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100.あなたを探しながら追ってたのよ

 オルト軍学校の卒隊式では、当然のようにカールが首席であった。

 そのカールが王都へとやってきた週の日曜日。

 久々に四人で会う約束をして、カールの新生活の買い出しを手伝うことになった。

 アンナとグレイが宿舎前に行くと、すでにカールとトラヴァスが待っている。


「よう、カール。少しくらい背は伸びたか?」


 グレイが会うなりカールを揶揄うようにニヤニヤと笑う。

 早速カールはむくれっ面である。


「くそ、デカくていいよな、お前らはよ……」

「お前は大きくならずに正解なんだぞ。一番スピードが活きる体格だからな」

「そうかもしれねぇけどよー」


 納得のいかないカールだが、オルト軍学校に入った時に比べると随分と伸びている。アンナよりも拳ひとつ分ほど大きい。

 十分すぎるほどあるじゃない、という嫉妬を燻らせるアンナ。それに気付いたトラヴァスが声を上げた。


「数センチの差など、大して変わらないだろう。それより歩きながら話そう。下町の方が安く買えるからな」


 トラヴァスが歩を進め、アンナは首を傾げた。


「女子の宿舎の方には行かないの? カールの彼女も買い出しが必要でしょう? 確か、フローラだったわよね」


 アンナの素朴な疑問に答えたのは、カールではなく無表情のトラヴァスだ。


「触れてやるな、アンナ。カールは傷心中だ」

「え? 別れちゃったの? また?」

「うぐっ」


 容赦のないアンナの言葉に、ぐっさりと刺されるカールである。


「抉るよな、アンナは……俺はさすがに、からかうこともできないぞ……」

「別に私はからかってなんかいないわよ」

「いや、それはそうなんだが……」


 グレイはなにも言えずにいるカールを見て、アンナはストレートに言い過ぎたのだと気づき、眉を下げた。


「ごめんなさい、カール。まさかもう別れたなんて思わなくて」

「うぐぅっ」

「一年と少しくらいは付き合ってたのよね?」

「まぁな……」

「どうして別れちゃったの?」

「それくらいにしてやってくれ、アンナ。見てられん」


 歩を進めながら言うトラヴァスの顔は、いつもの無表情ではない。さすがに眉を寄せていて、グレイもアンナの質問に口元を引き攣らせる。


「アンナは意外とズケズケ聞くよな……」

「そう? だって気になるじゃない。カールみたいな優しい人と別れるなんて、理解できないわ。カールから振ったわけじゃないんでしょう?」


 アンナは不服を全面に押し出しながらそう言った。

 カールは優しくていい男で、素晴らしい仲間だ。そんな彼を振るなど、アンナには納得できない。そうっとしておく方がいいとは心でわかっていても、別れた理由を聞かなければ気が済まなかった。


「おい、アンナ──」

「ああ、いいって。別に、泥沼になって別れたわけでもねぇしよ……」


 そう言うと、カールは歩きながら別れた理由をアンナたちに話し始める。


「フローラはよ、俺と付き合ってたら、つい頼っちまうんだと。将になるつもりの俺の足を引っ張りたくねぇって。騎士として誇れる自分になりてぇんだって。そう言われたら、別れるしかねぇよなぁ……」


 カールの力無い声。そして別れた理由に、アンナは怒る必要のない別れだったのだと理解し、納得した。


「そう……頼りないイメージの彼女だったけど、そうじゃなかったのね」

「おう。フローラは、芯の強ぇ女なんだ。俺もあいつを応援してる。だから、これでいいんだ」


 カールは自分に言い聞かせるようにそう言って、前を向く。しかしその瞳はどこか寂しそうで、グレイはグシャッとカールの髪の毛を乱し、トラヴァスは背中をポンと叩いた。


「まぁ、傷心のカールに昼飯くらいは奢ってやるか」

「では私は夕食を奢ろう」

「……っへ、いっぱい食ってやら」


 カールはそんな二人を見てシシッと笑うと、あとはいつもと変わらぬ雰囲気に戻ったのだった。


 町を案内しながら生活用品を買い、昼食を食べ、町を散策する。

 お店に入ったり公園に行ったり教会に行ったり、アイスクリーム屋でアイスを食べたりしながら、四人はゆっくりと過ごした。

 そして夕食が済み、宿舎に帰るトラヴァスたちと別れてからのことである。

 日は沈み、人がまばらになった帰り道。アンナはある匂いを感じて振り返った。そしてそこにいるものを見て、目を瞬かせる。


「ちょ、ちょっとグレイ! すごい子引き連れちゃってるわよ!?」

「ん?」


 アンナの驚きの声にグレイも振り返る。

 犬猫がついてくるのはいつものことなのだが、そこにいたのは──


 きゅうん。

 きゅう?


 と愛らしく鳴く。よちよち歩きの子犬であった。


「うわ、マジか。どっから抜け出してきたんだ、お前」

「この子の匂い、夕食の前にも嗅いだ気がするわ。グレイをずっと追いかけて来てたのよ」

「根性あるな、こいつ……いや、そんなこと言ってる場合じゃないか」


 グレイはその子犬を抱き上げると、周りを見回す。

 もちろん、親犬や飼い主らしき人物などは見当たらない。


「どこの家の犬かしら……ずっとつけてたなら、この近辺じゃなさそうだし……」

「いつも犬猫が来るから、気にしてなかったな。もう夜だし、飼い主を探しにも行けないぞ」

「でもこのまま放っておけないわよ。春とはいえ夜は寒いし、鳥に狙われちゃうかもしれないわ。とにかく今日は、連れて帰りましょう」

「……仕方ないな」


 今の状態ではどうしようもなく、アンナたちはその子犬を連れて家に帰ってきた。

 ディックが二人を出迎えようとして犬に気づき、すぐさま二階へと駆け上がって外に出て行ってしまう。


「まぁ、そうなるよな」

「戻ってくるかしら……」

「こいつを元の飼い主のところに戻せば問題ない、ディックは戻ってくる」


 そう言いながら部屋中に灯りをつけ、改めて明るい場所で子犬を見た。

 小さな体は、ふわふわの淡い灰色の毛に包まれている。透き通るような薄いブルーの瞳は、冬の氷のようだ。首を傾げるように見上げられると、アンナもグレイも射抜かれてしまいそうになった。

 まだ頼りない足取りで必死に追いかけてくる姿は、守ってあげたくなるほど愛くるしい。


「か、かわいすぎるわ……!」

「というかこいつ、ラストアスハスキーじゃないか」

「ラストアスハスキー?」


 子犬と同じように首を傾げるアンナを見て、子犬以上にかわいいと思うグレイである。


「もしかして、けっこうな高級犬なの?」

「高級肉みたいに言うなよ、食わないぞ」

「わかってるわ、もう」


 アンナが眉を下げてむうっと口を尖らせると、グレイはしゃがんで子犬を撫でる。


「ラストア地方原産のハスキーは、狼の血も混じっていてな。人気の犬種だぞ。どっかの金持ちが買ったんだとしたら、俺たちは立派な誘拐犯になっちまうな」

「ええ? それは困るわ」

「朝一で近所の騎士の詰所に届けだけ出しておこう。うちで預かってることを伝えておけば大丈夫だ」

「でも、私たちがいない間はどうするの?」


 グレイはアンナの疑問を受けながら立ち上がり、ヤギのミルクを取り出すと皿に入れて出してやる。


「明日休んでこいつの飼い主を探すか……ああ、でも明日はちょっと休めないな」


 ぺろぺろと子犬がミルクを飲み始めたのを見て、今度は芋を手に取り皮を剥きながらグレイは眉を寄せた。明日はどうしても外せない仕事が入っている。しかし、家の中で子犬を一匹放っておくわけにもいかない。


「じゃあ、私が休みをとってこの子の飼い主を探してみましょうか」

「いいのか?」


 アンナの提案に、グレイは顔を明るくする。そんな恋人に、アンナはこくんと頷いて見せた。


「ええ。実は、スウェル様に少しは有給を消化しろと怒られたばかりなの。下の者が休みづらくなるからって」

「ああ、確かにそういうこともあるな。じゃあ、頼めるか?」

「ええ。私の方が鼻も効くし、ラストアスハスキーを飼っている家の近くを通れば気がつくと思うわ。これだけ小さければ、母犬と一緒にいた可能性も高いでしょうし」

「そうだな、じゃあ頼む」


 そう言ってグレイは切った芋を水を入れた鍋に入れ、燃石に火をつけたマッチを寄せた。

 鍋より少し小さな炎が、石から燃え始める。大きさによって使用時間は異なるが、グレイが使ったのは二十分程燃え続ける燃石だ。


「燃石も少なくなってきたな。買いに行かないと」

「冷蔵室の冷石も、効き目がとろくなってきたわ。こういう時、一家に一人ずつ火の書と氷の書持ちがいれば助かるんだけど」

「カールとトラヴァスに頼むか」

「こんなことで二人に頼まないの、ちゃんと補充してもらいましょう。それより、なにを作ってるの? あなたの夜食?」


 後ろから顔を覗かせたアンナを、グレイは「ん?」と見下ろす。


「ああ、これはペースト状にしてミルクで伸ばして少し食わせてやろうと思ってな。歩き方からして、離乳食の時期に入ってる頃だ。残ったら芋のスープにして、明日の朝に食おう」

「ふふ、いいわね」


 犬に詳しいグレイがなんだか嬉しくて、アンナはその様子を見守る。

 出来上がった離乳食を与えると、子犬はきゅうきゅうと嬉しそうな声を上げて食べ始めた。


「本当にかわいいわね。動物の赤ちゃんってどうしてこんなに癒されるのかしら」

「もう食べ終わったのか。お前、ゆっくり食べないと腹壊すぞ」


 グレイが手を差し出すと、子犬は指をぺろぺろと舐めている。


「ずっとあなたを探しながら追ってたのよ。お腹も空いてるわよね」


 そう言ってアンナが手を差し出した瞬間。子犬はウウッと唸って前傾を低くした。明らかにアンナを警戒している。


「あら、私はだめなのね……」

「こいつもディックと同じだな。慣れるまでは時間が掛かる」


 アンナはしょぼんとして手を引っ込めた。グレイが特別だということはわかっているが、やはり寂しさはある。


「元々ラストアスハスキーは、警戒心が強い犬種だ。気にするなよ」

「ええ、大丈夫。仲良くなると、手放しがたくなりそうだし」


 アンナはそう笑って、お風呂に入ることにした。

 お風呂用には熱石を中に入れてお湯にする。そちらも石が少なくなっていることを確認して、明日は子犬の飼い主を見つけてから、空の魔石に魔力を補充してもらいに行こうと予定を立てた。


 お風呂を出ると、グレイがずっと子犬と戯れていて。

 普段は見せない優しく楽しそうな表情に、アンナも頬を緩めるのだった。

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