「ねえ、ポルカ。さっきの商人の人と仲良さそうにしていたけど、それほどハンバーガーが気に入ったの? それとも何か狙いがあったの?」
「うん。狙いがあったよ。それは発酵技術。あの柔らかいパンを作る技術とビールやお酒を作る技術は、恐らく似ている。だから、あのお姉さんはお酒も作ることができるから、今関係を作っておくと大きいと思う」
「そうなんですね」
カナは不思議そうな顔をした。そして近くにあったフルーツの屋台でリンゴを二つ買い、片方をボクに渡してくれた。
「そもそもさ、カナ。今日なんでこんなに商人が集結していると思う?」
「ええと……何かのお祭りが開催されるとかです?」
「ある意味お祭りだね」
ボクはシャクシャクとリンゴを齧り、飲み込んだ。
「これは『大規模遠征』が近々行われる、ということさ」
「あら……それは凄いですね! 大規模遠征は50人を超える程の大勢の冒険者達が、ダンジョン地下30層以下に生息するネームド・エネミーを討伐する作戦。成功したら、『イクリプス姉妹』……ミカお姉様とオボロお姉様以来のダンジョン・ロード誕生となりますね。でも、その大規模遠征とお酒がどう関係するのですか?」
「飲料水だよ」
「飲料水……? ビールは飲料水じゃありませんよね?」
カナは首を傾げた。
「いいや、大規模遠征ではビール等のお酒は貴重な飲料水となるんだ。そもそも、ボク達は水を飲む時に、一度沸騰させて飲むようにしているでしょ? 水をそのまま飲むとお腹を下し、体調不良の原因となってしまうから。それに、沸騰させても完璧じゃない。5回に1回くらいはお腹の調子が悪くなる。山の奥地で湧き出る綺麗な泉の水なら、お腹を壊すことは無いんだけどね」
「ええ、そうですわね。……なるほど、大勢の冒険者で組織された大規模遠征隊がダンジョンの中で水によってお腹を壊してしまったら大変ですわね」
「そうなんだ。だから、今このタイミングはお酒の売り時なんだ。だから、さっきのお姉さんはお酒の販売で大きなお金を掴むかもしれない。そんな有力な商人との繋がりは、後々命綱となるかもしれない」
「色々な知識を持っていると、そういった未来のことも予測できるのですわね」
カナは関心したようにうんうんと頷いた。
「あともう一つ。この大規模遠征はボク達にとってもチャンスであるんだ」
「と言いますと?」
「大規模遠征隊が通過した後、モンスターの数が減るんだ」
「そういうことですか。大勢の冒険者達がモンスターを倒してくれるということですね?」
「そう。そして、そのタイミングを狙って大規模遠征に参加しなかった冒険者もダンジョンに潜る。だから、ダンジョンの難易度が下がるんだ」
「それは……チャンスですね! そうか、大規模遠征が始まるタイミングまで私達の戦闘技術を上げれば、今まで行けなかったような場所までダンジョンを潜ることができるということですね! 10層のボス『バーサク・ゴリラ』も倒すことができそうですね!」
「あんな傷を負わされても怯まないんだね」
「その記憶で怯んでしまっては、『私が私で』無くなりますわ」
「……強いね」
カナは無鉄砲で脳が筋肉でできているかのようであるけれど、こういう『真っすぐさ』が眩しくて、格好良いんだよな。
「ふふふふ」
「ん? 何か面白い所でもあった?」
ボクの話を聞いたカナは突然笑い出した。
「いいえ、貴女こそ強いと私は思っておりますのよ。自分の弱点を『真っすぐに』受け止めて、それを補う武器を自分で作り上げてきた。貴女のその根本的な強さを、私は眩しくて、格好良く思っておりますわ」
ボクは、カナと全く同じことを考えていたとわかり、顔が急に熱くなった。そして、全身の魔力がボクの胸元に集まってくるような感覚を覚えた。
――これは……推し魔法が反応している?
ボクは呼吸を整えて、その魔力の流れに身を任せようとした。しかし、突然ボクの魔力の流れをかき乱す存在が現れた。
「あ、カナ! アンタ達さっきは大丈夫だった? ケガは無い?」
――『イクリプス姉妹』だ。
「ミカお姉様! 先ほどはありがとうございました! オボロお姉様もありがとう! 本当に助かりました」
冒険者の中で最強と名高い姉妹。そして、ボク達の窮地を救ってくれた存在。
真紅の髪でサイドテール。赤を基調とした軍服に真紅のマントを翻すのはミカ・イクリプス。
そんなミカ・イクリプスと対照的なのがオボロ・イクリプス。水色の髪で姉と対照的なサイドテールで、水色を基調とした軍服に青いマントを翻す。そんな彼女たちの姿は、他の冒険者には感じさせない迫力がある。
「彼女は私の相方のポルカです」
「よろしくお願いします。先ほどは……ありがとうございました」
カナに紹介されたボクは彼女たちに挨拶をし、お礼の言葉を述べた。
「あら! よろしくねー! 私はミカ・イクリプスよ!」
「私はオボロ・イクリプス。よろしくどうぞ」
イクリプス姉妹から丁寧に挨拶されてしまった。
「あの……ところでミカさん。ズーレさんはどうなりましたか?」
「ああ、あの子ね! とっ捕まえて冒険者ギルドに連行したわ! ギルドマスターにこっぴどく叱られてたわ!」
「牢獄行きではなかったのですね?」
カナが尋ねたが、ボクも気になった。
「それがね、ズーレに手を出された女性のほとんどはズーレに対して好意を抱いていたのよ。だから牢獄行きまでの沙汰は下されず、1年間ギルドの雑用係をするという処罰が下ったの」
オボロ・イクリプスは不思議そうな顔をしながら説明した。
「強引な手段で女性に手を出していたけど、あの子は面倒見も良かったらしいね! 手を出した後も色々と世話を焼いていたらしい!」
ミカ・イクリプスが説明を付け加えた。
しかし、ボクはカナが手を出されそうになったため、その話を聞いてもズーレに好感を抱くことは無かった。そして、力を付けて自分の力でやっつけてやりたいと思った。
「そうなんですね。そういえばミカお姉様――」
それから、カナはミカ・イクリプスやオボロ・イクリプスと色々な話をし始めた。
――カナって……こんな表情するんだ。
イクリプス姉妹と仲良さそうに話をするカナの姿を見て、ボクの心がざわついた。
ボクの前では、カナはいつも自信に溢れた堂々とした笑顔を見せていた。どこに出しても恥ずかしくないような、完璧で美しく、カッコいい姿だった。
――だけど、ミカ・イクリプスと話すカナは、ボクの知らないカナだった。
なんか、こちらのカナの方が本当のカナで、今までボクの隣に居たカナはボクが生み出した幻影か何かのように感じた。
――ミカ・イクリプスを前にしたカナのほうが、よっぽど人間らしい。
ボクは胸がチクリと痛み、胸を押さえた。
「ポルカ、ごめんなさい。話し込んでしまいましたわ。そうそう、これから面白い催しがあるらしいので、場所を移動しましょうか」
「……うん」
イクリプス姉妹と話し終えたカナは、いつも通りの『完璧な』笑顔に戻った。
ボク達はイクリプス姉妹と別れ、高台の広場へ移動した。
「あら……噂通りの場所ですわね」
ここはデートスポットとして有名な場所である。
ボク達以外にも沢山のカップルがベンチに座ったり、芝生の上で寝そべったりしている。
すっかり日は落ち、星空が瞬く夜空。この高台はそんな大自然の芸術的な光景を望める場所。
だから、そんな夜空を全く綺麗だと思えないボクの心情が、余計に、はっきりと認識できてしまう。
「ミカお姉様の話によるとね、今から魔法で夜空に大きな花が描かれるそうよ!」
「そうなんだ」
ボクは、カナの口から『ミカ・イクリプス』の名前が出た時に、胸が痛んだ。
そしてその傷口からじわじわと、出血するかのようにマイナスな感情が流れ出てきた。
ボクはカナにとってどういう存在なのだろう。カナにとってボクの価値は何なのだろう。
そんな、答えも出ないような問いが脳内を占拠する。
「この場所よさそうね。一緒に座りましょう」
ボク達は芝生の上に座り込んだ。
「あ、ごめん」
座った時にカナと肩がぶつかり、カナの金髪で長く美しい髪がボクの顔にかかった。
くすぐったかったので髪を引っ張らないようにうまく外した。そんな、いつもだったら興奮して胸がドキドキとしてしまう状況でも、ボクの心は動かなかった。
「わあ……綺麗……」
夜空に火炎魔法が放たれた。色鮮やかな、色んな色の炎が夜空をキャンパスにして、鮮やかな花が描かれていった。その芸術的な光景に、カナや周囲のカップル達はうっとりと夜空を眺めている。
「さすがミカお姉様……ポルカ、この炎の魔法はミカお姉様の魔法なのですよ」
ぼそりと呟いたカナの言葉を聞いた瞬間、夜空に浮かぶ色鮮やかな魔法が全てモノクロのように見えた。視覚が色を知覚していても、心が色を認識していない。
――ボク達はまだ、たった数日の付き合いだ。仕方ないじゃないか。
ボクは自分に言い聞かせた。確かに、カナとボクの付き合いはまだ短い。そんなに関係を深めることができていない。だから、ミカ・イクリプスとの付き合いはボクとの付き合いよりも長いんだろう……。
――そもそも、カナとミカ・イクリプスはどのような関係性なのだろうか。
ボクは、無意識に見ないようにしていた事実に直面した。
冒険者の中で最強の存在とカナは親しい。遠目でイクリプス姉妹を見たこともあるし、噂話でも聞いているが、彼女たちは孤高の存在である。『アカツキ』というイクリプス姉妹がリーダーを務める冒険者集団以外の人間と仲良くしている姿を、ボクは見たことが無い。恐らく、カナはイクリプス姉妹と深い親交がある限られた人間である。
――カナは、ボクが思っているよりもずっと特別な存在。
急に、ボクは自分がカナの隣に居ることが恥ずかしくなってきた。そして、自分がカナと対等だと思っていたことにも、自分自身で疑問に思ってしまった。
――同じハズレスキル持ちの無能冒険者だと仲間意識を持っていた?
違う! ボクは、カナのことを他の冒険者が表面上のことだけでカナを勝手に判断していた……あんな最低な眼差しでカナのことを見ていたわけじゃない!
――たまたまカナを助けたことで、自分がカナにとって特別だと思いあがった?
やめろ……やめてくれ!
ボクの理性が、ボク自身に疑いの言葉を投げかけてくる。これまでの経緯とか脈絡も関係なしに、不安材料を論えて責めてくる。
「ポルカ」
「え?」
――ボクは、突然カナに口づけされた。
その所為で、急に現実に引き戻された。周囲から拍手が聞こえてくる。
夜空に魔法の花を添える催しが終わったようだ。
高台の広場に設置された照明器具が、カナとボクを温かく照らす。
「泣いてるのですか……?」
「わ……わかんない」
ボクの心はぐちゃぐちゃになった。
――カナにとって、ボクはどういう存在なの?
再びわからなくなった。
こんなボクの姿を見ても、いつもの『完璧な』笑顔を見せるカナ。
『完璧』すぎて、人間味を感じない笑顔。
ボクは、急にカナのことが怖くなってしまった。