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【第十話】くっ、殺せ……!

 時刻は正午過ぎ。

 電車に揺られること約十八分。東小金井から中野に到着した。


 改札を通って北口に出ると、全長二百メートル超えの商店街の正面玄関が見える。そこからモール内をひたすら真っ直ぐ前へと進んでいくと、やがて姿を現すのが今回の目的地、中野ブロードウェイである。


「着いた……!」


 午前中に来た場合、主要なテナントはほぼ全部シャッターを下ろしている。だが、正午を過ぎれば話は別だ。

 さあ、見るがいい。


「……うむ、素晴らしい」


 思わず声が漏れるが、それも仕方のないことだ。

 入口付近に立つだけでも理解することができる。この場所は、全世界のオタクを平等に迎え入れてくれるのだと。


 目的地に到着した今、どこから散策を開始するべきか。

 一階は選択肢には、ほぼない。では二階か、それとも直通のエスカレーターに乗って三階へと向かうか。


 悩む、悩むぞ。まだ一分も立っていないのにテンションが上がってきた。

 ブロードウェイをブラブラするだけでも目の肥やしになるし、今日は思う存分楽しむつもりだが、散策時間には限りがある。ヒガコ荘に戻ったらネームを描き直さないといけないからな。


 故に厳選。

 見て回る店舗を絞る。


「んなことするか」


 否、当然しない。

 厳選などするはずがない。厳選するのはポケ○ンだけで精一杯だ。


 せっかくブロードウェイに足を運んだのだから、可能な限り全ての店舗を覗くのが礼儀ってもんだ。 

 その中には勿論、エロコーナーも含まれている。というか、そこが主目的だけどな。


「二階から一軒ずつ攻めていくか」


 よし、プランは決まった。後は実行に移すのみ。

 迷いを消し去りブロードウェイの中にお邪魔すると、少し進んで右へと曲がり、階段を駆け上がり二階へと向かう。ショーケースに飾られたフィギュアの数々を横目に見ながらも素通りし、一店舗目に着弾。


 店内に入ると、独特な臭いが鼻孔を突く。

 だがそれがいい。これが落ち着く。俺の頭は完璧に狂い始めている。


 緩いBGMが流れる店内を迷いなく歩くと、エロコーナーが見えてきた。

 この棚が、この一冊一冊が、俺に活力を与えてくれる。


「孕ませ×××、彼女の△△△△を支配した件、〇〇〇好きなメイド……ふっ、最高じゃないか」


 背表紙を瞳に映し、並んだタイトルを頭の中で読む。……いや、口に出していたか。だが気にするな。ここには変態と言う名の紳士しか存在しない。遠慮こそ無礼だ。


 それにしても素晴らしい。どれもこれも興味をそそるぞ。


 試しに一冊を手に取ってみる。

 ああ、最高だ。表紙もいい。タイトルと絵がマッチしている。妄想が捗ってしまう。


 続けて、裏表紙のあらすじに目を通す。

 くっ、なんてエロい導入なんだ……これは実際に読んでみたくなる。棚に戻すには惜しい一冊じゃないか。


「……よし」


 買おう。

 迷うなら買え。それが俺の生き方だ。


 だからいつも家賃の支払いに困るわけだが、有り難いことに今はまだ困っていない。

 それにアレだ、いよいよ金が無くなってから困ればいいだけの話だから、金があるなら好きな物を自由に買うべきだ。我慢は健康に良くないからな。


「これも買い、これも……買い」


 買え。買え。どんどん買え。

 迷ったら買え。タイトルにピンときたら買え。


 気づけば俺はカゴを持ち、その中に三十冊以上のエロ本を入れていた。

 この重さが俺の生きがいだ。


 レジで支払いを済ませると、この前の稼ぎの三分の一が無くなってしまったが、直ちに影響はない。早く読みたいね。家に帰るのが待ちきれない。


 というわけで、まずは一店舗目の探索が終わった。

 お宝を見つける為に探索を続けるという意味では、俺にとって、ここは門を潜らないダンジョンと言えるだろう。


 しかしながら、ブロードウェイという名のダンジョンは、困ったことにお宝が多すぎる。

 一店舗目の時点で三十分程を要し、更には手荷物が重くなりすぎた。このまま二店目三店目と続くと、探索速度や戦闘中の動きが鈍くなってしまうだろう。


 だが、案ずることはない。


 手に入れたお宝が重いだって?

 だったら預ければいいだけの話だ。


 入手したお宝を持ち、俺は迷いなくブロードウェイ三階の端っこへと歩を進める。すると見えてくるのが古びた純喫茶だ。扉にはクローズの札が掛けられていたが、お構いなしに中へと入る。そしてついさっき購入したお宝の山を店の奥に積み重ねると、再び店外に出た。


 身軽になった俺は、意気揚々と足を動かす。

 さあ、二店舗目の探索を開始しようじゃないか。


     ※


「お、重い……」


 ブロードウェイに着いてから暫く。

 予定していた店舗は一先ず全て見て回ることができた。後はこの荷物の山を持って例の場所で一休みし、お宝の山と共に帰路に着くだけだ。重すぎるのが難点だが、あと少しの辛抱だ。とその時、


「……ん?」


 エロコーナーの一角で足を止める。そしてふと、エロ本が並ぶ棚をガン見している女性へと目を向けた。

 男性向けのコーナーに女性一人で珍しいなと思いつつも、変態紳士の俺は平常心を保ちながら、その横を無言で通り抜ける。


 俺は空気だ。

 この場所この空間において、俺は存在無き存在だ。


 が、視界の端に映ったのだろう。その女性は「げっ」と声を上げた。

 ……いやいや、「げっ」ってなんだよ。随分と酷い反応じゃないか。仮にも俺と同じくエロコーナーを物色する変態淑女なのだから、礼節ってものをだな……。


「……」


 振り向くと、コソコソする女性の後ろ姿。

 それは俺がよく知る相手だった。


「ひょっとしてだが……御剣楓音か」

「人違いです」

「んなわけあるか!」


 思わず突っ込む。

 まさかこんな場所で彼女と遭遇することになるとは思ってもみなかった。


「くっ、殺せ……いっそ殺して! 一番見られたくないやつに一番見られたくない姿を見られてしまったわ!」

「いや殺さねえから! ってか落ち着け!」


 俺も落ち着け。

 彼女は膝からその場に崩れ落ちる。慌てて手を差し出したが、いやこれはセクハラにならないだろうかと考え直してすぐさま引っ込めた。

 と同時に彼女の手が空を切り、何とも言えない空気が俺達の間に流れた。


「……ちょ、なんで今、手を引っ込めたのよ!」

「いやぁ、まあ……なんとなく?」

「一回出したならそのまま出してなさいよね!」


 彼女は自力で立ち上がると、俺を睨み付けたまま文句を口にする。

 相手のペースに呑まれるな。話題を変えて反撃だ。


「っていうか、なんでここにいるんだ」

「な、なんでって」

「ここは十八禁コーナーだぞ。お前はまだ入れないだろ」

「うぐっ」


 あの記事が間違っていなければ、彼女は現役の女子高生だ。

 今日は制服じゃなくて私服だから、パッと見だと分からないが、それでも若い女子が一人で男性向けのエロコーナーに足を踏み入れるのは悪目立ちするだろう。


 すると、現状を思い出したのか、彼女は急に目を泳がせる。


「ち、違う、これは違うの。迷っただけよ、ほら、ここっていろんなお店が並んでるじゃない? だから迷い込んじゃったのよ」


 この反応を見る限り、やはり彼女は十八才未満のようだ。いや、単にエロコーナーで顔見知りと鉢合わせたのが恥ずかしいだけの可能性もあるか。


 とにかく、彼女はしどろもどろになりながらも言い分けを口にし始めた。


「なるほど、迷い込んだのか」

「そ、そうそう! だからね、決してあたしの意思でここに来たわけじゃないの」

「ところで、その手に持ってるものはなんだ」

「うっ」


 エロ本が三冊。

 大切な宝物を胸元で抱えるように、彼女はエロ本を持っていた。


「こ、これはあれよ、普通の本と間違えて手に取っちゃって、どこにあったか分からなくなって、戻すのも面倒だし、ほら、あんたってそういえばエロ漫画描いてるって言ってたじゃない、だからこれを読めばあんたのことをほんの少しぐらい理解できるかもと思って、つまりあたしの意思じゃないのよ、あんたのせいでこんなことになってるだけだから、ええっと、もう……ああもう!」

「つまり、買うのか?」

「そ、そういうことに……なるわね!!」


 挙動不審になり、声も震えている。それでも彼女は必死に言い訳を続ける。

 どうすればこの場を無事に乗り切ることができるだろうかと、可能な限り思考を巡らせているに違いない。


「いや、そもそも十八歳未満は買えないんだが」


 再び指摘すると、彼女は既に真っ赤な顔をもう一段階染め上げる。


「い、言われなくても分かってるから! 売り言葉に買い言葉で買っちゃうかもって言ってあんたを試しただけだからね!」


 俺の何を試したというのか。是非ともお訊ねしたいものだ。

 セクハラで訴えられそうだからしないけど。


「大体ね! あたしはこの手のエ……エロ、漫画に、興味なんてこれっぽっちもないんだから! でもあんたとクランを作るなら、少しでも理解した方がいいと思ったから読んでみようと思っただけで……!」


 支離滅裂だが、言いたいことは概ね理解できる。俺にとっては嬉しい限りだ。たとえ俺とクランを作る為とはいえ、一人の女子がエロ漫画を理解しようとしているのだからな。


 あの時、俺と出会いさえしなければ、今もまだ彼女の心は無垢なままだったに違いないと思うと、感動で鼻血が出そうになる。これはなんてエロゲですか。すぐに買いますからタイトルを教えてください。


「ほほう、じゃあとっておきの本があるぞ」

「と、とっておきの本ですって?」

「ああそうだ。俺を理解したいのであれば、俺が描いた本を読むのが何よりの近道だ。だから今から俺の家にこい、俺が出した単行本を資料代わりにくれてやる」


 彼女の努力に心からの敬意を表しよう。

 故に、俺は彼女に提案してみる。しかし、


「い、いらないし」


 即、お断りされた。


「何故だ!」

「何故って、あんた貧乏でしょ」

「貧乏は無関係だろ!」

「関係あるわよ。だって、あんたからもらったら、つまりタダってことでしょ。それだとあんたにお金が入らないじゃない。だから本屋で買った方が嬉しいでしょ? ……ほら、見なさいよ」


 そう言って、彼女は胸に抱えていたエロ本のうち、一冊を見せる。


「その本は……」

「これ、あんたの本でしょ。探したんだからね」


 俺の本名やペンネームは知らないはずだが、彼女は間違うことなく俺の単行本を持っている。

 昨日、俺の部屋に上げた時に……あの僅かな時間で観察されたということか。


「恐るべし、思春期の行動力……」

「はぁ? 何言ってんのよ」

「気にするな、ただの独り言だ」


 今後は、知られたくないことや見られたくないものは隠さなければならないな。


「あんたの売り上げに貢献してあげるんだから感謝しなさいよ」


 俺が描いたエロ本の表紙を見せたまま、偉そうに胸を張る。女子高生がこんな本を持ってドヤ顔してはいけません。

 そしてありがとう。

 心意気は嬉しいが、だが悲しいかな。古本屋で買っても原作者には一銭も入らない。


「せめて新品で買ってくれ」

「あっ、……それもそうよね」


 いや、そもそもこの話の流れも言い訳の延長なのだから仕方あるまい。

 とにかく、今話題の女子高生ランカーが、わざわざエロコーナーにお忍びで入る危険を冒したのだ。だとすれば、お礼をするべきだろう。


「……立ち話もなんだ、飯はまだ食ってないか」

「え? ええ」

「じゃあカフェにでも行くか」

「カフェ?」

「行きつけのカフェがある。時間は……大丈夫か?」

「いいわね。今日ここに来て以来、ようやくいい響きに出会えた気がするわ」


 その感想はご尤もだ。ここはオタクショップだらけだからな。一般人には魔窟と言えるだろう。

 というわけで、例の純喫茶に移動することにしよう。


「ところで……あんたさ、その大荷物はなんなの?」

「これか?」


 指摘され、俺は両手に持った袋を開けて中を見せる。


「勿論、エロ本だ」


 先ほどの彼女と同様にドヤ顔をしてみせる。

 彼女の顔は、実に嫌そうに歪んでいた。これぞ正に最高の褒め顔ってやつだな。


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