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第11話 千成とクラスメイト

 昼休み。

 いつものように千成と衿華は、西館の階段の踊り場に腰を下ろしていた。

 衿華の作ってくれた二人分の弁当が広げられ、控えめな会話を交わしながら箸を進める。


 しかし、今日の衿華はどこかそわそわと落ち着かない様子だった。

 視線が彷徨い、何度も千成の顔を窺うようにしている。


「……三谷さん、どうかした?」


 千成がふと問いかけると、衿華は一瞬びくっと肩を震わせた。


「えっ!?あ、ううん、なんでもないよ!」


 慌てたように首を振る衿華だったが、その挙動はどう見ても「なんでもない」には程遠い。

 千成は唐揚げに伸びかかっていた箸を止め、怪訝そうに彼女の顔をじっと見つめる。


「……いや、なんでもないわけないだろ。気になるんだから言えよ」


 千成の真っ直ぐな視線に観念したのか、衿華は小さく息を吐いた。

 そして、恥ずかしそうに俯きながら、ぽつりと口を開くのだ。


「その……神室くん、文化祭の衣装合わせって聞いてるよね?」


「うん、堀田くんに放課後来いって言われた」


「そうなんだ……それでね……」


 衿華は自分の膝の上で手を握りしめ、顔を伏せる。


「実は、私も今日衣装合わせがあって……神室くんに、どうかなって意見を聞きたいの」


「俺に?」


 千成の心臓のビートが、少しだけ早まり始めた。


「だって、他の人に頼むのは、ちょっと違う感じがするし……神室くんなら、正直に伝えてくれそうだから」


 衿華の声は次第に小さくなり、最後は消え入りそうだった。顔を上げた彼女の瞳は、どこか不安げに揺れている。


 千成は戸惑っていた。


 ───正直に言えたら苦労しないんだが。


 そう、心の中で愚痴を零す。

 未だ彼は彼女の私服姿に、面と向かって「似合ってる」と言えていない。その場で誤魔化して、逃げてしまっているのだ。

 正直に言わなきゃだとは解っている。


 ───絶対に……言わなきゃ。


 漸く千成は、衿華の視線を避けるように目を逸らしながら小さく頷いた。


「……まあ、別にいいけど。俺でよければ」


 恥ずかしさから来る遠回しな肯定。

 けれど、その言葉を聞いて、衿華は顔を明るくして笑ってくれた。


「本当!?ありがとう、神室くん!」


 その表情の可憐さに、千成は思わず目を逸らす。


「……そんな大げさに喜ぶなよ。別に大したことじゃないだろ」


 そう言いはするものの、千成の前髪に隠れた耳は熱くなっている。


「でも、凄く嬉しいよ!」


 その後も弁当を食べながら、放課後の衣装合わせの話題が続いた。正悠が「絶対来いよ」と念押ししていたこともあって、千成は嫌でもその場に行かざるを得ない。


  「神室くんって、ちょっとぶっきらぼうだけど素直だよね」


「……褒めてるのか?貶してるのか?」


 昼食が終わりかける頃、衿華は箸を置いてそう言っていた。

 ツッコミを入れた千成が衿華を見ると、隙間風に靡く黒い髪が見えた。そこから漂う甘い匂いが、彼の鼻腔をくすぐる。


「もちろん褒めてるよ。神室くんみたいな人、意外と貴重だと思うし」


 千成はその言葉に戸惑い、目を伏せた。


「……貴重なのか?」


「うん。前髪に隠れてる表情は読みにくいけど、でも雰囲気で何となく判るから。

 だから私、神室くんに意見を聞きたいんだよ。

 頼りにしてるからね」


 そう言って、衿華はふわりと笑顔を見せる。その何気ない一言が、千成の胸に妙な重みを残した。


「頼りに、ね……」


 曖昧に返しながらも、千成はその言葉の持つ意図が気になって仕方がなかった。










 ………………

 …………

 ……








 いつの間にか、放課後になってしまっていた。


「ほら千成。行くぞ」


「……うん」


 正悠に手を掴まれ、ほぼ無理やり千成は更衣室に足を運ぶ羽目になった。

 衿華に見て欲しいとも言われているため、行かないという選択肢は彼の中にない。

 けれども、正悠の強引さには少しだけ引いていた。


「そういや……女子はともかく……着付けなんて出来る人が男子に居るのかな?」


 ボソリと千成が正悠に問う。


「あ、俺が皆のぶん教えられるから大丈夫」


 正悠は、屈託のない笑顔でさらりとそう言ってのけた。


「堀田くん……」


 千成はここで、堀田正悠という男子生徒について、健明が言っていたことを思い出す。


『あのイケメン───堀田正悠ってやつは堀田グループの長男らしいぞ』


 堀田グループとは、高校のある千葉県佐倉市がルーツの大企業である。

 もともとは江戸時代に藩主だった譜代大名の堀田家が、明治維新後にその財力を活かして商業や金融業を始めたことが切っ掛けで出来た、由緒正しい大企業。


 昨年健明から聞いた時は驚いたが、その後に夏休みが入ったことですっかり忘れてしまっていた。

 クラスメイトに対してあまり興味を抱けないせいで、すぐに記憶から抜けてしまうのだ。


 けれど、ルーツが譜代大名である大企業の長男ならば、着付けも手ほどきを受けているのだろうと千成は納得して更衣室のドアを開ける。


 すると、そこに居たのは2名の男子だった。


「お、神室」

「揃ったな」


 そう声を掛けてくれた男子だが、千成はその2人の名を知らなかった。

 正悠とは違って、忘れていたわけでもない。

 関わることなんて殆ど無いだろうからと、覚える必要を感じなかったのだ。


 けれどもその2人は、にこやかに千成に接してくる。

 千成はたじたじになって、額には冷や汗を浮かべていた。


燈哉とうや、千成。

 今日はお前らに着付けを教えてやるからな。玄杜げんとはサポートに向かってくれ」


 ニコニコと笑う正悠とは対象的に、知り合いが正悠しか居ない千成は、相変わらず場違い感や気まずさを覚えていた。


 正悠が、着付けを進めるために一つ一つ丁寧に説明している中、千成は少し落ち着かない様子で周りを見回す。


「まず、帯をしっかり締めて。着物の下にしっかりと入れておかないと、後で崩れるからな」


 正悠が帯を締める手順を教えていると、千成は少し緊張しながらも頷いた。

 普段、こうした華やかな衣装を着ることはない。

 そのため着る前から少し気後れしていたのだが、背の高い方の男子───玄杜が軽く声をかけてくる。


「おい、神室。最初は誰でも戸惑うけど、すぐ慣れるから安心しろよ」


 口ぶりから、何度か着付けを行ったことがあるらしいことが窺えた。


「うん……ありがとう」


 千成は緊張が抜けず、ボソッと答える。

 玄杜はそんな彼に微笑を浮かべながら傍にいてくれていた。


「ほら、これをこうやって……ああっ、惜しいな!

 ちょっとだけ手伝うよ」


 優しい手つきに助けられながら、千成は少しずつ着物を整えていく。

 正悠が経験のない燈哉と千成に指示を出し、千成が上手く出来ずにいると玄杜がサポートしてくれる。

 すると5分程度で、彼らは着替えに成功した。


「いい感じだな、千成。ちゃんと決まってるじゃん」


「ほんと、神室、結構似合ってるよ」


「髪の毛もっと短くしてれば完璧なのにな」


 燈哉が千成を見て笑いながら言うと、玄杜と正悠は頷く。


「ごめんそれは……長くないと落ち着かないっていうか」


 千成がそう弁明すると、玄杜は「じゃあ……前髪上げるだけでもやってみようぜ」と言ってくる。

 綺麗なセンター分けの玄杜は、ニヤリと笑っていた。


「そうだな。神室の前髪……上げようぜ」


 その提案に、燈哉と正悠も賛同し、千成を囲んで盛り上がり始めた。

 千成は自分の髪型について話している男子たちに、悪寒を感じ、その場から立ち去ろうとする。


「いや、いいよ……オレはこれで……」


 千成が消え入るような声で拒否するも、3人は聞く耳を持たない。


「ほら、神室。

 髪の毛ちょっと上げるだけで全然印象が変わるから」


 玄杜がどこからともなくドライヤーを出してきて、ささっと千成の前髪に跡をつける。

 そして───正悠が手に持っていたヘアアイロンを取り出して、千成の髪にウェーブをかけた。


 ───やめてくれ!


 彼らに囲まれて動けなかった千成は、されるがままに髪を弄られてしまったのだ。

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