本日正午過ぎから始まった中野ブロードウェイでのお宝もとい資料探しの旅だが、館内を一回りして満足した俺は、お宝置き場へと予定通りに歩を進めた。
但し、同行者が一名。
しかもしかも、その相手は驚くことに女性だ。
ほんの数日前の俺に「お前、ブロードウェイで女子と一緒にエロ本談義するぞ」と教えても絶対に信じないだろう。
いや違う、談義はしていないから若干盛っているか……まあ、そこは気にしないでいいだろう。肝心なのは、その相手が誰なのかということだ。
「あんたさ、お金ないのよね? そんなに買って大丈夫なの」
ホクホク顔の俺に対し、その女性――御剣楓音が口を開く。
ご尤もな質問だ。家賃の支払いに苦しむ俺だからな、誰だってそう思うはずだ。勿論、俺もそう思うよ。
「大丈夫なわけないだろ、今月はもやし生活だ」
「じゃあ買うの我慢しなさいよ!」
手厳しい突っ込みが入ったが、まだ慌てるような時間じゃない。
「馬鹿だな、出会いというのは一期一会だぞ? ここでこいつらを逃したら二度と出会えないかもしれない。その悲しみと比べたら、もやし生活など恐れるに足らん」
「そこは恐れなさいよ! 栄養失調で体を壊したら漫画も描けなくなるかもしれないじゃない! っていうか、うっとりした表情でその、それ、本を! エッチな本を撫でないでよ‼」
「戦果を愛でるのは当然の行為だが何か問題でも」
「問題ありまくりよ! このヘンタイッ‼」
カッコよく言ったつもりなのに、全力で罵られる。さすがは探索者ランク十一位の上位ランカー、御剣楓音だ。口の悪さも引けを取らない。
とはいえ、俺の体の心配もしているのだろう。そう考えると案外優しいところもあるものだ。
――と、普通なら思うかもしれないが、騙されてはいけない。彼女は俺をクランに勧誘する為に優しく接しているだけに過ぎないのだからな。
つまり、俺は利用されるだけの存在なのだ。
しかしまあ、彼女の罵声のような言葉自体は俺の身を案じてくれていることに変わりはない。
クラン云々はともかく、彼女の言う通り、体調を壊してしまって大好きなエロ漫画を描けなくなったら元も子もないからな。その点は十分注意する必要がある。
だが、もやしは偉大だ。
「……なあ、知ってるか? もやしには栄養がある」
「そういう問題じゃないし!」
あっさりと、再度突っ込まれた。
「とりあえず落ち着け、カフェに着いたぞ」
「え? あっ」
罵りを受けながらも、無事に目的地へと辿り着く。
そこは、一店舗目で入手済みのお宝を置きに来た純喫茶だ。
「こんなところにカフェがあったのね……」
「意外か?」
「ええ。だって変態のお店ばかりだったし」
変態のお店に入ってエロ本を買おうとしていたのはどこのどいつかな。
「入るぞ」
「あ、……うん」
ドアは開けっ放しになっている。
一度顔を出した時はまだ閉まっていたが、さすがにこの時間になると営業を始めているらしい。
色々と融通が利くからいつの間にか常連になっていたが、ここの店主は気分屋だ。いつも当然のように開店時間を破るのが玉に瑕だ。
今時珍しく喫煙可だが、吸いに来る輩は滅多にいない。何故なら店主のじいさんの見た目が明らかにあちら側の人だからだ。
その実、中身はただのオタクジジイなのだが、一度言葉を交わしてみないことには内面まで分かるはずもなく。
俺は煙草を吸わないが、吸いに来る輩もいないので、気付けばこの純喫茶が俺の休憩ポイント兼、お宝置き場と化していた。
店内に入ると、レジ横の席に座ってテレビを眺めるじいさんと目が合う。
「じーさん、お疲れさん」
「……クソガキが、また勝手に入りやがったな」
顔を合わせて早々にクソガキと呼ばれるが、いつものことなので構うことはない。店の奥に視線を向けると、そこにはお宝がしっかりと置いてあった。
「仕方ないだろ、重いんだし」
「うちはロッカーじゃねえんだよ。今すぐ金払え」
「読んでいいからタダにしてくれよ」
「……チッ、クソガキが。今日だけだからな」
そう言って、毎回タダになるのがありがたい。
じーさんは、俺と一緒に入ってきた彼女をチラ見するが、すぐに興味を失った。若い男女の色恋沙汰に興味はなく、あるのは俺が置いておいたお宝の山のみ。
そして残念なことに、これは色恋沙汰ではない。
俺と彼女はテーブルを挟んだソファ席に腰かける。立てかけられたメニュー表を手に取り、それを彼女に渡した。
「好きなの頼んでいいぞ」
「え? ……あんた、お金あるの?」
「これぐらい出せるわい!」
まだ、金はある。
今日一日で、既に全財産が片手の握り拳に納まるほど少なくなってしまったが、まだ、金はある。だからきっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせている。
「じゃあ、お言葉に甘えて……コレって、まだやってるの?」
「モーニングか? 安心しろ、閉店するまで受け付けてるぞ」
「どんなモーニングよ」
営業時間内なら、いつでも頼めるモーニングだよ。
たとえ夜でもここでは朝ってことだ。
「……まあ別にいいけど。じゃあ、これでお願い」
「おう。俺はコーヒーにするかな。じーさん、頼んだよ」
「うるせえ、今読んでんだよ。注文は後にしろ」
「いや、そこは受けてくれよ……」
「チッ」
舌打ちが聞こえたが、どうやら願いが聞き届けられたらしい。
じーさんは読んでいた本を置くと、面倒臭そうに調理を開始する。
注文を終えて前を向く。
彼女は今もなおメニュー表に目を落としている。まさか他にも頼むつもりじゃないだろうな。
そっと、気付かれないように俺は財布の中身を確認してみる。
小銭が少々と、お札が……無い。レシートの束しか無い。アプリの電子マネーは確か五十円ぐらいは入っていたはずだが、それでは何一つ追加注文できない。交通系ICカードにはもう少し入っていると思うが、それは帰りの電車賃だから絶対に使えない。このお宝の山を抱えて東小金井まで歩いて帰るのはクリア不可能なクエストだ。
「……っ」
くそっ、今日は散財し過ぎた。
こんなことになるならもう少し己の欲を抑えるべきだったか……。
いや、それこそ無理な話だから仕方あるまい。現状はなるべくしてなったのだから甘んじて受け入れよう。
そして頼む、頼むから頼まないでくれ。
ここで注文するのはモーニングだけで満足してくれ。
「おらよ、お待ちどうさん」
「じーさん……サンキュー」
しゃがれた声によって、俺は現実に引き戻された。
数分足らずで運ばれてきたモーニングとコーヒーを合図に、向かい合う俺達は口や手を動かし始める。
「……美味しいわね」
「だろ? 作ってんのはあのじーさんだけど、腕は確かなんだよ」
「クソガキが、絞めるぞ」
スルーしつつ、コーヒーを啜る。
これは泥か。いやドブか。舌触りがザラザラしているかと思えば、粘り気をもって喉に引っ付き病みつきになる。最高にクソってやつだ。
「しかしよく危険を冒してエロコーナーに入ったな、同じ学校の奴に見られたらスクールカースト最下位まっしぐらだろ」
「スクールカースト? うちの学校にそんなのないから」
あっさりと否定される。
俺の時代にはあったが、今はないのだろうか。
ピラミッドの形の頂点に君臨する陽キャ軍団の一人だと予想していたが、どうやら彼女の学校は異なるらしい。
「っていうか、あたしはずっと一人だったし、今までもこれからも一人で生きていけるし。……でも、あんたのことは……必要なのよね」
「そういえば、クランを作りたいんだったな。どうして俺に拘るんだ」
御剣楓音。
彼女であれば、大抵の奴は二つ返事でOKしてくれるはずだ。
性格はきつそうだが強いし、口は悪いが見た目は可愛いし、問答無用で殴るようなやつだが心配もしてくれるし、……いや、結構酷くないか?
「この前、助けてくれたでしょ? あんな強い魔物を相手に、一切怯むことなく」
隠し通路の件を言っているのだろう。
確かに、あの魔物は強かった。そして俺は怯まなかった。
しかしだ、アレには理由がある。だからそれを判断材料にされては困るだけだ。
「たまたまだよ」
「そんなわけないじゃない。あの魔物は一桁ランクの人達だろうと逃げるべき相手だったわ。それをあんたは、見たこともない力を使って倒して……ねえ、あれって
普通の能力とは異なり、それは俺にしか扱うことができない。
あの僅かな戦闘で、彼女は俺の力の根源が
「悪いけど、俺はクランを作る気はない」
「知ってる……でも、やっと背中を任せられる人を見つけることができたの……だから、あんたがなんて言おうと絶対に諦めないから」
断っても断っても、諦めるつもりはないらしい。
随分と手ごわい相手だ。魔物よりも相手し辛いんじゃないか。
思わず溜息が漏れる。
このままだと、いつまで経っても勧誘を止めないだろう。
ふと、俺は視線を彷徨わせる。その先に映るのはお宝の山だった。
これはアレだ、エロ漫画を描く為に必要不可欠な資料だ。
しかしよく考えると、担当さんの言う通り、俺に彼女がいれば……いや、いなくともモデルになってくれるような天使のような女性が傍にいたら、資料を買い集める必要も無くなるのではないだろうか。
否、それは違う。
これは資料でもあり、同時にお宝でもある。俺にとって替えの利かない存在だ。
だから何があろうとも不要になることはない。
但し、だからといって彼女やモデルが不要なわけではない。
その相手が御剣楓音ならば猶更だ。
故に、俺は口を開く。
「クランを作って、一緒に探索しても構わないが……条件がある」
「条件? ……それって何よ」
「一度の探索につき、一回、俺の漫画のモデルになってほしい」
「モデ……! ま、またエロいことするつもりでしょ!」
「またってなんだ、まだしてないぞ」
「まだって言った⁉ あんた今、まだって言ったわね⁉」
「落ち着け、言葉のあやだ」
両手を上げて潔白を主張する。対する彼女は顔を真っ赤にしている。
「安心しろ、エロいポーズは無しだ」
「……ほ、本当でしょうね?」
「本当だ。たぶん」
「たぶん?」
「おそらく」
「おそらく⁉」
「十中八九」
「さっきから曖昧過ぎなのよ!」
怒声が飛ぶ。それを耳にする俺は、うんうんとゆっくり頷いた。
何だろうな、段々と癖になってきた。
「……ま、まあ、エロいこと無しなら……いいけど」
「本当だな?」
「それはこっちの台詞よ」
「よし、決まりだ。ってことで、これからよろしく頼むぞ。えっと……御剣さんでいいか?」
「楓音でいいわよ」
「ああ。じゃあ……楓音で」
「……あんたはヘンタイでいいの?」
「よくねえよ!」
本日、午後五時過ぎ。
俺と楓音、二人だけの秘密の契約が今ここに成立した。