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【第二十九話】ご褒美は貯めるに限る!

 楓音と共に、赤の門のダンジョンを探索し始めてから、凡そ三時間。

 ランカーしか足を踏み入れてはならない広場に腰を落ち着け、魔物が産み落とされるのを待つ態勢へと入った。


 そんな中でも、楓音は魔物が産み落とされるのを待ちながら、広場の壁と言う壁を直に触って怪しいところがないか調べていた。


「……うーん、どこにも見当たらないわね」



 楓音には悪いが、今日も新たな道を発見することはできないだろう。

 はあ、と溜息を吐く楓音は、土壁から視線を移す。


「……ねえ、まだいるんだけど」

「だな」


 肩を竦めて返事をする。

 広場に繋がる通路の先から微かに感じる気配が一つ。

 その主は予想するまでもない。奈木だ。


 探索中、どこに隠れていたのか不明だが、いつの間にか俺達の後を付け始めていた。後ろを振り返ると距離を取り、付かず離れず声をかけてくることもなく、俺達の邪魔をしないように気を付けているのだろう。


 だが、最初は無視をしていた楓音も、それが続いたことで今は明らかに苛々している。


「今日はもう帰るか」

「……そうね」


 苛々したままでは、何も上手くいかないだろう。

 俺も原稿を描いている時、妄想が上手くいかないと筆が一切進まなくなるからな。エロにもメリハリが必要なのだ。そしてそれを今、楓音に教えたってわけだ。


「でも、今帰ったら時間が中途半端よね」

「じゃあ地上に戻ったら何か食いにでも行くか?」

「っ、行く! 行くわ」


 急に食いついてきたな。そんなに腹が減っていたのか。

 しかし俺も今の台詞には食いついてしまう。瞬時に耳を研ぎ澄ましたからな。


「どこでイキたい?」

「そうね……外に出るまでに考えておくから、もうちょっと待ってて」

「御意に」


 やはり生楓音はいいな。ふとした瞬間にネタを提供してくれる。

 楓音自身は、俺が何を考えているのかなど知る由もない。それがまたチグハグで良き。


 というわけで、俺達は本日のダンジョン探索を切り上げ、来た道を戻ることにした。


 道中、奈木と顔を合わせるかと思いきや、こちらの動きを察したらしい。ダンジョン内を戻っていくが、奈木の姿はおろか、気配も既に消えていた。

 それを知ってか、楓音が口を開く。


「ねえ、あの子……ずっと続いたりしないでしょうね」

「二、三日もすれば諦めてくれるだろ」

「だといいけど」


 不安と言うよりは不満なのだろう。楓音は表情によく出るタイプだからすぐに分かる。

 しかしまあ、そんなことはどうでもいい。それよりもさっさと飯を食って今宵のメインディッシュを頂かねばならない。


「それより、今日もモデルをしてもらうが……大丈夫だろうな?」


 前回は途中で逃げられた。

 まあ、俺がやり過ぎたのが原因だが、逃げるのは反則だ。そこら辺についてはしっかりと釘を刺しておかないとな。また同じことを繰り返されたらたまったもんじゃない。


「そ……その件について、一つ提案があるんだけど」

「提案? だが断る」

「まずは聞きなさいよ!」


 馬鹿め、聞くだけ無駄なことは分かり切っている。

 何故なら楓音の提案なのだからな。


「絶対ろくな提案じゃないだろ。十中八九、いや、百パーセントの確率で俺が不利になる提案に違いない!」

「うっ、とにかく聞きなさいってば!」


 言葉に詰まる時点で俺の予想が当たっていることは間違いない。

 だが、すぐに考えを改める。


「一応、聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」


 楓音が何を提案するのか定かではないだが、俺が譲歩することで楓音との関係が更に有利な物になると思えば、案外悪くない話だ。


 というわけで、仕方なしに話を聞いてみることにしよう。

 そしてそれが大間違いだということを理解した。


「ダンジョンの探索一回に付き、あんたのモデル役を一回引き受けるって約束だけど、時間制限を設けるべきだと思うのよね」

「時間制限……だと?」

「ええ。例えばモデル一回、五分でどうかしら? それならあたしも――」

「却下だ」

「すぐ断らないでよ!」

「断るに決まってるだろ!」


 俺が馬鹿だった。

 ちょっと甘く接してみようと思った途端、これだ。


「たった五分だと? ふん、笑わせてくれるぜ。時間の割合が全く合ってないだろ。俺はお前のダンジョン探索に付き合う度に数時間単位で拘束されるんだぞ? その対価としては短すぎるだろ」

「あ、あたしは恥ずかしいのを我慢してモデルを引き受けるのよ?」

「それこそ馬鹿めだ! ダンジョン探索は命を懸けるんだぞ、羞恥心とは比べるまでもないだろう!」

「だ、だったらダンジョン探索で得た報酬! あたしの分もあんたに上げても――」

「それは要らんと言っただろ! 目の前の金よりも現実のエロ! それが俺の選択だ!」

「え、エロって言ったわね! やっぱあんたエッチな目的であたしにモデルをさせようとしてるんじゃない!」

「ソンナコトナイヨ? ボクハケンゼンナオトコノコダヨ?」

「急に片言になるな!」


 その後も罵詈雑言の嵐を受けたが、俺も勿論引くつもりはない。

 頑固な性格同士が互いの主張をすり合わせるには、相当な労力がかかることを今日知ることができた。


 で、足を止めて地上に戻るのも忘れて言葉をぶつけ合うこと数十分。

 妥協に妥協を重ねた結果、一つの到達点へと辿り着く。


「……じゃあ、確認するぞ?」


 息も絶え絶えになりながらも、俺と向かい合ったまま睨みつけてくる楓音もとい敵に対し、確認を取る。ああそうさ、敵だよ敵。今だけ楓音は俺の敵!


「一度の探索に付き、一時間のモデル役をこなすこと。そしてモデル役に関しては一時間では足りない場合があるから、時間を貯めてまとめて頼むことができるってことでいいか」

「……嫌だけど、仕方ないわね」

「その台詞は俺が言いたいんだが!?」


 本来なら、ダンジョン探索に付き合った日は思う存分楓音をモデルにデッサンすることができたのだ。それがたったの一時間に減らされてしまった俺の悲しみは……楓音、お前には一生分かることはないだろう。畜生っ!


「で、今日の分は使うの? 一時間」


 譲歩し過ぎたというか楓音の圧に強引に押し切られた形の俺は、未だ悲しみに表情を歪めている。それを見たうえで、楓音が訊ねてきた。声色が若干恐る恐ると言った感じなのは、モデルをしなければならないことに対する緊張によるものに違いない。


 だがな、俺はその不安を……否、期待を裏切るぞ。


「当然、貯める!」

「……あ、……そ、そう? じゃあ今日はモデルをしなくていいってことね?」


 それが分かると、楓音は安堵の表情を浮かべた。

 しかし楓音はまだ俺の策略に気付いていない。


「ああ。じゃあとりあえず地上に出たら飯を食いに……いや、もうこんな時間か」


 隙間時間は終わりだ。

 地上に戻ったらさっさとヒガコ荘に帰ってネタ出しに励もう。


「え、ご飯は……無し?」

「なんだ、食いたかったのか?」

「別に、お腹減ってないし!」


 怒られた。

 しかし楓音よ、怒りたいのは俺の方だということを忘れないでおくれ。


 その後、地上へと出た俺達二人は、探索者組合に戻って報酬を受け取った。

 そしてその場で解散し、楓音の背を見送った後、自転車に跨る。


「く、くく……くくくっ」


 笑みが零れる。

 ダメだ、笑わずにはいられない。


「モデル一回に付き、一時間か……」


 随分と少なくなってしまったものだが、逆に考えろ。

 ダンジョン探索に付き合う度に、一時間。二回付き合えば二時間。これを貯めに貯めて二十四時間とすれば、丸一日……楓音を拘束することができる!


 素晴らしい。これは夢が広がる。妄想が捗る。そしてその妄想が現実になる日が来るのが待ち切れない。


 最初は元気な楓音も、モデルが続くに連れて次第に疲れが顔に表れるようになるだろう。俺が狙うのはその表情だ。


 もう嫌だ、こんなやつと一秒だって一緒にいたくない、早く帰りたい、お願いだからお家に帰してください、と最後には泣いて懇願する姿を見ることができれば完璧だ。


 丸一日かけて、御剣楓音という女子高生の変化をスケッチしまくろう!

 くくく、震えて眠れ、楓音!


 今の俺はきっと悪代官よりも悪い顔をしているはずだ。

 だが、誰にも見られていないのだから構うことはない。


 故に一人楽しく、下手くそな口笛を吹きながら、のんびりと自転車のペダルを漕いでヒガコ荘へと戻った。


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