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第8話 衿華の料理

 暫くして、キッチンから衿華の声が響いた。


「神室くん、出来たよ!

 ご飯をリビングまで持って行って貰っていい?」


 千成は解説動画を止めると顔を上げ、立ち上がる。

 キッチンのテーブルには既に温野菜サラダと味噌汁が並べられていた。


「これ、凄いな……」


 衿華が差し出した炊きたてのご飯の入った茶碗を受け取りながら、千成は思わず呟く。


「温野菜サラダとピーマンの肉詰め、それから豆腐とネギのお味噌汁。栄養バランスも考えてみたの!」


 衿華は得意そうに笑いながら、エプロンの裾を軽く整える。


「いや……本当に……見たことないくらいの出来だ。三谷さんはこんなにちゃんと作れるんだな……」


「ふふん、嬉しいけど、これでも一人暮らし2年目だからね。ただ慣れてるだけなんだよ……!」


 衿華はエプロンの紐を解き、丁寧に畳み始めていた。

 千成は一瞬黙り込み、テーブルに並んだ料理を見つめる。

 湯気が立ち上る味噌汁に、彩り鮮やかな温野菜サラダ。

 肉汁がじゅわっと染み出していそうなピーマンの肉詰め。トマトケチャップとウスターソースで作られたハンバーグソースがかかっていて、食欲を唆る匂いまであった。


 それらが整然と並べられており、千成は躍動するような感動を覚えていた。


「……これ、なんか悪いな」


「何が?」


「オレ、こんなちゃんとしたご飯、久しぶりだからさ。……っていうか、三谷さんに途中から全部やらせちゃってさ」


 千成は申し訳なさそうに目をそらしたが、衿華は笑い飛ばした。


「大丈夫だって!作りたかったから作っただけだし。

 それに、手伝って貰ったのは神室くんの『悪くないんじゃないかな』って言葉の仕返しも兼ねてるから!」


 冗談めかして言う衿華に、千成は少し顔を赤らめた。


「……それは悪かったって」


「じゃあ、ちゃんと食べてくれたら許してあげる!」


 衿華が満足そうに微笑む中、千成は参考書を自室に仕舞うと椅子に腰を下ろして箸を手に取った。


「……いただきます」


 少しぎこちなく呟いた千成の声に、衿華はまたクスッと笑った。


「……何がおかしい」


 千成は温野菜サラダに玉ねぎドレッシングをかける。


「神室くん、私の言ったことに対して素直だから」


「素直……」


 そう言った後に、千成は野菜を口に運んだ。

 柔らかすぎず、硬すぎることもない温野菜。

 彼が切ったものは大きさは不揃いだったが、それで味が落ちることはなく、衿華の巧みな調整によって良い食感になっていた。


「凄い……食感が今まで食べてきた温野菜の中でも抜群にこれだ!って感じがする……」


 次に、彼はピーマンの肉詰めに手を伸ばした。

 口に含んだ途端に溢れ出る肉汁とスパイスの味と、鼻に漂ってくるハンバーグソースの香り。

 そして、これまた程よく火を通されていたピーマン。


「何だよこれは……!!」


 そして───千成は本命とも言えるであろう味噌汁を啜った。

 一口目を含んだ瞬間、彼は身体中を駆け巡る、電撃のような衝撃と出会う。


「な……!?」


 鰹節で確りと出汁が取れていて、ほわりと漂う白味噌の芳香は心を落ち着かせてくれる。

 更に、クセのない木綿豆腐と甘みのあるネギが丁度いいバランスを保っていた。

 そしてなんと言っても、味噌汁の味以外の部分が彼の身体を解していた。


 ───温かい味だ。


 心の傷を癒してくれそうな優しい味を感じて、彼はゆっくりと目を閉じた。


 ───とても、ただの女子高生が作れる域ではないよな。


 そう考えた千成は、暫くしてから衿華に問う。


「……これ、本当に三谷さんが作ったのか!?」


 千成は思わず手を止め、目の前の料理をじっと見つめたていた。

 彼女が一から作っているのは間違いない事実だが、あまりにも味付けが彼のストライクゾーンのど真ん中だった。


「随分美味しそうに食べてくれてるなって思ってたら……何その言い方!ちゃんと私が作ったよ!」


 衿華は少しムッとしたように頬を膨らませるが、千成の驚いた口元に気付いて少し得意げな笑みを浮かべる。


「いや、だってさ……これ、ただの女子高生が作れる域じゃないだろ。

 味噌汁も、サラダも、肉詰めも……全部、テレビで紹介されるような三ツ星シェフとかの店で出てくるレベルだぞ」


 ぶっきらぼうな口調ながらも、千成の声には本気で感心した様子が滲んでいる。


「えっ、そんなに褒められると照れるなぁ……

 でも、料理ってちゃんと手間をかければ誰でも美味しく作れるものだよ?」


「いや、オレには無理だ」


 千成は素直に箸を進めながら呟いた。


「普段、三食コンビニだって言ってたもんね。

 これからは、神室くんが不健康にらないために……今日みたいにご飯を作ってあげるから」


 衿華が頬を染めながら言うと、千成は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに視線を落として小さく呟いた。


「こんなに美味いご飯を毎日食べられるのか」


 衿華の作った食べ物は、一級品といってもよかった。それを食べられることなど、千成にとっては幸せ以外の何でもなかったのだろう。


「味噌汁を飲んだ時に、電流が身体を走ったかのような感覚を覚えたんだ」


「電流……?」


 衿華は一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、すぐに吹き出すように笑い出した。


「神室くん、それはちょっと大げさすぎない?

 ただの味噌汁だよ?」


 けれど、千成は真剣だった。


「いや、本気で言ってる。

 こんな美味い味噌汁を今まで飲んだことがない。

 これが毎日食えるのかって思うと、なんか怖いくらいだ」


 相変わらず癖のある言い方だったが、どこか感動が滲んでいるのを衿華は感じ取った。


「ふふっ、怖いってどういうこと?

 美味しいなら素直に喜んでくれればいいのになぁ」


「いや……だって。

 オレ、こういうちゃんとしたご飯に慣れてないから。

 三谷さんが作るご飯が特別すぎて……」


 千成の声が震える。


「なんか……オレがそれに見合ってない気がしてくる」


 少し気まずそうに視線を逸らしながら呟いていた。


「そんなの気にしなくていいよ。神室くんがちゃんと食べてくれるだけで、私も作る甲斐があるんだから」


 衿華は優しく微笑みながら、千成の顔を覗き込むようにして言った。


「それに、約束したでしょ?これから毎日作るって。

 だから遠慮しないで、ちゃんと食べてね」


「……わかった。ありがとな」


 千成は少し照れたように頷き、また味噌汁に手を伸ばす。その姿を見て、衿華は満足したように微笑んでいた。


「でも、神室くんって素直じゃないね。もう少し素直に言ってくれれば嬉しいのに」


「癖なんだ。治そうと思っても時間がかかる」


 千成は目を逸らしながらそう言った。

 けれども実際は、癖もあるのだが、衿華への照れ隠しの方が理由としては大きかった。


「次からもっと素直になってくれたらな……じゃないと、いつか味噌汁を砂糖で甘くしちゃうからね」


「それは勘弁してくれ……」


 衿華の冗談に、千成は苦笑いを浮かべながら味噌汁をすする。

 渇いた彼の心を潤すような食事。


「ご馳走様でした」


 と言うと、同時に食べ終えた衿華が笑う。


「お粗末さまでした……ってこういう時に言うべきなんだろうけど、使い慣れてないから言いにくいなぁ」


「あんまり使っている人は居ないしな……」


 とりとめのない会話は続いていく。


 ───毎日こんな特別な食事が続くんだな。


 彼の心の中では、不思議な温かさがとめどなく広がっていた。

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