夕食を終えると、順番にお風呂に入っていく。
ジャンとグレイが先に入り、アンナが出てきた時には三人が暖炉の前で楽しく会話をしていた。
「母さん、お先」
「あら、出たのね。じゃあ私も入ってくるわ!」
そう言って今度はアリシアが部屋を出ていく。
中に入ってきたアンナを見て、グレイはほっとした。アンナの下着がちゃんと着けられているのを確認して。
「ふう、この部屋は暑いくらいね」
「風呂から出たすぐだからだろ。またすぐ冷えるぞ。暖かくしろよ」
グレイがブランケットを渡すと、アンナはいつものようにグレイのそばにちょこんと座った。そしてブランケットを広げ、グレイと一緒に膝へと掛ける。
そんな二人の姿を見て、ジャンは対面のソファーの肘掛けの方へと座りながら、長い足を組んで目を細めた。
「いいね……仲」
ジャンの言葉にアンナとグレイは目を合わせ、微笑み合う。
「ああ、おかげさまで」
「ジャンもいい人くらいいるんでしょ?」
「あー……どうかな」
ジャンの曖昧な返事を、アンナは〝いる〟と捉えた。
現在ジャンは二十九歳である。アンナにとっては、年の離れた兄のような人だ。
高身長で魅惑的なジャンに惹かれ、言い寄る女性が多数いることをアンナは知っている。しかし結婚するわけでもなく、特定の女性がいる様子もない。
いい人が〝いる〟はずなのに先に進めない理由を考え、アンナは呆れ声を上げた。
「ジャンったら、昔から母さんに振り回されてばかりなんだから。あの人に付き合ってたら、幸せ逃しちゃうわよ」
「いいんだよ、別に」
「よくないわよ、もうっ」
アンナはアリシアがいないのをいいことに、はぁっと息を吐いた。
「去年の冬季休暇の時は、古代遺跡行きに巻き込んじゃったみたいだし……母さんの頼みなんて、断ってくれてくれて大丈夫なのよ?」
「いや、あれは俺から着いてったから。でも行って正解だったよ。筆頭はあんな風に笑ってたけど、実はかなりヤバかった」
「……そうなの?」
ジャンの真顔に、アンナの血の気は引いていく。
アンナの父親の雷神は、今どこにいるかわからない。祖父母に当たる人物は、火事になった学校から子どもを救えるだけ救い出し、そのまま帰らぬ人となっている。
アンナの血の通った家族は、アリシアだけなのだ。その母がいなくなったらと考えるだけで、アンナは身震いした。
「なにが……あったの……?」
「筆頭が、奇跡的に最深部へ続くスイッチを発見したんだ」
「母さんったら……! トレジャーハンターの才能ないくせに、そういうところだけはやたらと運がいいんだからっ」
「良かったのか悪かったのか……当然、筆頭は押したがった」
「でしょうね」
「結局は最深部に辿り着いたんだけど、出られなくなったんだ。最終的にはまぁ、助かったけど」
現在ここに二人がいるのだから当然ではあるのだが、それでもアンナは安堵した。
「やっぱりあの時、止めておけばよかったわ」
「そうとも言えないよ。アンナはメモリークリスタルを知ってる」
「メモリークリスタル? いいえ」
初めて聞く言葉に、アンナは左右に首を振る。そんなアンナに、ジャンは丁寧に説明を始めた。
「メモリークリスタルは、古代コムリコッツの遺跡に残っている記憶媒体だ。そこに行った者の姿を映して、後世に残すための装置。それに、ロクロウが映ってた」
「……父さんが」
「喜んでたよ、筆頭は。久々にロクロウの姿を見られて」
「そう……なら、よかったわ」
その場にいなくとも、アンナにはアリシアが涙を流して喜んでいる姿が想像できる。
(母さんは、本当に父さんが大好きだものね……)
普段は底抜けに明るく、寂しい様子など見せはしない母親ではあるが。
アンナが一人で寂しかったのと同じように、アリシアは両親もすでに他界していたのだ。その上愛する人にまで消えられて、寂しくなかったわけはない。
「アンナ。もしそのクリスタルを見に行きたい時には、必ず俺に言って。あれは一人じゃ絶対に帰ってこられないところにあるから」
「ありがとう、ジャン。でも大丈夫よ。あなたを巻き込んでまで、父さんの姿を見たいとは思ってないから」
「……うん」
アンナならそう言うだろうと見当をつけていたジャンは、首肯した。アンナ自身、そこまで父親の姿を見たいとは思っていない。気には、なるが。
「けど、そんな危険なところに母さんは行ってたのね……ジャンがいなかったらと思うと、ゾッとするわ」
「心配しなくていい。筆頭は俺が守るから」
「そうは言うけど、ジャンは母さんより弱いじゃない」
ばっさり切り捨てるようなアンナの発言に、一瞬部屋の暖かさが消えた。
隣で聞いていただけのグレイは、身も蓋もない言い方をするアンナを、目だけで見下ろす。
(抉るよな、この女王様は……というかジャンは今、結構な重大発言をしてたぞ……)
なにも気づいていないアンナに逆に惚れ惚れしながら、グレイは口出しせず二人の会話を傾聴することに決め込んだ。
「守り方なんて色々あるだろ。筆頭より弱くたって、できることはある。元々俺は、諜報の人間だし」
「そうね。遺跡のこともあるし……母さんを守ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
ジャンもアンナも穏やかな顔をしていて、大丈夫そうだとグレイはこっそりと息を吐いた。
「いつも母さんのことを気にかけてくれて、ジャンには本当に感謝してるわ。でも、どうしてそこまでしてくれるの?」
純粋な疑問を言葉にするアンナに、やはりグレイは黙っている。
ジャンは一拍置いた後、この男特有の妖しい目を床へと落とした。
「どうして、か……これもロクロウに関係してくるかな……」
「父さんに……」
「聞きたい、アンナ」
ジャンの問いに、アンナはなにも答えられなかった。
アンナはこれまで、あまり詳しく父親の話を聞いたことがない。
雷神が酷い人間であったと思うことで。
寂しい思いを雷神のせいにすることで。
アンナは自身の心を慰めてこられたからだ。
しかし逆に、本当はいい人でいてほしいという願望もあった。
実の父親が実際に酷い人物だったらと想像すると、怖く悲しい気持ちが湧き立つ。
どうしようもない矛盾であるが、詳しく知らずにいることで、どちらかに偏ってしまいそうな心を、アンナは絶妙な位置で保っていたのである。
(父さんのことを知りたい……でも、怖い)
そう思っているアンナに、グレイは助け舟を出した。
「俺はちょっと興味あるな。アンナの父親」
ソファの隣で笑みを漏らしているグレイに、アンナは顔を上げる。
「似てるんだろ、アンナに」
「私は会ったことがないから、わからないわよ。髪と目の色が同じってくらいしか、知らないわ。母さんは父さんを良いようにしか言わないし、信憑性がなくって」
アンナの言葉に、ジャンは少し眉を下げて笑った。
「確かに、筆頭はロクロウを美化し過ぎなところがあるから。俺でよければ教えるよ。思えば、今までアンナに話すこともなくここまできた。このまま知らない方がいいなら、言わないけど」
第三者から雷神の話を聞けるとなった今、アンナは迷った。
アンナは、父親である雷神の印象が良くない。いくらアリシアに素敵な人だったと聞かされても、愛する人への補正がかかっている状態では疑うしかできなかったのだ。
だからアンナは、自由に雷神の姿を想像してこられたとも言える。
時に酷い男であり。時に良い男であったと、その時の自分の心の状況により使い分けて。
それでも、アリシアを置いて逃げるように去っていったことだけは、許せなかったが。
「聞いておこう、アンナ」
悩むアンナの背中を押したのは、やはりグレイだった。
「……でも」
「確かに今のアンナには不要な情報かもしれない。けど未来のアンナは、その父親像に救われることだってあるかもしれないだろ。聞ける時に聞いておいた方がいい」
「グレイ……」
アンナが父親を恨みに思っていることを、グレイはわかっていた。だからこそ、雷神を許せる日が来た時のために、聞かせておくべきだと考えたのだ。
第三者である、ジャンから見た雷神の姿を。
「……わかったわ。聞かせて、ジャン」
グレイの説得にアンナが決心すると、ジャンは頷き、その唇を開くのだった。