戦場では許褚が戻ってきたことに歓喜の声が上がり、曹操が出陣するという話が広がるにつれ、大歓声が沸き起こる。
信玄も敵軍の雰囲気が変わったことを察知し、許褚隊への力攻めを止めて様子を伺い、信忠と道三の迎撃へと態勢を変えていった。
許褚としては目障りな信玄隊を早く除去したいのだが、曹操が来るため、万が一にも敗退はできない。
そのため、攻撃を仕掛けることができず、信玄隊との睨み合いが続いた。
信玄はそんな許褚隊を牽制し続けることを部下に命じ、自ら信忠隊迎撃に加わることにした。
信忠隊は予想以上に統率がしっかりととれ、かつ勇猛果敢で、追い返しても追い返しても信玄隊に喰らいついてくる。
そこへ、曹操着陣の報が届く。この時ばかりは信玄も一瞬肝を冷やした。
信忠隊を駆逐して、曹操本隊との決戦を想定していたのが、信忠隊の見事な粘りにより覆されることとなった。
曹操の身の安全が何より優先すべき使命であり、また曹操の着陣待ちの許褚隊とは違い、曹操ならばこの機を逃さずに攻め寄せるであろう。
事実曹操本隊の兵には覇気が漲り、それが湯気のように濛々と昇華しているような気さえしてくる。
だが信玄には一筋の光明が見えていた。信玄本陣方面からもの凄い勢いで立ち上がる砂塵がそれを物語っている。
「直に昌豊が駆けつけよう。今しばしの辛抱じゃ」
信玄の言葉に兵らも励まされ力を振り絞る。
曹操からもその砂塵は確認できたが、曹操はそれが鮮卑軍であることを疑わず、今回の戦の勝利を確信した。
「信玄隊を壊滅させよ。もたもたしていては鮮卑に戦功を奪われるぞ」
曹操の号令が下る。曹操本隊の兵たちが我先にと信玄隊に襲いかかる。
信玄隊の守りは堅く、攻撃しては跳ね返され、また次の部隊が攻撃を仕掛ける。
その内、信忠隊が信玄隊後方から離れていくのが曹操の目に映った。
「信忠は何をしておるのか!?」
優勢なはずなのに離脱する行為の意図が曹操にはわからず、つい声に出して叫んだ。
「あの砂塵の部隊……鮮卑軍に非ず。武田の旗をたなびかせておりますぞ」
曹操の隣で冷静に戦況を窺っていた郭嘉が慌てた素振りで口を開いた。
曹操が郭嘉の言葉に目を凝らしてみる。確かに砂塵の中に風林火山の旗と菱を並べた旗が垣間見える。であれば信忠の離脱も理解できる。
その上信玄と援軍の合流を阻む者もなく、ただ指をくわえて見ていることしかできない。
「信忠隊を誘導し受け入れよ。他の敗残兵もだ」
敵援軍が合流すれば兵力に大きな差ができる。その差を少しでも埋めるべく、自軍の兵全ての収容を命じる。
「臧覇からの援軍はまだか!」
曹操の口調に苛立ちが現れ、言葉尻がきつくなっていく。
危機に際して曹操の頭脳が最大限に回転している時の特徴であった。
「まだ先日の使者以来連絡がありませんな。ですがそれを活用しましょう」
郭嘉の提言により、曹操の援軍が目前まで迫っていると偽情報を流すことにした。
どこまで有効かは全く読めないが、何もしないよりは遥かに良い。
郭嘉はわざと捕虜の耳に入るように援軍が着くと話して歩き、捕虜数名の警備を緩めた。
案の定捕虜は逃亡し、偽情報を持ち信玄の下へと戻る。