その昔、ハンシルポを神から授かったと語り継がれているユベール家──…。
彼らの築いてきた王朝は、絶対的な君主政治を続けてきた。国全土に天の加護と栄光をもたらすユベールは、神の化身で、やがて天に返上しなければいけない美しい土地は、いかなる場合も下賤な権力に委ねることを禁じられている。国民達も天罰を恐れて、神を崇める心構えで、絶対王政を受け入れてきた。
ハンシルポの起源にまつわる話は、私達のように教育を受けられなかった人間でも、常識として心得ている。
従って、自身の仮初の肉親、つまりハンシルポの王族達が、蜂起した暴徒達に破れるなどという預言を、神が与えるはずがない。
にも関わらず、ローズ専用の謁見室で、彼女や私達を取材していたオレールは、そんな話題を持ち出した。ハンシルポの白薔薇とも呼ばれる彼女に相応しい、可憐な小花をたくさんあしらった白と金色の今日のドレスの誕生した秘話を聞き取ってからの、随分な話題変換だった。
「何かの間違いです。司教も、調子の優れないこともありますので……」
真珠のように柔らかなつやをまとうローズの肌は、いつでも活発とまではいかない程度に、健康的な血色が浮かんでいる。いたたまれなくなるほど眉を下げて、小さな肩を震わせていても嵐の中でも気高く背筋を伸ばす人形のように、彼女の造形は見事だ。
ローズは、ユベールの血統ではない。それでも彼女がここまで不安な顔になるのは、天上を舞う蝶が撃ち落とされるようにして、暴徒達の手により失脚させられ、野蛮な彼らが城を乗っ取る未来を思い描いてしまったからか。
沈黙を決め込むルイーズと、時々唇を動かして、また一の字に結ぶアベラ。
彼女達から、私はオレールに視線を戻した。
「オレールさん。先ほどは本当に有り難うございました。しかし、ローズ様はお疲れです。怖い思いもなさいましたので……お引き取り願えませんか」
「しかし、次の謁見まで待てば、半年先になると。本当は国王様との約束でしたが、魔獣の騒ぎで手が離せなくなったと」
それで、面倒な仕事がローズに回ってきたのか。
納得して、私は席を立つ。さっきの植え込みを見下ろすと、芝生の荒れた形跡も血痕も、消えていた。庭師が魔素を使ったのだろう。
私の斜め後方に、筆記用具を持った男が足を止めた。
歳は、レイモンと同じくらいか。彼より無骨に見えるのは、第三身分に手の届くデューブが限られているからだ。原始的に生産される衣装と同じで、デューブも玉石混交で、彼曰く、私の姿も上質らしい。
「同じ町の出身とは、思えません。それに、魔法の板のようなアイテム……王妃様の侍女ともなると、こうも待遇がいいのですか?」
どこか棘のあるオレールの口振りに、私は首を横に振る。ローズに関する誤解を彼に与えないためにも、タブレットの不可解な幸運が、彼女と私を巡り合わせたことを正直に話す。
オレールは、すぐに報道しないことを口約束して、私の話も書き留めた。
彼の視線が、後方に向く。深い闇色の悲しげな目が、天然の光をまとった王妃に注いだ。
「温室の裏手、森の奥の離宮はお気に召しましたか」
「ええ」
「四年前、ローズ様のご婚礼のお祝いに、前国王様が用意されたものです。あの離宮は私の弟がお造りしました。元々、建設される予定でありました設計図が、急遽ローズ様に合わせたものに描き換えられました。より繊細に、より華やかに……。今生の傑作になるだろうと、彼は私に喜んで話してくれました」
ローズの顔が明るくなった。
彼女の離宮は、私も遠目に見たことがある。生前なら手に取るのも憚られただろう、過剰装飾を好む一部の女性達が夢中になるような要素が外観だけで伝わる離宮を、彼女はあまり親しくない次女達に管理させているだけで、自信はほとんど使わないという。
その彼女が、初めて離宮に興味を示した。生みの親の親族との遭遇が、僅かにでも彼女に愛着を覚えさせたのか。
「そうですか。オレールさんの弟ぎみがそのように思って下さっていたのなら、光栄ですわ」
「弟さんは、お元気ですか」
今日は口を開かないのではないかという様子だったルイーズが、初めて客人に口をきいた。l
ただし、彼女はこのあと、気の毒になるほど気まずい顔にさせられる。
「弟は、亡くなりました」
天気の話でもしている調子で、オレールが離宮を見つめていた。
「建設中の事故で、私達が搬送した時には、もう……。宮廷は、外部の労働者のために医師を呼べるほど手の空いている人間はいないようでしたので」
「…………」
ローズの顔が、目に見えて曇った。
心中お察しします、と震える声で呟く彼女に、私は近付く。眩しいほど純白のフリルが覆った絨毯に膝をついて、彼女の手を取る。
オレールの手前、言葉で彼女は労れない。それでも私は、不可視の重圧が本当に彼女を壊してしまうような気がして、小さな手をやおら包む。
「サエさん」
彼の声が私を呼んだ。
「もしご興味があれば、報道を手伝っていただけませんか。私の名刺です。魔獣を退治された現場を拝見して、機転の働く方だとお見受けしました。あなたのような人材は、面白い報道をされるケースが多いんですよ」
その言葉に、私は他意を感じない。だがすぐには頷けない。魔素を報道の対価に提示してきた彼は、本当に私のレポートを聞いてみたいだけなのだろうが、ローズの誤解も招きたくない。
「せっかくですが、私はローズ様の侍女ですから」
「では、またお気が向いた時に。いつでもお待ちしていますよ」
もし神託が現実になれば、あなた一人くらいは匿える。
そんな、不謹慎で不敬な言葉を残して、彼は帰り支度を始めた。
オレールが退室すると、猛烈な空腹が私を襲った。
気が張っていて麻痺していたが、魔獣に食い意地を張らせた毒は、当然、現場にいた私も吸っていた。
タブレットのヘルスメーターが底をついていたのもあって、遅めの昼食を取りたいというローズを食堂に送った私は、厨房にいる料理人達に、ローズ・デュ・フレジェを差し出した。
「苺のケーキをお願い出来る?ただし、卵黄は入れないで。アングレーズソースの余りがあるでしょう、廃棄はもったいないから」
「そんな、ローズ様の侍女にそのようなものはお出し出来ません。卵など、掃いて捨ててもあり余っておりますから……」
彼らの萎縮は、予想通りだ。
私もただの節約なら、材料を省いたケーキなど口にしたくない。だが、前の世界には卵白を消費するスイーツが数多く存在した。初めは無駄をなくすための発想もあったのだろうが、黄身を除いたお菓子は独特の口当たりを実現して、一定のファンを獲得したものだ。
「聞いていると思うけれど、私はお菓子を魔素の発動源にしているの。毎日、濃厚な物ばかり食べていると、胃がもたれてしまって……」
適当な理由を付けると、彼らはあっさり納得した。
ハンシルポの人間がエンジェルケーキを知っていてはおかしいが、メレンゲ菓子やマカロン、ラングドシャなども普及させれば、舞踏会の軽食など大量に卵黄を消費してきた催しは、予算を大幅に抑えられるのではないか。