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第12話 衿華と空き教室で

「よし!こんな感じで……髪を少しウェーブにして、ワックスで束感を出すともっとキマるんだよ」


 数分後、センター分けに整えられた千成は、スマホの内カメラに映る自分の姿を見させられていた。

 髪に隠れていた顔が露わになり、整った顔立ちがはっきりと見える。


「「「おおっ!!!」」」


 3人は同時に声を上げた。


「やっぱり……体育の授業で見た通りだ!

 千成、めちゃくちゃ整ってんじゃん!」


 正悠が感心したように言い、玄杜は興奮気味に頷いた。


「これは……正悠クラスじゃねぇか!

 これで髪切ったら完璧だって!絶対モテる!」


「ほんとだよ、神室!前髪で隠してるの、もったいない!」


 燈哉も楽しげに笑っている。

 しかし、千成は画面に映る自分を見ながら、心の中で不満を零していた。


 ───オレのことを知らない癖に……


 彼の髪の長さは自己防衛のものだが、それに気付いていない燈哉たちは更に言う。


「センター分けが一番楽だし、ビシッと決まるんだよな」


 同じくセンター分けの玄杜も、軽く髪を整えながら言った。


「俺は、ちょっとだけヘアアイロンでウェーブをかけてるけど、やりすぎないように気をつけてるんだ。

 自然に見えるようにな」


 ───ああ、そうかい。


 少しだけ、彼らに憤りを感じていた。

 オレのことを何も知らない癖に、髪のことをとやかく言うんじゃねえと。


 彼らが親切心で言ってくれているのは解るのだが、本質的に千成を理解していないのがひしひしと伝わってくる。

 衿華に言われた時とは全く違っていた。彼女は、千成のことを少しは理解してくれていたのだろう。

 その違いに、改めて千成は衿華の人柄を再認識した。


 男子の無邪気な言葉が、自分の過去やトラウマを知らないからこそのものだということは理解している。

 彼らは優しいのだろう。

 千成の過去を知らなかっただけだ。


「ありがとう……」


 何とも言えない苛立ちを口にすることもできず、千成は曖昧に笑ってその場をやり過ごすことしか出来ない。


「いいってさ。

 神室、せめてその格好で接客してくれよ!そしたら客も増えそうだしさ!」


 屈託のない笑顔が、彼の心を締め付ける。


 けれどもそんな時に───壁越しから、最近よく聞くようになった声が聞こえたのだ。


「ちょっと!堀田くんたち!何してるの!?」


 正悠の名字を呼ぶその声に、男子たちは凍りついたように動きを止めた。


 衿華の声だった。

 それはとても強い口調で、聞くだけで怒っていると判るもの。


 けれどもそれが、千成には救いの声に聞こえていた。


「え、何か怒られてる?」


 玄杜が首を傾げ、燈哉も「なんでだ?」と困惑顔を浮かべた。

 一方で、正悠は衿華の声色で全てを察したようで、真っ直ぐに千成を見るのだった。


「神室くんの髪、勝手に弄ったり……したんでしょ!?」


 顔を見合わせた、玄杜と燈哉。

 玄杜は慌てて壁に向かって声を張り上げる。


「え、別に悪いことしてないって!

 神室を似合う髪型にしてやっただけだよ!」


「そっか……」


 玄杜の弁明のあとに続いたのは、ややトーンが下がった衿華の声だった。

 千成は驚きつつも、今のやり取りにいたたまれない気持ちで視線を落とす。


「ごめん……」と、何かを察したらしい正悠がすぐさま頭を下げた。

 堀田正悠という男子生徒は誰に対しても優しい。

 その優しさが空回りさせて、千成の気持ちを自分たちと同じ目線にしてしまったのだと理解した───そんな顔で千成を見る。


「いや……別に大丈夫だから」


 蚊の鳴くような声で言った千成だが、男子たちの間に漂う微妙な空気をどうすることもできない。


 そんな中で。

 女子更衣室の扉が開く音が聞こえた。

 そして次の瞬間、勢いよく男子更衣室に外の光が差す。


「三谷さん……!?」


 千成は驚きを隠せなかった。

 衿華が、着付けを終えた姿で飛び込んでくる。


「神室くん……!」


 衿華は千成に一直線に駆け寄ると声をかけた。

 部屋の中にあった視線が一斉に彼に向かう。

 千成はその場の雰囲気に耐えられなくなり、小さく頷くことしか出来なかった。


「ちょっと、こっち来て」


 衿華は千成の手をぐいと引いた。


「ちょっ……三谷さん、何やって……!」


 千成が戸惑いながら声を上げるが、衿華は振り返りもせず、そのまま呆気にとられたままの男子更衣室を後にする。

 そして空き教室に辿り着くと、衿華はドアを閉め、深呼吸をしてから千成の方を向いた。


「ごめんね、神室くん。火曜日は……嫌だったんだよね?気付けなかった」


 衿華の口から出てきたのは、謝罪の言葉だった。

 その声は震えていて、淡い藤色の着物に帯を結んだ彼女の顔は今にも泣き出しそうだった。


「え、いや……別にそこまでじゃないけど……何で三谷さんが泣きそうなんだよ」


 千成は思わずツッコミを入れるが、衿華の潤んだ瞳が真っ直ぐに彼を見つめる。


「だって……私も火曜日の朝、同じこと言っちゃったから……!」


 衿華は声を詰まらせながら続けた。


「『髪切ればいいのに』とか、『前髪上げてみて』とか……あのとき、神室くんが嫌がる顔をしてたのに、笑っちゃってたから……ずっと気になってて……」


 その言葉に、千成は思わず目を見開いた。

 確かに、あのときも自分は何も言えずに流してしまった。けれども、それをこんな風に気にしてくれる人が居るなんて思ってもみなかった。


「いや……別に、あのときはそんなに気にしてなかったし。ていうか、三谷さんがそこまで謝ることじゃないだろ」


 千成はそう宥めたが、衿華は納得できない様子で唇を噛んだ。


「前髪を切れとか、上げろとかは言われ慣れてるからいいんだよ。

 俺が素でいられるバンドメンバーの健明と康太……あの2人にも言われてるから。

 今回は、心を許せてない3人に寄って集られて……親切心から来てるのは凄く解るんだが怖くなった。

 だけど……オレはもう大丈夫」


 千成は、ぎこちなく笑って見せた。


「でも……」


「本当に平気だから。ほら、オレこう見えて気にしないタイプだし」


 千成は軽く肩をすくめてみせる。

 それでも衿華は、彼の顔をじっと見つめたままだった。


「……嘘。顔に書いてあるよ」


「げ……オレ、嘘とか下手だからやっぱりバレたか」


 その言葉に、ようやく衿華の表情が和らいだ。


「そっか……なら、神室くん。お願い」


  彼女の顔が、近付いてくる。


「神室くんが抱えてるものを……私に全部吐き出して欲しいの!」


 力強い瞳は、決壊しそうなダムでもあった。

 千成は衿華の真っ直ぐな言葉に、姿勢に息を呑む。


「全部、吐き出してほしいって……そんな簡単に言うな」


 彼は視線を逸らし、壁にもたれかかった。


「ごめん、言い方が軽かったよね。でも……神室くんが苦しそうなの、私には見てて辛いの」


 衿華は真剣な眼差しで千成を見つめていた。

 その瞳は、千成の心の奥底に触れようとしているように感じられる。


「……オレのことなんて、三谷さんが気にすることじゃないだろ」


 千成は苦笑しながらそう言ったが、その声には弱さが滲んでいた。


「違うよ。気にしてるんじゃなくて……知りたいの。

 神室くんが何を抱えて、どうしてそんなに自分を責めるような目をしてるのか」


 その言葉に、千成の心の奥で何かが揺れた。

 けれども、彼は頭を振ってそれを振り払おうとする。


「無理だよ。そんなこと、誰にも話せない。……三谷さんには、尚更」


「尚更……ってどうして?」


 衿華は更に一歩近付き、千成の顔を覗き込むようにして尋ねた。


「……三谷さんは、オレみたいな奴と違って、ちゃんとした人間だからさ」


 千成は視線を床に落とし、低い声で言った。

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