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第17話 白い来訪者

 梅雨が明け、夏休みという学生にとってビックイベントが間近に控えているため学校全体が浮足立った七月中旬。

 制服は夏服へと変わったことで若干涼しくなったが、それ以上に気温は高くなっていくせいで、どうしてもダレてしまうこの時期。

 我が新聞部も例外に漏れず、だらけ切っていた。

 窓を開けていても、入ってくる風はぬるい。

扇風機があれば、多少は違うんだろうが、なぜか扇風機だけはいくら部室内を探してみても見つからなかった。

 ここ一週間くらい、ずっと探しているのに見つからないってことは存在しないんだろう。

「佐藤くん、冷たいお茶と、抹茶アイス、かき氷の宇治抹茶を買ってきなさい。今は手持ちがないから、立て替えておいて。十年後くらいに返してあげるから」

 まるで死体のように机に突っ伏した布姫は、顔を上げることすらしない。

「知ってるか? 世間ではそういうのを虐めっていうんだぜ?」

「大丈夫よ。私の中では言わないから」

「……さいですか」

 そういう僕も布姫のように机に突っ伏すとまではいかないにしても、目の前の原稿用紙には、まったく文字が更新されていかない。

「佐藤くん、暑いわ」

「知ってるよ」

「何とかしなさいって言ってるのよ」

「無茶言うなよ」

 開け放っている窓の外からはセミの鳴き声が部屋に入ってきていて、これがまた、暑さを演出している。

 既に放課後だというのに、まったく暑さが退いていかない。

 ポタリと原稿用紙に汗が落ちる。文字が滲む心配がない空白の原稿用紙は汗を吸い取り過ぎて、ヨレヨレになっている。

 これがあと二ヶ月近く続く……どころか、さらに暑さが増していくのだと思うと本当に気が滅入る。

 梅雨もジメジメしていて嫌だったが、暑いのも嫌いだ。

 人間、ほどほどが一番である。

「それにしても、水麗さん、遅いわね……」

 未だに顔を頑なに上げようとしない布姫のうなじから、汗が一筋、背筋に向かって流れていく。

「掃除当番なんじゃねーの?」

「そんなはずないわ。水麗さんの班は二週間後よ」

「……お前ら、そんなことまで共有してんのか?」

 一年生のころは三人とも同じクラスだったが、二年生になると見事に全員違うクラスになってしまった。

 それなのに、水麗の掃除当番まで覚えてるとは……。そういう部分は無駄に凄い。

 暑さのせいで頭が回らず、何気なく窓から外を見る。

 すると突如、ニュッと何かが顔を出した。

「うおっ! ビックリしたぁ!」

 急に出てきたから驚いたがよく見ると、それは犬だった。

 小さい白い犬。まだ子供なんだろうか、体も小さいし、何となく顔も幼い気がする。

 なんで、学校に犬がいるんだ?

 犬はジッとこっちを見下ろしていて、舌を出してハッ、ハッ、ハと息を荒くしている。

「布姫、どこかの部で犬飼ってるところってあったっけ?」

「犬は嫌いよ。暑苦しいから」

「いや、そういうことを聞いてるんじゃなくてさ。っていうか、僕、ビックリしたって言ったんだから少しは反応しろよ」

「はいはい。どうかしたのかしら?」

 突っ伏したままの布姫が面倒くさそうに言う。

「誠意がないな。せめて、顔を上げたらどうだ?」

「一秒、アイス一本よ」

「レートが高ぇな。もういいよ」

 ため息をついて、窓の方へ視線を戻すと、そこにはもう既に犬はいなかった。

「あー、ジローだ! 可愛いっ!」

「あれ? チュー太じゃん! こんなところにいたんだ? ホント、どこにいるかわからないね、お前はー」

「この前は教室の中に出たもんね」

 遠くから女性とたちの声と犬の鳴く声がする。

 ふむ。名前がついているということは、頻繁に校内に現れていると考えていいだろう。そして、名前がバラバラというか人によって違うのが付けられているということは、どこかで飼われているというわけではなさそうだ。部で飼っているなら名前は固定されるだろうし。っていうか、チュー太って……。

「そうだ。出たって言えば、あれ、また出たって話、知ってる?」

「知ってる、知ってる! 人体模型でしょ?」

「人体模型が走り回るって、ベタだよねー」

「うちの学校の七不思議って、そういうの多いよね」

 何やら、七不思議について噂している。なるほど、こうやって、七不思議は出来ていくのか。

 七不思議が出来る瞬間を聞いたようで、なんかちょっと嬉しい。

 にしても、確かに人体模型が走るなんてベタすぎる。でも、まあ、今度の取材のテーマにしてもいいかもしれない。

「あっ! ミケだ! 触らせて、触らせてー!」

「ワン! ワン!」

「きゃっ! ちょっと、ミケっ! スカートに顔突っ込まないでよ!」

 その犬は結構、人気があるのか、どんどん人が集まっているようだ。しかも、女の子の声ばかり。

 ……死ねばいいのに。

 それにしても、ミケって。この学校の女はネーミングセンスがないのか? それとも、逆にハイセンス過ぎるのか? というか、スカートの中に顔を突っ込むなんて、男の夢をあっさりと実現するかつ、怒られないなんてズルいぞ、ミケっ!

「いやー! パンツ脱がされたー!」

「あー、白いの履いてるからだよ。シロは白いの好きなんだからさー」

 今日は暑い。本当に暑い。

 暑いと人間の体調は変調をきたす。

 とめどなく、鼻辺りから汗が流れてくる。

 ふと、原稿用紙を見ると赤く染まっていた。

 原稿用紙を丸めて、バスケのシュートのポーズでポイとゴミ箱へと放る。

 ストンと綺麗にゴミ箱へ入ると同時に、勢いよくドアが開かれ、開いたドアが壁に当たってバンと大きな音を立てた。

「やあやあ、皆の衆、待たせたね! 水麗ちゃんの出活だ!」

「しゅっかつ? ……ああ、出勤とかけて、仕事は勤務で、部活は活動だから出活ね。……って、分かり辛ぇよ!」

 などと自分で突っ込みを入れながら、よく自分でもわかったなと感心してしまう。

 伊達に一年間、一緒にいたわけじゃないな。随分と鍛えられたものだ。

 最初なんか全然、わかんなかったもんなー。

「ここでみんなに朗報だ! な、な、な、なんとぉ! 我が新聞部に新入部員が降臨したのだーーー!」

「ふーん」

「へー」

 冷ややかな僕たちの視線を受けて、水麗は目を丸くする。

 布姫に至っては、未だに顔すら上げていない。

「いやいやいや! なに? その反応!? 新入部員だよ、新入部員! 達っちん、前から欲しがってたじゃん! 部費が増えるからって言ってさ!」

「水麗。部費が増えるのはこの学校の生徒が入ってくれた場合のみなんだ。妖怪や宇宙人は換算されない」

「今回は幽霊って線もあり得るわね。だから、私たちに見えないのかも」

「ああ、なるほどな。って、お前、いい加減に顔を上げろよ。そんな体勢だと見えるもんも見えねえぞ」

「見たくないものを見なくて済むからこれでいいのよ」

 相変わらず死体のように机に突っ伏したままの布姫。

 僕はため息を吐いて、再び水麗に視線を向ける。このやり取りも、この暑い中だと結構疲れるもんなんだな。

「で? 今日はどんな設定なんだ?」

「こらー! わたしを狼少女のような扱いをするなー! 設定ってなんだよ、設定って! 失礼だなぁ。水麗ちゃんが寝ないで考えたネタを、なんと心得る!?」

「考えてるって時点で設定だろ」

「あ痛ぁ……」

 痛いところを突かれたのか、悲痛な顔をして眉間に皺を寄せている。

 だが、すぐにキリッとした顔に戻った。

「いやいや。ほら、わたしだって、なにも嘘ばっかり付いてるわけじゃないよ。百回に一回くらいは本当のこと言うでしょ?」

「その一回がまだ来てないだけだよな?」

 肩をすくめて首を横にブンブンと振る水麗。

「はあ、嫌だ嫌だ。達っちんも随分とスレたもんだよ。わたしの言葉に一喜一憂して狼狽していた、あの可愛い達っちんはもう存在しないんだね……」

「心底、成長して良かったと思うよ」

「あーあ、面白くなーい」

 ぶう、と頬を膨らませて、トコトコと部室内へと歩き出した水麗だったが、ピタリと足を止めた。

「ちがーーーーう! 危ない危ない! 流されるところだったよ! 今回は本当なんだって!」

「おお! 新技か」

「水麗さん、重ねるって技はウザがられる可能性も高いのよ」

「あうう! なんで信じてもらえないかなぁ? えーい! こうなったら、百聞は一見にしかず! さあ、いおりん、降臨せよ!」

 バッと、開けっ放しのドアの方へ体を向ける水麗。

「……」

「……」

 しばしの静寂。

 開きっぱなしのドアの向こうには、何も変化がなかった。

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