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第21話 衿華と手紙

 翌日、月曜日の朝。

 衿華は千成からのラインを受け取っていた。


『親父はもう出社したから大丈夫だ』


 そのメッセージを見た衿華は、安心したように微笑みながら、朝食のタッパーを手に取った。旭が居たせいで、昨日は家で準備をする羽目になったのだが、それでも彼女は上機嫌な様子で千成の家へ赴く。


 が───

 マンションのロビーに着くと、エレベーターを待っているときに、運悪く旭と鉢合わせしてしまった。


「おっ、衿華ちゃんじゃないか。おはよう」


 旭はスーツ姿で、仕事に出かけるところだった。衿華は一瞬目を丸くした。

 それでも、彼女はすぐに笑顔を作って挨拶を返す。


「あ、おはようございます、神室さん」


 だが、旭は何かを察したようににやりと笑った。


「おや、朝から何か持ってるね。千成にでも渡しに行くのかい?」


 衿華は顔が赤くなるのを感じながら、慌ててタッパーを隠そうとしたが、すでに旭の目はその内容を見抜いていた。


「えっ、あの……」


「ふふ、まさか料理を作って持って行くなんて、千成も幸せ者だな」


 旭は軽く肩を叩きながら、少し意地悪く言う。

 が、やけに真面目っぽい口調になり、衿華を真っ直ぐに見つめた。


「もしかして、毎朝……千成のために料理してくれてたのか?親としては有り難い気持ちも申し訳ない気持ちもあるのだが……」


「そ、それは……」


 衿華は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、どう答えるべきかと視線を泳がせる。

 一方の旭はまた表情を一変させた。にっこりと笑って、衿華の反応を楽しんでいる様子だ。


「まぁ、あんな奴だが仲良くしてくれ。あいつの事で悩むことがあるのなら、いつでも相談に乗るからな」


 旭は懐から名刺入れを取り出すと、中から一枚、衿華に渡した。


「あ、ありがとうございます……」


 衿華はタッパーを両手でしっかりと抱えたまま、名刺を指に滑り込ませるようにして受け取る。


「うんうん。まぁ、お互いに頑張れよ」


 旭はそう言って、軽く手を振りながら去ってしまう。


「はぁ、真面目なのかおちゃらけているのか解らない人だなぁ……」


 取り残された衿華はその場で小さく溜息をつき、タッパーをしっかりと抱えて千成の部屋へと向かった。










 ………………

 …………

 ……










 登校時間、千成と衿華はいつものように並んで昇降口へと歩いていた。


「……で、結局、あの問題はオレなしでも解けたか?」


 千成が昨日の勉強の話を振ると、衿華は少し考え込んだ。


「うーん……標準レベルの部分はなんとか。でも、まだちょっと応用問題は不安かな」


「そっか。なら、また昼休みとかにでも……」


 千成がそう言いかけた瞬間、衿華の靴箱に何かが入っているのが目に入った。

 それは小さな封筒──手紙だった。


「また……か」


 衿華は一瞬だけ表情を強ばらせたが、すぐに何事もなかったように取り出し、さりげなくブレザーのポケットに滑り込ませる。

 千成に気付かれないよう、できるだけ自然に。


「ん? どうかしたか?」


「ううん、何でもないよ」


 衿華は笑顔を作りながら靴を履き替える。

 だが、その手元はどこかぎこちなかった。

 千成は特に気にすることなく、自分の靴箱を開ける。

 だが、ふと横目で見た衿華の様子に、なんとなく違和感を覚えた。


 ───なんか、今の動き、不自然じゃなかったか?


 しかし、衿華は何事もなかったかのように「行こっか」と千成を促し、さっさと昇降口を抜けていく。

 千成は少しだけ眉をひそめたが、特に何も言わず、彼女の後を追った。


 ───気のせいか? いや、でも……


 妙な引っかかりを覚えながらも、千成は衿華を追いかけるように歩く。

 が、彼女は教室の目の前でふと足を止めた。


「千成、先に教室行ってて。私、ちょっとトイレ寄ってくるから」


「……あぁ、わかった」


 千成は少し不思議そうに返事をしたが、それ以上は何も言わなかった。

 衿華は千成が教室に入るのを確認してからトイレに入ると、その手紙の中身を確認した。
















 ………………

 …………

 ……










 昼休み、千成は少しだけ憂鬱そうにスマホを眺めていた。


『千成、ちょっと用事があるから先に行ってて』


 そう衿華からメッセージを受け取っていた。


『わかった。待ってる』


 千成は、いつものように西館の外階段へ向かう。

 昼休みの賑やかな校内から離れ、風が吹き抜ける外階段は相変わらず心地よい場所だった。

 が、今日は妙に落ち着かない。


 なんとなくスマホを弄りながら時間を潰していたが、ふと視界の端に違和感を覚えた。

 階段の下の方───中庭に、人が集まっているのだ。


 ───な、何だ?


 千成は無意識のうちに身を乗り出し、人集りの中心を探した。

 そして───そこに、衿華の姿を見つける。


 ───何で、あいつ……?


 衿華の前には、背の高いイケメンが立っていた。

 周りの生徒たちはヒソヒソと何かを話している。


 ───もしかして……


 遠巻きに見ていた千成の胸がざわつく。

 何を話しているのかは聞こえないが、男はどこか余裕のある表情で衿華を見つめ、衿華は真剣な眼差しで何かを伝えているようだった。


 ───知り合い?それとも……?


 千成の指先が無意識に強張る。

 衿華が千成に隠していた手紙のことを、彼は知らない。

 けれど、何か嫌な予感がしてならなかった。


 が、次の瞬間、衿華がぺこりと頭を下げる。

 そして、そのまま踵を返して足早にその場を離れていった。


 ───断ったんだ。


 千成はそれを見て、少しだけ息を吐いた。

 胸の奥のざわつきが、ほんの少しだけ和らいでいく。


 それでも、衿華が何を話していたのか気になって仕方がなかった。

 そのまま彼女が昇降口に入り、こちらに向かってくるのを窓越しに見て、千成は何気ないふりを装いながら、ポケットに手を突っ込んだ。


 ───聞くべきか、聞かないべきか。


 考えているうちに、衿華が階段を上がってくる。

 彼女はいつもの笑顔を作りながら、千成の前に立った。


「お待たせ!ごめんね、待たせちゃった」


 その顔を見た瞬間、千成はふっと肩の力を抜いた。


「あ……いや、別に」


 ───今はまだ、何も聞かない方が良いだろうか。


 千成はいつものように衿華と並んで座る。


 衿華は、千成の隣に座ると、いつも通りに弁当を広げた。

 だが、彼はどうしてもさっきの光景が頭から離れない。


 ───何を話していたんだろう。やっぱり……


 聞きたいが、聞いていいのか迷う。

 千成は弁当を開ける手を止め、ちらりと衿華の横顔を盗み見た。


「……何?」


 衿華がふと顔を上げ、千成を見つめる。

 その目はいつも通り穏やかで、特に何かを隠しているようには見えなかった。


「いや……」


 千成は一瞬迷ったが、結局言葉を飲み込んだ。

 どう聞けばいいのか、解らなかった。

 聞けば、衿華に悪い気がして、それでも知りたい自分もいて───と、せめぎ合う悶々とした思いが彼の胸の中で渦巻く。


 すると、衿華は小さく笑った。


「千成、さっきからなんか変だよ。何か気になることでもある?」


「……別に」


 千成は素っ気なく答えながらも、視線を逸らす。

 しかし、衿華はじっと彼を見つめたまま、少し考えるように唇を引き結んだ。


 そして──


「もしかして、さっきのこと?」


 核心を突かれ、千成はわずかに肩をこわばらせた。

 衿華はそんな彼の反応を見て、少しだけ目を細める。


「……見てたんだ?まぁ……この位置なら見えちゃうか」


「……まぁ、な」


 千成は観念したように答え、弁当の箸を動かすふりをする。

 衿華は少しだけ目を伏せ、ため息混じりに微笑んだ。


「大したことじゃないよ。ただの告白だった」


「……告白?」


「うん。手紙、今朝の靴箱に入ってたやつ」


 ───やっぱり、さっきの光景は告白だったのか。


 そう千成は無言で彼女の言葉を反芻する。


「それで……断ったんだな」


「うん」


 衿華はそれが当たり前とでも言うように、あっさりと頷いた。


「何で?あの人、めちゃくちゃ容姿が整ってたし」


 思わず千成は聞いていた。

 衿華は驚いたように目を瞬かせたが、すぐにくすりと笑う。


「……何でって。その人のことを好きじゃないから……だよ?」


 その言葉に、千成の胸の奥がかすかにざわつく。

 衿華は何でもないようにそう言ったが、千成にはどうしても気になった。


 ───じゃあ、その男がもし好きだったら、付き合ってたのかよ?


 そんな考えが頭を過ぎる。

 だが、それを口に出せるような勇気はなかった。


「……そっか」


 結局、それしか言えなかった。

 衿華は「うん」とだけ返し、また弁当に視線を落とす。


 千成もいつも通りのふりをして弁当を口に運ぶ。

 けれど、食欲は少しだけ失われていた。


「それに今は……」


 衿華は真っ直ぐに千成を見た。


「千成と一緒にいると楽しくって、他の男の人のことは考えたくないんだ」


「……は?」


 千成は思わず、箸を止めた。

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