焼きそばを食べ終えた頃、ベンチの近くを通りかかったグループが足を止めた。
「あ!衿華じゃん!」
弾むような声が響く。
「あれっ……?
衿華が立ち上がると、彼女に駆け寄ってきたのはサイドテールの生徒───木村桃杏珈だった。
小柄で活発な雰囲気の彼女の後ろには、凛咲や他の女子たちの姿もある。
「衿華、やっぱりここに居たね!って……本当に神室くんと一緒に居たんだ!やるねぇ」
「うん、一緒に回ってる!」
桃杏珈はニヤニヤしながら、衿華の横にいる千成を品定めするように見た。
「前髪上げてるのを実際に見るのは初めてだけど、絶対に上げてた方がいい顔だね」
千成は、その視線にギクリとした。
一応、大して話していないが路上ライブを見に来てくれた1人だ。でも、ほぼ初対面の相手。このように向き合うのは初めてだった。
警戒しているような、面白がっているような、よく判らない表情を千成に向けている。
とにかく、彼女が自分のことをやたら知っているような様子が彼には怖かった。
───え、何でオレをそんなに見るの?
落ち着かない千成のを他所に、桃杏珈は突然「よしっ!」と両手を叩いた。
「ねぇ、ちょっといい?」
千成が戸惑う間もなく、桃杏珈は彼の腕を掴んだ。
「ちょ、何?」
衿華が慌てながら桃杏珈を見る。
「いいからちょっと、神室くん!来て!」
衿華の「ええっ?」という声を背に、千成は強引に引っ張られてしまった。
───何なんだよ、この状況……
高校に入ってから、衿華以外の女子とまともに話したことのない千成は今後何をされるのか解らず、ビクビクして顔を蒼白にすることしか出来なかった。
「ここでいいや!ごめん!」
連れてこられたのは廊下の隅、人目の少ない場所だった。
桃杏珈は腕を組み、じっと千成を見上げる。
オドオドしながらも、千成は連れてこられた理由は何なのか気になっていた。
「えっと……なんか、用?」
千成は身構えながら問いかけた。
別に悪いことをした覚えはない。でも、桃杏珈の目が妙に鋭く感じられて、ただならぬ空気を感じるのだ。
「うん。用」
桃杏珈は腕を組んだまま、真剣な顔で頷き───
「神室くん、衿華のこと、泣かせちゃダメだからね?」
唐突に、そう言ってきた。
「…………は?」
千成には意味が解らなかった。
「いや、ちょっと待ってよ」
思わず言葉が漏れる。それに対して桃杏珈は「だって」と膨れた顔をする。
「だって衿華、神室くんのことめっちゃ気にしてるのよ!? 私、ずっと聞かされてたんだもん!」
「……それは本当?」
千成は思わず赤くなる。衿華が自分を気にかけてくれているのは解っていたが、それを親友に話すほどだったとは思わなかった。
桃杏珈は「そうだよ!」と勢いよく頷く。
「好きな音楽の話とか、神室くんのバンドのこととか……ほんと、ずっと聞いてたんだから!」
「そ、そうなんだ……」
衿華の方が自分に興味を持ってるのは感じていた。
けれど、まさかそんなに話題にされていたとは思いもよらなかった。
思わず目を泳がせる千成を見て、桃杏珈は「ふふん」と得意げに笑う。
「顔真っ赤になっちゃって。こんなに顔が整ってるのに
千成は言い返せなかった。もしも相手が気心の知れた衿華なら、「初心で悪いか!」と返せたかもしれないが、まだまだ桃杏珈との関係は薄い。
「女子に全然慣れてない神室くんなら……大丈夫だと思うけど、一応言っとくね」
桃杏珈は、真っ直ぐに千成を見た。
「衿華を悲しませたら許さないから」
「…………」
衿華のことを泣かせたくないのは千成自身も同じだ。だからこそ、この忠告をどう受け止めればいいのか上手く言葉が出てこなかった。
「衿華って結構考えすぎるとこあるし、意地っ張りだし、いざってとき自分から折れるタイプじゃない。
それは……神室くんも感じてたと思う」
「まぁ……確かに」
そんな千成の様子に、桃杏珈はうんうんと頷きながら続けた。
「だからこそ、もし神室くんが変に距離置いたりとか、雑に扱ったりとかしたら、絶対に傷つくの!だから、そういうのナシね!」
「……いや、オレが衿華を雑に扱うって?」
「そりゃあ……その、衿華の話をいろいろ聞いてるとさ…… 」
桃杏珈はモゴモゴと言葉を濁しながら千成をチラリと見る。
「衿華も神室くんのことすっごく気にしてるし……それで上手く行けば全然いいんだけど、変に拗れたら嫌だから、一応釘刺しとこって思って!」
「いや、オレそんな大したやつじゃないし……」
千成は困惑しながら目を逸らす。
「自己肯定感の低さは、やっぱりどうにかするべきだとは思うよ。ま、だけど……衿華を頼むね!」
言うだけ言うと、桃杏珈は満足げに頷いてくるりと振り返る。
「じゃ、戻ろっか!」
「あ、ああ……」
未だに状況を掴めていない、千成の声。
けれど、すぐに何か思い出したように「あ、そうだ」と桃杏珈は声を上げた。
「ねぇ、神室くんのバンドのドラマーの人……どんな名前?」
「……康太?」
「そう、その人! えーっと、何組の人?」
「H組……理数科」
「あー、やっぱり。だから皆知らなかったんだね……」
桃杏珈は納得したように頷いた後、ふっと表情を曇らせた。
「
少し寂しげに呟く彼女を見て、千成は「へぇ」と適当な相槌を打ちながら、何となくその言葉の意味を察する。
───康太と接点を持とうとしている……演奏を気に入ったんだろうな。
あの時の演奏を見に来ていたなら解るだろう。
白銀康太はリズムをキープする力もさることながら、ドラミングは圧倒的なのだ。
千成も、康太の演奏には絶大な信頼を寄せているし、観客の目を惹き付ける力もある。
「まぁ、アイツは基本どんなやつとも普通に話せるやつだから、そこまで気にしなくていいと思うけどな」
「そっか……」
桃杏珈は小さく呟いた後、「うん!」と気を取り直すように笑った。
「康太くんのインスタってある?
バンドの人ならSNSとかやってるでしょ?ちょっと見てみたくて!」
「……まぁ、あるけど」
千成はスマホを取り出すと、康太のアカウントを開いて桃杏珈に見せる。
「これだけど……」
「わっ、ありがと!」
桃杏珈は嬉しそうに千成のスマホを覗き込み、アカウント名を覚えると、自分のスマホを取り出して検索をかけた。
「……お、見つけた!
んー、フォローしていいのかな?」
「別に康太は……そんなの気にしない。オレからも……そのっ、伝えとくよ」
「そっか!じゃあ、えいっ」
軽いノリでフォローを押す桃杏珈。
「ありがとね、神室くん!」
「……ああ」
千成はちょっと呆れつつも、何となく今後の展開が気になる気がしていた。
「よし、今度こそ戻ろ!」
───やっとかよ。
千成は肩を竦めながら、ようやく桃杏珈と一緒に元の場所へと戻っていった。
見透かされているような感覚は最初はあった。
けれども、それは衿華が彼女に話したからだと知ってからは、千成の不安感も薄れていった。
………………
…………
……
14時半。千成たちはシフトの時間になって、教室に戻っていた。
「よし!全員集まったね!」
10人全員が配置につくと、衿華は千成に「頑張ろうね!」と視線を送る。
「……おう」
千成は頷きながら、ちらりと教室の入口を見る。そこが持ち場だ。
「じゃあ、私は受付に行ってくる!千成は、列がはみ出さないように見といて」
衿華が元気よく指示をする。
彼女がここを買って出たのは、もちろんクラスのためもあるが、それ以上に「千成の変わるきっかけを作りたい」という思いがあったことを、彼は気付いていた。
「千成、頑張ろうね!」
「そうだな。衿華となら……少しは上手く出来そうな気もする」
「本当に?じゃあ……最初は私がやるから、見てて!」
そう言った衿華は早速、並んでいた客を笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませ!2名様ですね?只今ご案内いたします!」
彼女は流れるような動作で席を確認し、ホール係の正悠にハンドサインを送って許可をとる。
その姿を横で見ていた千成は、「なるほど、こうやるのか……」とぼんやり考えていた。
とはいえ、元々千成は接客どころか、クラスメイトと関わること自体が少ない。やれる気がしないまま、衿華が次々に客を捌いて、時間だけが過ぎていく。
彼は、並ぶ客が通路の邪魔にならないように見張るだけ。ことある毎に衿華ばかりに視線を向けていたのだが───そんな彼の様子を察したのか、不意に衿華が小声で言った。
「大丈夫。千成ならできるよ!代ってみよ!」
衿華の目には、不安そうに見えたのだろうか。
実際その通り、千成は衿華のように上手く応対出来るのか不安だったのだが、改めて言われると妙に意識してしまう。
「ほらほら!席空いたよ!やってみて!」
衿華の視線の先にあったのは、玄杜が机を拭き終わった所だった。
彼は彼女に促されるまま、カップルと思しき2人組を席に案内しようとする。
心の中で息を整えると、一歩前に出た。
「……いらっしゃいませ」
まだぎこちないが、少しずつ慣れていくしかない。
「2名様……ご案内します」
声はまだまだボソボソとしていて、視線も定まっていない。指摘するべきところは沢山ある。
けれども、そんな千成の姿を衿華は少し嬉しそうに見守っていた。