目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第23話:境界に咲く。

屋敷の書斎に、二人分の紅茶の湯気が立ち上る。

この場所にはいつも静寂がある。重厚な本棚、硝子窓から差し込むやわらかな陽光。そして、その中にいる、2人の異能者。

千晶——彼の中には、複数の「彼」がいる。感情の起伏、思考の傾向、それぞれ異なる人格が棲んでいるが、いずれも奈雄とは穏やかに接することができていた。

奈雄は植物を操る能力者だ。根を走らせ、芽を咲かせ、毒を作り、命を救う。中性的な雰囲気と理知的な話し方が特徴で、何より、相手を丁寧に理解しようとする姿勢が、千晶の全ての人格に安心を与えた。時にその妖艶な美しさは、異性だけでなく、同性さえも惑わせる。それくらいに中性的な美しさを持つ青年が奈雄だった。


「……国家が異能者の登録を義務づけたのは、10年前。君はそれをどう見る?」

奈雄は、机の上に開かれた資料を見ながら尋ねる。彼の前髪がゆるやかに揺れるたび、観葉植物の蔓がそっと動いた。感情に反応しているのかもしれない。奈雄はこうやって2人きり、静かに討論し合うことが好きだった。ただ何もない日常も嫌いではないが、少し感情が揺さぶられて、頭を働かせる必要背がある行為は、いいストレス解消になる。

「管理のための正当化だ。治安維持って言えば、だいたいの抑圧は通る」

答えたのは千晶の中の真面目な人格だ。冷静で分析的、頭がよくて、物知り、感情的になることは一切なく、そういった感情のストレス部分は別の人格が担っているのがすぐに分かった。

「じゃあ、どうあるべきだったと思う?」

奈雄は追うように訊ねる。否定のまま終わらせない、彼らしいやり取りだった。千晶は少しだけ目を伏せる。考えているのか、別の人格に交代しているのか。結果は、彼が口を開かねば、分からない。

「……対話の場を作るべきだったんだと思う。恐怖で制御するのは、反発を生む。特に異能者は、心と力が繋がってることが多いから」

奈雄はゆっくり頷く。

「君のその考え、僕は好きだ。力があるからって、孤立させる必要はないよね」

「でも、それが難しいことも国家は分かっていたのだと思う。異能者は精神的に未熟であったり、破綻しているケースが多い。そんな人間に対話をしても、無駄だというのが国家の……政府の出した結論だろう」


かつて、国はこの国土に異能者が存在することを認識した。

それは度重なる事故、事件の首謀者や関係者が、科学では説明できない謎の能力を有していたからである。

調査は何度も行われ、その度にこの国の優秀な科学者が殺されたり、精神を破壊されたりされた。

それほどにまで、異能者の能力は特殊で、とても不可思議なものだった。

制御できないならば、排除するまで―――それが、今まで人類が選んできた道である。

つまり、子どもたちがいまだにコミュニティーでいじめや排除をやめられないことと同じ。

大人になっても、会社や社会に適合できない存在や、受け入れがたい存在などは排除するという方法を取っている。

だから国も同じことをしたまでのことだった。


「まあ、遺伝子のことだとか、病気を最初は疑って、ついには結論が出ないから排除するしかなかったって話だよね。どの国でも、同じような流れを進むんだなぁって考えると、そっちの方がおかしいような気がするんだけどね。歴史は繰り返すってのが当たり前の真理になっているのが変じゃない?」

「遺伝子的に大幅な変化がないのならば、環境要因が主だろう。そうなれば、歴史を繰り返してしまうのは、自分たちの責任だと言える」

資料を見ながら、千晶は淡々と言った。きっと、どれかの人格に変化しているのだろうが、奈雄にははっきりと分からなかった。千晶は、すべてを千晶と名乗る。それぞれが独自の千晶として成長しているようなイメージだと、奈雄は思った。

「この屋敷にもたくさん秘密があるようだし……」

奈雄は、1枚の資料を手に取って話した。そこには、今ではこの屋敷にいるはずのない無表情の初老男性の写真がある。無精ひげを生やした、まるで定年退職後の男性のような、そんなイメージを抱かせる存在だ。

「もともとの屋敷の所有者。正確にはその息子、かな。最初の所有者は、景吾と知り合いのようだったし。この写真の男も、異能者として登録自体はあるみたいだね。何だろう、能力は」

「……空間を歪める」

「へえ、それはそれは強力な異能力じゃないか。政府なら欲しがりそうだけど」

そんな奈雄の言葉を聞いて、千晶はどこかの棚から、とても古い資料を持ってきた。表紙もくすんで汚くなっており、タイトルもない。つまりは、極秘の資料である、ということだ。


この屋敷は、【子供達】を守るため、彼らが生活するために使われているが、裏の目的もある。

それは、このような極秘の資料を保管するための、保管所だ。

政府の手が届かぬ場所であり、希少性の高い資料、過去の資料、複製することができない資料などがたくさん保管されている。

その管理は基本的に景吾に任されているが、彼もここに来ないことが多いので、基本的には千晶と奈雄が整理や掃除をするようになっていた。

だからこそ、2人はそういった資料を自由に見ることができる。



「へえ、政府の極秘施設で極秘の訓練?まるで映画の世界だねぇ」

どこかで見たことのあるような、アメリカ映画のような話。しかし、この国でも大戦の頃は、非人道的な実験や訓練など、当たり前のように行われていた。現代の若者たちが、知らないだけである。

「優秀だったみたいだけど、訓練の最中に怪我をして……それから、精神状態が崩壊」

写真の男は、その古い資料の中で軍服のような、立派な格好に帽子まで被っていた。胸には階級を示す勲章がいくつか並んでおり、ただの平軍人ではなかったことがすぐに分かる。しかし、そんな彼も怪我が原因で一気に精神的に不安定になってしまったようだった。

「そんなに酷い怪我ではないように思うけどね。医師免許がなくって、かるーく医療行為をする程度の僕が見て思うんだから」

こういった存在の資料は、詳細だ。当時の怪我の状態は、写真や図解まで載せてある。そこから考えられることは、この傷だけが原因ではなかったのではないか、ということだ。もしかしたら、もっと何か重大なことがあったのかもしれない。

「当時は、精神的な部分にも大きく介入する方法があったらしい」

「精神的に、ね……」

精神が壊れてしまうほどの介入を受けた異能者は、そのまま壊れるしかなくなる。現代ではそれをストレスと一括りにしているが、実際のストレスは、受ける側の状況によっても、威力が違った。

「英昭の場合もそうだったろう。最後には肉体の崩壊まで招いていた。珍しいケースだ。周囲を攻撃する、自害する【子供達】のパターンはよく見てきたが、彼のように能力の使い過ぎで身体が崩壊し、それを自力で止められなくなるのは、見ていても悲惨だった」

千晶は、先日一真が殺した坂田英昭のことを語っていた。本来ならばもっと早い段階で【子供達】になるべきであったのに、何の間違えか、そのまま成人してしまったケースである。成人してから【子供達】へ連れてきても、失敗することが多い。社会を知り、多くのことを見てしまってからでは、彼らは自分と周囲の違いを受け入れられない。

「まあ、彼は水を操る能力だったから、体の限界は早かったと思うよ。水っていうのは、必要不可欠だけれど、植物だって与えすぎれば根腐れする。まあ、たくさんの水に囲まれて、腐れちゃっただけだよ」

死んでしまった存在のことを、ずっと考えていても仕方がない―――奈雄はそう思う。もしもそこに種の1つでもあるのなら、それを育てて、また花を咲かせたり、実を結ぶように努力するが、人間ではそれができないのだ。


「それに」

奈雄は話を続けた。

「最近、境界の人間が増えた気がするんだよね。例えるなら、幸一郎やイズミみたいな感じなんだけど」

「そうだな。異能力だと言えばそうだが、本当にそうなのか、と疑ってしまうような能力だ」

そう返事をしながら、千晶はあの幸一郎とイズミという存在が、何なのだろうか、と思った。景吾が連れてきた存在は、いつも不思議な存在ばかりだが、あの2人は特別違うものを感じることがある。どんな武器でも扱える異能者の幸一郎と、幼くして天才的な頭脳を持つイズミ。しかしその能力たちは、どちらかと言えば人間の能力の延長線にしか感じられないのだ。

突飛な能力ではない。しかし、年齢や体格などを考えても、その数年で鍛錬することは不可能だ。そうなれば、異能力と言える。しかし―――

「ああいう存在が増えると、更に異能力者は追い込まれるのかな。それとも、木を隠すなら森みたいな?」

「……危険な森でなければ、いいが」

千晶は静かにそう言った。


夜、屋敷の灯がまたひとつともる。異能者たちが、少しずつ集まり始めていた。ここ近年の集まり方は、かつて千晶や奈雄が能力に開花した頃と、比べ物にならない。あの頃は、自分たちの異能力を病気だと、錯覚だと思うしかなかった。しかし、今はそうではない―――

「千晶くん、ちょっと紅茶を淹れ直そうか」

「そうだな」


千晶と奈雄——

彼らは、ただ強さで立っているのではなかった。

対話、信頼、理解。


それらが、2人の絆を更に強くしていくのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?