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第22話 一緒にいると楽しい

「千成と一緒にいると楽しくって、他の男の人のことは考えたくないんだ」


 そう言いながら、衿華は柔らかく微笑んだ。

 それは揶揄うような笑いでも、軽い調子のものでもなく、真っ直ぐな気持ちが滲んだ笑顔だった。

 ほんの僅かに頬が紅潮しているのが判る。


「……は?」


 千成は、箸を止めた。あまりにも不意打ちすぎる衿華の発言に、言葉を失っていた。


 千成の目の前で微笑む彼女の表情が、妙に彼の胸に引っかかる。

 何気ないようで、どこか特別な響きを持つ言葉。

 その意味を深く考えたくないのに、無意識のうちに意識してしまう。


「……オレと一緒にいると楽しい?」


 自分で言葉を繰り出してみると、なんだか気恥ずかしくなってくる。

 けれども、衿華は「うん」と、ごく自然に頷いた。


「だって、千成と話してると面白いし、気を遣わなくていいし……何より、落ち着くんだよね」


 さらっと言われた言葉なのに、千成の胸の奥にじわりと熱が広がっていく。

 けれど、それを悟られたくなくて、彼は視線を逸らした。


「……オレ、別に面白くもないし、気なんか遣わせてないつもりもないけど」


「自分を卑下しないでよ。私は……千成といると、なんか自然体でいられるんだ」


 衿華は微笑みながら言う。

 その表情があまりにも屈託のないもので、千成はますます落ち着かなくなった。


「……それにね」


 衿華は少しだけ視線を落とし、箸で弁当の中の卵焼きをつついた。


「もし、誰かと付き合うことになったら、その人のことをちゃんと好きになりたいし、大事にしたいって思うんだ。ちょっと重いかな?」


「……そんなことはないだろ」


「ありがと。だから、ただ顔がかっこいいとか、条件がいいとか、そういう理由で付き合うのは違うかなって」


 衿華の言葉は、妙にすとんと千成の胸に落ちた。

 彼女の言っていることは、すごく真っ当だ。


 好きだから付き合う───ちゃんと大事にしたいと思える相手と。


 そんなの、当たり前のことのはずなのに。

 千成はなぜか、その言葉に引っかかってしまう。


「……ふーん」


 それ以上、何を言えばいいのかわからなくて、適当な相槌を打つ。

 けれど、心の中ではずっと同じ言葉がぐるぐると渦巻いていた。


 ───じゃあ、オレは?

 衿華はオレと一緒にいると楽しいって言った。

 でも、それは「友達として」なのか?

 もし、衿華が誰かを好きになったら、オレはどう思うんだろう?


 考えたくないのに、勝手に想像してしまう。


 ───衿華が他の男と笑い合っているところ。

 誰かに「好き」って言っているところ。

 誰かの隣で、オレといるときみたいに自然な顔をしているところ───。


「……っ」


 千成は無意識に、手に持っていた箸をぎゅっと握りしめた。


「千成?」


 衿華が不思議そうに顔を覗き込んでくる。

 千成は慌てて誤魔化すように、口元に手をやった。


「……いや、何でもねぇ」


「そっか?」


「にしても……お前、卵焼きばっか食ってんな」


「え? あ、うん。今日の卵焼き、ちょっと味付け変えてみたんだよね」


「へぇ……」


 話題を逸らしたくて適当なことを言ったのに、衿華は嬉しそうに頷いた。

 その姿を見て、千成はまた心の中で溜息をつく。


 ───わかんねぇ。


 自分が何を考えているのか、何を感じているのか。

 ただ、胸の奥が妙にざわついて、落ち着かなかった。












 ………………

 …………

 ……












「それじゃあ、カフェのシフト調整が済んだから発表するね!」


 LHRロングホームルームの時間。衿華は教卓の前に立っていた。


「部活とか他の用事とかで変更が要るって人は、早めに私に連絡してね!」


 衿華はそう言いながら、プリントを配っていく。


 ───オレの名前は……あった。


 文化祭は2日間あるが、千成はDチーム、両日ともに最期の1時間半を接客として担当することになっていた。


「千成。俺たち、同じチームだな。胸張っていこう」


 前の席に座る、堀田正悠ほったまさはるが振り返りながら千成に声をかけた。


「うん……よろしく」


 苦手な接客だが、Dチームのメンバーにあったのは彼に関わったクラスメイトの名前だった。

 リーダーに就いているのは、級長の衿華。副リーダーに正悠がいて、他には川瀬玄杜かわせげんと花崎燈哉はなざきとうやの名前もある。


「Dチームの時間が1番忙しい時間らしいから頑張ろうな」


 正悠がそう言ってくる。


「げ、そうなんだ……」


 最も忙しい時間に配属されてしまったことに思う所があった千成。

 だが、衿華をちらりと見ると彼女はにこりと笑いかけてくる。


 ───もしかして、衿華はわざとオレを忙しい時間に置いたのか?


 衿華の笑顔を見た瞬間、千成は直感的に確信した。


 ───わざとだ。


 千成の苦手な接客、それも最も忙しい時間帯。

 偶然だと考えるには、タイミングが良すぎる。


 千成は半ば呆れたようにため息をつき、配られたシフト表を指でなぞった。

 Dチームの接客時間帯は、ちょうど文化祭が最も賑わう時間。

 そこに千成の名前があるのは、果たしてただの偶然なのか、それとも──。


 ちらりと衿華を見ると、彼女はすでに別のクラスメイトと話していた。

 相手の質問に答えながら、手際よく対応している。


 ───オレを成長させようとしてる……とか?


 そんなことを思う自分に、千成は少し驚いた。

 衿華が何を考えているのかはわからないが、彼女ならそういうことをしそうだ。

 苦手だから避けさせるのではなくて、苦手だからこそ挑ませる。

 そんな意図が透けて見えるような気がした。


「神室、そんな顔するなって。やるしかないんだし」


 いつの間にか隣に現れた燈哉が、肩を軽く叩いてくる。


「花崎くん……それはそうだけど」


「ま、文化祭でクラスメイトと一緒に大変なことを片付けるなんて、やってみたら意外と楽しいかもしれないぞ?」


 正悠は気楽に笑っていたが、千成はまだ腑に落ちない気持ちを抱えていた。


 ───衿華は本当に、オレに成長してほしいと思ってるんだろうか。


 それともただの偶然で、千成が考えすぎなだけか。

 衿華が再びこちらを見て、少しだけ口元を緩める。

 それはまるで「頑張ってね」と言っているかのような表情だった。


「……ったく、仕方ねえな」


 千成は小さくぼやきながら、シフト表を折りたたんだ。

 どうせ逃げられないなら、せめて全力でやってやる。

 そう思いながらも、文化祭当日の自分を想像するだけで、胃のあたりが少し痛み出した気がした。


「じゃあ、Dチームの人はこっちで打ち合わせしよう!」


 衿華が軽く手を叩いて促すと、千成たちは教室の後ろに集まった。

 彼女はプリントを手にしながら、メンバーの顔を見渡す。


「接客と裏方の担当はもう決まってるけど、接客の中でも入口、ホール、会計があるし、裏方もドリンク係と盛り付けがあるから、それを分担しよう」


 接客6人、裏方4人の計10名のチーム。

 接客班は千成、正悠、玄杜、燈哉、衿華ともう1人、彼女と仲のいい韓国風メイクの女子生徒だった。


「入口2人、ホール3人、会計1人で分担するよ。希望はある?」


 メンバーを見渡していた千成だったが、ここで燈哉がビシッと手を挙げる。


「俺、会計やるわ! こういうの得意だし」


「じゃあ、ホールは俺がやる」


 玄杜もすぐに決めると、正悠は「じゃ、俺もホールにするよ」と返す。


原山はらやまさんはどうするの?」


 正悠が問うと、衿華の友人は答えた。


「いいよ、あたしはホールで」


「おっけー!凛咲りさはホールね!じゃ残ったのは……千成と私だ」


 接客メンバー5人の視線が、一斉に千成に向く。


「私と千成は……入口やろっか」


 なにか含みのある衿華の表情と、ニヤついた4人。


 ───衿華に……嵌められた……


 千成の担当の場所は、いつの間にか決められていた。

 周りの表情から察するに、衿華が何かしたのだ。


 千成は思わず衿華を睨んだが、当の本人はまったく悪びれた様子もなく、にこりと笑っている。


「オレが入口……!?」


「うん、そうだよ! 入口ってね、お店の印象を決める大事な役割なんだから!」


「いや、それをオレにやらせるのはミスキャストだろ……」


 文化祭で最も賑わう時間帯の接客。しかも、入口担当となれば、客の第一印象を決める重要なポジションだ。

 ただでさえ千成は接客に苦手意識を持っているのに、それを入口に配置するとは。


「ううん。千成なら……大丈夫だよ。

 私がついてるから!それに、千成は客商売に向いてる気がするから!」


「えっ……それは?」


「勘!」


「はぁ……?」


 千成は呆れながらため息をついた。周囲はそんなやりとりを見て微笑んでいる。


「大丈夫だよ、千成と一緒にやるから」


 そう言われて、千成は言葉に詰まる。


「それが余計にプレッシャーなんだけど」


「えっ、酷いよっ!」


 衿華はわざとらしく肩をすくめて見せたが、すぐに真剣な顔になる。


「でも、本当に大丈夫。入口はただのお出迎えじゃなくて、お客さんに『楽しい場所だ』って思ってもらうための役割だから」


 その言葉を聞いて、千成はちらりと衿華を見た。

 彼女は、真剣な目をしていた。曇りのない瞳は、ただ千成だけを捉えている。


 ───オレをここに配置したのは、やっぱり偶然じゃない。


 やはり衿華は、千成の変わるきっかけを作ろうとしている。

 それは千成の中で確信に変わったが、それでも何故か楽しそうだと思える自分もいた。


「……ったく、仕方ねぇな」


 千成はしぶしぶ頷く。


「やるならちゃんとやれよ、千成」


 正悠が、千成の肩にぽんと手を乗せる。


「勿論……そうするよ……」


 そんなやりとりをしながら、Dチームの準備は着々と進んでいくのだった。

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