「確かに序盤戦は劣勢だが、まだ袁紹には四十万の大軍があるぞ」
「ああ。しかし戦は兵力のみではあるまい。独断専行する将軍や、個の感情がそのまま意見の対立になっている参謀ども。これらを纏めきれず、決断が右往左往する君主。これで勝てるほど曹操とその配下は甘くはあるまい」
「へへ、戦下手の兄者が語ってらぁ」
張飛は劉備の言葉に納得したが、小馬鹿にしたように大口を開けて笑った。
「とりあえず、袁紹に報告だけはいたそう」
劉備も釣られて笑ったがすぐに冷静な顔つきに戻した。
「だが、どうやってここを去る?」
「荊州の劉表への使者が良いかと思う。腰の重い劉表を説得し、曹操の背後を突かす、と」
「ふーん……まっ、こんな頭を使う策なんかは兄者に任すさ」
劉備主従は船の上で開けっぴろげに話しながら、黎陽の袁紹の本隊へと向かった。
到着するころにはすっかり日も落ち、袁紹の本陣から漏れる大小の灯りが川面を照らしていた。
時には宴会のような楽しげな声や音楽が聞こえ、戦の最中とは到底思えない緊張感の無さであった。
「抑えよ」
袁紹の幕に到着した劉備は、振り返らず後ろに立つ張飛に注意を促した。
「ふん、わかってらぁ」
張飛は怒気を含んでいた顔を自身でなだめ、拗ねたように言い放つ。
劉備はそれを確認するかのように無言で頷くと、幕の入口を乱雑に開け広げた。
一斉に皆が入口を注視する。賑やかな場が静まりかえる。
「これはこれは劉備殿。今お戻りかな?まずは一献差し上げようではないか」
ほろ酔い加減の袁紹は劉備を労うかのように酒を勧めた。劉備は歯を食いしばり、両方の拳を固く握りしめて、憤懣を抑えこんだ。
「顔良殿、文醜殿は討死、戦は敗北。とても喜ぶ気持ちになれません」
劉備の言葉で座は再びざわめきだした。
「文醜が討たれただと?」
袁紹の顔色が変わる。だがその一言を聞いた劉備の顔色は袁紹以上に変化した。
「戦場なのに偵察も出してないのか!しかも我らが命を賭している最中に宴など……話にならん!失礼する」
劉備はこの人物にあるまじき声で怒鳴り散らすと、踵を返し立ち去った。
劉備が去るとすぐ袁紹も席を立った。そのまま宴は終了となり、夜は更けていった。
「劉備殿、劉備殿」
夜半皆が寝静まったころ、劉備の幕には客が訪れていた。張飛は蛇矛を構え、不意の襲撃に備え息を潜める。
「どなたかな?」
劉備は客と同じように、ささやくような小声で対応した。
「某は沮授でございます」
「沮授殿?」
袁紹の軍師である沮授が何をしにきたかわからないが、とりあえず幕内へと通した。
人目を忍ぶように素早く幕内に入るなり、沮授は深々と頭を下げた。
「袁紹様に成り代わり謝罪いたします」
「いや、もうよいのです。明日にでも我らはここから去ろうと思います」
「恥ずかしくて引き止めることもできません。どちらに向かわれるのですか?」
「劉表殿を頼ろうかと」
「荊州ですか。その前に一つお願いしたいことがあるのですが」
「なんですかな?」
「荊州に向かう前に汝南に立ち寄ってもらいたい。そこでは
「ほう、官渡に兵力が集中している今、後方を突ける勢力があるのは大きいですな」