こいつ……。


「まさか親父、太一にはこの場所、直前まで黙ってたのか!?」


 それで太一が言うように、間に合わなくなってたらどうするつもりだったんだよ!?


「まあそう怒るなって。俺はこの手の読みは外したことはねえ。太一なら、絶対間に合うって俺は信じてたぜ」

「っ! 師匠ッ!」


 叔父さんラブな太一は、簡単にほだされている。

 いやいや、この男を調子づかせるなよ太一……。


「……でも、結局親父は袋木さんにイカサマを見逃してもらったから勝てたようなもんだろ? 親父一人じゃ、どっちにしろ勝ててなかったじゃねーか」

「いや、それは違うよ堕理雄君」

「え?」


 袋木さん?


「実はあの時、僕は本気で夜田さんのイカサマを監視してたんだ。代打ちとしてのさがってやつだね。……でも、夜田さんの技は、僕にも一切捕らえることはできなかった」

「なっ!?」


 そんなまさか!?


「カッカッカ、まあ、俺も片腕になってから、左腕だけで戦えるように毎日稽古を積んできたからな。むしろ両腕の頃よりも、今の俺のほうが強いと思うぜ」

「……マジかよ」

「凄ぇぜ! 師匠!!」


 相変わらず滅茶苦茶なオッサンだな。

 なら、代打ちを引退する必要もなかったんじゃないのか……?

 ……まあ、どちらにせよ冴子さんと真衣ちゃんを養っていく立場にある以上は、危ない世界からは身を引いておくことに越したことはないんだろうが。


「さて、と、では、僕はそろそろ失礼させてもらうよ」

「っ! お父さん……」


 袋木さんがおもむろに立ち上がった。


「……袋木さんは、これからどうなさるおつもりなんですか?」


 握井のことはどうにかなっても、8000万もの借金がなくなったわけではないでしょう?


「その点は心配いらないよ。……実は握井の会社を受取人にして、多額の生命保険に入らされているんだ」

「「「っ!」」」


 な、何だって……。


「だから後は、握井の会社がどうにかしてくれるはずさ。……絶対に真衣達には迷惑はかけないから、安心しなさい」

「で、でも……それじゃお父さんがッ!!」


 真衣ちゃんはまた、涙で顔をぐしゃぐしゃにした。

 クソッ!

 そんな……そんなことが許されていいのかよ!


「その件なんだがよ袋木、俺からいい仕事先を紹介しようと思ってたんだよ」

「「「……え?」」」


 親父、今、何と?


「太一、こいつを桜紋会の代打ちとして雇ってやってくれねーか?」

「「「!!」」」

「よ、夜田さん……!?」

「師匠……」


 あまりの提案に、袋木さんも太一も啞然としている。


「俺が抜けてから、まだ専属の代打ちは決まってねーんだろ、太一?」

「あ、ああ……。師匠の後釜となると、並大抵の人間じゃ務まらねーからな」

「じゃあ決まりだ。袋木の腕は、俺が太鼓判を押してやる。こいつなら立派に、桜紋会を支えてくれるだろうさ。――その代わり、こいつの借金は桜紋会が肩代わりしてやってくれ。出世払いってことでな。なあに、こいつならあっという間に、8000万くらいポンと稼いでくれるさ」

「夜田さん……」


 袋木さんは、今日初めて人間らしい表情を浮かばせた。

 瞳にも、少しだけ色が戻ったように見える。


「ただ、副業として太一こいつに麻雀の稽古もつけてやってくれ。こいつはいずれ、夜叉の名を継ぐ男だ。――あんたなら、こいつの師匠としても申し分ないからな」

「「「っ!」」」

「師匠……そこまで俺のことを……」


 太一は感激のあまり、今にも泣き出しそうだった。


「……わかりました。謹んでお受けいたします。――太一さん、こんな私でもよろしいでしょうか?」

「……ああ、こちらこそよろしくお願いします」


 袋木さんと太一は、固い握手を交わした。

 ……やれやれ、結局美味しいところは、親父が全部持ってくのかよ。


「では、今度こそ参りましょうか」


 ……っ!

 そうだ。

 最後くらいは、俺も兄らしいところを真衣ちゃんに見せなければ。


「待ってください袋木さん!」

「え? 何だい堕理雄君」

「……真衣ちゃん」

「え?」


 俺は真衣ちゃんが傍らに置いている、バスケットを指差した。


「っ!」


 真衣ちゃんはそれだけで、瞬時に俺が言いたいことを察してくれたようだ。

 真衣ちゃんはバスケットを大事そうに抱えて、袋木さんに手渡した。


「……これは」

「……私が作ったお弁当。よかったら後で食べてね」

「…………真衣」


 袋木さんはバスケットを抱きしめながら、その場で泣き崩れた。

 袋木さんの中に長年積もり積もった何かが、少しずつほぐれていくようだった。


 ――明日沙魔美に会ったら、やっぱり俺はIGAに入りたいという意思をしっかり伝えよう。

 IGAに入って、悪の手で理不尽に虐げられている人を、一人でも多く救おう。

 袋木さんと真衣ちゃんを見守りながら、俺は心の中だけで誓いを立てた。

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