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第14話 初めてのお出かけ

 翌日───土曜の朝も、衿華は千成の部屋を訪ねてきた。


「おはよう、神室くん」


「あぁ、おはよう」


 衿華は部活に所属していないため、平日よりはゆっくりめの時間、朝8時に現れた。

 彼女は慣れた手つきで冷蔵庫を空け、ハムとレタス、茹で玉子を取り出して切り始める。

 千成は彼女の指示に従って茹で玉子を潰し、黒胡椒と辛子マヨネーズで和えてソースを作ると、カットされた食材と共にパンで挟み込んでいた。


 今日の朝食はサンドイッチ。

 折角だからと千成はベランダを網戸にし、もう時期暑さを運んでくるであろう南風を部屋に誘う。


「風が気持ちいいな」


 千成がそう言うと、一切れ食べ終えた衿華が「そうだねぇ」と返す。


 彼女のポニーテールに結ばれた長い髪の下には、白いレースと大きめのリボンがあしらわれた、ゆったりとしたブラウスがあった。ボトムスはブルーグレーのロングスカートで、シンプルながらも清楚な雰囲気である。

 千成はニットベストとスウェットの下にワイドデニムパンツのゆとりのある格好。


 シンプルなモノトーンの部屋の雰囲気と、2人の服装が不思議と馴染んで見えた。

 日常の延長線上にあるような穏やかさと、どこか新鮮な空気感が漂う中で食べ終えた千成と衿華。


「ねぇ、神室くん。今日って予定無いんだよね?」


 不意に、衿華が千成に問う。


「そうだな……夜10時くらいに父さんが帰ってくると思うけど、それ以外は特にない。テストはまだ2週間切ってないし」


「じゃあさ……」


 突如切り出した衿華に、千成は目を見開いた。


「神室くん。夏の服……選ぶの手伝ってくれないかな」


 千成は思わず眉を上げた。


「俺が?

 女子同士の方が上手くいくんじゃ?」


 衿華は友達が多い。

 男の自分が行かなくとも、誰か友達を誘えばいいのではと千成は思ったのだ。

 けれども、衿華の視線は千成に真っ直ぐだった。


「ううん。神室くんの服っていつもお洒落だし、アドバイスしてくれると助かるなって」


 真っ直ぐな言葉に、千成は視線を少し逸らした。褒められるのは悪くないが、こういう頼みごとはどう返せばいいのか分からない。


「……まぁ、いいけど」


 千成がそう答えると、衿華はぱっと顔を輝かせた。


「よかった!

 じゃあ、9時半くらいに出発しようか。

 お店が開くのは10時だし、それくらいでちょうどいいよね」


 衿華がそう提案すると、千成は「分かった」と頷き、ふと壁掛け時計に目をやる。

 今はまだ8時半過ぎ。出発までには少し時間がある。


「じゃあ、それまでコーヒーでも飲んでゆっくりするか?」


「うん、いいね!」


 衿華が嬉しそうに頷くのを見て、千成はキッチンへ向かった。

 棚から豆の入った袋を取り出し、計量スプーンで適量を掬う。彼はインスタントではなく、豆から挽いて淹れる派だ。豆を挽くときの香りが好きで、手間がかかってもこれだけは譲れない。


 コーヒー豆のものとは違う甘い香りが、隣から漂ってきた。


「神室くんって、ほんとにコーヒー好きだよね。料理は出来ないのに……」


 衿華がそう言いながら、興味深そうに千成の手元を覗き込む。


「料理は余計だ。まぁ……父さんが好きで、その味に慣れたからインスタントを受け付けられないだけなんだけどな」


 千成はそう答えながら、挽いた豆をドリッパーに移し、ポットから少しずつお湯を注いでいく。

 蒸らしの時間をとりながら丁寧に淹れるその手つきは慣れたものだ。


「でも、なんかこういうのって、ちょっと大人っぽいよね」


 衿華が感心したように言うと、千成は「そうか?」とだけ返した。


 褒められ慣れていない千成は、つい視線を逸らしてしまう。


「うん。だから、美味しいのよろしくね!」


 衿華の明るい声に、千成は小さく頷いた。


「まぁ、できる範囲でな」


 そんなやり取りをしながら2人はコーヒーを嗜む。衿華も何も入れないコーヒーが好きなようで、香りを楽しんでくれているのが千成には心地よかった。


 時計を見ると、そろそろ出発の時間が近づいている。


「よし、行くか」


「うん!」


 衿華の返事を背に受けながら、千成はカップを片付けつつ、少しだけ気合いを入れ直すように深呼吸をした。












 ………………

 …………

 ……











 ショッピングモールの中は、開店直後にも関わらず賑わっていた。ガラス張りの天井から差し込む陽の光がフロアを明るく照らし、店先のディスプレイに並ぶ鮮やかな夏服が目を引く。


「わぁ、やっぱり可愛いのがいっぱいあるね」


 衿華が目を輝かせながら、千成の隣で足を止める。

 彼女が見ていたのは、ふんわりとしたワンピースや軽やかな素材のブラウスが並ぶ店のウィンドウディスプレイだった。


「こういうの、三谷さんらしくて似合いそうだな」


 千成が何気なく言うと、衿華は「そうかな?」と嬉しそうに笑う。


「でも、今日はちょっと冒険してみようかなって思ってるんだ。神室くんも一緒に選んでくれる?」


 悪戯っぽく笑う衿華に、千成は「俺が……選ぶのか?」と戸惑う。


「うん。だって、神室くんのファッションセンス、凄くいいから!」


 衿華の真っ直ぐな言葉に、千成は少しばかり気恥ずかしくなりながらも、「分かったよ」と応じた。


 千成自身の服装は、基本的にはカジュアルだが、洗練された綺麗さもある。オーバーサイズのトップスやワイドパンツをベースに、色味やシルエットで絶妙なバランスを取るのが得意だ。

 今日はシンプルなコーディネートだが、衿華の目には「余裕のあるオシャレ」に映っているのだろう。


「じゃあ、あの店入ってみようよ!」


 衿華が指差したのは、フェミニンな雰囲気の洋服が並ぶ店。店内に入ると、柔らかな色合いのトップスやスカートが所狭しと並んでいた。


「これとかどう?」


 千成が目に留めたのは、ベビーブルーのブラウスだった。衿華に差し出すと、彼女は「あ、可愛い!」と声を上げる。


「ありがとう!

 でもなぁ……同じ型のチャコールグレーも捨て難いよ」


 色の濃さで悩む衿華に、千成は「お節介かもだけど……」と意見を口にする。


「三谷さんのスカートは色の濃いものが多いから、トップスは同系統の薄い方がいいと思って」


 似た色で揃え、濃淡でアクセントを付けるの服装も好きな千成はそう言うと、衿華は嬉しそうに頬を緩ませた。


「お節介なんかじゃないよ……!ありがとう!試着してみるね」


 試着室に向かう衿華を見送り、千成はふとメンズコーナーの別のラックに目をやる。

 無意識に手に取ったのは、衿華に選んだブラウスとまったく同じ色のシャツだった。素材が軽やかで動きやすそうなデザインもよく似ている。


 ───オレ……これ買おうかな。


 そう思っていると、彼のスマホが鳴った。

『見に来て!』と衿華からのメッセージが届いている。


 試着室から出てきた衿華は、例のブラウスを着ているものの、なぜか少しそわそわしていた。


「どうだ?」


「うん、いい感じ……でも、ちょっと恥ずかしいかも」


 彼女はそう言いながらも、千成が手に取ったシャツに目を留める。


「それ……!!同じ色だよね!?

 メンズだし……神室くん、お揃いのもの選んだの?」


「あぁ、ちょっと気になったから」


 そう言うと、衿華の顔がぱっと明るくなった。


「お揃いじゃん!これ着たら、ペアルックみたいになるね!」


「ペアルック……!?」


 驚いて聞き返した千成。


 ───無意識にペアルックを選んでしまった……!


 彼は少しだけ慌てたのだが、衿華は気にする様子もなく嬉しそうに微笑む。


「だって、同じ色だしデザインも似てる!

 買っちゃおうよ!お揃いになれる!」


 乗り気な衿華を見ていると、千成のペアルックに恐れる気持ちは自然と和らいでいった。

 購入して店を出ると、衿華が歩きながらぽつりと言った。


「ペアルックでどこか一緒に行きたいな」


 その言葉に千成は一瞬戸惑ったが、「そうだな」と短く答えた。その返事だけで、衿華がとても嬉しそうに見える。


 ───三谷さん、可愛すぎるんだが。


 彼の心臓のリズムは、いつもよりも早かった。

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