月夜に照らされた漆黒の闇を一人の男が疾走していく。男の名はモンエゴ。ここ最近、街で噂になっている盗賊である。
盗賊と言っても所構わず盗みを働いているわけではない。金のない人間から巻き上げても大した稼ぎにはならない。盗みに入るのは金を持っている人間の所のみ。金持ちは他人様から金を巻き上げているのだ、それを還元してもらって何が悪い。モンエゴは金持ちの家に侵入しては金品等をくすねていた。
その日も彼はとある富豪の元に盗みに入り、戦利品をがっぽりと頂いてアジトへと帰還していた。厳重に施錠をしている宝箱に今日の儲けをしまうと、ふと、途端に酒が飲みたくなった。仕事も終わった事だし豪遊するのも悪くない。今日も安全に仕事が終わった事に祝杯を挙げるのも悪くない。
そう考え始めると口が酒を求め始める。辛抱堪らなくなる。しかし、この時間までやっている酒場はそう多くない。そういえば、先程街を駆け抜けている時に、入り口に明かりが灯る店らしきものが目に入った。扉の上にあった文字は読めなかったが、酒のような絵が描かれていたのでおそらく酒場であろう。新しい店を開拓するのも悪くない。
モンエゴはそう思い立つと、居ても立っても居られなくなり、アジトを後にして件の酒場へと向かった。
◇
今日のバー『
人が少ないからか、トネリーも周囲を気にせずにバーテンダーとサクラに話を振っていた。話題はここ最近、街に現れている盗賊の話である。
「……と言うわけで、そのコソ泥には注意した方がいい。ワシの商売仲間もやられてな。まったく、たまったものじゃない」
トネリーがグラスを呷る。余程その盗賊には苦心をしているように見える。
「泥棒……ですか。ですが、この店には金品の類はまったくありませんし、高級なものと言えばヴィンテージのお酒があるぐらいですが……。
「いや、マスターの店はいいのだよ。ここに金がありそうには見えんからな。問題はサクライナ嬢のほうだ。聞けば貴族の屋敷も被害にあっているらしい。サクライナ嬢は夜遅くに帰宅するのだろう? 盗みに入った盗賊と鉢合わせにでもなったら大変だろう」
トネリーの話を聞いて、店主であるバーテンダーは顎元に手をやり考える素振りを見せた。確かに、その危険性は少なくない。いつも屋敷の近くまでは送って行ってはいるものの、屋敷の中まではさすがについてはいけない。遅くに帰って盗みに入っていた泥棒と遭遇しては大問題だ。少し早めに帰らせることも必要か……と、そんなことを思案していると、ふいにバーの重厚な扉が開かれた。
「いらっしゃいませ!」
条件反射でサクラが扉の先の人物に声を掛ける。そこに居たのは小柄な男だった。簡素な皮鎧と腰には短剣。見るからに冒険者の様相をしていた。
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
バーテンダーがトネリーの横ひとつ飛ばしの席へと誘導する。男はきょろきょろ辺りを見渡しながら席へと着く。
「おや? 見ない顔だな。お前さんはじめてこの店に来たのかい? ワシは商人のトネリーだ。よろしく」
「へい、旦那。おいらはモンエゴって言うしがない冒険者でありやす。こんな高そうな店に入ったのははじめてで……ちょっと緊張していやす」
はははと乾いた笑いをモンエゴは浮かべた。しかし、その表情とは裏腹に周囲を見ていたのは金目の物を物色していたからであった。
(しめしめ、なかなかに高そうな店だ。調度品も一級のものに違いない。ここには金がありそうだ!)
「どうぞ、おしぼりです!」
ふいに、サクラが
「ご注文はいかが致しますか?」
「とりあえず、
モンエゴがそうサクラへと告げると「承りました」と小さく礼をした後に、そそくさと準備を始めていた。
「それでさっきの盗賊の話だが……」
ぎくりと、モンエゴは肝を冷やした。まさか、自分の話ではなかろうか。そう思った後にしまったと感じた。一瞬狼狽えたことが周囲にばれていないだろうか。ゆっくりと周囲を観察するが、特に誰もモンエゴの方を見てはいなかった。トネリーはバーテンダーと話し込んでいるし、サクラは
(ここは少しさり気なく会話に混ざっておくか……)
「旦那方、一体何のお話をされていらっしゃるので?」
「……ん? ああ、今街を賑わせている盗賊の話だよ。まったく迷惑なものだよ。なあ、マスター?」
「そうですね……人様の物を盗むのはよくありませんね」
(ふっ……こいつらその盗賊がおいらだって気付いてないな。馬鹿な奴らだ)
そこでサクラが
「そういえば……話題的にもちょうどよいカクテルがございますが、いかがですか? お試しになりますか?」
「おお、それはいい。ぜひとも飲ませてくれ。マスターのカクテルは格別だからな」
(カクテル? はて……なんのことだろう?)
モンエゴが首を傾げていると、バーテンダーが今度はモンエゴの方を向いて話しかけてきた。
「モンエゴ様もいかがですか? よいお酒ですのでぜひお試しください」
「え、そ、それじゃあ、いただきやす」
了承を得るとバーテンダーは
シャカシャカシャカ……
静かな音が響き渡る。
「お待たせ致しました。『ロブ・ロイ』でございます。『ロブ・ロイ』とはその昔、とある国で実在した義賊の名前からきております」
トネリーとモンエゴの前にグラスが差し出される。鮮やかな赤色でとても美しい色味をしている。
モンエゴがひと口飲むと、まず感じるのはアルコールの強さ。しかし、そこから仄かに爽快な香りが鼻を抜ける。味は苦味を感じつつもその奥に甘さがしっかりと残る。とても味わいのある大人向けの酒だと感じていた。
「これはまた……なんとも味わい深い……」
トネリーもその味に満足げに頷いている。
「こちらの『ロブ・ロイ』の元となった人物の名前は『ロバート・ロイ・マクレガー』。不正を働く役人や、庶民を虐げた貴族などと戦い、そこから得た金品を恵まれない人々に配ったりしていたとされています」
「へー、そんな偉い人の名前がついた酒なんすね」
(奇特な奴だ。悪人から金をせしめるのはいいが、貧民に配るなんて……)
モンエゴの方をバーテンダーは向くとにこりと微笑みかけた。
「ですが、この話実は創作なのです。確かに『ロバート・ロイ・マクレガー』という人物は存在しますし、貴族とも戦った人ですが、英雄と言われるほどの偉業を成したかと言われると少し疑問が残りますね。後の世に小説などで英雄に祭り上げられたことから高名になったのではと思われます。それでも、その国の人々にとっては確かに英雄であり、義賊だったのです。実際当時の世情的に、貴族に歯向かうのは大罪ですし恐ろしいものでした。だから、どんなに横暴でも泣き寝入りするしかなかった。そんな時に立ち上がり人々に勇気を与えたのですから」
そう言うと今度はトネリーの方向を向きながら、手にしたグラスを磨き始めた。
「もしかしたら、巷で騒がれているその盗賊も創作のように噂されている内容とは異なり、何か本当の理由があるのかもしれませんよ。狙われたのは悪徳商人や貴族かもしれません。盗んだお金は貧しい人々に分け与えているかもしれません。病気の母親のために薬を買うお金を手に入れているだけかもしれません」
バーテンダーの言葉にトネリーは頷いてはいたが、神妙な顔をして呟き始めた。
「確かにマスターの言う通りかもしれん。だが、何にせよ盗みはよくない。盗まれた方はたまったものではない」
「仰る通りです。その良くない事である盗みを、あえてしなければいけなかった理由がもしかしたらあったのではというお話でした。真相は本人にしかわかりませんけどね」
そう言うとトネリーもバーテンダーもにこやかに笑い合っていた。ただ一人。モンエゴだけは黙って酒を呷るだけであった。
◇
店を後にしたモンエゴは考えていた。盗みをする理由について。
そう、最初は友人が悪徳商人に騙し取られた金を取り戻そうしたのが切っ掛けだった。そこからずるずると、金を持っている奴は悪であると決めつけ盗みを働いていた。『ロバート・ロイ・マクレガー』なる人物とやっていることは同じだ。ただ、盗んだ金を貧民に分け与えていないだけ。
英雄になりたいとは思っていない。義賊と言われたいわけではない。自分は単なる盗賊だ。英雄とは程遠い悪人だ。
それでも、そんな自分にでも、盗みを働く理由を真剣に考えてくれた人がいる。忘れていた切っ掛けを思い出させてくれた人がいる。その人たちの期待に応えるわけではないが、少しぐらいは誰かのためになることをやってもいいのではないだろうか。誰かの勇気になれるようなことをしてもいいのではないだろうか。
そう考え出すと、今まで自分のやってきたことに後悔が生まれ始めた。自欲を満たす為だけに盗みを働いていたことが妙に恥であると思え始めて来た。盗みをするとしても理由が必要だ。何かを成すための理由が。
まずは、小さいことから始めよう。正しい事ではないかもしれない。それでも誰かの勇気に、誰かをほんの少し救えたら。そう思い始めた彼の脚は、行きよりも心なしか軽く弾んでいた。
この盗賊が孤児院や理由があり貧しい暮らしをしている人々に、盗んだ金を分け与えて本当の義賊と呼ばれるようになるのはまだ少し先の事であるが、これはまた別の物語。いつかまた時がくれば話すことに致しましょう。
英雄や偉人の話を紐解けばその実はたいした話ではないのかもしれません。それでも、その時代の人々に取っては勇気をもらえる偉大な英雄であったのは間違いありません。そういう方々の名を冠したカクテルもまた、勇気を与えるその一歩になるのかもしれません。
ここは異世界のバー『
◇
『ロブ・ロイ』
スコッチ・ウイスキー 45ml
スイート・ベルモット 15ml
アンゴスチュラ・ビターズ 1dash
マラスキーノ・チェリー 1個
ミキシング・グラスに、
マラスキーノ・チェリー以外の材料と氷を入れてステアし、
グラスに注いで、カクテル・ピンに刺したチェリーを飾る
ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋