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第3話 お弁当の約束

 千成は手にしたチキンをひょいと持ち上げた。まだ封を切っていないのにも関わらず、揚げ物の香ばしい匂いがふわりと漂う。

 だがその仕草の裏では、心臓が早鐘を打っていた。


 ───やっぱり、引いているよな。


 衿華はクラスの中心にいるべき存在だ。

 今日初めて彼女を目で追った千成だったが、午前の四時間だけでも明るく、誰にでも優しくしているのが見て取れた。

 そんな彼女が、自分のような地味でパッとしない人間と一緒にいること自体、奇跡みたいなものだと思っている。


「オレ、身体はけっこう丈夫だから……」


「そういう問題じゃないの!バランスの取れた食事って大事なんだよ!」


 衿華は両手を腰に当て、少し怒ったような表情で千成を睨んでいた。


「バランスって言われてもさ……オレ、料理とか全然できない……それに……毎日これでも特に困ったことないから」


「それが問題だって言ってるの!

 私の弁当を見てよ!」


「え……!?」


 いつの間にか、衿華は弁当箱を開いていた。

 彼女の弁当は、しらすの混ぜご飯にアスパラガスの肉巻き、コールスローサラダ、野菜の煮物、卵焼きと栄養バランスの整っている見栄えの良いものだった。


「これ、私が作ったんだよ!!」


 嬉しそうに見せびらかす彼女。

 弁当箱を見て、千成は「一人で作れるなんて凄いなぁ」としか言えない。


「そんなことないよ。私は美味しいご飯を作りたくて作ってるだけだから」


 呟いた彼女の言葉に、千成は息を呑んだ。

 いまさっき「凄い」と言われ、「そんなことない」と返した自分自身と重なったからだ。


 ───同じだ。オレも……音楽をやりたくて、誰かに聴いて欲しくてやっているだけだ。凄いと思われようとは思ってない。


 その言葉を、口に出すことは出来ない。

 けれども衿華に対する親近感が少しづつ芽生えてきていることを、彼は嬉しいと思っていた。


 そんな中で。

 吹き込んできた風が、衿華の黒い髪を優しく揺らす。


「ねぇ、神室くん、せめてお昼くらい私が作ってきてあげようか?」


「えっ?」


 突然の申し出に、千成は目を丸くした。


「だって、このまま放っておいたら神室くん、いつか栄養失調とかで倒れちゃいそうなんだもん……ほら、私もお弁当作るのは慣れてるし」


「いや、でも……そんな悪いよ。三谷さんに迷惑をかけるわけには……金銭的にも申し訳なくなる」


「いいから!こういうのは、女子の役目なんだから!」


 そう言い切る衿華はどこか得意げで、そして少しだけ頬を朱に染めていた。


「金銭面も大丈夫だよ。お金はそこそこあるから」


「でも、オレみたいなのに……そこまでしてくれる必要なんて……」


 千成が俯きながら言いかけた言葉を、衿華は勢いよく遮った。


「またそんなこと言う……!!

 神室くんは、『オレなんて』って自分を卑下しなくていいの!

 それに私は、ただ心配で放っておけないだけ!」


 彼女の言葉は真っ直ぐで、迷いがなかった。それがかえって千成の胸を刺す。


 ───本当に、オレでいいのか?


 彼の中にある不安は消えない。それでも、衿華の強い意志を放つ瞳に少しだけ救われていることもまた事実だった。


「……じゃあ、お願いしようかな」


 千成が申し訳なさそうに呟くと、衿華は満足げに頷いた。


「よし、決まり!明日からは、ちゃんとしたお弁当を持ってきてあげるからね!」


 彼女が千成に向ける笑顔は、とても眩しかった。

 だが、ずっと見ていたいと思えるような安心感も同時にそこに存在していた。









 ………………

 …………

 ……








 帰りのHRホームルームも終わり、千成は下駄箱へ向かう。


「待ってたぞ!千成!」


 既に下駄箱には、彼のバンドメンバーである健明たけあき康太こうたが待っていた。


「待たせたな」


 この2人と居るときだけ、千成は素の自分で過ごすことができる。

 彼は外履きに履き替えると、少しだけ早足で仲間の元へ向かった。


「あれ、お前ちょっと口元が緩んでるな。何かいい事でもあったのか?」


 健明が千成にそう尋ねる。


「一応……?昨日のライブで途中から来てくれた女子の1人がクラスメイトなんだけど……」


「あ、そういや言ってたな。もしかして……話しかけて貰えたとか?」


 千成が頷くと、今まで黙りだった康太が「やるじゃねぇか!」と肩を叩いた。


「千成。クラスメイトに馴染めるようになるために一歩前進したな」


 彼の方に手を回した康太が嬉しそうに言うものの、千成はムッとした表情で彼を睨む。


「オレは……馴染もうなんて思ってない」


 睨んでいたとしても長い前髪のせいで見えないが、高校入学前からずっとバンドを続けている2人には千成の心情などお見通しだ。


「大丈夫。今度こそ大丈夫だから自信持てよ」


 健明もそう言って、千成の肩を叩く。


 今日は、放課後にバンドの反省会をやる約束だった。向かう場所は、駅前の多目的施設。

 彼らは正門から学校を出て、歩道のある太い道を下っていく。

 そこはカップル坂とも呼ばれている道で、通学路としては遠回りになってしまうため通る生徒は少ない。

 なので、カップルが2人きりの雰囲気を楽しむことが出来ることでも有名な道だ。


「しかし……野郎3人でカップル坂を通るのも悲しいもんだよな」


「お前は彼女が居るじゃねえか、健明」


 康太から鋭いツッコミが入る。

 健明は「悪ぃ悪ぃ」とドヤ顔をキメながらも千成を見た。


「まぁ……千成。

 今日、お前が初めてクラスメイトの女子とまともに喋ったんなら俺から言わせてくれ」


「ん?」


 健明と康太の話を楽しそうに聞いていた千成は、突如自分の名前を出されて目を見開く。


「彼女にしろ、とまでは言わない。だけど……本当に、俺たち以外とも交友関係を……あっ!」


 言いかけた健明だったが、横断歩道の反対側に人影を見つけて「千成!確か昨日のはあの子たちだよな?」と興奮した様子で千成に聞く。


 千成が健明の指差した方を見ると、確かにそれは昨日の女子2人組だった。

 彼女らはこちらに気付くことなく、横断歩道を渡った先のアンティーク調のカフェへと歩いていく。


「そうだね、黒髪の方がクラスメイトの三谷さん」


「お前。なかなかの女の子に見つけて貰えたんだな」


 何故かニヤーっと、健明は千成を見る。


「健明の言う通りだな。女子が少ない理数科だから悔しいけど……負けを認めよう」


 そしてそれに合わせるように敗北宣言をした康太。


「オレと三谷さんはそんな関係じゃねえよ」


 咄嗟に俯いてそう呟いた千成だったが、健明は身体を屈めて下から彼の表情を観察し、「真っ赤じゃねえか」と突っ込んでいた。


「バンドやってる姿を見て、いい評価を貰えたっぽいんだけど……オレとはいる世界が違う。あんな陽のオーラしかない三谷さんに、オレは釣り合わない」


 呟いた千成に、呆れたような表情を見せた2人。


「まあ、こいつの根暗はまだ治りそうにないよな」


「ライブの時は自信たっぷりなのに、ステージから降りた途端に縮こまっちゃってな」


「2人とも煩い。着いたんだからさっさと反省会するぞ」


 そう千成が強引に話を遮ったことで、2人は表情を変えた。








 ………………

 …………

 ……









 反省会を終え、2人と別れた千成は駅へと急ぐ。

 健明と康太は佐倉市内に住んでいて徒歩通学だが、千成の家は遠く船橋にある。


 帰りの電車を調べようとスマホを開くと、二件の通知が飛び込んできた。


 ───自撮り……!?


 送られてきたのは、お洒落なパフェと共に写る2人の美少女だった。


 ───やっぱり2人とも、顔整いすぎだろ。


 写真を送ってきた相手は衿華である。

 昼休みにラインを交換して欲しいと言われて交換した、家族とバンドメンバー以外の唯一の相手。

『食べてきたよ!』と、可愛らしい猫のスタンプも付いている。


 どう返信しようかと悩んでいると───


「神室くん!」


 明るく澄んだ声が、雑踏の中で彼の名前を呼んだ。

 千成は思わず足を止める。


「え……!?」


 千成は振り返る。


 涼しい風に、互いの黒い髪が揺れた。


 夕焼けに照らされた京成佐倉駅のロータリーに佇むその少女に、千成は息を呑んだ。


「やっぱり!神室くんだ!」


 三谷衿華がそこにいた。

 制服のスカートが軽く揺れ、彼女は小走りでこちらに向かってくる。


 彼女が自分の名前を呼んでいる。

 それだけで、千成の心臓の鼓動が少しだけ早くなった。


「やっぱり神室くんだ!よかった!」


 衿華は息を切らしながら、千成の目の前で立ち止まる。夕日の光が彼女の髪を照らし、どこか妖艶さを持ち合わせているように見えた。


「どうしたの……?」


 千成は戸惑いながらも、なるべく平静を装って問いかける。


「一緒に帰ろうって思って!」


 衿華はにっこりと笑いながら言った。その無邪気な笑顔に、千成は一瞬言葉を失う。


「え……一緒に?」


 彼女の言葉を反芻しながら、千成は思わず目を泳がせた。

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