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第3話

「何を動じておる。すでに守就を招き入れたのだ。今更一人二人増えたとて変わらぬわ」


 豪放磊落と言えば聞こえは良いが、少しばかり不用意ではあるまいかと、両老臣は慌てふためいた。


 そんな長坂・跡部をなんとか宥め、司馬懿と賈逵は勝頼臣下に加わることとなった。





「全く。たいした度胸じゃわい」


 守就は勝頼が用意してくれた酒を飲みながら司馬懿らを詰る。


「ふん。知らぬ存ぜぬを貫くが良かったかの」


 などと、しばらく続く愚痴を肴に司馬懿も気分よさげに賈逵と酒を酌み交わしていた。


「命拾いしたは守就殿ですぞ。我らが守就殿は織田の間者だ、といえば天寿を全うすることなかったのでは?」


 守就は返答代わりに舌打ちし、声を落とし、ぶつぶつと呟く。


 やがて、酔いが回ったのか、守就が立ち上がり去っていった。


 足音が遠くなると賈逵がそっと口を開く。


「感嘆いたした。本当に容易に入り込めましたな」


「このくらい序の口。むしろこれからが大変ですぞ」


 このような酒席においても司馬懿の頭脳は最大限に回転していた。


 守就よりも効果の高い後方撹乱策を、なんとしても成し遂げたいという意気込みは勿論、自分の力で天下を動かしてみたいという欲望も、胸を渦巻いている。


「賈逵君、君ならどうするかな?」


「私のような凡才に考えつくことなど、たかが知れております」


 賈逵が謙虚に答える。


 それでも何か思うことはあろう、と司馬懿は重ねて尋ねた。


「そうですな……信勝派と勝頼派の水面下の争いを活用する、でしょうか」


 恐る恐る答える賈逵に対し、司馬懿は杯を口に運びにこやかに頷いている。


 その司馬懿の反応を見て気を良くしたのか、賈逵が饒舌に続けて語りだした。


「後方が不安定ならば前線にも大きな影響を与えましょうな。お、そうだ。不満を抱く烏丸族もおりましょう。これも勝頼派に抱き込めば、撹乱に拍車がかかりましょう」


 酒の勢いも加わったのか、ほのかに頬も染まっている。


「司馬懿殿、私の意見ばかりでなく貴殿の意見も述べられよ」


 司馬懿は席を賈逵のすぐ隣へと移し、耳元に口を近づけた。


「……え!?」


 紅潮していた賈逵の顔色が一気に青白くなり、がたがたと震えだす。


 司馬懿は何も話すなと言わんばかりの眼力で賈逵を見据え、狡猾な笑みを浮かべている。


 そして、賈逵の肩を二度軽くはたいた。


「まずさしあたって籠絡するは長坂と跡部。これは私が引き受けましょう。賈逵君には烏丸だけに留まらず不平を持つ輩を探し出し、引き入れていただきたい」


 賈逵は目も虚ろで司馬懿の言にただただ頷くのみ。


「さて早速明日から取りかかるとしましょうか」


 司馬懿はそう言いながらおもむろに立ち上がった。


「賈逵君、事は慎重に運べ、ですよ」


 司馬懿はもう一度賈逵の肩をぽんと叩くと、自分の寝室へと戻っていった。


 それも酔いを演出してふらふらと歩きながら。


誰が見ているわけでもない。それでも、これほど警戒心が強いのは彼なりの処世術なのだろう、と賈逵は司馬懿を見送りながら畏れを抱いた。

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