朝。名月は食卓に座っていた。夢を見ても見なくても、彼女はいつもと同じ顔つきで、いつもと同じように過ごす。感情が揺らげば、自分自身が辛くなる、と分かっているからだ。しかし、今日は少し違っていた。見た夢のことが気になるのと同時に、夜中に聞いた兄と奈雄の話が忘れられなかったのだ。
奈雄が気遣わしげに見たが、彼女は目を合わせない。夢を見たんだな、と奈雄はすぐに理解する。理解力の高さ、洞察力の高さは、奈雄に勝る存在はいないだろう。彼はそのまま千晶へ視線を動かす。それに気づいた千晶がチラリと視線を寄せると、名月はスプーンを静かに置いた。
「……夢、見た」
静かな声で、名月は言う。彼女が報告することは義務付けられていることだが、あまり話したがらないのは事実だ。彼女の夢は、多くが【災い】なのである。しかしとても不安定な未来のこと。過去のことは滅多に見ないらしいが、はっきりとは分からない。
「今日はどんな夢?富士山でも爆発するかなぁ?」
「奈雄、冗談が過ぎるぞ」
「あれ、千晶くん知らないの?富士山は活火山なんだよ、いつ爆発したっておかしくないんだから」
「それは知っている」
知識として。しかし、奈雄のように植物から何かを感じ取っているのか、言葉を聞いているそれとは違うと千晶は思った。奈雄の話は、嘘がない。冗談はあっても、それは人をからかう程度のこと。もしくは、その場の空気を変えて、自分の世界を優位に進めるためだ。奈雄が富士山が爆発する、と言うのならば、いつか必ず爆発するだろう。
名月は、視線を落としたまま答える。その視線に何が映っているのか、誰にも分からない。今の世界が映っているのか、それとも未来なのか。
「……災害。……たくさんの異能者。……壊れていく世界。……真っ白な、龍がいた」
奈雄の手が止まり、千晶が身を乗り出す。名月がそれを見た、と言うのであれば、それは事実。事実であり、同時に決まっていない未来。
千晶と奈雄は、名月の見る夢が、すべて確定するわけではないことも理解していた。時に、大きな違いが生まれたり、時に違う道を進んだりする。しかし、名月の見た場面は【必ず起こりうる可能性が、限りなく高い】夢ばかり。もっとも高い可能性を秘めた未来を、名月は見ることができるのだ。
「それは……この国のことか?」
千晶の問いかけに、名月はかすかに頷いた。千晶は一瞬だけ考え込む。それは考え込むように見えて、実のところ人格が入れ替わっているのだろう。別の千晶が出てくる時、彼は少しだけ黙る。しかしそれはすぐに通常の千晶に溶け込んで、人格が変化したなど誰に分かるだろうか。
「この国もついに終わりかなぁ?」
「変なことを言うな、奈雄」
「でも、どう考えても崩壊してるじゃない、この国」
「……来るべき未来の話だ」
来るべき未来、と千晶は言う。つまりそれは、彼にとって壊れるべき世界の未来を、受け入れているということなのだ。彼にとって、世界が壊れることは、もう受け入れるべきことだと理解している。しかし、それを言葉にすることは、他の存在にとって大きな負担をかけることになる。日常生活が壊れるくらいのことではなく、命や家族を失い、多くの死者が来ることも、千晶は分かっていた。
「名月が見る未来は、確定していないってわかってる。でも、それでも、僕たちは向き合う必要があると思う」
「奈雄」
「だって、未来はいつ来るか分からないんだよ?それなら、ちゃんと、守れるようにしなきゃね」
何を守るのか―――それを千晶も名月も分かっていた。それは、この屋敷の外を守るのではなく、ここに集う【子供達】を守ることだ。家族であり、仲間であり、兄弟であり、大事な存在。ただ一緒に共同生活をしている相手ではない。異能力の違いはあっても、ここに来た【子供達】はかけがえのない存在なのだ。家族を越えた家族だと、奈雄は言うことがある。血の繋がりがある本当の家族よりも、もっと強固なつながりを持つ相手。
その言葉に、名月はゆっくりと顔を上げた。
「……龍は、“形”って言ってた。……真実か、わからない。でも、見えた。景吾に……似た影が。遠くから、すごく冷たいものが……流れてきてた」
千晶と奈雄は視線を交わす。名月が【認識】したとなれば、それはほぼ【事実】だろう。その影は【景吾に似た影】である。しかし、【景吾そのもの】であるかどうかは分からない。名月が認識したそれが、景吾であると明確でない限りは、景吾に似た何かのままなのである。
2人は、名月のことをよく理解していた。彼女の能力の特性は、すべてが名月自身の認識であること。未来のことをどう捉えて、どう見るのか。龍神が何を見せ、語るのか。それは、名月では制御ができないものであるが、力が強大すぎるゆえの結果だということも分かっていた。
「情報を整理する」
千晶が言った。彼にとって、名月の夢はすでに【情報】に切り替わっていた。不確定な未来だと分かっていても、これから起こりうる【可能性】として、考えていくのだ。
「名月の夢は、象徴的な未来を見せている。そこに景吾に似た【影】が存在したということは、可能性の一端として彼が【未来に何らかの関与をする】と考えられる」
淡々と語りながら、千晶はこれから先の未来を見ている。妹の見た未来が、いつ形になるのか―――分からない。いつか、必ず形になる日が来てしまう。それだけが、はっきりと分かっている事実。
奈雄が千晶のあとを続けた。朝食のスープの中にスプーンを入れて、クルクルとかき混ぜている。
「景吾は僕たちを守ってくれている。その事実は揺るがない。けれど、彼の意図、立ち位置は、まだ不明確なままだ。120年以上生きている割には、やり方がマイペースすぎると思わない?長い月日をかけて、この数年でやっと形になってきたって感じだよね」
「……景吾自体にも、何か理由があるのでは?」
「遺伝子操作は短時間、一瞬で遺伝子を動かすことができるはずなのに、なーんかおかしいんだよね。僕たちがこんな生活を始めたのは、数年前。じゃあそれまでの120年は、何をしていたの?ってね」
その謎は、景吾が一切語ろうとしない過去の話とつながっているようだった。彼の話には、長い空白がある。自分自身が生まれた頃のこと、戦時中のことなどは、まるで面白おかしい話のように語ってくれるのだ。しかし、それからのことは何も話してくれなかった。おかしい、と最初に気づいたのは、奈雄である。遺伝子操作の能力自体は、瞬時に行うことができる代物。能力として、最強級のものだ。だが、それならばなぜ、その長い年月が空白なのか―――景吾の隠している事実が、どこかにあるような気がしてならない。
「調べるか」
千晶が決断するように言った。