「信盛殿、弥助が通って来た道を使いましょう。あの先には江夏があるはず」
半兵衛は悟られないように謙信勢を見ながら話した。
「確かにな。だが江夏も劉表領であるぞ」
「承知してます」
「策を思いついたか。良かろう、おぬしに乗ろう。殿軍は任せよ」
半兵衛と信盛の即興の軍議が終わった。すぐさま部下に指示を与える。
「なにやら動き出したな。景家、行け」
謙信からの合図を心待ちにしていた景家が身震いをして雄叫びをあげた。そして馬の腹を蹴ると、自ら先頭に立ち、猛進しだした。
「猪武者めが」
信盛は吐き捨てるように呟き、
「佐久間信盛を知らぬか!」
と、手勢を率いて景家隊を迎え撃つ。
景家の武勇は聞きしに勝るもので、信盛隊の兵が次々に討ち取られていく。それでも信盛は臆することなく、景家隊を食い止めていた。
一方半兵衛はその隙に退路を確保し、すでに移動を開始していた。
「ほう、江夏方面へ逃げるか」
謙信は戦闘中の戦場を見ずに、その先を見ていた。
「景家、逃げられるぞ」
謙信が真剣な眼差しで景家を怒鳴りつけ煽る。
謙信の怒りに触れてはかなわないと、景家は兵を焚き付け、さらに激しく攻めたてた。
信盛もしきりに兵を鼓舞する。
「おい、越後の猪」
景家が間近に迫ると、信盛は挑発しだした。
「逃げの佐久間か」
景家も負けず劣らず挑発仕返す。
「ふん、退き戦の難しさを知らぬとは」
「負けを知らぬでな」
景家の戟が信盛を襲う。信盛はその攻撃を軽くいなした。次いで再び景家が戟を振り下ろす。これも信盛はひらりとかわした。
「力任せでは儂は討てんぞ」
直後の隙を狙い、信盛が刀を振るう。刀は寸分違わず景家の首目掛け、突き進む。
景家は振り下ろした戟を強引に引き上げ、なんとか防いだ。剛勇自慢の景家は、老齢の信盛に軽くあしらわれていることに腹を立てたのか、鼻息は荒く、額には血管が浮き出ていた。
「信盛殿!」
後方から半兵衛の呼ぶ声が聞こえた。信盛はすかさず、部下らに撤退の合図を出した。
「逃がさん!」
景家は執拗に信盛を狙い追いかけた。景家の兵らも続けとばかりに先に進もうとするが、信盛の兵らに阻まれ、なかなか追いつけない。
景家はとうとう信盛隊の中で単騎となった。
だが、そんなこともお構いなく景家は戟を振り回し、近寄る敵兵を薙ぎ倒していた。
「猪!儂はここだ!」
信盛は立ち止まり、荒れ狂う景家の鉾先を誘導した。
「ようやく観念したか!」
と、信盛に向かって駆け出した。
「単純よのう。退き時を知らず、ただ攻めるは勇とは言わぬぞ。各自散開せよ!」
信盛の指示が下る。信盛兵は、追撃する景家隊の相手を止め、一目散に散らばって後退した。
「半兵衛、任せたぞ」
そう叫ぶと、信盛自身も群衆に紛れ、姿を消すように退却した。
「ぬっ!また逃げるか!」
だが、目標を失った景家は次に見たのは、先に撤退したはずの青二才……竹中半兵衛の姿であった。
「まさに猪突猛進であるな」
半兵衛が冷たく微笑む。
「先に貴様の首を落としてやろう!」
景家が目標を切り替え、半兵衛に襲いかかった。
「射よ!」
慌てる素振りもなく、半兵衛は冷静に軍配を振り下ろした。