(【土あそび】? 最弱スキル? それに、借金? エリーシアは何を言っているんだ?)
俺は最初、何を言われたのか分からなくて困惑していた。エリーシアは何を言っているのだろうか。俺の授かったスキルが珍しいものだったら、何だって……?
ヴィンスは、エリーシアの様子を見てもピクリとも顔が動かない。自分の大事な子供が暴力にさらされているというのに、それをただ眺めているだけ。
ついさっき、三人で仲良く手を繋いで教会へ行ったじゃないか。アレは、演技だったのか!?
「これじゃあお前を奴隷商に売ってもちょっとも金にならないじゃないか! どうしてくれるんだ、あぁっ!?」
「うぐっ!」
(奴隷商に売る? 俺を?)
エリーシアのつま先が、俺のお腹にめり込む。たまらず胃液をぶちまけてしまうが、それを気にする様子もないエリーシアはひたすら俺を蹴り続ける。
「……その辺りにしておけ、殺してしまうぞ」
「ヴィンス……でもっ!」
「さすがに殺してしまえば後々問題になる」
ヴィンスがようやく口を開いて、エリーシアを止めた。ヴィンスはエリーシアの様子に驚いて、動けなかったのだろうか。俺は咳き込みながらヴィンスを見上げた。
「…………」
(なんだ、その目は?)
いや、あの目は前世で見た事がある。
あれは、上司が俺に向けていたのと同じ、無価値な物を見る時の目だ。
俺は、自分の中から大事な何かがポロリポロリと抜け落ちていくのを感じた。
エリーシアに蹴られた胃がムカムカして気持ち悪い。信頼していた両親に裏切られた悲しみと、理不尽な暴力を受けた怒りが胸の奥でぐるぐると渦巻いている。
悪い夢なら覚めてくれ、と本気で思った。何かの間違いじゃないか、と頭を床にガンガンと打ちつけてみても目が覚める事はなかった。
「なんで……」
二人は俺に見向きもしない。衣擦れの音も聞こえないほど静寂に包まれてしまった家で、ポツリと口を突いて出た言葉に、答えが返ってくる事は無かった。
その日からヴィンスとエリーシアの子クレイは、消えた。食事がないのは当たり前、声も掛けられず気を引こうとすると暴力が返ってくる。
「落ち着け、落ち着け……」
俺の事なんて、もはや何とも思っていないのだ。俺が最弱スキルを授かっただけで、なんでこんな扱いを受けなければならないんだ。
冷静になってあの時の事を思い返してみると、ふつふつと心の底から怒りが湧いてきた。
思えば、俺の服はツギハギだらけのお古だし、家だってボロくて隙間風に晒されている。ウチが異常に貧乏だって推測出来る材料はそこら中にあったのに、ただ俺がそれに気付かなかっただけ。
いや、気付きたくなかっただけか。
前世のロクでもない家族とは違うんだって、そう思いたかったのかもしれない。いつまでも、目を逸らし続ける事は出来なかったが……。
だけど俺が怒ったところで何かが変わる訳でもない。俺は無力な子供なのだから。
五歳にして、一人で生きていくことになった。幸い、俺の現状を哀れに思った村の住人が少しずつ食べ物を恵んでくれたので、飢える事は無かった。
だけど、俺を引き取って育てる事は誰もしようとしなかった。村の子供も、俺が話しかけると逃げていく。俺が一人なのは変わらなかった訳だ。
俺は知らなかったのだが、ヴィンスとエリーシアの借金は、村では有名な話だったらしい。
噂では、借金取りから逃げて身を潜めるためにこの村に辿り着いた、という話もあったくらいだ。
家ではごく普通の両親、という雰囲気だったのだが、それも演技だったのだろうか
だから余計に辛かった。一人ぼっちの時に、思考に余裕が出来てしまう事で、俺は嫌でもヴィンスとエリーシアの事を考えてしまうのだ。
飢えていたら、とてもじゃないがそんな事を考える余裕もなかっただろう。
「クレイ、こっちじゃ。こっち」
そんな時、転機が訪れた。
俺の様子を見兼ねた神父が【土あそび】についてコッソリ教えてくれたのだ。
「ん?」
「実はの、【土あそび】とは――」
最弱スキルと言われる【土あそび】は、土を掘ったり盛ったりが出来るスキルだった。
ショベルカーみたいな事が出来るのに、なんで最弱なのか、と首を傾げたくなったのだけど理由はすぐに分かった。
繊細な操作が出来ない上に、とてつもなく燃費が悪い。
それ以来、暇な時間はスキルの検証に費やした。
スキルを使う度に身体の中のポカポカ――魔力が減っていくのだけど、【土あそび】は二回が限度だった。大体のスキルは五回以上使用出来るらしい。
魔力が増えるのかどうかは分からないが、俺はひたすら【土あそび】を使って魔力を鍛え捲る事にした。
唯一両親に感謝しているのは、俺が家に居ても何も言ってこなかった事。
お陰で、家の中で集中して魔力が鍛えられた。今では【土あそび】を五回使っても魔力切れする事はなくなった。
厳しい冬を乗り越えて一年が経過しようとしたある朝、突然エリーシアに話しかけられた。
今日は二人で、一週間かけて王都へ野菜を売りに行くと近所の人から聞いていたのだが、俺に何の用だろう。
「クレイ、今まで酷い扱いをしてしまってごめんなさい」
「……母さん?」
あれだけ俺を無視していたはずのエリーシアに話しかけられて、俺も動揺していたのだろう。
うっかりエリーシアの事を「母さん」と呼んでしまった。
エリーシアに暴力を振るわれる、と思って
「ダメな母さんを許してくれるかしら」
恐る恐る顔をあげると、眉根に皺を寄せたエリーシアがまるで抱き着いてこいと言わんばありに俺の目の前で両手を広げて待っているのだ。
実の息子を返済のために奴隷商に売り払うと言っていた女だぞ……。
それに、どこでいくら借りているのかは知らないが、借金の問題もある。本当に、信じても良いのだろうか。
「おいで、クレイ……!」
本当に改心したのだろうか。一年前の事が脳裏に蘇り、足が
だけど、このままじゃダメだと思った俺は、勇気を持って一歩踏み出した。エリーシア……母さんは俺の事をギュッと抱きしめてくれた。
辛かった一年が報われた気がした。俺たちはやり直せるんだって、そう思ったら自然と涙がこぼれ落ちていた。
「さあ、お金を返すために王都へ野菜を売りに行かなくちゃ」
「忙しくなるわよ」と言う母さんに連れられて、父さんの待つ馬車へ乗った。