会計を済ませて店の外に出ると、俺は自転車に跨り楓音へと視線を向ける。しかし楓音は後ろに乗ろうとしない。
「……綴人、今日は楽しかった。あんたを見つけてクランを作ったのは正解だったわ」
「そりゃどうも。まあ俺も久しぶりに体を動かすことができたし、充実した一日だったぞ」
「うん。ありがとう」
明日は間違いなく筋肉痛だがな。
これでもまだ二十歳だが、普段はずっと原稿と睨めっこしている。体の鈍り具合は二十歳の中でもトップクラスのはずだ。
「それじゃあ、また明日……お昼を過ぎた頃に探索者組合のロビーに集合でいい?」
「明日も行くのかよ」
「当然でしょ? 今日はお互いの動きを見るのがメインだったけど、明日は隠し通路の先が本当に消えてしまったのか確かめるから。寝坊しないでよね?」
「はいはい、分かりましたよ」
面倒だが仕方あるまい。その分の見返りは貰えるのだから従うまでだ。
「じゃあ、今日はお疲れ様。またね、綴人」
そう言うと、楓音は軽く手を振って背中を向ける。そして駅へと向けて歩き始めて……。
「ちょっと待てい!」
俺はその背を掴んで止めた。
「な、なに? 急にどうしたのよ」
「何かお忘れではないかな?」
優しく、けれども鋭いジャブを撃つように問い掛ける。
すると楓音はゆっくりと視線を横へ逸らしていく。
「お忘れ……って、別に何も忘れ物はしてないはずだけど?」
「ほう、お忘れではない?」
良い度胸しているな。あくまで白を切るつもりか。
だが俺は忘れていないし逃がすつもりは毛頭ない。
だからはっきりと言ってやろう。
「モデル」
「っ、……今から?」
「ああ、今からだ」
「でも……もう遅いんだけど」
「大丈夫だ。ここから俺の家まで自転車で十分程度かかるとして、モデルに一時間、更に駅まで送る時間が五分程度だから、終電には余裕で間に合うぞ」
実家暮らしや寮生活なら門限とかあるかもしれないが、楓音は一人暮らしだ。だとすれば、終電の時間さえ逃さなければ何も問題ないだろう。いや、楓音の最寄り駅は吉祥寺なのだから、最悪の場合は俺が自転車で直接送ればいいだけだ。
つまり、何も問題はない。
「終電には間に合うって言っても、あたしまだ高校生なのよ? そんな夜遅くに一人で帰るなんて危ないと思うのよね」
「
「うっ」
絶対に逃がさん。
一度でもなあなあで済ませてしまえば、次回以降も何かと理由を付けて逃げられてしまうからな。何事も初めが肝心って言うからな。
「一度の探索に付き、一回。俺のモデルになるって言ったよな?」
「そ、そんなこと、言っ……」
「よし、今日この場でクラン解散ってことで」
「わわわ分かった! 分かったから! するわよ! モデル! ちゃんとするから!」
クラン解散を口にすると効果てきめんだ。
逃げ場はないと観念したのか、楓音はがっくりと肩を落とした。
※
「ねえ、やっぱり明日にしない?」
意気揚々と自転車を漕いで夜道を進み、あっという間にヒガコ荘へ到着する。玄関扉を開けて中に入ろうとすると、背に声をかけられた。
「却下だ」
「だ、だけど……ほら、あたしにも心の準備が必要だし……」
「今やってるネームの締切が明日の正午までなんだよ。だからそれに間に合わせる為にも、今日中にしてもらわないと困るぞ」
今日はダンジョン探索で時間を取られてしまったからな。その分をしっかりと取り戻す必要がある。つまり、楓音に拒否権はない。
「で、でも……今日は一日中、出ずっぱりだったのよ? モデルをするのは構わないけど、せめてもうちょっと綺麗な状態の方が……」
「それがあるだろ」
「え? ……あ」
目で訴える。
楓音、お前にはソレがあるだろう、と。
「こんな時の為に携帯してるんだよな?」
「うぐ……」
視線の先に映るのは、勿論化粧ポーチだ。
例え今俺達がいる場所がダンジョン内やエロ漫画家のボロアパートの一室だとしても、それがあれば最低限の準備はできるはずだ。
くくく、墓穴を掘ったな楓音。飯の時に化粧ポーチの必要性をあれだけ力説していたのだから、今更言い逃れることはできないぞ。
「それとも我が家のシャワーを貸してやろうか」
「そっ、それはなんかいやっ!」
全力で拒否られた。
「ほら、入った入った」
「……し、仕方ないわね。どうやら腹を括るしかなさそうね」
渋々といった表情を浮かべる楓音だが、大きく一呼吸したかと思うと、俺よりも先に玄関先へと足を踏み入れた。
「ようこそ、本日二度目のエロ漫画家のアジトへ」
「ちょっと黙りなさいよ」
楓音が俺の部屋に入るのは、これで何度目だろうか。
転移魔法の使い手ということもあって、気付いたら部屋の中にいるからな。鍵をかけて万全の状態で自家発電に勤しもうにも、今後は背後に気を付ける必要がある。
楓音の表情を窺ってみると、飯を食べていた時よりも固く見えた。新鮮味はないだろうが、こんな時間に……それもモデルをする為に入るのは初めてだから、内心緊張しているに違いない。
その緊張を解す意味を込めて、優しく声をかけてやろうじゃないか。
「今日は思う存分モデルになってもらうからな、そのつもりでよろしく頼むぞ」
「……やっぱり帰ってもいい?」
「俺が満足したらな」
踵を返そうとするが、玄関口へと先回りして通路を塞ぐ。
それを見た楓音は「分かったってば」と言って部屋に戻る。その背中を見ながらも玄関の鍵をそっと閉めた。
さあ、これからが本番だ。
御剣楓音、お前はここがオオカミの家であることをまだ知らない!
今宵は思う存分楽しませてもらうから、精々最後まで耐えてくれ!