「え……一緒に?」
一緒に帰ろうとした衿華の提案を反芻しながら、千成は思わず目を泳がせた。
───三谷さんは、オレみたいな地味な人間と一緒に帰りたいと言っている。部活帰りの人も居るだろうし……見られて、三谷さんに変な噂が立ったりしたら嫌だ。
千成はそう思ったのだが───
「ダメ、かな?」
衿華は少し首を傾げながら、千成の顔を覗き込む。
その仕草がやけに可愛らしく、あざとく見えて、千成は慌てて視線を逸らすしかなかった。
───無理だ。この笑顔に逆らえる気がしない。
「いや、ダメとかじゃなくて……その、いいけど……」
言葉を選びながら答える千成に、衿華は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ決まり!ほら、行こっ!」
そう言って、彼女は千成の隣に並んで歩き出す。
千成は心の中で必死に自分を落ち着かせようとした。
───偶然だとは思うけど……視線が怖い。
そんな彼の胸中などいざ知らず、隣でニコニコしてくれている衿華。
「神室くんは、さっきまで何してたの?」
「ああっ……バンドの反省会。昨日のライブの」
彼女の質問に、どこか上の空で答えた千成。
彼はその光景が現実だということを、未だ完全には信じられずにいた。
クラスメイトと一緒に帰る。
それだけでも非現実的なのに、美少女の衿華と電車に乗るなんて、夢でも見ているようだった。
改札を抜けて階段を下り、快速電車に乗り込む2人。
京成佐倉駅が始発の電車なため、座席は殆ど誰も座っていない。
衿華はささっと椅子に座ると、隣の席をポンポンと叩く。
「神室くん?座らないの?」
楽しそうに微笑んでいる衿華。
「え……」
千成は一瞬、足を止める。
───隣に座る!?それは……流石に……
目の前で衿華が楽しそうに微笑んでいるのを見て、千成の頭を不安感が過ぎる。
───三谷さんの隣に座るオレの姿を、もし他の高校のやつが見たらどう思うだろう。『あの陰キャ、高嶺の花の三谷衿華と一緒にいるとか調子乗ってない?』とか言われたらどうしよう……
想像するだけで、彼の胃はキリキリと痛む。
「ほら、早く座らないと!
次の駅で人が増えるかもしれないよ?」
衿華は席に腰を下ろすと、再び隣をポンポンと軽く叩いた。
その無邪気な仕草に、千成の心臓は跳ねる。
「いや……オレは立ってるよ」
「え!?折角空いてるのに?
神室くんは疲れてないの?」
その声は、本気で千成を心配しているかのような不思議な響きがあった。
───何でそんなにオレを気にかけてくれるんだよ!
思わず視線を逸らし、小さく息を吐いた千成。
結局彼は、彼女の誘いを断ることが出来なかった。
「じゃあ……三谷さん。お隣……失礼します」
意を決して、千成は腰を下ろした。
「ほら、ちゃんと座れたじゃん!」
満足そうに笑い、千成に顔を向けた衿華。
一方で、千成は緊張で全身が硬直していた。
自分の隣に居る衿華が、自分と異次元にいる、特別な存在だと思えて仕方がないのだ。
───これ、ガチのマジで高校のヤツらに見られたら噂になってしまう……
そんな不安が頭を過ったが、運が良かったのか。
同じ高校の制服を着た乗客はこれ以上乗ってこないままに扉は閉じ、電車は発車する。
すると、千成が感じたのは別なものであった。
女子のクラスメイトと肩が触れ合うという感覚。
衿華のシャンプーだろうか。
柔らかい匂いが彼の鼻腔を擽った。
───近すぎるだろ……!!電車って、こんなにも密着するものだったっけ!?
でも……やっぱり、オレの隣にいるのは女の子なんだ。
千成は、隣の衿華を意識せずにはいられなかった。
だがそれは、不思議と安心感を感じられるものだった。
「神室くん、疲れたら寝ちゃったっていいからね?」
不意に、衿華はそう言った。
「いやいや、寝ないから!」
慌てて否定した千成を見て、衿華はクスクスと悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「そっか。でも、隣に座ってくれるだけで十分だよ」
その何気ない一言に、千成の心臓が再び跳ね上がった。
───何でこんなことを言うんだよ。
千成はそっぽを向いて、窓の外の景色で気を紛らわす。
普段はバンドメンバー以外誰とも喋らない千成。
けれども何故か、衿華には朝よりも上手くコミュニケーションを取れるようになっていた。
「神室くんってさ、バンドの時と教室の雰囲気は違ったけど……それって何でなの?」
窓の外を見つめる千成に、衿華はずっと気になっていたことを問う。
教室内の彼───衿華がいつも見ていた神室千成という男は、どちらかと言うと自分自身で壁を作って周りと関わらないようにしていた節があった。
けれども、ステージの上に立っていた彼は皆を引き込むようなカリスマ性のある、キラキラした人物だ。
何故、こうも違うのか。
衿華には不思議でならなかった。
「…………」
けれども千成は窓を見つめたまま、答えない。
そのため衿華は何か彼の地雷に触れてしまったのではと思い、「ごめん……嫌な思いをしちゃったよね」と口にする。
声のトーンは落ちていた。
千成はそれを不審に思い、衿華の表情を眺めたのだが───彼女が俯いて、自分の発言を反省しているのを見ると思わず口が動いてしまった。
「そんなことはないよ。
オレもちょっとどう返せばいいか考えてたんだけど……上手く纏まりそうにない」
学校とステージ上の振る舞い方の違いについては、バンドメンバー以外誰にも言ったことがない。
学校でコミュニケーション能力を失ったのは、身勝手すぎる彼の性格と、それに付随した人間関係のトラブルが発端である。
だが、それを衿華に話してしまうと引かれてしまいそうで、何故かそれを嫌だと思ってもいた。
「三谷さんが求めていた答えはまだ出せない」
彼が言えたのはここまでだった。
「ううん、大丈夫。これから神室くんと仲良くなっていけば、私も解るかもしれないからいいよ」
「そっか……」
車窓からの景色は住宅街と、時々見える農地の景色を何度か繰り返しながら、京成船橋駅に続く急カーブに入っていく。
「じゃあオレ、ここだから!」
そう言って千成は席を立った。
すると、隣の衿華も、彼に釣られるように立ち上がる。
───何で三谷さんも!?
そう思ったが、船橋という場所はJRや東武線との乗り換えにも使われる。
彼女がここで下車しても、何ら不思議な事ではない。
けれども彼女はニコニコとした表情を変えないまま、千成の隣を歩いているのだ。
今や駅舎を通り過ぎて一緒に歩道橋の階段を降っている。
ここまで来ると、なぜ彼女が自分についてきているのか千成は不思議でならなかった。
───三谷さん、 何でオレのマンションの方に……
千成が衿華の存在をクラスメイトとして意識し始めたのは今日からである。
彼女への理解は薄く、彼は絶対有り得ないような想像を膨らませてしまう。
───弁当を作ってくれるらしいけど……もしかしてそれ関係でオレの家の位置を抑えて弱みを握る気じゃ……ないと思うけど……
千成は少しだけ訝しげな眼差しを衿華に向けるのだが、彼女の足取りは確りとしていて、この道を何度も歩いているようにも感じとれた。
「神室くん
彼の視線に気が付いて、首を傾げた衿華。
彼女の発言に「も」という助詞が入っていたことで、千成は漸く彼女への変な疑いをやめた。
「ってことは……三谷さんは……」
ぽかんと口を開き、目を見開いて驚く顔をした千成だったが、前髪が長いため口元しか見られない。
「うん!最寄り駅が同じだったんだね!
方向も同じみたいだし、徒歩圏内ってことは……」
彼女は軽く間を置き、千成の顔を覗き込むようにして続けた。
「割と近い場所に住んでるのかもね!」
そう言われ、千成の胸が少しだけ高鳴る。
───三谷さんと近所なのか……
クラスメイトと物理的に距離が近いという事実。
それは彼にとって、少しだけ嬉しい発見だった。