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16杯目『ラバーズ・ドリーム』

 若き衛兵のウィルストンは街を一望できるような高台へと来ていた。時刻は夕刻。ちょうど夕陽が地平線の彼方に沈み込むそんな時間。高台から見下ろす街並みは、夕陽に照らされてまるで絵画のように美しく、建物や木々のシルエットがオレンジ色の空に浮かび上がっていた。遠くの山々も夕陽の光で黄金色に輝き、街全体が一つの壮大な景色として広がっていた。


 ウィルストンの隣には赤毛のおさげで、そばかすが可愛らしい女性、花屋のエルータが立っていて、同じように夕陽の沈み込む様を見つめていた。

 そんな神秘的な情景に心を奪われた二人は、長い時間その光景を見つめ続けていたが、少し影が差し込んだ時にウィルストンは我に返った。本来の目的をまだ果たしていない。


(おおおおお、落ち着け! 落ち着けウィルストン! 何度も何度も練習してきたじゃないか! 大丈夫! きっと大丈夫! ……大丈夫だよな? ああ、どうしよう急に不安になってきた……)


 胸の高鳴りを抑えながら、ウィルストンは心の中で自問する。期待と不安に心が押し潰されそうになる。しかし、ここまで来たのだ。もう、後戻りはできない。覚悟を決めるしかない。


「エ、エルータ! あ、あのさ! その……話があるんだ!」

「なあにウィルストン?」


 夕陽を見つめていたエルータがウィルストンの方へと向く。赤毛のおさげが風に揺れ、そばかすのある頬が柔らかなオレンジ色の光に包まれていた。彼女の笑顔は夕陽の光と共に輝き、ウィルストンにとってはまるで天使のような美しさを放っていた。その目に映る夕陽の色は彼女の瞳に深い温かみを与え、この振り向いた一瞬が永遠に感じられるような気がしていた。


(今だ! 勇気を出すんだウィルストン!)


 ウィルストンはエルータの目を正面からじっと見つめて、震えそうになりながら口を開いた。


「えと……その……、ぼ、僕は、じゃなくて、ぼ、ぼぼ、僕と付き合ってください!」


 勢いよく頭を下げるウィルストン。勇気を振り絞った愛の告白に心臓が張り裂けそうなほど鼓動が脈を打つ。


 ほんの一瞬だった。その一瞬が何秒も何分も、何時間でさえ経過したかのようにも思えた。エルータからの返事がないことに耐えかねたのか、ウィルストンは頭を上げエルータの顔を窺いみる。


 エルータは笑顔のまま、その両目いっぱいに涙を溢れさせていた。そして、一言呟いた。


「……はい」


 一迅の風が二人を包み込む。


 長き冬が終わり、異世界にも暖かい春が訪れようとしていた。



    ◇



「おめでとうございます! ウィルストンさん、エルータさん!」


 サクラが二人にお祝いの言葉を述べる。


 今日のウィルストンとエルータはいつもとは違い、どこかぎこちない様子で来店した。頬を染めながら恥ずかしそうに。そして、二人の手はお互いの手を離すまいとしっかりと繋がれたままバーの扉を潜っていた。

 これに気付かないような人物はいなく、バーテンダーをはじめとする、居合わせた常連も殊更に二人を祝福する言葉を述べた。(マネアはもしかしたら気付いていなかったかもしれないが……)

 二人は恥ずかしそうに、はにかみながら周囲に笑顔を振りまいていた。


「おめでとうございます」


 バーテンダーがにこりと微笑みながら二人を祝福する。


「あ、ありがとうマスター! これで『アプリコット・フィズ』は卒業ですかね?」

「そうですね……。でしたら、本日は当店からのお祝いと致しましてお二人にお出ししたいカクテルがございます。無論、ノンアルコールカクテルですよ」

「それじゃあ、お願いします」


 エルータがそう言うと、バーテンダーは静かにこくりと頷いた。


 冷蔵庫より取り出されたのは、黄色いの果実飲料レモン・ジュース。そしてひとつの鶏卵。銀色の筒シェーカーの中に氷と黄色いの果実飲料レモン・ジュース液体甘味料シュガー・シロップと割った鶏卵がそのまま入れられた。蓋と上部の出張った部分トップが閉められ、振り混ぜシェークが開始される。


シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ……


 サクラはバーテンダーがいつもより振り混ぜシェークしっかりとしていることに気が付いた。振っている時間も長いが、その手つきもいつもと違い力強さを感じる。


 背が高く口径の小さいグラスコリンズ・グラスが用意され、氷が詰められる。そこに銀色の筒シェーカーの中身が注がれる。さらに黄金色の炭酸飲料ジンジャー・エールが注がれ、最後に黄色の柑橘系果物の輪切りレモンスライスに包んだ砂糖漬けされた桜桃マラスキーノ・チェリーをカクテル・ピンに刺し、グラスへと刺し込む。


「お待たせ致しました。『ラバーズ・ドリーム』でございます。その意味は『恋人たちの夢』。そのやさしい味わいから、まさに恋人たちの甘いひと時を感じさせるカクテルとなっております。是非お試しください」


 それぞれの前に黄色いカクテルが出される。その表面は少し白く泡立ち、板状にスライスされた黄色の柑橘系果物レモンに挟まれた赤い砂糖漬けされた桜桃マラスキーノ・チェリーが美しい彩りを添えていた。


 ウィルストンとエルータがグラスを持ち上げ、軽くお互いのグラスを合わせる。そして、少しずつ口をつける。


 まず感じるのはその柔らかな舌触り。ふんわりしていて唇に当たる部分がとても気持ちがいい。そして、甘さ。とろけるような甘さと爽やかな柑橘系の酸味。卵黄のコクが見事に合わさりアルコールが入っていないにも関わらず、夢見心地にさせるそんなロマンティックな味わいがそこにはあった。まさに恋人たちの甘い夜を演出しているかのような……。


「美味しい! とても甘くて……なんだかお酒が入っていないのに酔ってしまいそう……」

「本当だね。とても素敵な味だ。ありがとうマスター!」


 二人はにこやかにバーテンダーへと感謝の意思を伝えた。


「お気に召して頂けたようで幸いでございます。叶う事ならば次は、是非ともお二人の結婚を祝してのカクテルをお作りさせて頂きたいものです」


 にこりとバーテンダーが微笑むと、二人は互いの顔を見つめるやいなや、顔を真っ赤にして恥ずかしがりながらお互いから顔を背けたのだった。




 恋人たちの甘い語らいの場にも、是非カクテルをお傍に置いてください。きっとさらなる甘い夜へ誘ってくれることでしょう。


 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『ラバーズ・ドリーム』

レモン・ジュース 20ml

シュガー・シロップ 10ml

全卵 1個

ジンジャー・エール 適量

スライス・レモン 1枚

マラスキーノ・チェリー 1個


レモン・ジュース、シュガー・シロップ、卵を、

十分にシェークしグラスに注ぎ、

ジンジャー・エールで満たして、

カクテル・ピンに刺した果実類で飾る


ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋



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