気付けば、金曜日。
衿華と過ごすようになって一週間が終わろうとしていた。
教室の扉を開けると、クラスメイトの視線が千成と衿華に集中するようになった。
連続で一緒に登校している上に、2人の距離感もかなり近くなっている。
それを見て、女子たちは興味津々、そして男子たちも微笑ましそうに視線を送っていた。
───睨まれないのはよかったよな……
衿華と別れた千成がそう思いながら着席すると、前の席の男子が話し掛けてきた。
「千成、最近連続で三谷さんと来ているよね」
「あぁ……」
赤みがかった茶髪を綺麗にアイロンで波打たせている男子生徒が、呼び捨てで千成の名を呼んだ。
現在流行っている男性アイドルグループのセンターによく似た顔立ちで、かなり女子からモテそうな高身長男子である。
───このイケメン、誰だっけ……
千成は名前を呼び捨てで呼ばれ、頭が真っ白になっていた。
顔は知っているが、名前が出てこない。そのイケメンの名を思い出すのに十秒程度時間をかけたが思い出せなかった。
基本的に、千成は他人の名前を覚えない。
けれどもこの男子生徒は昨年も同じクラス。体育のバドミントンではペアを組んだこともあるため記憶していた筈なのだが……名前を忘れていた。
『悪い、
仕方ないので、昨年同じクラスだった〝MEBUKI〟のギタリスト、鏑木健明にこっそりラインを送る。
そして千成が送信ボタンを押したと同時に、そのイケメン男子は再度、話し掛けてきた。
「三谷さんも、千成と一緒のときは他の男子には見せない顔してるっぽいし……何かあったの?」
そう聞かれ、千成はたじろいだ。
「な……何にもないよ!ただ……電車が被ってるだけ!」
偶然のように装って言ったが、実際のところ衿華と一緒にマンションを出て登校してきた。
「ふーん?出来すぎで嘘っぽいけど。
だとしても……お前らっていい感じじゃない?」
「え……!?」
そう言われ、千成は驚きと恥ずかしさのあまり逃げるように視線を逸らした。
衿華にはやめろと言われているが、依然として彼は、自分のような根暗が高嶺の花である彼女と一緒に居ると周りからやっかみを受けるのでは、と思っている。
「いい感じ……って、三谷さんに悪いよ」
スマホに視線を落とすと、健明からは返信が来ていた。
通知欄には、『
───そうだ、堀田くんだ。
漸く相手の名前が解った千成は口を開いた。
「堀田くんみたいに明るい性格だったら……三谷さんと釣り合うのかもしれないけど、オレには無理だよ」
溜息混じりにそう言うのだが、正悠の視線は真っ直ぐだった。
「釣り合うかどうかを決めるのはお前じゃないだろ、千成。まあ、俺はその長い髪をどうにかすればいいのにとは思っているけどな」
「前髪は……切りたくない」
千成は弱々しく言いながら、また目線を逸らす。
「まぁ……話は置いておくとして、そろそろお前にも文化祭を手伝ってもらいたいんだよな」
正悠が話題を切り替えると、千成は驚いたように顔を上げた。
「文化祭……?」
「ああ、クラスの出し物、和風カフェじゃんか。
接客メンバーは全員、和装で接客するって話になってるだろ」
「そうだね……」
「千成も接客、やろうよ」
「え……?」
千成は思わず眉を寄せた。
文化祭に参加するといっても、昨年彼は言われた通りに小道具を作ったりするだけで、表に立つことはしていなかった。
自分がそんな目立つことをするなんて想像もしていなかった千成は、弱々しく正悠を見る。
「無理だよ、オレ……接客とか絶対向いてないし……」
そんな千成に、正悠は軽く溜息をついた。
「お前、三谷さんに誘われたら同じことを言えるか?
あの人も接客メンバーだぞ?」
「えっ……三谷さんが……?」
千成の心が一瞬揺れた。
衿華が浴衣姿でカフェを盛り上げている姿を想像する。彼女の美貌ならば間違いなく似合うだろう。
「三谷さんが頑張ってるのに、お前は傍に居たくはないのか?ってことで、頼むよ。お前も和装で接客な」
「でも、オレなんかが出たら……陰オーラのせいで店の雰囲気を壊しそうだし……」
千成は弱気な声で言い訳を続けるが、正悠は全く聞く耳を持たない。
「そんなの気にするなって。寧ろお前、顔はいいんだから、ちょっと前髪整えて和装すれば絶対客ウケするだろ。やったことないなら俺がヘアセットしてやるから」
「いや、顔とか関係ないし……ってか、何でオレの顔を知ってるの?」
正悠は構わず笑顔を浮かべて続けた。
「去年の体育で何度か、な。
お前の前髪が靡いた時に見させてもらったから知ってるのさ。お前の顔……隠してるのは勿体ないって」
そう言われて千成は俯いてしまうのだが、正悠は止まらない。
「とにかく決まりな。放課後、三谷さんたち女子もだけど接客Dチームは衣装合わせするから。お前も逃げんなよ!」
正悠が肩を叩いて教室を離れていくと、千成は深いため息をついた。
───和装で接客なんて、絶対無理だ……
そう思いつつも、頭の片隅では浴衣姿の衿華が浮かび、断りたくない気持ちもあった。
───三谷さんは、オレにとって何なんだろう。
隣のマンションに住む隣人、同じ学校に通うクラスメイト。ストリートライブから急に距離が縮まった異性……
授業中、千成はノートを開きながらも、ペンを持つ手は止まっていた。
「じゃあ次は……神室くん。
『
不意に、先生から質問が飛んでくる。
「定頼中納言が
古文単語も文法も定着しているから、指されても問題に答えられた千成。
けれども回答を終えれば、視線は、ただぼんやりと机の上を彷徨ったままに戻ってしまう。
───友達、の認識は流石にされているよな?
だって、三谷さんは三食作ってくれたし、学校でも気軽に話しかけてくれる。
でも、オレは……どうなんだ?
衿華の席に視線を向けると、振り返った彼女は「グッジョブ!」とハンドサインをしてくれた。
───少しホッとするな。
衿華がいると、なんとなく自分の周りの空気が柔らかくなって変に緊張しない気がする。
けれども、それが普通なのか、それとも特別なのか、千成には解らない。
───あの人がオレのことをどう思っているのかも解らないし。バンドのファンとも距離感が違うんだよな。
千成は頭を掻きむしりたくなる衝動を抑え、ペンをぐっと握り直した。
考えれば考えるほど答えは見つからず、胸の奥が妙にざわつくばかりだった。
───いや、きっと、あの人はただ優しいだけなんだ。誰にでもああやって接するんだろう。オレが特別なわけじゃない。
そう結論付けて、何とか自分を落ち着かせようとする。けれども、胸の奥に引っかかる小さな棘のような感覚は消えない。
千成は深く息を吐き出し、ペン先をノートに向けた。
───今は、あまり考えない方がいい。考えたって、どうせ解らないんだから。
そう自分に言い聞かせながらも、心のどこかで彼女の笑顔を思い浮かべてしまう自分がいることに、千成は気付かないふりをした。