無言のまま趙雲が頷く。
「そうか。理想を追い求めることを否定はしない。劉備の下へ向かうも良し、ここに残るも良し。好きに選ぶがよい」
趙雲は座り込んだまま動かずにいた。
「趙雲殿、とりあえず私の幕で休まれよ」
その趙雲の肩に優しく触れながら信忠が話しかけた。
趙雲は信忠の手を借り立ち上がると、信長に深く頭を下げ、信長の幕を立ち去った。
「信忠殿。私の考えは間違っているのでしょうか?」
清廉潔白な武人たる趙雲も、政治に関わる部分では信長に及ぶべくもない。
「趙雲殿の言葉に共感はできます。しかし、父は我ら以上の地獄……すなわち現実を見て、経験してきている。理想だけではいかんともし難いのは必要以上に感じとっているのでしょう。かく言う私も父の仕打ちを酷く、無惨と蔑んだことがあります」
信忠は気落ちしている趙雲を諭すように返答し、ひと息ついてさらに続けた。
「ですが、一向に止むことのない反乱を幾度となく制圧していく内に、私の考え方が甘かったのだと自覚させられました」
信忠は遠くを見つめるよう目を細めた。
「さりとて、これはあくまでも私のこと。趙雲殿がどう考えて、その先どうするかまではわかりませぬが、自身の信じる道をひたすら進むのも良いのでは?」
信忠は再び趙雲の肩をぽんぽんと叩いた。
「信忠殿……貴殿の言葉、しかと胸に刻みました。しかし私はやはり劉備殿と理想を追い求め続けたい。貴殿らとは違う道を歩きますが、お許しくだされ」
趙雲は涙を流しながら信忠を見上げた。
「うむ。趙雲殿の意向のままに。いずれ戦うことになるやも知れぬが、私と君の友情は変わらぬ。今は疲れた体を休め、気の赴くままに自由に出立なされよ」
信忠も跪き、趙雲の両手をしかと握りしめた。
「ありがたい言葉。しかしまだ信長殿や貴殿には恩がある。次の戦で戦功を立て義に報いねば、とても出立できぬ」
趙雲は瞼をこすり涙を拭くと、信忠に臣下の礼をとる。
「これより戦功を立てるまで、趙子龍は信忠殿の部下。思う存分私の武をお使いくだされ」
「こちらこそ頼むぞ、趙雲殿」
趙雲を加えた信長軍は、相変わらず急ぐことなく、情報を精査しながらゆるゆると進む。
物見は未だ遠くの官渡の様子までも事細かに探ってきていた。
兵力、士気共に袁紹軍がすこぶる高く、物量を前面に押し出した大進軍に、曹操軍は敗北、退却を繰り返していること。
顔良と文醜の豪傑を討ち取られはしたものの、袁紹はすでに勝利の気分に浸り、参謀の沮授の意見を受け入れず、さらなる余裕を見せていること。
一方の曹操は、敗退続きで兵糧も不足気味とはいえ、兵力の損失は極めて少なく、なおかつ活路を見いだすために、徐晃と半兵衛が袁紹軍の輸送隊を襲っているということなど、戦場にいなくても状況を把握できるほどのものであった。
情報を聞いて信長軍の諸将はどよめいた。
袁紹の有利さばかりが際立ち、逆転の目はないように思える。
「さて蝮殿、困りましたなぁ」
信長はほくそ笑みながら道三に話しかけた。
「また儂か。ほんに年寄り遣いの荒い婿じゃのう」
道三は面倒そうにぼやき、腰を重そうに上げる。
「ついでに趙雲殿のために劉備の行方も尋ねてくるがよいぞ」