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06.そんないいものじゃないわ

 プロポーズの答えを保留にして、二ヶ月。

 軍学校は冬季休暇に入った。

 年末にあるアシニアースという聖夜あたりから、新年の三日まで基本的に休みである。


 孤児院出身のグレイは行くところがなく、宿舎で過ごすつもりだと言うので、アンナはグレイを自宅に誘った。

 アンナの家は代々武将の家で、歴史もある割と大きな家だ。周りは貴族の家が多い地区である。

 近くにはこのストレイア王国の王子であるシウリスの母親、第一王妃の生家があるほどには、高貴な地区だった。

 実はアンナは、その第二王子のシウリスと幼馴染みという関係である。

 母アリシアが忙しく、第一王妃の好意によって、同い年のシウリスと共に育てられたのだ。一緒に模擬剣を握って切磋琢磨した相手でもある。ある時を境に、今は疎遠になっているが。


「あ、靴は脱いで上がってね」


 アンナが手編みのルームシューズを出すと、グレイは不思議な物を見るようにしながらも、踵のないシューズに履き替えた。


「そうか、そういえばアンナの父親は、東方の出身と言っていたな」

「ええ、この習慣も父さんが作ったみたいなのよ。快適だから、慣れてね」


 グレイはすぐには慣れずに足元をもぞもぞさせながら中へと上がり、改めて部屋の中を見まわした。

 天井は高く、玄関口も広い。部屋数も一般的な家の倍位以上あるし、調度品も歴史と品性が感じられた。


「わかってるつもりだったが、本当に由緒正しいお嬢さんだったんだな」


 グレイは改めて嘆息しながら言葉にする。


「やめてよ、お嬢さんなんてそんないいものじゃないわ。母さんは王宮に一室を与えられていて帰ってこないし、私も軍学校に入ってからほとんど帰らないから、掃除が大変なの。手伝ってね」

「ああ、もちろん」


 グレイとアンナは部屋を開け放ち、寒さに震えながら空気を入れ替え、掃除を始めた。


「ところで、アリシア筆頭はいつ帰ってくるんだ?」

「忙しい人だから、いつも年が明けてから一日しか帰ってこないのよ」


 当然のように答えるアンナに、グレイは「そうか」と一言呟いただけだった。

 この大きな家に、一人。

 アンナは生まれてから今まで、どれだけの時間を孤独に過ごしていたのだろうと考えて。


「ふう、一通り終わったわね。グレイ、窓を閉めてくれる? 急いで暖炉に火を入れるわ」

「俺がやる。アンナが窓を閉めてくれ」

「そう? ありがとう。薪は裏に積んであるから」


 アンナがあちこちの窓を閉めている間に、グレイが暖炉に火を入れた。

 帰ってくる前に買い出していた食料で、一緒に夕食を作る。

 それを食べて二人でのんびり過ごすと、アンナはほっと息を漏らした。


(こうしてこの家に誰かがいるって……すごく安心するわ)


 いつも一人で年末を過ごすアンナは、グレイがここにいることを不思議に思うと同時に、とても心が落ち着いた。

 プロポーズされた日から、偽装の付き合いから正式なお付き合いになったとアンナの認識も変わっている。

 一方のグレイは、家で一緒に年末年始を過ごそうとアンナに提案され、少なからず驚いていた。

 お互いに正式な付き合いをしているという認識の状態で、数日を同じ家で過ごすということ。


(アンナは深く考えてなさそうだからな。あまり期待しない方がいいとわかってはいるが……)


「私もお風呂に入ってくるわね」


 そう言ってアンナはグレイを置いて風呂場へと行った。

 グレイは片付けの後、すでに先に風呂を終わらせている。


 お互いに寮で暮らしている二人だ。そうそうチャンスはない。

 男子寮で逢瀬を楽しむカップルもいるにはいるが、壁の薄い場所でアンナの声を晒すなどもってのほかだ。

 そう、つまり現在は大チャンスなのである。グレイにとっては。

 健全な男子なのだ。意識をせざるを得ない。


 アンナが風呂から出てくるまでの間、グレイは悶々と過ごした。

 そして「さっぱりしたわ」と出てきたアンナを見て、絶句した。

 もう寝るだけなのだから当然と言えば当然かもしれない。

 楽な夜着だけで、アンナはどう見ても下着をつけていなかった。


「待て……リラックスし過ぎだ、あんたは」

「え? ……あっ」


 己の格好に気づいたアンナは、一瞬にして顔を赤らめて胸を隠す。その仕草が、有り得ないくらいに色っぽい。


「ごめんなさい、ついいつもの癖で……っ」

「いや……いいんだけどな、ここはアンナの家だし。ただ……」

「ただ?」

「期待、してしまう」


 そこまで言われて、なんのことかと問うほどアンナは疎くはない。

 アンナにしても、家に誘った時点である程度の覚悟はしていた。そうでなければ、冬季休暇を一緒に過ごそうと誘ったりなどしない。

 けれど本当に決心がついているかと言われれば、まだだと言わざるを得ない状態ではあった。


「……ごめんなさい。まだ、今日は……」

「今日は、か。わかった。アンナがいいと思えるまで、ちゃんと待つから」

「ありがとう、グレイ」


 グレイの言葉に、アンナはほっと笑みを漏らす。そしてそのままソファに座るグレイの隣にちょこんと座った。


(生殺しだ……)


 たまにド天然を発揮するアンナの行動に、グレイはソファの隣に置いてあった毛布を掛けて、下半身を隠した。


「私も一緒に入れて? すぐ冷えちゃうのよね」


 そう言ってアンナはグレイに擦り寄ると、同じ毛布に足を滑り込ませる。


(生殺しだ……!!)


 グレイがそう思っていることなど露知らず、アンナはふふっとグレイを見上げた。


「あなたがこの家に一緒にいてくれるって、不思議……」

「……そうだな。俺もこうしてでゆっくり時間を過ごすのは、不思議な感じだ」


 グレイは四歳から孤児院で、十五歳からは寮で暮らしている。

 常に誰かがいる場所ではあったが、家庭とはまったく異なるところだ。

 アンナもまた、誰かと一緒にゆっくりと過ごす家というのは久しぶりだった。

 グレイがそばにいるというだけで、自然と顔がほころぶ。


(アンナはずっと、一人だったんだな)

(グレイはずっと、寂しかったのね)


 その孤独を。

 自分という存在で埋めたいと、二人は互いに思った。

 顔を上げたアンナの首に、グレイは己の腕を巻き付ける。


「寒くないか」

「……今、熱くなっちゃったわ」


 ぐいっと力強く抱き寄せられたアンナの顔は、ほのかにピンクに染まり、百合の花のような色気を醸し出している。

 グレイはその姿を見て、思わず息を呑んだ。


「グレイ……」

「どうした?」

「来てくれて、ありがとう」

「そりゃ、結婚したいと思ってる女に誘われれば、来るに決まってる。けど礼を言うのは俺の方だ。宿舎で過ごす俺を気遣って、誘ってくれたんだろう?」

「ええ、まぁ……それもあるけど……」


 アンナは照れを見せながら、次の言葉を放つ。


「私が、あなたと離れるのは嫌だったの。何日も会えなくなるなんて、我慢できなくて、だから」

「アンナッ」

「んっ」


 気づけばグレイは、アンナの唇を奪っていた。

 強く頭を抱えて、離さぬように。

 アンナも驚いたのは一瞬だけで、グレイの唇を受け入れていた。


「アンナ……」

「……グレイ……」


 アンナの濡れた唇の色っぽさに、グレイは理性が吹き飛ばされそうになる。

 いや、すでに一瞬吹き飛んでしまっていた。

 これ以上はアンナの同意なく進んではいけないと、理性を引っ掴んで戻させる。


「胸が、破裂しそうだわ……」

「初めて、か?」

「そうよ、悪い?」


 アンナが少しむくれて言うと、グレイは「よしっ」と拳を握りしめた。

 初めてだろうとは思っていたが、確実にそうだとわかって喜びが漏れる。

 と同時に、グレイは言わなければいけないことがあった。


「俺は、二度目だ」

「…………そう」


 グレイの言葉に、アンナは一瞬表情をなくしてふいと横を向いた。


(私は二人目の女ってことね。……別に構わないけど、わざわざ今、それを言う必要ある!?)


 醜い嫉妬だとわかっていても、態度悪くグレイから視線を逸らし続ける。

 アンナに勘違いさせたと気づいたグレイは、慌てて次の言葉を紡いだ。


「違う」

「なにが違うの。別にいいのよ、何度目でも。二度目なんて言って、本当は何度もしてるんでしょう?」

「あー、確かに……四度目……いや、五度目か?」

「いいわよ、もうっ」


 別にいいと言いつつ、アンナは苛立ちを募らせて立ち上がった。

 グレイの過去にそんな人がいたことに、悲しみと悔しさが湧き上がる。

 胸が締め付けられたようになり、自室へと逃げ出そうした時、アンナの手はグレイに掴まれた。


「違う、全部アンナだ!」

「……え?」


 なにを言っているのかというアンナの怪訝な顔。グレイは眉を下げ、しかし口元はほんの少しだけ上がる。


「前に言ってただろ。アリシア筆頭がニヤニヤしてたって」

「え? それって私がホワイトタイガーにやられて、入院した時のこと?」

「ああ。筆頭がニヤニヤしてたのは、それだ」

「それだ、って?」


 まったく気づかないアンナに、グレイは言葉を慎重に選びながら話し始めた。


「あの時、アンナは自分の呼吸が止まってたっていうのは知ってるよな」

「ええ、外傷性の窒息だったって聞いたわ」

「その状態のアンナを、俺とアリシア筆頭で蘇生処置したんだ。大役を、俺がもらった」


 そこまで説明を受けると、さすがのアンナも気づいた。

 あの時、グレイは左腕に大怪我をしていたのだ。心臓マッサージの方を担当するのは、厳しかったに違いない。つまり。


「グレイが、私の息を吹き返してくれたのね……」

「意識のない時に奪うのはどうかと思ったんだが……」

「ううん。グレイで……よかった」


 アンナの心からの言葉に、グレイは顔を綻ばせる。

 ばくんばくんという心臓の音を耳のそばで聞きながら、アンナは初めてまともに正面からグレイを見上げた。

 まだ十六歳のグレイだが、体格がいいので年齢よりずっと大人びて見える。

 精悍な顔立ちは、周りにいる誰よりも男らしさが際立っていた。

 アンナもまた、父親譲りの黒髪と黒目、そして色気でグレイを魅了していて。

 お互いに磁石にでもなったのかと思うほどに惹きつけられていく。


「アンナ……」

「……グレイ」


 二人はどちらからともなく、唇を寄せ合う。

 しかしアンナはそのあと羞恥の限界が訪れ、「おやすみなさい!」と自室に閉じこもり。

 グレイは「生殺しだ……」と一人呟くのであった。


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