まだ誰もいないマスタング商会の
銀の髪を
この厩舎にいるのは子供のダークウルフだけ。成獣はさすがに危険すぎて、見習いが面倒を見ることはない。
それでも艶やかな黒い毛並みと、しっかりと生えた鋭い牙は、大人のダークウルフと変わらない。
違うのは大きさぐらいだろう。
「おはよう、ルナ、レオン。すぐ、ご飯だからね。しばらく遊んでおいで」
アルマンは檻の扉を開け、中にいた二匹のダークウルフを解き放つ。小さな魔物は勢いよく檻を飛び出し、周囲を駆け回る。厩舎の一角は柵に囲まれているため、ダークウルフが外に出ることはない。
アルマンは別の檻も開け、何匹ものウルフを放った。
柵の中で遊ばせている間に、檻の清掃をしなくちゃいけない。
八つある檻を全て解放し、竹ぼうきを手にした時、厩舎の入口から一人、また一人と従業員が入って来た。アルマンと同じく、朝の仕事を行う見習いの飼育員だ。
グラスコで最も大きい、この『マスタング商会』には、十人の見習いがいる。正規の従魔士は二十人ほど。その他の従業員を合わせれば、五十人は軽く超える大所帯だ。
アルマンが同僚に挨拶しつつ、檻の中をほうきで掃いていると、ふぁ~と大きな
アルマンは顔を上げ、呆れ顔で腰に手を当てる。
「遅いよ、レイ。始業時間はとっくに過ぎてるよ」
レイは栗色の髪をわしゃわしゃと掻き、「だって起きられないんだもん」と欠伸を噛み殺す。
アルマンは「まったく」と苦笑した。
いつものことなので、これ以上言っても仕方がない。
レイ・マスタングはアルマンより一つ年上、十七歳の従魔士見習いだが、他の子とはちょっと違う。
彼女はマスタング商会の親方、クロード・マスタングの一人娘だ。
父親の跡を継ぐために従魔士見習いになったらしいが、親方とは比べものにならないくらいだらしないところがある。
本当にマスタング商会を継げるんだろうか? と心配になってしてしまう。
「ほら、これで檻の中を掃いて」
アルマンが予備の竹ぼうきを渡すと、レイは「は~い」と素直に受け取った。二人で檻の中を綺麗に掃き、ゴミを集めて一緒に捨てに行く。
レイとは同じ時期に入会したこともあり、見習いの中では特に仲が良かった。どっちが早く従魔士の資格を取るか。そんな他愛もない会話をしながら、毎日の仕事をこなし、育成のいろはを学んでいた。
アルマンは朝食となる餌をバケツいっぱいに入れ、檻の前まで運ぶ。
ウサギ肉と色々な野菜を細切れにし、団子状にしたのを数日間、天日干しにしたものだ。食事はウルフの成長具合にあった分量や栄養調整を行わなくてはいけない。
アルマンは厩舎の一角に大きな平皿を三つ置き、バケツから餌を流し入れる。
「みんな、おいで! 朝ごはんだよ」
ダークウルフの子供たちは、耳をピクリと動かし、こっちを見た。一斉に駆け出し、皿の前に群がる。
我先にと餌にがっつく姿は、まだ子供なのでかわいらしい。
レイや他の見習いも集まり、餌にありつけない子が出ないよう、気を付けながら様子を見守る。アルマンも、しゃがんで近くにいる子を撫でる。
黒くツヤツヤとした毛並み。今は簡単に抱えられるほどの大きさだが、あと二ヶ月もすれば成獣になる。
ダークウルフは最も需要のある従魔で、マスタング商会においても飼育数が一番多い。知能が高くて従順、嗅覚が鋭いことや、獲物を追い掛ける速さ、敵に喰らいつく凶暴さなど、従魔として必要なものを全て持っている。
そのうえ繁殖力が高く、手頃な値段で取引されるのも人気の理由だろう。
アルマンも優秀なダークウルフを育てることを夢見ていた。
餌がなくなりかけた頃、レイが「あ、そうだ」と声を上げる。
「昨日の夜、ミロが産気づいたって。お父さんが言ってたよ。もう生まれてるんじゃないかな」
「え!? そうなの」
アルマンは驚き、片付けようとしていたバケツを落としてしまう。ミロは
それがこんなに早まるなんて。アルマンは興奮してレイに話しかける。
「ここの仕事を早く終わらせて、一緒に見に行こう。何たってミロの子供だからね。きっと優秀なダークウルフになるよ!」
「オッケー! じゃあ、とっとと終わらせますか」
レイは
尿便の色や回数、歩き方がおかしくないか? 走り方がおかしくないか? さらに心音や呼吸音に異常がないかなど、健康状態の管理をしっかりとする。魔物の体は普通の家畜より強いものの、病気にならない訳ではない。体調変化に気を配るのは飼育の基本だ。
健康チェックが終わり、ダークウルフたちを檻に戻すと、アルマンとレイは清掃用具を片付けて厩舎を飛び出す。
向かったのは隣にある大きな厩舎。ダークウルフの成獣を飼育している場所だ。
開いている鉄扉から中に入り、左の壁沿いを走る。
室内には高い鉄柵があり、厩舎中央をグルリと囲んでいた。中には成獣のダークウルフが、唸り声を上げながら駆け回っている。
アルマンはゴクリと喉を鳴らす。さすがグラスコで最高の従魔士、クロード・マスタングが育てたダークウルフ。どれも立派な体格で強そうだ。
そんなことを考えながら、アルマンは小走りで先に進む。
先輩の従魔士や従業員への挨拶もそこそこに、厩舎の奥にある〝お産部屋〟に向かった。
重い引き戸を開けると、柵の手前に大柄な男が立っていた。
レイと同じ栗色の髪と翡翠色の目。しかし、頭はボサボサで筋骨隆々なところはレイとまったく違う。大男は眉をしかめながら、白い
近寄りがたい威圧感を放つこの男こそ、マスタング商会の親方、クロード・マスタングだ。クロードはアルマンとレイに気づき、「何だ?」と不機嫌そうな声を出す。
緊張で押し黙ったアルマンに代わり、レイが一歩前に出た。
「ミロの出産、終わったんでしょ? 何匹生まれたの?」
「何だ、それが知りたくてここまで来たのか。ちゃんと朝の仕事は終わったんだろうな?」
レイが答えるより先に、アルマンが「もちろんです!」と大声で答えた。
クロードはボリボリと頭を掻き、「仕方ねえな、見ていいぞ」と柵の向こうを親指で差す。
アルマンとレイは柵に駆け寄り、目を見開く。
柵の中でミロは横たわり、お腹に小さな子供たちが集まっている。おっぱいをあげてるんだ。アルマンは微笑ましい気持ちになった。
ミロは従魔の品評会で賞を取ったことのある優秀なダークウルフだ。
凄腕の冒険者と共に数々の仕事をこなし、マスタング商会の名を広めた功労者でもある。
今回は初産だっただけに心配していたが、この子たちは次のミロとなって活躍してくれるだろう。
レイも「うわ~かわいい!」と喜んでいた。しかし、クロードはどこか浮かない顔だ。
「六匹生まれて、五匹は良かったんだがな。一匹はダメだった」
「え? 死んじゃったんですか?」
アルマンが
「死んだ訳じゃねえが、栄養がうまく回らなかったんだろうな。弱々しいのが生まれちまった」
持ち上げられたタライには、布の上で突っ伏す小さなダークウルフがいた。他の子供より一回り小さい。アルマンが顔を近づけると、鼻だけをピクピクと動かしている。
確かに、とても弱々しい感じがする。
「こいつは長く生きられないだろう。残念だが、処分するしかねえ」
「えっ!? 殺しちゃうの?」
レイが攻めるような眼差しでクロードを睨む。
「仕方ねえだろ。うちは慈善事業じゃねえんだ。役に立たねえ従魔は安値で他の業者に売るしかねえが、こいつを引き取るところはないだろう。森に放しても死ぬだけだ。だったら責任をもって処分するしか――」
「あの!」
クロードの話を
「その子供、僕が引き取ってもいいですか? 家で飼育の練習をしたいんで……」
クロードは怪訝な顔でアルマンを見つめる。
「ちゃんと面倒を見れんのか? 成獣になって逃げたら、人を襲うことだってあるんだぞ」
「はい、もちろん分かってます。僕はすでにダークウルフを家で飼ってます。檻もありますし、環境は整ってます。だから、お願いします! この子を譲って下さい!」
深々と頭を下げたアルマンに対し、クロードは「やれやれ」と頭を掻く。
「まあ、どうせ処分するつもりだったしな。いいぜ。ただし、世話をするならしっかししろよ! 分かったな、アルマン」
「は、はい! ありがとうございます」
アルマンはクロードからタライを受け取り、中にいる子供をまじまじと見つめる。クロードは大股で歩きながらお産部屋から出て行き、その場にはアルマンとレイだけが残された。
「良かったね、アルマン。ミロの子供がもらえて」
「うん。本当に嬉しいよ」
「でも大丈夫なの? すぐに死んじゃいそうだよ、この子」
「がんばって育てるよ。絶対に成獣にしてみせる!」
強い決意を抱き、レイと一緒に部屋を出る。
アルマンは幼い頃から、人には見えないものが見えていた。魔物を見ると、なぜか文字と記号が浮かび上がるのだ。それは魔物の強さを表しているようだったが、どうして自分にそんなものが見えるのかまったく分からなかった。
アルマンはその記号を、魔物の『個体値』と呼ぶことにした。
そして、この弱々しいダークウルフの子供にも、ハッキリと個体値が見える。アルマンは改めて小さな魔物に目を向けた。
【体力・E】【筋力・E】【敏捷・D】【知能・S】【魔力・A】
この子は最も欲しかった【知能・S】のダークウルフだ。