半兵衛の後方から多数の矢が放たれ、景家らに向けて飛んでいく。
「ほう。逃げずに二段構えで迎撃したか。なかなかやりおる。だがそれしきの矢では景家は討てんぞ」
謙信は相変わらず戦局を芝居でも観ているかのように眺めているだけであった。
信が厚いのか、景家の強さが異常なのか、心配する素振りなど全くない。実際に戦っている半兵衛も自分の目を疑った。
幾ばくかのかすり傷を負わせることはできたものの、景家の体には一本の矢も突き刺さっていない。有り余る膂力で戟を回転させ防いでいたのだった。
「槍隊、壁を作りつつ後退せよ」
半兵衛が命じる。
弓矢の攻撃を防いだ景家はにやりと笑みを浮かべ、
「もう矢は終いか。馳走になった礼をせねばな」
と、半兵衛隊に突進した。
槍隊がそれをなんとか凌ぎ、弓隊が再び景家に向かって矢を射る。
「猪口才わ!」
景家が矢を叩き落とす。
「私にはあなたのような蛮勇も剛力もありません。これが私の戦い方なのです」
半兵衛の言葉や戦い方に、景家は苛立ちをさらに募らせ、槍隊を激しく攻め立てた。
槍隊も力の限りを尽くし、懸命に防いでいるのだが、息をもつかせぬ景家の猛襲に、じわじわと押されていった。
そんな中、一人の兵が半兵衛に近づき耳元で伝言を伝えた。
半兵衛は頷くと、
「総員退却せよ!」
と、軍配を大袈裟に降り命じた。
槍隊は手に持つ槍を投擲し、弓隊は一斉に矢を放つ。さらには景家隊の両脇から火矢が飛来する。
「おのれ!また待ち伏せか!」
景家の激昂は最高潮に達し、敵味方問わす、傍にいる者全ての血を戟に吸わせていた。
「景家ではあの若僧にかなわぬか」
謙信の表情が獲物を捉えるような精悍さを浮かび上がらせた。
駒を進め、その一歩一歩が堂々としていて、敵には得も言われぬ恐怖心を、味方には死をも超越する勇気を与える。
「弥太郎に我の後ろは任せた、と伝えよ」
謙信の眼差しは動かず、確実に戦線を捉えていた。
火矢の火勢は一瞬ではあるが景家の足を止めた。その僅かな隙に半兵衛は兵を退かせた。
「景家殿、殿が参ります」
後を追おうとする景家を謙信隊の兵が留めた。振り向けば、謙信が近づいてきている。
景家は道の脇に移動し、頭を垂らして謙信を待った。謙信が近づいてくるまでの間、景家は生きた心地がしないでいた。
やがて謙信の駒が景家の前で停まる。
「景家、ご苦労であった。これより我に続け」
意外な謙信の言葉に景家は逆に動揺した。厳しい叱責を覚悟していたのが、思いもよらず許されたからだ。
謙信は部下に命じ、景家に馬を与えると、
「伏兵に気を配り、急ぎ追撃せよ」
と、下知を下した。
「景家、あれはおぬしには相性の悪い相手である」
横を併走する景家に謙信が告げる。
「おぬしは力押しの戦には滅法強いが、策を弄してくる相手からすれば格好の餌食。もっと戦を学べ」
謙信の厳しくも優しい言葉に、景家は素直に感動し、目に涙を湛えた。
謙信率いる軍勢の行軍速度は、槍を捨て身軽になった半兵衛隊を凌駕していた。
半兵衛隊の最後尾はすでに目前である。
「まだだ!」
猛る景家の雰囲気を察した謙信が留める。
「三手に分かれる。左翼隊は左前方、右翼隊は右前方。各々林の中に潜むであろう伏兵をあぶり出せ。中央は景家、遮二無二追撃せい。儂は百ほどの兵を率いて景家に後発する」