「……課長、さっきから行く先々で買い食いしかしてない気がするんですが、本当にこれが任務の一環なんでしょうか?」
往来で臆面もなくタコ焼きを頬張っている直属の上司のニコ課長に、俺は恐れながら尋ねた。
「モグモグモグ。あはは~、だから私のことは『ニコちん』て呼んでって言ってるじゃんフッツー。モグモグモグ」
「自分の口で『モグモグモグ』って言ってる人、初めて見ましたよ……」
せめて俺と話す時くらいは食べるのを我慢していただけませんかね?
それに上司のことを『ニコちん』って呼ぶのは、やっぱり抵抗がありますよ(そもそも『ニコちん』だと、タバコの葉に含まれるアルカロイドの一種みたいですし)。
「モグモグモグ。まあまあ堕理雄、モグモグモグ。ニコちんもこう言ってくれてるんだしモグモグモグモグモグモグモグモグモグ」
「後半モグモグしか言ってねーぞ沙魔美」
タコ焼き頬張りすぎてハムスターみたいになってんじゃねーか。
それにしても、何の躊躇もなく上司をニコちんって呼んでる辺りは、流石沙魔美と言うべきか。
心臓に剛毛が生えてやがる。
「あはは~、フッツーは真面目だなあ。フッツーもヤミヤミみたいに肩の力を抜いていいんだゾ」
「そうだゾ、堕理雄」
イラッ。
……これはヤバいな。
『忍者とは忍び堪える者』と偉大な忍者も言っていたが、どうやら俺には堪えられそうにありません自〇也先生。
ただでさえ沙魔美一人でも俺の寿命がストレスでマッハなのに、それが二人になったら大学卒業までもつかすら怪しい。
課長であるニコさんおんみずからOJTを買って出てくれたのは誠に恐縮なのだが、さっきからあちこちをほっつき歩いては買い食いするくらいしかしていない。
これが本当に忍者の仕事なのだろうか?
「あはは~、ところがこれも立派な仕事なのだよフッツー」
「っ!」
ニコさんが伊田目さん宜しく読心術を披露してきた。
流石親子……。
むしろ性格的な面では、イチさんや未来延ちゃんよりも、ニコさんが一番伊田目さんに近い気がする。
それだけに、底知れなさも人一倍だ。
イカンイカン。
むしろ油断していたのは俺のほうじゃないか。
課長であるニコさんが、無意味な行動をとるわけがない。
きっといろんなものを食べているのにも、重要な意味があるに違いないのだ。
「いや、それはただ食べるのが好きなだけだよ~」
「あ、そうですか……」
食べるのが好きなだけだった。
もう何なのこの人……。
先が思いやられるなんてもんじゃないな。
「まあまあ~、でも『食べる』こと自体に意味はなくても、『食べ歩く』ことには大事な意味があるんだよ~」
「え?」
と、言いますと?
「何故ならIGAの本分は、『事件を未然に防ぐこと』だからだよ〜」
「っ!」
事件を未然に防ぐ――。
確か俺が伊田目さんにスカウトされた日も、同じことを言われた気がする。
「でもそのためには、普段から市井を自分の足で歩いて、網を広げておくことが大事なのさ~」
「網を広げる、ですか……」
忍者らしい表現だ。
「うちのお父さんからも聞いてるかもしんないけど、事件が起きる時って、何かしらの前兆があるものだからさ~。それを見逃さないように、こうして定期的に見回ってるってわけ~」
なるほど。
そういうことだったのか。
言われてみれば、ニコさんは買い食いをする先々で、「最近何か変わったことあった~?」と聞いていた気がする。
あれはただの世間話ではなく、ある種の査察だったんだ。
事件の兆候を、いち早く察知するための――。
「……勉強になります」
「あはは~、いいってことよ~。大いに励みたまえよ~」
「はい」
「そうよ堕理雄、モグモグモグモグモグモグモグモグモグ」
「お前はいつまで食ってんだ」
お前も一応はIGAの一員なんだから、もっと緊張感を持てよ。
「あっ、ニコちん! あそこにクレープ屋さんの屋台がありますよ!」
「だったら何だよ!?」
まだ食うつもりなのかお前は!?
「あはは~、お目が高いねヤミヤミ~。あのお店のクレープ、超~美味しいんだよ~。一本いっとく?」
「いくいくー!」
「いくのかよ!?」
女の人は甘いものは別腹っていうけど、ホントなんだな……。
俺は正直、見てるだけで胸焼けしてきたよ。
「へいらっしゃい! ご注文は何にしやしょう! おっ、ニコちんじゃねーか。久しぶりだな」
「お久しぶり大将~。元気だった~?」
クレープ屋さんの店長は頭にタオルを巻き、黒いTシャツを着た筋骨隆々な髭のオジサンだった。
何この行列のできるラーメン屋の店長みたいな人!?
本当にクレープ屋さん!?
と、思って店の看板を見ると、そこには『家系クレープ』と書いてあった。
家系クレープって何!?
マジでラーメン屋さんなの!?
「私は味噌チャーシュークレープ一つちょうだ~い」
「あいよ!」
味噌チャーシュークレープ!?!?
これもうわかんねぇな。
「おっ、そっちのカップルは初めて見る顔だね。うちはラーメンとクレープをフュージョンさせた新感覚スイーツってのが売りの店なんだ。どれも美味いから、是非食べてみてくれよな!」
「は、はあ……」
「じゃあ私はこの、ニンニクチョモランマヤサイマシマシアブラカラメオオメクレープを一つください」
「あいよ!」
最早呪文!
「そっちのアンチャンは?」
「え!? えーっと……、じゃあこの、つけ麺クレープってやつを一つお願いします」
「はいよろこんで!」
大丈夫かなホント……。
「美味いッッ!!」
と、思いきや、恐る恐る食べたつけ麵クレープは、目玉が飛び出る程美味かった。
つけ麵とクレープが互いに長所を引き出し合っており、往年の宮川〇助・花子師匠並みの見事なコンビネーションを披露している。
これは新しいブーム来ちゃうかも!?(美味しすぎてテンションがおかしくなっております)
ニンニクチョモランマヤサイマシマシアブラカラメオオメクレープを食べている沙魔美も、
「まあ! これ、シャッキリポンがシャッキリポンで、シャッキリポンしてるわッ!」
と、シャッキリポンボットになっているので(絶対シャッキリポンの意味わかってないと思う)、余程美味しいのだろう。
後で一口もらおう。
「ところで大将~、最近何か変わったことあった~?」
っ!
あっぶね。
俺のほうこそ任務中だということをすっかり失念していた。
その点ニコさんは流石抜け目ないな。
俺も気を引き締めなければ。
「ん? 変わったことかい? ……そうだねー。――あっ! そういえば最近、二丁目の花屋の店員の
「「っ!」」
「ほほ~、ストーカーね~」
店長の話を聞いたニコさんの眼が、キラリと光った気がした。
これが事件の前兆ってやつか。
「そっかそっか~。あの子とってもカワイイもんね~。なるほどなるほど~」
ニコさんは顎に手を当てて、うんうんと頷いている。
ニコさんはその人とも知り合いなのだろうか?
「そうだ大将~、このお店、ワッフルも売ってたよね~? テイクアウトで、豚骨ワッフルを4つ包んでくれる~」
「あいよ!」
フードファイターか何かですかあなたは!?
「あ、やっぱりもう2つ追加して~」
「はいよろこんで!」
やっぱりフードファイターだ!
大丈夫ですか!?
そんなに食べて、いざという時ちゃんと動けるんですか!?
「でも追加分の2つは、別の包みにしてね~」
「へい!」
?
なんで別にしたんだろう?
流石に6つも一遍には食べられないから分けたのかな?
「ニコさん、こんなことをお聞きするのは恐縮なんですが」
先程話に出た花屋さんに向かう道すがら、俺はニコさんに疑問を投げ掛けた。
「何だいフッツー。私とフッツーの仲じゃないか~、何でも聞いてよ~」
「はあ……」
俺とあなたは、まだ今日で会うのは二回目なんですが。
「ストーカー被害みたいな小さな事件も、IGAで取り扱うんですか? IGAってもっと、国際テロみたいな大きな事件を相手取ってるのかと、勝手に思ってたんですけど」
「あはは~、まあ、フッツーがそう思うのも無理はないけど、これだけは覚えておいてね~」
「え?」
「事件に大きいも小さいもないよ」
「――!」
ニコさんから常時放たれているユルユルなオーラが、一瞬だけ研ぎ澄まされた刃の様に鋭くなった気がした。
「もちろん国際テロとかが起きそうなら全局員総出で事に当たるよ~。でもそれは、目の前で困っている人をスルーしていい理由にはならないよ~」
「……」
「むしろ救える命は、ただの一つとして零さず救い切るってのが、IGAのポリシーだよ~。ゆめゆめ忘れないでね~」
「……はい」
IGAに入ってよかった。
俺はこの時、改めてそう思った。
ポン
ん?
その時、誰かに肩をポンと叩かれた。
振り返ると、沙魔美が俺の肩に手を置いていた。
その顔は上司に注意されている俺に、「ドンマイ」とでも言いたげな顔だった。
……いや、お前絶対小バカにしてるだろ?
「あっ、お花屋さんが見えてきたよ~。さあ、調査開始開始~」
「はい」
「イエス、マアム!」
……よし、俺の忍者としての初仕事だ。
絶対にその華代さんて人を、この手で救ってみせる。
「あら、ニコさん、お久しぶりです」
「久しぶりハナッチ~」
案の定ニコさんは華代さんともお知り合いだったようだ。
むしろこの街に住んでいて、ニコさんと知り合いじゃない人のほうが珍しいんじゃなかろうか。
「相変わらず薔薇の花みたいに綺麗だねハナッチ~」
「いえいえ、ニコさんこそ、ヒマワリみたいに素敵じゃないですか」
「あはは~、お世辞が上手いね~」
確かに華代さんは、全身から気品が溢れ出ている絶世の美女だった。
目元の泣きぼくろもセクシーで、スタイルもモデル並みに良い。
この人ならストーカー被害に遭っていてもなんら不思議はないだろう。
ゴウッ
っ!?
その時、俺の後ろで例のごとく、ヤンデレ魔女から嫉妬の業火が立ち上る音が聴こえた。
率直に言って、振り返るのが怖い。
……いや、だがそうも言っていられない。
下手したらこんな状況が一生続くかもしれない以上、いつまでも眼を逸らしているわけにはいかない。
覚悟を決めて、正面から向き合わねば。
「――沙魔美」
「えっ、堕理雄……?」
俺は振り向きざまに沙魔美を抱き寄せ、こう囁いた。
「そういえば今日のお前はいつにも増して綺麗だな」
「っ! ……そ、そうかしら」
「ああ。ひょっとしてメイク変えたか?」
「よくわかったわね! 実はチークを新しくしてみたの! へ、変じゃないかしら?」
「もちろん。とってもよく似合ってるぞ」
「ありがとう! ……堕理雄、好き」
「俺もだよ、沙魔美」
沙魔美の嫉妬の業火は雲散霧消し、後には甘々なハチミツ空間だけが残った。
よしよし、俺もここに来てやっと沙魔美の扱いが少しだけわかってきたぞ。
今後も沙魔美が嫉妬した時はこの作戦でいこう(ゲス顔)。
「あのー、ニコさん、こちらのお二人は?」
華代さんが俺達のことを若干引き気味な眼で見ていた。
あっ! ヤバい!
致し方なかったとはいえ、任務中にこんな醜態を晒してしまうとは!
「あはは~、この二人は私の友達で、近所でも評判のバカップルだから気にしないで~」
「あ、そうですか……」
上司からのフォローが辛辣ゥ!
「ところでさハナッチ~、クレープ屋の大将から聞いたけど、最近ストーカーに悩んでるらしいじゃ~ん?」
「「「っ!」」」
……早速切り込みましたね。
「……ええ、そうなんです。私も、ほとほと困っていて」
「警察には相談した?」
「いいえ。でも、警察の方は実際に事件が起きてからでないと動いてはくれないって聞いたことがあるので……」
「そっか~」
それは俺も聞いたことがある。
俺も今や警察側の人間になってしまったので耳が痛い話だが、ストーカー被害はどこからをストーカーと定義するのかの線引きが難しいらしいし、冤罪を引き起こしてしまう可能性も高い以上、警察も迂闊には動けないのかもしれない。
これは今の日本が抱える、大きな課題の一つだろう。
「私でよければ、相談に乗ろっか~? 実は知り合いに、ストーカー対策に詳しい人がいるんだ~」
「え、そうなんですか!?」
知り合いというか、ニコさん本人が正にそうなんですけどね。
ラブコメとかによくある、「これは私の友達の話なんだけど――」みたいな展開だな。
「……じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「もちろんもちろん任せてちょ~」
「ありがとうございます! あと少しで交代の時間なので、ちょっとだけ待っていていただけますか?」
「オッケ~」
華代さんは何度も会釈しながら、店の裏に消えていった。
「どうぞ、ここが私の家です」
「え!? ここって……」
「アラアラ」
華代さんに案内されて連れてこられたマンションは、『パレス・フマージョ』。
沙魔美が住んでいる高級マンションだった。
やはり俺が華代さんから感じた気品は本物だったようだ。
大方華代さんも沙魔美同様、良いところのお嬢様なのだろう(同じお嬢様でも方向性は真逆だが)。
でも、そのお嬢様が何故小さな花屋さんの店員をやっているのだろうか?
「ハイこれ、お土産の豚骨ワッフル~」
「まあ! 私これ大好きなんです! 今紅茶を淹れますね」
家に上がるなり、ニコさんが先程買った豚骨ワッフルを差し出した。
ああなるほど、華代さんへのお土産用に買ってたのか。
もしかしてあの時点で、ニコさんはこの展開を予想してたってことか?
……弐課の課長の名は伊達じゃないな。
でも、だとしたら残りの2つは誰用のお土産なんだろう?
華代さんが出してくれた紅茶のティーカップは、いかにもな高級品で、茶葉も良いものを使っている(気がする)。
それに部屋の家具もどれもこれもブランド物(多分)で、実家はさぞかしお金持ちなのだろうなと俺は思った。
「モグモグモグ、それで? ハナッチがそのストーカーに付き纏われることになっちゃった経緯を聞いてもいいかな? モグモグモグ」
豚骨ワッフルは一旦置きましょうか課長!
今は大事な聞き込みの最中ですよ!
「……はい、モグモグモグ。その方は
あなたもモグモグするんですか華代さん!?
高嶺の花のお嬢様かと思っていたら、意外と親しみやすい方なんですね!?
「モグモグモグ。堕理雄、このワッフル本当に美味しいわねモグモグモグモグモグモグゴンボ」
「今懐かしの子供向け料理番組名を言わなかったか!?」
ちょっとみんな真面目な話してるんだから、空気読んでよ!
「最初の頃は店先で少しお話するくらいだったんですけど、ある日……結婚を前提にお付き合いしてもらえないかと言われまして」
「あはは~、やるねえ~」
今の『やるねえ~』は、どちらに対してのですか?
「でも私にはそのつもりがなかったんで、お断りしたんです。……そうしたら、態度が豹変しまして」
「どんな風に~?」
「『君は僕と付き合うべきだ!』って、凄い剣幕で怒鳴られまして……。それ以来、いつも遠くからジッと見られていたり、私の出したゴミを漁られたりするようになってしまいました……」
「ほほう~」
なるほど。
典型的なストーカーだな。
『僕と付き合うべき』なんて、よっぽど傲慢でなければ出てこない台詞だ。
「その漁られてるゴミってのはあれ~?」
ニコさんは窓際に立ち、裏庭に見えるゴミ捨て場を指差した。
「え、ええ、そうです」
「近々ゴミを出す予定はある~?」
「明日が燃えるゴミの日なので、今夜出すつもりですけど……」
「ふんふん了解~。ま、今夜中には解決できると思うよ~」
「「「っ!」」」
なっ!?
大丈夫ですか、そんな大見得を切って!?
「本当ですか!」
「うん。ハナッチは明日は仕事~?」
「ええ。午後からですけど」
「そ。じゃあ明日の朝10時にまたここに来るから、吉報を楽しみにしててね~」
「は、はい」
「紅茶ご馳走様~。ほんじゃ帰ろっか、フッツー、ヤミヤミ~」
「あ、はい」
「イエス、マアム!」
颯爽と出て行こうとするニコさんの背中を、俺は戸惑いながらも追った。
「ニコさん、大丈夫ですかあんな約束をして」
裏庭に回りゴミ捨て場を矯めつ眇めつしているニコさんに、俺はそれとなく聞いた。
いくら何でも今夜中に解決すると言ったのは大きく出すぎだと思ったのだ。
それともニコさんには、何か秘策でもあるのだろうか?
「ニコちん、何でしたら私の魔法でササッと終わらせましょうか?」
「っ!」
そうか、沙魔美の魔法ならこれくらい一瞬で解決できるのか。
よもやニコさんも、それを当てにしてあんなことを言ったのかな?
「いや、せっかくだけどそれには及ばないよ~」
「「え」」
だが、ニコさんからの返答は、俺の予想とは真逆のものだった。
「むしろこれは上司命令だよ~。ヤミヤミは今回の件で、決して魔法は使わないでね~」
!?
「なっ、なんでですか!?」
自分の拠り所を否定された沙魔美は、露骨に狼狽した。
「なんでかっていうと、ヤミヤミの魔法で解決しても、本当の意味で平和になったとは言えないからだよ~」
「……え」
「例えるならそれは、子供の喧嘩に大人が仲裁に入るみたいなものでね~。強過ぎる力で無理矢理場を収めても、根本的な解決にはならないんだよ~。それは、人類の歴史が証明してるでしょ~?」
「……」
沙魔美はニコさんの言っている意味がわからないのか、それともわかりたくないのか、渋面を浮かべている。
「勘違いしないでね~。何もヤミヤミの魔法が世の中に必要ないって言ってるんじゃないんだよ~。力には相応の使い道があるって話~。宇宙海賊とかに地球が襲われたら、私達みたいな凡人じゃどうにもできないから、その時は存分に腕を振るってもらうよ~」
「はあ」
「でも今回のは、魔法を使うまでもない案件ってだけ~。まあ見ててよ、私みたいな凡人でも、このくらいのことなら一晩でカタをつけてみせるからさ~」
「……わかりました。お手並み拝見させていただきますわ」
沙魔美はまだ腑には落ちていない様子だったが、上司の顔を立てたようだ。
でも、俺にはニコさんの言いたいことが、何となくだが理解できた。
確かに大きすぎる力は、時として世の中を逆に破綻させてしまうこともある。
ここ百年程の科学の発展は目覚ましいが、それによって交通事故やSNSでのイジメなど、昔は存在しなかった新たな問題も発生しているのも事実だ。
化学兵器による戦争での被害規模も、大昔とは比べ物にならないだろう。
それらは俺達人類が、大きすぎる力に溺れてしまっていることが原因であるとも言える。
もちろん俺だって化学や魔法がなければいいとは思っていない。
それらによる恩恵は、決して無視できるものではないからだ(事実沙魔美がいなければ、ピッセ一人に地球は支配されていたかもしれない)。
だが、それと同じくらい、『分相応に生きる』ということも大切なことなのかもしれないと、ふと思った。
「あはは~、ほんじゃ、二人共私に付いてきて~」
「あ、はい」
するとニコさんは、スタスタとマンションの向かいに建っている一戸建ての民家に歩いていき、躊躇いなくインターホンのボタンを押した。
「ニ、ニコさん!?」
急に何を!?
「まあまあ、見てなって~」
「はあ……」
程なくして、玄関のドアが開かれた。
そしていかにも人がよさそうな老夫婦が、俺達を出迎えてくれた。
「いらっしゃいニコちん、久しぶりね」
「久しぶりおばちゃん~」
「今日も何かの任務かい?」
「そんなとこだよおじちゃん~。お世話になるね~」
ニコさんはこの人達とも知り合いなのか!?
しかも今、任務って……。
「この二人は、元IGAの局員なんだよ~」
「え!? そうなんですか!?」
こんな柔和な老夫婦が、元忍者だとは……。
人は見かけによらないな。
「あなた達もIGAの新人さんなのかしら?」
老婦人が俺と沙魔美に目を向けてきた。
「あ、はい。インターンの普津沢と申します」
「派遣社員の病野です」
何度聞いても忍者の派遣社員って何だよって思ってしまう。
「まあまあそうなの。頑張ってね。さ、遠慮せず上がってちょうだい」
「あ、お邪魔します」
「お邪魔しマシュマシュ!」
が、老婦人はそんな沙魔美の発言も華麗にスルーし(さすが元くのいち)、俺達を家に上げてくれた。
「これ、よかったらお土産~。二人で食べて~」
「おお! こりゃ家系クレープの豚骨ワッフルじゃないか! ワシ、これ大好きなんじゃよ。ありがとよニコちん」
「いえいえ、どういたしまして~」
なっ!?
ま、まさか……ニコさんはこれも計算した上で、ワッフルを追加で2つ買っていたのか!?
「それでニコちん、ひょっとして向かいのパレス・フマージョ辺りを見張ろうとしてるのかしら?」
「そうなんだよおばちゃん、二階の部屋を借りてもいい~?」
「どうぞどうぞ」
なるほど。
ここからなら向かいのゴミ捨て場がよく見える。
ここなら周りから怪しまれずに、ゴミ捨て場が見張れるってわけか。
もしも最初にクレープ屋さんでストーカーの話を聞いた時点でここまでを計算していたのだとすると、確かに魔法は必要ないのかもしれない。
「どう~? 何か動きはあったかいフッツー?」
「いえ、ありませんね」
時刻は夜の11時を回っていた。
陽が沈んでから交代で絶え間なくゴミ捨て場を見張っていたが、今のところ怪しい人物は現れていない。
7時過ぎに華代さんがゴミを捨てに来て以降、何人かマンションの住民と思われる人がゴミ出しに来たが、すぐにマンションに戻って行った。
少なくとも、外からゴミ捨て場に入って行った人間は一人もいない。
まあ、それは当然と言えば当然だ。
普通他人の住んでるマンションのゴミ捨て場なんかに、用がある人間などいない。
ストーカーでもない限りは。
「ぐがー、すぴぴぴー、ぐがー」
「……」
俺の隣で大いびきをかいている沙魔美を、俺は冷ややかな眼で見下ろした。
確かにニコさんから、徹夜になるかもしれないから、見張り番でない時は寝ていてもいいとは言われたが、まさか本当に寝やがるとは。
俺なんて緊張でずっと胃が痛いっていうのに。
『
「あ~、どうやらおいでなすったようだよフッツー」
「え」
ニコさんに言われてゴミ捨て場に目をやると、そこには猫背の挙動不審な男が、コソコソとゴミを漁っている光景が見えた。
あいつか、ストーカーの須藤ってやつは!!
「オイ! 起きろ沙魔美! 犯人らしき男が来たぞ!!」
俺は沙魔美の肩を揺さぶった。
「ふ、ふにゃっ!? あれ!? 私の注文した誘い受けのメガネ男子はどこ!?」
「どんな夢見てたんだお前は!! いいから行くぞ!!」
待っていてください華代さん。
今、俺が犯人を捕まえますから。
「私が最初に話し掛けるから、二人は後ろで見ててね~」
「「えっ」」
須藤と思われる男まで5メートル程の距離まで来たところで、ニコさんが唐突に言った。
須藤はゴミに夢中なのか、俺達には気付いていないようだ。
「で、でも、危険じゃないですか、女性が一番前に立つのは」
ニコさんは戦闘が専門ってわけでもないんでしょうし。
ここは男の俺が、前に立ったほうが……。
「大丈夫大丈夫~」
そう言うなリ、ニコさんは友達に話し掛けるみたいな、気さくなテンションで須藤に声を掛けた。
「やっほ~、須藤さんですよね~。どうですか、釣れますか~?」
そんな釣り人同士の挨拶みたいな!?
「なっ、何だあんたは!? なんで僕のことを知ってるんだ!?」
男は素っ頓狂な声を上げた。
やはりこいつが須藤で間違いないらしい。
「いえね~、華代さんから相談されたんですよ~。須藤さんて人からストーカーされて、とっても迷惑だってね~」
「何だとッ!?」
ちょ、ちょっとニコさん!?
それはいくら何でも露骨すぎませんか!?
あまり犯人を刺激しないほうがいいと思うんですけど……。
「ふざけるなッ!! 僕はストーカーなんかじゃない! 僕が彼女を、どれだけ愛してると思ってるんだ!!」
案の定須藤は激昂した。
いやいや、向こうはあんたのこと何とも思ってないんだから、付き纏ったらストーカーだよ。
「僕には彼女と結婚する資格があるんだ!! 邪魔をするなあああああッ!!!」
「「っ!!」」
須藤はポケットから光る何かを取り出し、ニコさんに突進してきた。
あれは……ナイフか!?
「ニコさんッ!!」
「堕理雄ッ!?」
俺は咄嗟に、ニコさんの前に立って須藤と向き合った。
須藤の握るナイフが、俺の腹部目掛けて突き出される。
……くっ!
「だから後ろで見ててって言ったじゃんフッツー」
「「っ!?」」
俺は一瞬自分の身に起きたことが理解できなかった。
気付いた時には俺は、沙魔美にお姫様抱っこされていた。
ニャッポリート!?!?
「え!? 堕理雄!?」
抱っこしている側の沙魔美も、何がどうしてこうなったのかわかっていないようだ。
いや、今はそれよりもニコさんが!
「……あれ?」
が、ニコさんのほうを向くと、ニコさんは須藤にガッチリとコブラツイストをかけていた。
ニャニャニャッポリート!?!?!?
「あがががががががが!! …………がはっ」
須藤は泡を吐きながら気を失った。
「あはは~、だから言ったでしょ大丈夫だって~。私も一応IGAの課長をやってるんだからさ~。このくらいの心得はあるよ~」
「……そうですか」
どうやらニコさんはあの一瞬で、まず俺を後方の沙魔美のところまで投げ飛ばし、その上で須藤のナイフを捌きながらコブラツイストをかけたということらしい。
この人も大概化け物だ……。
だがニコさんの言うように、ニコさんも戦闘が専門ではないとはいえ、弐課を率いる課長なのだから、このくらいはできても不思議じゃないか。
……やれやれ、須藤は絶対俺が捕まえるなんて息巻いちゃったけど、とんだ赤っ恥だなこりゃ。
「もしもし~、私~。パレス・フマージョのゴミ捨て場でストーカー犯が寝てるから、捕まえに来て~」
「「っ!」」
ニコさんはスマホでどこかに電話をかけている。
「今から肘川署の人が来てくれるって~。後は警察に任せよ~」
「あ、はい」
そうか、警察に電話してたのか。
よく考えたらIGAの課長なら、肘川署とも太いパイプがあるのは当然か。
今回須藤がナイフで襲ってきたことで、これは完全に殺人未遂事件になった。
これなら警察も動かざるを得ない。
まさかニコさんは自分の身を挺して、無理矢理須藤を逮捕できる段階まで引き上げたというのだろうか?
だとしたらそれは、俺がIGAに入る上で沙魔美から一番止められていたことであり、俺もあまり賛同する気にはなれないやり方ではあるけれど……。
「私はいいんだよ~、フッツー」
「っ!」
またぞろ読心術が発動した。
「私はプロ中のプロなんだから、自分の技量を完璧に把握してるからね~。でもフッツーはまだその段階じゃないんだから、絶対に私の真似しちゃダメだよ~」
「あ、はあ」
何だか少しだけ、得心が行かないが……。
「特にさっきの私の前に出たのはいただけないな~。フッツーの身に何かあったらどうするつもりだったの~?」
「え、いや……それは……」
それを言われると、辛いところですけど。
「そうよ堕理雄!! 全然私との約束守ってくれてないじゃない!! もう今月の監禁ノルマは、三回に増やさせてもらうからねッ!!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
彼女にお姫様抱っこされたまま嘆く、情けない俺だった。
「あはは~。ところでさ二人共~、明日は大学の講義はあるの~?」
「え? 明日ですか?」
「私も堕理雄も、講義は午後からですけど」
「オッケ~。予定通り、明日の朝10時にハナッチにこの件を報告しに行くから、二人も一緒に来る~?」
「あ、はい、是非」
「ご一緒させていただきますわ」
「了解~。じゃあ、また明日10時前にマンションの前に集合ね~」
「はい」
「お疲れ様でした」
これで一件落着だなと胸を撫で下ろす一方で、俺の中で何故か言いようのない不安が渦巻いていた――。
「須藤は昨日、ストーカー容疑で警察に捕まったよ~」
「まあ! 本当ですか! ありがとうございます。これで夜も安心して眠れます」
翌日、10時ジャストに華代さんの自宅を訪れた俺達であったが、リビングに腰を下ろすなリ、ニコさんが口火を切った。
もう今日は俺は昨日の反省を生かして、ジッと黙っていることに決めた。
それにしても、今日もニコさんは小さな紙袋を手に持ってきたが、また何かお土産を持参したのだろうか?
その割には傍らに置いたままで、華代さんに渡す素振りは見えないが。
「うん、でもね~、一つだけ不可解なことがあるんだ~」
「え?」
え?
何ですかそれ?
俺達はそんな話聞いてませんけど。
「須藤の銀行口座を調べたらね~、先月の末に、須藤の口座からハナッチの口座に、50万円程振り込まれてたみたいなんだよね~」
「「「っ!」」」
な、何だって!?
それって、どういう……。
「他にも六人くらいの男の人から、定期的にハナッチにお金が振り込まれてるよね~?」
「「「っ!!」」」
そんな……。
そんなまさか……。
「私の言ってることに間違いはないかな、ハナッチ~?」
「……」
つい先程まで朗らかな笑顔を浮かべていた華代さんは、今は爬虫類みたいな無色透明な眼でこちらを見ていた。
その眼を見た瞬間、俺は全身に悪寒が走るのを感じた。
こ、この人はやっぱり……。
「どうしてただの公民館の職員であるニコちんがそんなことを調べられたのかはわかりませんが」
華代さんは氷みたいに冷たい口調で話し始めた。
「確かにそれは事実です」
華代さんは一切悪びれることなく――むしろ胸を張るように言った。
「ですが、それが何か問題ですか? 私はただの一度も、男性にお金が欲しいなんて言ったことはありません。あの人達が勝手にお金を振り込んでくるんです。それって犯罪になるんでしょうか?」
既に華代さんからは、初対面の時に感じた気品は跡形もなく消え失せており、地獄の亡者の様な醜く歪んだ表情だけが顔に張り付いていた。
……そうか。
だから須藤は、『僕には彼女と結婚する資格がある』なんてことを言っていたのか。
その他にも俺が抱いていた諸々の違和感の正体も、これでわかった。
一つは良いところのお嬢様である華代さんが、何故小さな花屋さんで働いているのか。
これはそもそも、高級マンションに住んでいるからお嬢様なのだと決めつけていた俺の考え方が間違っていた。
この人はお嬢様なんかじゃない。
金の亡者のただの一般人だ。
豚骨ワッフルをモグモグしていたのも、つい素が出てしまっただけのことなんだ。
大方男受けが良く、出会いも多いという理由で、花屋を働き口に選んだのだろう。
そう考えれば須藤のストーカー被害を警察に届け出なかったのも辻褄が合う。
この人自身、犯罪ではないとは言うものの、後ろめたいことをしている自覚はあったから、警察に根掘り葉掘り調べられるのが嫌だったのだろう。
「ん~、私は法律の知識はあんまないけど、多分犯罪ではないんじゃないかな~」
「ふふふ、そうですよね。私は結婚するつもりがあるなんて、誰にも言ってないんですから」
華代さんはいやらしく、口角を吊り上げた。
俺は既に、華代さんを美しいとは到底思えなくなっていた。
ふと横に座っている沙魔美の顔を覗き見ると、ゴミを見るような眼で華代さんを睨んでいた。
『愛』を何よりも重んじる沙魔美にとっては、愛情を踏みにじるような華代さんの行いは、軽蔑の対象以外の何物でもないのだろう。
だが、確かに華代さんのやっていることを犯罪として立証するのは難しいかもしれない。
結婚すると言ってお金を騙し取っていたなら結婚詐欺罪が成立するかもしれないが、狡猾そうなこの人のことだ、そんなヘマはしていないだろう。
あくまでお金は男のほうが自主的に振り込んだだけ。
今の日本の法律では、それを咎めることはできない。
何てことだ……。
加害者だと思っていたほうが被害者で、被害者だと思っていたほうが加害者だったとは。
何とも後味の悪い事件だな。
まあ、あそこまでの行動を取っていた時点で、須藤も加害者であることには変わりないのだが……。
「でもどうかな~。犯罪ではないとはいえ、お金だけが目当てで、しかも複数の男の人に近付いていたって本人達が知ったら、どう思うんだろうね~? 大方、『あなただけを愛してるわ』なんて、甘い言葉をかけてたんじゃないの~?」
「ふん。だったら何だって言うんですか? そんなリップサービスに、法的な効力があるとでも?」
「ないかもね~」
そう返すニコさんの表情は、いつも通りのにこやかなものだった。
ニコさんはこの人のことを、何とも思っていないのだろうか?
あくまで犯罪ではない以上、IGAでも裁くことはできないということか……?
「まあ、あのストーカー野郎をブタ箱送りにしてくれたことだけは感謝しますよ。でも、そろそろいいですか? 仕事の時間なので。こう見えて私、あの花屋では真面目な良い子ちゃんで通ってるんです」
……くっ!
俺は悔しさのあまり、奥歯をギリッと噛んだ。
「オッケ~オッケ~。じゃ、私達は帰ろっか」
「……はい」
「……フン」
沙魔美は口をへの字に曲げながら、そっぽを向いてしまった。
まあ、今だけは俺も沙魔美に同感だ。
「あ、そうだ~。お土産を持ってきてたのを忘れてたよ~」
「「「え?」」」
このタイミングで?
ニコさんは傍らに置いていた紙袋を逆さにして、中身を床にブチ撒けた。
……!
「なっ!? こ、これはッ!?」
それは複数のスマホだった。
しかもどれもスピーカーモードで通話中になっている。
数えると、全部で六台あるようだった。
六台!?
ま、まさか……。
『華代ぉお!! お前俺のことを、ずっと騙してやがったのかああああ!!!』
「「「っ!!」」」
その内の一つから、地獄の底から聴こえてくるような、怨念の籠った声が放たれた。
『嘘だよね華代さん!? 嘘だって言ってよお!!』
『僕は信じてるよ華代さんのこと。でもだからこそ、一回会って話し合おう?』
『返してください!! せめてお金だけでも返してくださいいい!! あのお金は、母の手術代だったんですうう!!』
『今からお前の家行くからな。覚悟しとけよ華代』
『……殺す』
堰を切ったように、哀れな被害者達の悲痛な叫びが続いた。
「ヒッ」
流石に華代さんも身の危険を感じたのか、顔から血の気が引いている。
「あらあら~、これは大変だねハナッチ~。今すぐ荷物を纏めて、どこか遠くに逃げたほうがいいかもよ~?」
ニコさんは変わらず笑顔で、そう忠告した。
俺はこの時、宇宙海賊に拉致られた時や、西の魔女に襲われた時よりも、更に上の恐怖を身体の芯で感じた。
何て恐ろしい人なんだ……。
あるいはこの感情を、畏怖と呼ぶのだろうか?
「う、うあ、うあああああああああああああああああああああああ」
華代さんは絶叫し、その場に
「これに懲りたら二度とこんなことはしないほうが身のためだよ~。さ、今度こそ帰ろっか~」
「……はい」
「……自業自得よ」
去り際に沙魔美が放った一言こそが、此度の一件の全てだったのかもしれない。
「さてと、二人はこれから大学でお勉強でしょ~? じゃあここでバイバイだね~」
外に出るなりニコさんは俺達に言った。
その様子からは、欠片も一仕事を終えた感は見受けられない。
それもそうだろう。
こんなことは、ニコさんにとっては日常茶飯事なのだろうから。
俺がスパシーバで料理を運ぶ際に、いちいち感慨にふけることはないのと同じだ。
だが、本当にこれでよかったのだろうか?
今回俺達がしたことは、正義と呼べるものだったんだろうか?
「まあ、呼べないだろうね~」
「……」
もはやこのくらいの読心術では驚かなくなってきたな。
「でも、少なくともハナッチの命は救えたとは思うよ~」
「「え?」」
どういうことですか?
どちらかと言うと、救ったのは被害者男性達のほうでは?
「だってあのまま放っておいたら、遅かれ早かれハナッチはあの内の誰かに殺されちゃってたと思うよ~」
「「っ!」」
た、確かに。
今はバレていなかったのだとしても、それが一生バレない保証はどこにもない。
むしろどこかしらでボロが出て、復讐されてしまう可能性は大いにあっただろう。
そういう意味では、結果的に華代さんの命を救ったことにはなったのか……?
「昨日も言ったでしょ~? 救える命はただの一つとして零さず救い切るのが、IGAのポリシーだって~」
「……確かに仰ってましたね」
そして救う上では手段は選ばないというのも、言外に言っているのかもしれない。
ただ、そうなると一つだけ疑問として残るのは、果たしてニコさんは
あまりに事がスムーズに進んでいたことといい、一晩でストーカー事件を解決すると豪語したことといい、よもやニコさんは以前から須藤のことも含めて、全てを把握していたのではないだろうか?
昨日の夜に須藤があの場所に来るという情報をあらかじめ掴んでいたからこそ、OJTも兼ねて、俺達にプロの現場を体感させようと画策していたのでは?
「ん~? 何か先輩に質問でもあるのかなフッツー?」
「……いえ」
読心術のプロのニコさんには俺の疑問など筒抜けなのだろうが、敢えてはぐらかすような言い方をするということは、真実を教えてくれるつもりはないということなのだろう。
あるいはそれを考えることも含めて、今回の課題ということなのだろうか?
「ま、綺麗な薔薇には棘があるものだからさ~。教訓にしたまえよ~」
「っ!」
やっぱりニコさんは始めから全部知っていたのかもな。
だから最初に華代さんに会った時、華代さんを薔薇の花に例えたのかもしれない。
……やれやれ、俺は今後、この人の背中を追わなきゃいけないのか。
一生かかっても追いつける気がしないな。
「あはは~、大丈夫だよフッツー。フッツーならすぐに私なんか追い抜いちゃうって~」
「……どうですかね」
「ニコちんはこれからどうなさるんですか?」
『
あるいはこいつなら、いつかはニコさんを超えられるかもしれないな。
「私はあの花屋さんに行って、ハナッチはよんどころない事情があって急遽実家に帰らなきゃいけなくなっちゃったから、仕事を辞めさせてもらうことになったって伝えてくるよ~」
「あ、そうですか」
アフターケアもバッチリですね。
この人こそ、忍者の鑑なのかもしれない。
「ついでに今日の分くらいは、花屋さんの仕事を手伝ってこようかな~。小さなお店だから、一人抜けただけで回すのが大変だろうし~」
「あっ、じゃあ俺達も手伝います」
「いいや、それには及ばないよ~」
「え?」
ニコさんは表情はにこやかなまま、だが毅然とした態度で言った。
「学生の本分は勉強だよ~。立派な大人になるためにも、今はちゃんと勉学に励みたまえよ~」
「……わかりました」
「今日は本当に良い経験をさせていただきましたわニコちん。お礼に今度、私が描いた秘蔵の同人誌をプレゼントしますね」
っ!?
最後までお前は……。
「やった~。嬉し~。楽しみにしてるね~」
「はい」
まあ、ニコさんがいいならいいんですけど。
「じゃ~ね~二人共~。また今度~」
「お疲れ様でした」
「イエス、マアム!」
鼻歌混じりで去っていくニコさんの背中を、俺と沙魔美はいつまでも見送っていた。
「……ねえ、堕理雄」
「ん? 何だ」
沙魔美が俺の顔を、ジッと見つめながら言った。
「堕理雄は悪い女に捕まらないように、くれぐれも気を付けるのよ」
「……俺は大丈夫だよ」
もう捕まってるからな、とは、敢えて言わなかった。