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第7話 レッツお料理

 衿華は目を輝かせていた。


「本当に凄かったよ、神室くん!

 なんかプロみたい!」


「……そうかよ」


 照れ隠しに短く返したが、千成の顔にはほんのりとした赤みが差している。

 そんな彼を見て満足そうに微笑むと、衿華は買ってきた食材が入った袋を手にキッチンの方へ向かった。


「よし、それじゃあご飯作るね!」


 袋をカウンターに置き、中身を取り出し始めた衿華が、ふと振り返る。


「神室くん、エプロンってある?」


「……無いよ、そんなもの」


 当然のように答える千成に、衿華は一瞬呆れたように目を丸くした。


「え、じゃあ取りに行かないと」


「……取りに行くって、どこに?」


「私の部屋だよ!!」


 当然のように言う衿華に、千成は困惑したように眉を寄せた。


「いやいや、わざわざ取りに戻るの面倒だろ。そんなの無くてもいいじゃん」


「ダメだよ! 油とか飛んだら制服が汚れちゃうでしょ?」


「……まあ、確かに」


 衿華の真剣な様子に押され、千成は観念したように肩をすくめた。


「……わかった。じゃあ、オートロックの時に部屋番号は間違えるなよ」


「うん! 601だよね?すぐ戻るから待っててね!」


 そう言って、衿華は勢いよく玄関に向かうと、部屋を出て行こうとする。


 が。


「待った!」


 千成は衿華を呼び止めた。


「エプロンを着たとしても、袖とかに油が跳ねたら制服のブレザーが汚れるだろ?

 オレも着替えたいし、三谷さんも着替えて来ないか?」


「あっ……」


 言われて気付いた衿華は、ブレザーの袖口に視線を落とす。


「私、部屋に戻って着替えてくる! ついでにエプロンも持ってくるから待っててね!」


「……了解」


 衿華が部屋を出て行くと、千成は制服を脱ぎ、オーバーサイズの長袖シャツと黒のバギーパンツに着替えるのだった。








 ………………

 …………

 ……








 数十分後、部屋のチャイムの音がした。


「遅いぞ……」と文句を言いたくなった千成だが、バンド内のモテ男である健明が昔、「女の子に待たされる時間ってものは、メイクとかの時間なんだから文句は言っちゃダメなんだぞ」と言っていたことを思い出してグッと呑み込んだ。


 解錠ボタンを押しながら、インターフォンに映る彼女の顔を見ると、少しだけアイラインがくっきりしているようにも見える。


 ───三谷さん……オレと料理するためだけにメイク直しをしてきたのかな。


 千成がそう思っているうちに、衿華はエレベーターで上がって来た。


「ただいま!」


 衿華の声が響き、千成がドアを開けてやると、そこには制服とは全く違う佇まいの彼女が立っていた。


 黒髪のロングヘアは丁寧にポニーテールに纏められ、毛先は少しだけアイロンで巻かれている。

 白いブラウスに淡いブルーのカーディガンを羽織り、膝丈の紺色のフレアスカートが揺れていた。

 清楚で控えめな印象ながら、どこか上品さを感じさせる装いに、千成は息を呑む。


「どう? 清潔感重視でまとめてみたんだけど」


 少し照れくさそうにスカートの裾を軽く摘む衿華。


「良いと……思う……」


「似合ってる」の一言は千成の喉元にまで出かかっていたが、上手く言葉に出来なかった。


「ほんと? よかった!神室くんも服似合ってるよ!」


 衿華は純粋無垢な笑顔を浮かべ、彼の言えなかった事をさらりと言ってのけた。

 それがあまりにも眩しすぎて、千成は慌てて視線を逸らし、喉を軽く鳴らす。


「で、エプロン持ってきたのか?」


「あ、うん! ほら、これ!」


 衿華が取り出したのは、白地に小花柄がプリントされたエプロンだった。デザインは控えめだが、彼女の雰囲気によく合っている。


「じゃあ、着けちゃうね!」


 衿華はその場でエプロンを身に着け始めた。肩紐を整え、腰紐を結ぶ姿はどこか楽しげで、千成はその様子をぼんやりと眺めていた。


「どう?」


 エプロンを整え終えた衿華がくるりと回って見せる。白地に小さい花柄が控えめにあしらわれたデザインは、彼女の清楚な雰囲気にぴったりだった。


「に……あ……」


 今度こそと思い、千成は口を開いたのだが───


「えっ!?」


 振り返った衿華の姿を見てしまう。

 千成は一瞬、言葉を失った。だが、その後どう反応していいのかわからず、視線を逸らして口を開く。


「悪くないんじゃないかな」


 千成は慌てながらも、平静を装いつつ素っ気なく返す。

 けれども耳のあたりが少し熱くなっているのは間違いなかった。


 ─── もっと他に言い方があったのに……


 自分でも不器用だと判るその言葉。

 言った瞬間、千成は内心で頭を抱えた。


「『悪くない』って……神室くん、それだけ?」


 衿華の声が少し低くなる。

 千成がちらりと横目で彼女を見ると、じっと睨まれていた。


「いや、別に……」


 言葉を探すように視線を泳がせる千成。衿華はため息をつきながら、頬を少し膨らませた。


「じゃあ……神室くんのご飯の量、減らしちゃうから!」


「は? なんでだよ」


「だって、せっかくエプロン姿を見せたのに、そんな反応なんだよ……?減らされても仕方ないでしょ?」


 衿華はふんっとそっぽを向くが、口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。


 ───揶揄ってるのかよ!


 小悪魔のような笑みを見せる彼女に、千成は困ったように眉を下げ───無論、長い前髪に隠れて見えないのだが───暫く黙ったままだったが、漸くぽつりと呟いた。


「……似合ってると思うよ」


 声は小さく、今にも消えてしまいそうだった。


「遅い!」


 衿華はそう言いながらも、どこか嬉しそうに笑う。


「まあ、いいや。気を取り直して作り始めるね!

 神室くん、簡単な所だけでいいから手伝ってくれる?」


「……ああ、わかった」


 千成は自分の分を作って貰っている立場なのだ。

 手伝わなければ、衿華にも悪い。

 彼は短く返事をし、エプロン姿の彼女をちらりと見た。明るい声に救われるような気持ちになりながら、手伝う準備を始める。


 幸いなことに、調理用具は揃っている。

 千成の父親は、千成が料理をするかもしれないと期待して買い揃えていたのだが、当の息子は全く自炊することなくコンビニ飯ばかりだったのは言うまでもない。


「私はブロッコリーをカットするから、神室くんは……これをやってくれないかな?」


 彼が任されたのは簡単な、じゃがいも、ピーマン、人参のカットだった。

 けれども、ピーマンは凹凸があるせいで上手く真半分に切れないし、人参のいちょう切りでも上手く均等な厚さに切れない。


 ───オレ、本当にこういうの苦手なんだな。


 不器用な自分に呆れつつも、衿華が楽しそうに料理を始める姿を見て、ほんの少しだけ気が楽になった。


「大丈夫だよ、少しくらいバラバラでも。

 美味しいことに変わりはないからね」


 千成は鍋2つに8割くらいの水を入れて、それらを五徳の上に乗せる。

 すると衿華は大きい方にじゃがいも、人参、ブロッコリーの切ったものを投入し、もう片方には鰹節を入れた。


「味噌汁……あとは茹で野菜でサラダでも作るのか……?」


 彼がそう問うと、衿華は「うん!」と頷いた。


「神室くん、もう手伝ってもらうことは無いからゆっくりしていいよ」


 慣れないことをし終えて、冷蔵庫の冷茶で一息ついていた千成に、挽肉を練っていた衿華が、ふと振り返って言った。

 その言葉に、彼は思わず固まってしまう。


「え、オレ……戦力外ってこと?」


 焦りが滲む声で尋ねる千成。


「違う違う!」


 衿華は慌てて手を振りながら笑った。


「戦力外っていうか……簡単なお仕事はもうないから大丈夫ってこと。

 神室くんは……そうだな、完成したらちゃんと美味しく食べてくれるのが一番の仕事かな!」


「……何だよ、それ」


 千成は呆れたように言いつつも、どこかホッとしたように小さく息をついた。


「でもさ、オレ何もしないで見てるだけって、なんか落ち着かないんだけど」


 そう言って立ち上がろうとする千成を、衿華は片手で制した。


「いいのいいの!神室くんには、これからたくさん食べてもらうんだから。休んで体力温存してて!」


 衿華の明るい笑顔に、千成は言い返す言葉を見つけられず、部屋から参考書を取り出すと結局大人しく椅子に座り直した。


「……じゃあ、勉強でもしてるよ」


 小声でそう言いながら、千成は象のマークが特徴的な英文解釈の参考書を開いた。

 もう既に、開いたページは丸つけまで終わっている。

 だが千成は、著者の先生が動画サイトでアップロードしている解説動画を見ながら、ペンを手に取っていた。


 千成は学校ではほとんど誰とも話さず、休み時間も教室の隅で参考書を開いていることが多い。

 それで自然と学力は上がり、今では学年5位くらいの成績を維持していた。


 それを誇る気持ちは全くない。ただ時間を埋めるためにやっていただけだったが、学年一桁はせめて維持したいなと思う気持ちはあった。


「こんな隙間時間でもちゃんと勉強するんだ!」


 キッチンから衿華が感心して声をかけてくる。


「いや、普通だろ。勉強くらい……」


 千成はぶっきらぼうに答えながらも、耳が熱くなるのを感じた。


「でも神室くんって、学年5位くらいなんでしょ?」


「……なんで知ってんだよ」


 千成はペンを止め、驚いたように顔を上げた。


「だって、成績上位者って張り出されるじゃん。私、あれ見るの好きなんだ。上位の人ってどんな人なんだろうって考えるのも楽しくて」


「……そうかよ」


 千成は視線を参考書に戻し、そっけなく答えたが頬は赤い。


「ちなみに私は学年で70位くらい。学年全体の四分の一ってところかな。張り出されるほどじゃないけど、そこそこ頑張ってるんだよ?」


 衿華は少し得意げに笑いながら言った。その明るい声に、千成はほんの少しだけ口元を緩める。


「三谷さんも頑張ってるんだな」


「えっ、褒めてくれるんだ!」


 驚いたように振り返る衿華に、千成は気まずそうに視線を逸らした。


「別に……事実だろ」


 ぶっきらぼうに返す千成だったが、口元を見れば少し照れくさそうな様子が隠しきれていない。


 キッチンからは鍋の湯が沸く音が聞こえる。部屋には二人だけの穏やかな時間が静かに流れていた。

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