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【第三章】

【第十七話】行きつけの定食屋を教える意味がお前には分かるか?

「ふうん……このお店、初めてきたけど美味しいわね」

「俺の行き付けだからな、当然だ」


 もぐもぐと口を動かしながら、対面に座る楓音の顔を見て返事をする。


 赤の門での初陣戦を飾った「御剣楓音とゆかいな仲間たち」の面々……と言っても二人きりのクランの俺達は、武蔵境駅近くにある定食屋で腹を満たす最中だ。


 本来ならば、コンビニに行って打ち上げ用の食い物を買うはずだったが、楓音の提案で急遽コンビニ飯を回避する運びとなっていた。

 楓音の主張では、


「ねえ、やっぱりお店に入らない? 居酒屋じゃなくても駅前ならいっぱいあるんだし、あたし達の初陣戦成功を祝う打ち上げなんだから、コンビニで簡単に済ませるのはどうかと思うのよね」


 だそうだ。

 まあ確かに楓音の言い分も一理あるが、時間と同じくお金も有限だ。無限に沸いてくるものではない。

 俺としては、コンビニ飯でササッと済ませた方が楽だ。


 しかし、どうしてもと楓音が駄々を捏ねた。

 だから俺は牛丼屋にでも入るかと自転車を漕いだわけだが、あろうことか「ねえ、もう少しゆっくりできるところがいいんだけど……」と背中越しに不満気な声色で囁かれてしまった。


 くっ、その台詞……別のシチュエーションで聞きたかった!


 例えばあれだ、初めてのデートで俺が「そろそろお開きにするか」と話しかけた時の返事だと仮定すればどうだろうか。

 そんな台詞を発した楓音は、間違いなく俺を誘っている。


 まだ、帰りたくない。もっと一緒にいたい。綴人と離れたくない。

 心の中で思っていることを、つい口にしてしまった場面といったところか。


 楓音の願いを叶えるとして、では一体何処に行けばいい?

 そりゃ勿論、男女が二人でゆっくりできるところと言ったら一つしかない。


 HOTELだ。

 それもただのホテルなんかじゃなくて、所謂「ラブ」が付くタイプのやつだ。


 いや、皆まで言うな。楓音だって年頃の女の子だ。仕方ないだろう。

 今日は丸一日デートしていたのだからな。何がとは言わないが何かが高まっていたとしても何ら不思議ではない。そしてそんな状況下で楓音が勇気を振り絞って誘ってくれたのだから、俺もその期待に全力で応えるべきだと思う。


 しかしながら、俺も完璧超人ではない。

 エロ漫画家でありながら、未だに年齢=彼女いない歴の俺は、ラブホテルというものに入ったことがない。ネットで調べれば内部情報とか幾らでも出てくるが、それでもやはり慣れていないので、挙動不審になることは間違いないだろう。


 だが、例えそうだとしても、俺は狼狽えることなく足を踏み入れようじゃないか。そうすることで楓音の不安を和らげることができるはずだと信じているからな。


 だから俺は黙って頷くと、目的地へと向けて自転車を全速力で漕ぎ始める。


 ……といった感じで、一瞬、本当に一瞬だけ妄想に浸ってすぐ我に返った俺は、怪訝そうにこちらを見る楓音と顔を合わせると、心の内を読まれないように肩を竦めてみせた。


 つまり結局何処に行ったのか。

 それはあれだ、ご覧の通り俺の行き付けの定食屋へ案内することになった次第である。


 一見すると、どこにでもあるような普通の定食屋だが、その実ここは隠れた名店で、芸能人やらスポーツ選手やらがお忍びで通う……といったことは皆無で、やっぱり前者で述べた通りのお店だ。


 とはいえ、味は良いと思う。メニューは豊富だし価格帯もお手頃だ。

 セットで付いてくる豆腐入りの味噌汁の味がもう少し濃いと高評価だが、客層がおっさんだらけな点もあり、塩分少な目にしている可能性がある。


 ハンバーグ定食を注文した楓音は、箸で一口大に切っては頬張り、幸せそうに租借する。その表情を見る限り、ここを選んだのは正解だったようだ。


「行き付け……? 意外ね。綴人ってもっとこう……ジャンクフードばかり食べてるイメージだったから」

「食えるなら毎日でも食いたいところだが、残念ながらジャンクフードはどれもこれも値が張るからな。小腹を満たす為に気軽に買うほど俺は金持ちじゃないんだよ」

「じゃあひょっとして……普段は自炊とかしてるの?」

「ふっ、馬鹿だな」


 無知を哀れむような瞳を楓音に向け、俺は胸を張って言葉を続ける。


「この俺が自炊するように見えるか?」

「聞いたあたしが馬鹿だったわ」


 お返しとばかりに、一人暮らしの孤独な男を哀れむような瞳を向けられてしまった。


「つまり、ジャンクフードは食べないけど、ついさっき連れて行かれそうになった牛丼屋さんとか……あとはラーメン屋さんとか? そういうお店にばっかり行ってるんでしょ」

「おいおい、牛丼屋とラーメン屋を馬鹿にするなよ?」

「別に馬鹿にしてないから。っていうか牛丼ならあたしだって食べるし」

「食べる食べないはどうでもいいんだよ」

「じゃあ何なのよ」

「楓音、お前の感覚だと牛丼もラーメンも安く感じるんだろうが、最近は牛丼並盛り一杯だけでも結構な値段するからな? ラーメンだって同じだぞ。一杯で千円は当たり前だ」

「つまり高いって言いたいわけ? だったら綴人は普段何を食べてるのよ」

「決まってるだろ、カップラーメンだ。業務スーパーで箱買いすれば安く済むからお得だぞ。そしてたまにインスタントラーメンも食べるな」

「目を輝かせて言うことがそれって、何だか悲しくなってきたわ……」


 再度、俺を哀れむような瞳を向ける。

 だが俺も反論させてもらおう。


「そう言うからには、お前は自炊してるんだろうな?」

「当然よ」


 ほんの少し前の俺のように、楓音は胸を張ってドヤ顔をしてみせる。

 その得意気な顔が無駄に可愛く見えるのが余計に腹立つな。


「綴人。あんたさ、見た目だけであたしが自炊しないって思ったでしょ?」

「そんなことはある」

「正直ね……」


 はぁ、と楓音は溜息を吐く。


「いやすまん。確か一人暮らしって言ってたから、俺はてっきり毎日外食してるか専属のシェフでも雇ってんのかと思ってな」

「専属のシェフなんているわけないじゃない」


 そうは言っても、楓音は探索者ランク十一位の高ランカーだ。

 探索者としての稼ぎは、売れないエロ漫画家の俺とは比べ物にならない。それこそ桁が二つ……いやいや、三つは違うかもしれない。……まさか、四つなんてことはないよな?


 だから稼いだ金に物を言わせて美味しい物を毎日食べているとばかり思っていたが、まさかまさかの自炊派だったとは、完全に予想外だ。


「じゃあ今度何か作ってくれよ」

「っ、あたしがあんたに?」

「おう。何でも良いぞ。但し安くしてくれ」

「バカね。……まあ、別にいいけど」


 冗談で言ったつもりが、OKしてもらえたらしい。

 顔を背ける楓音の表情が読めないが、これで一食分ゲットだ。ありがたや。


「一回一万円ぐらい請求するから覚悟しときなさい」

「あ、やっぱキャンセルで」


 無念。

 楓音の手料理はジャンクフードよりも高かった。


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