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【第十二話】痴漢はしない、絶対にだ

 さて、そろそろお開きの時間だ。

 俺にとっての夢の国からおさらばしなければならないのは実に残念だが、俺には原稿が待っている。そして今日ここで手に入れたお宝達は、俺に読んでもらえる日が来るのを心待ちにしている。と思っている。だから一刻も早く家に帰りたい。帰って読みたい。


 心の中を彼女――楓音に気取られてはならないので平静を装っているが、バレていないだろうか。いや、たとえ無事に隠し通すことができたとしても、楓音から見た俺の印象が変態であることに変わりはないので、ビクつくだけ無駄か。


 モーニングと泥コーヒーの支払いを済ませてスッカラカンになった後、俺と楓音はブロードウェイを出て駅の改札を通った。暫く待ち、二人仲良く同じ電車に乗り込む。


 方角は同じみたいだが、楓音がどこに住んでいて、どの駅で降りるのかは知らない。ひょっとして、俺と同じ東小金井とか言わないよな。


「ここ、空いてるぞ」

「いいの?」


 どうぞと、手の平を見せる。

 すると楓音は「ありがとね」と言って腰かけた。俺は彼女の対面に立ち、吊り革を掴んだ。お宝の入った大荷物は網棚へと突っ込んだ。


 そして一駅、高円寺に着くと楓音の隣に並んで座っていた男女が席を立った。電車の外に出るのを見送り、再び視線を前へと戻す。電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き始めた。


「……え? ……ねえ、何で立ってんの? 空いてるんだからあんたも座りなさいよ」

「ん? ああ、そうだな」


 とここで、当たり前のように指摘を受ける。

 俺は大人しく従い、楓音の隣の席……から一つ離れた席に腰かけた。


「いやいや、なんで一つ空けるのよ」

「二人並んで座ったら狭いだろ。ほら、俺こんなに荷物あるし」


 続けて二つ目の指摘が飛び、俺は反応を示す。

 お宝の詰まった大荷物を運んでいるのだから、周りを気にするのは当然だ。


「確かに多いけど……って、上に置いてるんだから身軽じゃない」

「そうとも言う」

「そういえば、あの荷物って……全部、アレなのよね」


 真上に視線を向け、中身を思い出したのだろう。楓音が眉根を寄せる。

 しかし、車内を見回すと、肩を竦めてみせた。


「誰の邪魔にもなってないし、あたし達の間に誰か座ってきたら話もできないじゃない」

「いやしかしだな」

「いいから詰めなさいよ。ほら、早く」


 拒む俺に命令する。

 しかしそれでも渋っていると、楓音はピンと来たようだ。


「あー、ひょっとして恥ずかしいわけ? そうでしょ? あたしと並んで座るのが恥ずかしいんでしょ? エロ漫画描いてるくせにそんなことが恥ずかしいんだ?」


 途端に表情を変え、ニヤニヤとこちらを見てくる。

 やめろ、やめてくれ。そんな目で俺を見るんじゃない。


「くっ、違う!」

「じゃあさっさと座りなさいよ」

「……っ」


 仕方なく、俺は席を詰める。

 両膝をぴっちりとつけて肩も前に寄せて、というか体勢を若干斜めにして楓音に触れないように気を付ける。

 これでどうだ、と横目に楓音を見て訴えると、哀れみにも似た表情を浮かべていた。


「……あのさ、そんなに心配しなくても痴漢で訴えたりしないから」

「本当だろうな」

「本当よ」

「肩が触れた瞬間、声を上げたりしないだろうな」

「しないわよ」

「足が当たったら俺を睨みつけて罵声を浴びせたりしないだろうな」

「だからしないってば」

「寝たふりで肩に寄りかかっても文句言ったりしないだろうな」

「するに決まってんでしょ! ってか文句だけで済むと思ったら大間違いよ!」


 ですよね。


「それにそういうのって普通女の子が寄りかかる側でしょ⁉ なのになんであんたがあたしに寄りかかろうとしてんのよ!」

「やはり訴えるつもりだったか……」

「安心しなさい、訴える前に全力で押し退けてボコボコにしてやるから」


 恐ろしや。

 肩を震わせると、俺は席を一つ空けて座り直し、けれどもすぐに腕を掴まれて引っ張られた。


「おいこら、痴漢反対」

「誰が痴漢よ、このヘンタイ。周りに迷惑だから大人しくしなさいよ」

「先に声を上げたのはお前の方だろうが」

「それはあんたがヘンタイだからでしょうが」

「馬鹿め、俺はただの変態じゃなくて、変態紳士だ」

「どっちでもいいし!」


 脇を小突かれる。これ以上の争いは見苦しいからな、最寄り駅に着くまでの辛抱だ。


 それから更に一駅、阿佐ヶ谷に着く。

 二人並んで電車に揺られていると、ふと気付いた。


 これは……この状況は、デートしているように見えるんじゃないか、と。

 ブロードウェイの帰りだからか、妄想が捗る。思考が止まらなくなる。


 楓音はどう思っているのだろうか。


 隣を確認すると、黙って携帯をいじっていた。全く気にしていないらしい。悶々としているのは俺だけか。お喋り云々言っていたのに携帯に夢中とは何事か。


 だが、それならそれで構わない。

 興味を持ってもらえるように、手を出すだけだ。


 他の乗客に気付かれないように、慎重に手の位置をずらす。そして楓音の太ももに置いてみる。


「……? ちょっと、やめてよ」


 当然、楓音が抗議する。しかし俺はお構いなしだ。

 たとえ俺が変態だとしても、楓音は俺をクランに入れたいから強く当たることができない。だとすれば、これぐらい我慢してもらってもいいはずだ。これぞ役得というやつだ。


「ねえ……ダメだってば」


 電車内が込み始めると同時に、手を伸ばす。

 最初は嫌がる素振りを見せていたが、徐々に抵抗が弱くなる。触れられることに慣れていないのか、いや単純に恥ずかしいだけか。


 再び一駅、荻窪に着いた。

 よく見ると、乗客の視線が向けられているではないか。


 痴漢で訴えられたら即死亡間違い無しだが、誰一人として正義を振りかざす者はいない。そういうプレイだと思われている可能性がある。


 そうです、そういうプレイなんです。

 だから大人しく一観客として眺めていてください。


 電車が停まる。西荻窪から新たな乗客が乗ってくる。

 その全員が俺達二人を見ているかのように錯覚してしまう。


「は、恥ずかしいってば……見られてる」

「今更そんなことを気にしてるのか? エロコーナーにいた奴らを思い出せよ、あいつ等全員、お前を見てたぞ」

「……うそ」

「嘘じゃない」

「うそよ」

「ほんとだ。エロコーナーに女の子が一人で、それもお前みたいにかわいい子がエロ本を物色してるんだぞ? 周りの奴らは気が気じゃなかったさ」

「か、かわいい……って、あたしのこと……?」

「他に誰がいる」

「気が気じゃないって……それって、あんたも?」

「ああ、もちろんだ」

「そ、そう……なんだ……」


 暫しの沈黙。

 恐る恐るといった感じで、楓音がぼそりと呟く。


「他の人に見られるのは……やっぱり、いやかも。でも、あんたなら……あんたになら、我慢ぐらいしても……いいよ」

「その言葉を待ってた。今ここで――」


 ――間もなく、吉祥寺~。吉祥寺~。


「はっ⁉」


 アナウンスが鳴る。と同時に我に返った。

 ダメだ、涎が垂れている。例の如く妄想の世界に旅立っていたらしい。


 横を向くと、若干引いた顔つきの楓音がこちらを見ていた。

 おい、やめろ。そんな目で見ないでくれ。妄想していただけだ。妄想の中でお前と致そうとしただけなんだ。


「……それじゃあ、あたしここだから」


 吉祥寺に着くと、楓音が席を立つ。

 彼女の最寄り駅は吉祥寺のようだ。いいところに住んでいるじゃないか。


「今日は、その……ありがと」

「気にするな、またエロ本買いたくなったらいつでも俺に相談しろ。俺が代理で買ってやるから」

「声! 周りに聞こえるでしょ!」


 顔を真っ赤にしたまま、楓音はそそくさと降りる。その背中をぼんやりと眺め、人混みに紛れて消えるのを見届けると、ようやく一息吐く。


 想定外の出来事に遭遇したものの、一日を通して充実していたと思う。あとは帰ってお宝の山を整理するだけだ。

 しかしすぐ、楓音の声が耳元に響いた。


「明日、ダンジョン潜るから。お昼に集合でいいわね」

「っ、お前さっき電車の外に出たよな!」

「聞いてる? いいわね?」

「あ、ああ、分かったよ!」


 俺の返事を聞くと、楓音は嬉しそうに頬を緩める。そして今度こそ俺の前から姿を消した。神出鬼没な女子高生め……。


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