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【第十九話】何かお忘れではないかな?

 会計を済ませて店の外に出ると、俺は自転車に跨り楓音へと視線を向ける。しかし楓音は後ろに乗ろうとしない。


「……綴人、今日は楽しかった。あんたを見つけてクランを作ったのは正解だったわ」

「そりゃどうも。まあ俺も久しぶりに体を動かすことができたし、充実した一日だったぞ」

「うん。ありがとう」


 明日は間違いなく筋肉痛だがな。

 これでもまだ二十歳だが、普段はずっと原稿と睨めっこしている。体の鈍り具合は二十歳の中でもトップクラスのはずだ。


「それじゃあ、また明日……お昼を過ぎた頃に探索者組合のロビーに集合でいい?」

「明日も行くのかよ」

「当然でしょ? 今日はお互いの動きを見るのがメインだったけど、明日は隠し通路の先が本当に消えてしまったのか確かめるから。寝坊しないでよね?」

「はいはい、分かりましたよ」


 面倒だが仕方あるまい。その分の見返りは貰えるのだから従うまでだ。


「じゃあ、今日はお疲れ様。またね、綴人」


 そう言うと、楓音は軽く手を振って背中を向ける。そして駅へと向けて歩き始めて……。


「ちょっと待てい!」


 俺はその背を掴んで止めた。


「な、なに? 急にどうしたのよ」

「何かお忘れではないかな?」


 優しく、けれども鋭いジャブを撃つように問い掛ける。

 すると楓音はゆっくりと視線を横へ逸らしていく。


「お忘れ……って、別に何も忘れ物はしてないはずだけど?」

「ほう、お忘れではない?」


 良い度胸しているな。あくまで白を切るつもりか。

 だが俺は忘れていないし逃がすつもりは毛頭ない。

 だからはっきりと言ってやろう。


「モデル」

「っ、……今から?」

「ああ、今からだ」

「でも……もう遅いんだけど」

「大丈夫だ。ここから俺の家まで自転車で十分程度かかるとして、モデルに一時間、更に駅まで送る時間が五分程度だから、終電には余裕で間に合うぞ」


 実家暮らしや寮生活なら門限とかあるかもしれないが、楓音は一人暮らしだ。だとすれば、終電の時間さえ逃さなければ何も問題ないだろう。いや、楓音の最寄り駅は吉祥寺なのだから、最悪の場合は俺が自転車で直接送ればいいだけだ。

 つまり、何も問題はない。


「終電には間に合うって言っても、あたしまだ高校生なのよ? そんな夜遅くに一人で帰るなんて危ないと思うのよね」

固有能力ユニークスキル持ちの高ランカー様が何を言っているのかな」

「うっ」


 絶対に逃がさん。

 一度でもなあなあで済ませてしまえば、次回以降も何かと理由を付けて逃げられてしまうからな。何事も初めが肝心って言うからな。


「一度の探索に付き、一回。俺のモデルになるって言ったよな?」

「そ、そんなこと、言っ……」

「よし、今日この場でクラン解散ってことで」

「わわわ分かった! 分かったから! するわよ! モデル! ちゃんとするから!」


 クラン解散を口にすると効果てきめんだ。

 逃げ場はないと観念したのか、楓音はがっくりと肩を落とした。


     ※


「ねえ、やっぱり明日にしない?」


 意気揚々と自転車を漕いで夜道を進み、あっという間にヒガコ荘へ到着する。玄関扉を開けて中に入ろうとすると、背に声をかけられた。


「却下だ」

「だ、だけど……ほら、あたしにも心の準備が必要だし……」

「今やってるネームの締切が明日の正午までなんだよ。だからそれに間に合わせる為にも、今日中にしてもらわないと困るぞ」


 今日はダンジョン探索で時間を取られてしまったからな。その分をしっかりと取り戻す必要がある。つまり、楓音に拒否権はない。


「で、でも……今日は一日中、出ずっぱりだったのよ? モデルをするのは構わないけど、せめてもうちょっと綺麗な状態の方が……」

「それがあるだろ」

「え? ……あ」


 目で訴える。

 楓音、お前にはソレがあるだろう、と。


「こんな時の為に携帯してるんだよな?」

「うぐ……」


 視線の先に映るのは、勿論化粧ポーチだ。

 例え今俺達がいる場所がダンジョン内やエロ漫画家のボロアパートの一室だとしても、それがあれば最低限の準備はできるはずだ。


 くくく、墓穴を掘ったな楓音。飯の時に化粧ポーチの必要性をあれだけ力説していたのだから、今更言い逃れることはできないぞ。


「それとも我が家のシャワーを貸してやろうか」

「そっ、それはなんかいやっ!」


 全力で拒否られた。


「ほら、入った入った」

「……し、仕方ないわね。どうやら腹を括るしかなさそうね」


 渋々といった表情を浮かべる楓音だが、大きく一呼吸したかと思うと、俺よりも先に玄関先へと足を踏み入れた。


「ようこそ、本日二度目のエロ漫画家のアジトへ」

「ちょっと黙りなさいよ」


 楓音が俺の部屋に入るのは、これで何度目だろうか。

 転移魔法の使い手ということもあって、気付いたら部屋の中にいるからな。鍵をかけて万全の状態で自家発電に勤しもうにも、今後は背後に気を付ける必要がある。


 楓音の表情を窺ってみると、飯を食べていた時よりも固く見えた。新鮮味はないだろうが、こんな時間に……それもモデルをする為に入るのは初めてだから、内心緊張しているに違いない。

 その緊張を解す意味を込めて、優しく声をかけてやろうじゃないか。


「今日は思う存分モデルになってもらうからな、そのつもりでよろしく頼むぞ」

「……やっぱり帰ってもいい?」

「俺が満足したらな」


 踵を返そうとするが、玄関口へと先回りして通路を塞ぐ。

 それを見た楓音は「分かったってば」と言って部屋に戻る。その背中を見ながらも玄関の鍵をそっと閉めた。


 さあ、これからが本番だ。


 御剣楓音、お前はここがオオカミの家であることをまだ知らない!

 今宵は思う存分楽しませてもらうから、精々最後まで耐えてくれ!


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